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結局、取り込んだ異世界の気を身体に循環させて馴染ませるには、丸三日を必要とした。
目を開いて立ち上がると、僕が動き出した気配を察したのか、首を垂れて寝ていたドラゴンも目を覚ます。
長い首を持ち上げて、こちらを向いて喉を鳴らすドラゴン。
何を言ってるかはさっぱりわからないが、何を言いたいのかはわかる。
多分『漸くか』とでも言いたいのだろう。
僕は道士服の袖から一枚の符を取り出し、己が胸に貼り付ける。
そして唱える言葉は『急々如律令』。
急いで令の如く従え。
簡単に言えば書いてる内容の通りにしなさいって意味である。
今回の符に書かれた内容は『我は彼を識り、言葉を交える』だ。
この符は、今回の異世界転移を行うにあたって、予め師匠である瑛花仙に持たされた用意の一つ。
僕も仙道の端くれなので、小鳥の囀りを理解する事位は出来るが、流石に竜ともなると勝手が違う。
故にこの符は、現地の言葉を理解し、意思疎通を可能とする為に持たされた物だった。
だが当然ながら、本来自分では使用出来ない高度な術を、師が作成した符の力で無理矢理に成す為、少しばかりの反動はある。
『世界樹の守護獣、エルダーグリーンドラゴン』
我は彼を識る。
『使用言語、竜語、精霊語、エルフ語、ローレンス大陸西方域汎用言語』
そしてその言葉も識り、言葉を交える事が可能になった。
……一気に流れ込んで来た大量の情報に、ズキズキと頭は芯から痛いけれども、これで会話は可能だろう。
しかしそれにしても、四つも言語を操れるなんて、意外とインテリなドラゴンである。
「あ、あー」
ゴロゴロと喉を鳴らし、竜語の発声を確かめる。
符の効果で覚えた言語は二つだが、目の前のエルダーグリーンドラゴンは竜だから、竜語で話しかけるのが礼儀だろうと考えたのだ。
でもそれだけでエルダーグリーンドラゴンには僕が竜語で話しかけようとした事がわかったらしく、その気配に驚愕が混じった。
「貴様は一体何なのだ?」
竜語を知れば、その地響きの様な音が言葉なのだと認識出来る。
流石にこの三日で慣れたのか、エルダーグリーンドラゴンは驚きながらも警戒を新たにする事はなく、僕の話を素直に頷きながら聞いてくれた。
物凄く大きく、威圧感もたっぷりなドラゴンではあるけれど、話の一つ一つに相槌を打ち、首をぶんぶん上下させる様はどこか可愛らしい。
やはりあの時、刃で切らずに柄で殴ったのは正解だったと思う。
勿論僕の話を聞くだけでなく、エルダーグリーンドラゴンはこの世界の事も教えてくれた。
例えば彼の名前がエルドラで、もう千年はこの世界樹を守る守護中である事とか、この森には他に三体の守護獣が居る事とか。
世界樹の上層はエルドラの縄張りだが、下層にはエルフが住み付いているだとか、今居る大陸、ローレンス大陸の大雑把な地理だとかを。
因みに僕を食べようとした事に関しては、彼から正式に謝罪があった。
何でも以前にも上空から落ちて来た人がいて、その人はそのまま地に落ちて、粉々に砕け散ってしまったらしい。
エルドラはそれを勿体なく思い、どうせ砕け散るなら食べてしまおうと、まるでおやつでも摘まむかの様な感覚で僕に襲い掛かったと言う。
「どうせ潰れて死ぬのならと卑しい真似をしたのだ。そう、本当に済まなかった」
申し訳なさそうと言うよりは恥ずかし気に、エルドラは僕に謝罪する。
どうやらこのエルドラの価値観では、それは卑しい行為にあたるらしい。
拾い食いの様な感覚なのだろうか?
いまいちわかり難いドラゴンの価値観だが、僕としては殴り付けて返り討ちにした時点で既に手打ちにした事である。
しかしそれよりも気にすべきは、以前にも人が空から落ちて来たって部分だろう。
もしや僕達五悪仙の弟子以外にも、世界を越えた誰かが居るのだろうか?
仮に自力で世界の壁を越えた存在なら、墜落死はあり得ない。
ならば偶然この世界に飛ばされてしまった誰かなのか、或いはこの世界の人間が空に舞い上げられただけなのか。
何れにせよ、そう言った事があるって可能性も覚えておこう。
他にも偶然この世界に飛ばされ、生き残った者が居るかも知れない。
この世界には、人間を遥か彼方の上空に吹き飛ばせる何かが居るかも知れない。
僕達以外にも、この世界にやって来ている力ある存在が居るかも知れない。
仮にも異世界が存在し、実際にこうやって移動出来てしまった以上、何が起きても決して不思議ではないのだから。
さて、僕がこの世界にやって来た経緯を聞いたエルドラだが、僕としてはとても意外な事に彼は怒りを示さなかった。
普通に考えればあり得ない話だ。
だって僕達五悪仙の弟子がこの世界にやって来た理由は、悪い言い方をすれば、自分の世界で暴れるには不都合があるから、他所の世界で暴れる為である。
どの様に言い繕っても、これが動かせない真実だろう。
にも拘わらずエルドラは、僕の話を聞いて鷹揚に笑った。
「まぁ確かに怒るべきかも知れんが、強き者の出現はこの世界にとって吉兆だ。少なくともこうして一人は、我と対等に戦い、我と話し合える人物なのだからな」
……と、そんな風に。