8
エルドラの視点から見て、この世界は滅びの危機に瀕しているらしい。
その原因は二柱の魔王と、その眷属である魔族達。
かつてこの世界には七つの大陸が存在したが、今ではローレンス大陸以外は全て滅び去ったと言う。
……否、実際の所はどうなったのか不明だが、少なくとも状況を確認することは不可能になったそうだ。
何故ならローレンス大陸以外は、二柱の魔王と、その眷属である魔族達の手で、世界の柱たる世界樹を刈り取られてしまったから。
そして今現在、二柱の魔王と魔族達は、ローレンス大陸に対しても攻勢を仕掛けている最中なんだとか。
この大陸を挟む様に北と南に島があり、北には全てを凍らせる青の魔王が、南には海すら沸騰させる炎の使い手である赤の魔王が居て、其々にローレンス大陸に眷属を送り込んで来ている。
故にエルドラは、強い力の持ち主の出現は吉兆だと称したのだ。
例えそれが善なる存在でなくとも、魔王や魔族達とぶつかってくれる可能性を考えれば、ジワジワと追い込まれつつある状況が少しでも変わるかも知れないから。
成る程。
いやしかし、うーん。
僕は兎も角、他の五悪仙の弟子が、魔王や魔族達に協力しようとしないとは決して言い切れないのだが、それは言わぬ方が良いだろう。
期待は好きにしてくれて構わないが、何せ僕等は邪仙の類である。
他人の期待通りに動こう筈はない。
それに今聞いた話は、攻め滅ぼされつつある側の話だけだ。
もしかすれば魔族側では、他の大陸で高度な文明を発達させてる可能性だってあるし、世界樹を刈り取る行為に重大な理由だってあるかも知れない。
つまり、そう、僕等は所詮余所者なので、どちらが正しいかなんて判断できる立場にはなかった。
ただまあ魔王や魔族、恐らく強者であろう者達との戦いは、確実に双覇仙の評価には繋がるだろうから、一考の余地はあるのだけれども。
エルドラは僕の世界の話を聞きたがり、聞けば行ってみたいと羨ましがる。
僕はエルドラからこの世界の話を聞き、この先どうすべきかを考える。
自然と話し合いは長引いて、気付けば更に三日が経ってた。
流石にそろそろ、何らかの動きは起こさねばと思う。
出立を告げるとエルドラは非常に残念がり、近くの人里まで背に乗せて送る事を提案してくれた。
実にありがたい話だ。
何せこの大樹海は、エルドラの話によれば大陸の五分の一を占める面積があるそうだから、そう簡単には抜けられない。
それに竜の背に乗るなんて経験は、如何にも異世界らしくてワクワクする話だろう。
……でも、その話は保留する。
何せこの世界樹には、異世界と言えば竜と同程度に連想される存在、エルフも住んでいるのだ。
エルドラの背には乗りたいが、それは後回しにしてもエルフにだって会っておきたい。
だから僕は先ずはエルフに会う為に、後で戻るとエルドラに告げ、彼の巣を出て世界樹を下る。
さて、世界樹の上層はエルドラの縄張りだ。
そして下層はエルフが住まう。
エルフはエルドラが世界樹の守護獣であると知っており崇拝している。
にも拘らずエルフ達が少しでもエルドラの近くを、つまり中層を住処としない理由が当然あった。
ヒョウと風を切って宙を舞い、トンと狙い澄ました枝を足場に着地する。
高所の枝から少し低い場所の枝に、僕は軽身功を用いて飛び移り、少しずつ世界樹を下って行く。
枝と言ってもその太さは大きな道路程もあるのだから、足場としては実に頼もしい。
だがしかし、そんな僕の移動を邪魔する者も、世界樹には居る。
枝から枝へと飛び移っていると、ブゥゥゥゥゥンと聞こえて来る振動する翅の音。
またかと僕は少しうんざりしながら、身を捻って蹴りを叩き込み、その反動で突進をひらりと躱す。
移動の最中の僕に突っ込んで来たのは、巨大な大顎を持つ三メートル程の黒い巨蟲だ。
クワガタに似て居なくもないけれど、あまりの大きさにどうしても生理的な嫌悪感を感じてしまう。
打ち込んだ蹴りは、毛ほどにも効いた様子はない。
分厚く頑丈な外皮と、その下のキチン質が生半可な打撃では寄せ付けないのだ。
ならばどうするか。
勿論宝貝、破山を使えば多少大きな甲虫なんて、一撃で消し飛ばす事は可能だろう。
でも何と言うかそれは、実に大人げない行為である。
例えるならば、槍を携えた歩兵一人を殺すのに、戦車で砲撃を加える様な物だった。
僕はそれを、些か格好悪いと感じてしまう。
故に、枝に着地した僕は、その枝から樹皮を少し剥ぐ。
如何に巨大だろうと、世界樹と呼ばれて崇められていようと、世界の柱だったとしても、樹木は樹木だ。
その身を構成する要素で最も強いのは、やはり木行の気である。
木生火。
木は燃えて火を生む物だ。
僕はクシャリと樹皮を握り潰し、その木気から火気を生む。
まあこの程度の仙術は物がなくても使えはするが、あった方が使用が楽だった。
―火行を以って焔を為す。燃え盛れ―
そして大きく手を振れば、再びこちらに襲い掛かる巨大クワガタもどきを、燃え盛る炎が包み込んだ。
僕の知る限り、虫の類はおおよそ熱に弱い。
硬い外皮が熱を拒もうとしても、虫が呼吸を行う為の空気の通り道、気門から炎が侵入して中身を焼く。
もがき動かなくなるクワガタもどき。
けれどもそれで終わりではない。
漁夫の利を狙おうとしていたのか、隠れ潜んでこちらを窺っていた巨大蜂の群れが、既に辺りを取り囲んでいるからだ。
故に僕は、次の術を行使する。
火生土。
火が燃えれば灰が生まれ、灰はやがて土へと還る。
僕が火気を土気に変換すれば、燃えたクワガタもどきの骸は大きな灰の塊になった。
―土行を以って飛礫を成す。弾けよ―
それから大きく手を打ち鳴らせば、弾け飛んだクワガタもどきの骸、もとい灰の塊から焼けた石の飛礫が四方八方に飛び出し、巨大蜂を撃つ。
更に僕はこちらに向かって飛んで来た飛礫の一つを受け止め、その熱が手を焼く前に次の術を発動させる。
土生金。
土の中には金属が眠る。
石の飛礫は金属の光沢を帯び、
―金行を以って鋭き刃を為す。ここに在れ―
形を変えて僕の手の中で一本の柳葉刀となった。
ひゅんと柳葉刀が空を裂いて振るわれたなら、振動する翅を切られた巨大蜂が、その勢いのままに枝にも落ちれず、地に向かう。
別に特別な力を秘めてる武器と言う訳ではないが、大きなだけの蟲を相手にするならば、過不足なく丁度良い。
軽身功を用いて跳び、その先の巨大蜂を切り、骸を蹴って枝に戻る。
そうして十、二十と蜂を切るが、しかし困った事に全く数が減った気がしない。
否、寧ろますます増えている。
どうやらどこかに巣があって、応援が続々と駆け付けているのだ。
勿論無限に湧き出る訳じゃないだろうから、倒し続ければ何時かは僕が勝つだろう。
うん、でもまぁ、飽きた。
最初は少し楽しかったが、この数は流石にちょっとやってられない。
僕は撤退を決意して、クシャリと両手で柳葉刀を潰す。
では最後の術だ。
金生水。
金属の表面には水気が集まり、凝結により水を生じる。
つまり僕の両手からは水が溢れ出て、
―水行を以って深き霧を為す。惑え―
そしてその水は一気に濃霧へと変じ、辺り一帯を覆い尽くした。
濃い水気が、視界も、匂いも、音も、熱も遮断して、全てを惑わし覆い隠す。
そんな中、唯一その霧に惑わされない僕は、混乱する巨大蜂の群れを置き去りに、更に世界樹を下に向かう。