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戦いの後、僕も負ったダメージの深さにそれ以上動く事は出来なかった。
魔族に関しては、魔王の絶命と同時に何らかの方法でそれを知ったのだろう。
あっと言う間に戦意を失い、総崩れとなって撤退をして行く。
あまりの逃げっぷりに、まだ彼等を統率する意思がどこかに潜んでるんじゃないかと疑う位に、見事に全員が逃げ出した。
普通は王が討たれたら、忠誠心の高い兵や将が仇討ちに燃えたり後追いしたりするだろうに、そう言った無意味な抵抗も一切なかったらしい。
さてこの島を失った魔族が、一体どこへ逃げて行くのか。
遥か遠くにあると言う、既に魔族に世界樹が刈られた別の大陸か、或いは北方の島、青の魔王の支配域へだろうか。
いずれにせよ、僕が関わる事じゃない。
逃げ出した魔族に、逆に戦意を向上させた人々が猛烈な追撃を掛けている。
けれどもその追撃戦には、僕は勿論、白黒仙や幸歌仙も参加はしなかった。
既に僕等の役割は終わったのだ。
尤も南方が、否、ローレンス大陸全体が、大変なのはこれからだろう。
あぁ、より正しくは北方の魔王も討たれてからになる。
この先、十年か二十年か、或いはもっと短い期間に、次の大きな戦争が起きる筈だ。
でもその相手は魔族じゃなくて、同じローレンス大陸に住む者同士。
これまでローレンス大陸は、魔族と戦う為に地域の機能を特化させて来た。
北方と南方が直接魔族との戦いにリソースの多くを注ぎ込み、西方がそれを支え、東方は一騎当千の神聖騎士を以って大陸に侵入した魔族を討つ。
そんなシステムがすでに出来上がってしまってるのに、その矛先である魔族が消える。
するとそのシステムは、新たな目標に矛先を定めざるを得ない。
大森林との戦いは、自らの首を絞めると誰もが知るから、それは直ぐには行われないだろう。
先ずは南方を統一する戦いか、或いは今回の戦いに参加できずに面目を失った、東方への侵攻が行われる筈だ。
尤も南方で泥沼の統一戦争が行われた場合、どのみち大街道を塞がれて西方からの荷が届かなくなるから、東方は南方に介入せざるを得なくなる。
西方とて同じ事。
豊かな地と言うのは誰からも狙われる物だから、南方や東方でのごたごたにある程度目処が立てば、次は西方に刃が向く。
いや、それよりも早くに、北方が豊かな生活を求めて南下し出す事だって充分にあり得た。
西方は南方や北方に比べ、豊かではあるが保有戦力は少ない。
但し人との戦争には慣れている為、アドバンテージは西方が握るだろう。
勿論遥か海の先にある別の大陸まで攻め入る事も、何れは行われるかも知れないが、今は未だ遠すぎる。
ローレンス大陸に出来上がった今のシステムが破壊され、新たな形が作られるまで、何十年か、或いは百年以上か、至る所で戦いは起きると思われた。
当然ながらその戦いの結末を、僕が、そして他の五悪仙の弟子達が、関わり見届ける事はない。
何故なら後は北の魔王を双覇仙の弟子が倒してしまえば、恐らく僕等の修行期間は終わり、元の世界への帰還が待っているから。
それまでの間に僕が出来る事と言えば、西方の、イル・ファーン国の獣人達が、何時でも大樹海に逃れられるよう、知人の竜人であるラーセン氏にエルドラの鱗を預け、手配しておく位だ。
例えもう二度と縁が交わる機会がなかったとしても、それでも知り合いが望まぬ争いに巻き込まれて不幸になるのは、決して気持ちの良い話ではないだろう。
……南方にやって来てからの知り合いは、まぁ仕方ない。
彼等は戦いがなければ生きていけないし、彼等自身が戦いを望むだろうから、僕が口出せる事は皆無である。
せめて彼等の戦いが、彼等が満足出来る物であれと願う。
それからおよそ一月後、双覇仙の弟子が北の魔王を単独で討伐し、僕等五悪仙の弟子達は皆が揃って元の世界に帰還した。
何でも仙術で嵐を魔王の住む島へと引き寄せて、それに乗じて攻め込んだのだとか。
それ故に最後の評価は、単独で魔王討伐を果たした双覇仙の弟子が一位だった。
あぁ、それよりも僕が凄いと感じたのは、結局最後まで零点のままだった孔狼仙の弟子である。
行方知れずだった彼は、異世界に辿り着くや否や、その世界に満ちた力に感動し、それを己が物にせんと瞑想しながら取り込んだ気を練り続けて居たそうだ。
この一年と少しの間、ずぅっと。
まぁたしかに仙道としては正しい行動かも知れないが、異世界に送り込んだ師の意向も気にせずに己が心のままに振る舞えるのは普通に凄い。
あまつさえ、植えた仙桃の芽が出たばかりだからと、収穫が出来るまでは帰還を拒否したとも言う。
さて、だとすれば孔狼仙の弟子が帰還するのは少なくとも十年か、二十年、或いはもっと後の事になるけれど、あの世界で果たして仙桃はまともに育つのだろうか?
何にせよ、単独で魔王討伐を成した双覇仙の弟子にも、自由気ままに振る舞う孔狼仙の弟子にも、僕は負けた様な気がしてならなかった。
「ただいま、ミン。おやおや、浮かない顔だね。悩みがあるならちゃんと奴に言うんだよ」
とあるタワーマンションの二十七階、つまりは師匠、瑛花仙の洞府で、僕は二週間ぶりに帰宅した彼女に顔を覗き込まれる。
僕は少し気まずくなって、
「えっと、エルドラの修行は順調なの?」
師匠から目を逸らして、話題も逸らす。
今思い悩んでた内容を、師である彼女に知られるのは、少し嫌だ。
異世界での出来事を振り返れば、自分の至らなさを幾つも幾つも思い出す。
「エルドラ君ね。彼は真面目だよ。変化の術を教えたら、今はモノにする為に大喜びで修行に励んでる」
けれども多分師匠は、僕が何を思い悩んでいたかもお見通しだろう。
何せ僕の人より多少長いこれまでの生で、最も多くの時間を共に過ごしたのは間違いなく師である彼女だから。
だがそれでも、敢えて彼女は僕の露骨な話題逸らしに乗って、頬を抑えて少し笑む。
エルドラが、こちらの世界で過ごすにあたってまず修得すべきは変化の術だった。
本来ならば変化の術を扱う為に、気を取り込んで練る修行が必要なのだが、仮にも竜であるエルドラは保有する気の量がかなり多く、また寿命も長い。
尚且つエルドラの望みはこちらの世界を見て回る事だから、人の姿はどうしても必須だ。
だって今のままでは、建物内にはどう頑張っても入れやしない。
今は師匠が保有する秘匿された霊地で修行に励んでいるが、変化の術を習得すれば好きに世界を見回りながら気を取り込んでは練り、やがて仙人に至るだろう。
僕はエルドラの竜としての姿を格好良いと思うから、人の姿を得て竜の姿を取らなくなるのはあまり嬉しくないけれど。
後はまぁ、師である瑛花仙が僕以外の誰かに術を授けているのは、何と言うか、そう、どうしても少し妬ける。
勿論同門の弟子が増えたのは喜ぶべき事で、ましてやそれが友人のエルドラなら猶更だ。
でも妬ける物は妬けてしまうので、自分でも些か度し難いとは思う。
あぁ、これもあまり、師匠には知られたくない内心だ。
「ねぇ、ミン。異世界は、楽しかった?」
そんな僕の内心を知ってか知らずか、不意に瑛花仙はそう問うた。
あぁ、そればかりは悩むまでもない。
僕は彼女の問いに大きく頷く。
異世界を思い返すと、最初に出て来るのは数々の自分の至らなさだが、次に出て来るのは楽しかった思い出だ。
そしてその数は、思い出の方がずっと多い。
至らなさを知っては思い悩み、また色んな事を学べもしたが、それ等を全て放り投げても異世界で過ごした一年と少しは楽しく、ワクワクとした。
「そう、それは良かった。でも奴は一つ不満があるんだ」
師、瑛花仙は唇の端をきゅっと吊り上げ、笑う。
僕は彼女の言葉に首を傾げる。
……さて、何だろうか。
僕の至らなさに不満を持つなら、一つどころでは済まない筈だ。
実力も足りなかったし、経験も足りなかったし、心構えも足りなかった。
例えば魔王の単独討伐。
僕は最初から無理だと考え、仲間を集めて挑んだが、双覇仙の弟子は成し遂げた。
得意分野に違いはあれど、送り込まれた五人の弟子の力量には大きな差はなかっただろう。
つまり僕にだって、魔王の単独討伐が成せた可能性は充分にある。
出来ないと、自分の限界を決め付けたのは、他ならぬ僕自身だ。
……その事を、師匠も僕に言いたいのだろうか。
そんな風に考えた時、師匠は首を横に振り、
「だって凜香の弟子とは一緒に旅をしてたのに、奴はそれを見てるだけだったんだよ。ズルいじゃないか。奴だってミンと異世界旅行がしたいんだ」
そんな事を言い出した。
考えもしなかった発言に、僕はどんな事を言われるのかと身構えていた僕は、思わず呆けてしまう。
あぁ、でも、そうだ。
僕だって、師匠と一緒に異世界を旅して楽しんでみたい。
「……うん、僕も師匠と一緒に異世界に行きたい」
本心から、そう思う。
そして僕の言葉に、嬉しそうに師匠は微笑む。
「だよね。だから奴はミンと一緒に行ける楽しそうな世界を、エルドラ君に変化の術を教えるついでに見付けてて、移動の準備も出来てるよ」
師匠の言葉は何時も通り唐突過ぎるけれど、実に素敵な内容だった。
何せ今回は『修行』じゃなくて『旅行』である。
いきなり異世界の上空に放り出される事もないだろう。
まだ変化の術を習得しておらず、旅に付いて来れないエルドラは少しばかり可哀想だが、師匠だって鬼じゃない。
ちゃんと変化の術を習得すれば、異世界に呼び寄せる心算の筈だ。
尤も変化の術をちゃんと修得するには、幾ら才能に溢れてそうなドラゴンと言えど、数年の時を必要とするだろうけれども。
「じゃあ行くよ、ミン」
師匠の言葉に、再び僕の異世界の旅が始まる。
一度目が少しばかり足りなかったとしても、そこで終わりじゃない。
我欲に囚われた仙道である僕が、その欲のままに望めば、それは何時か必ず手に入る。
次の世界では、一体何が僕を待ち受けているのだろうか。




