43
どぉんと、水平線の彼方で宙を跳ねたのは、そう、例えるならば棘に覆われた装甲を身に纏ったクジラ。
尤も僕が知るクジラよりもずっと荒々しくて禍々しい雰囲気を醸し出すが、サイズと姿形は比較的近しい。
「おぉぅ、貪食大海魚かよぉ。ついてねぇなぁ。あ~、いや、初めての襲来で上位兵級に出くわす兄ちゃんが一番ついてねぇな」
ぼやくジギィの言葉に、僕は首を傾げる。
貪食大海魚と言うのはあのクジラもどきの名前だろうが、上位兵級と言う単語は初めて耳にした。
モンスターの様にも見えるけれど、魔族とは別物なのだろうか。
僕が見た魔族は、喋る粘液だったのだけれども。
まだ接敵までは距離があるからと、ジギィにそう聞いてみると、
「あぁ、なんだい、兄ちゃんは将級に会ったのかい。本当に運がねぇんだな。魔族とモンスターは別もんだよ。似てる風に見えても魔族は食えないからな。絶対に食ったら駄目だぞ」
彼は苦笑いを浮かべながらそう言う。
後で教えて貰った事だが、魔族には魔王とごく少数の例外を除けば、六つの階級に分ける事が出来るらしい。
即ち兵級の下位、中位、上位と、将級の下位、中位、上位である。
兵級と将級の差は知能があり、言葉を喋るかどうかで、将級はその強さに関わらず兵級の指揮権を持つそうだ。
実際の強さを並べれば、兵級の中位と将級下位が同程度で、兵級の上位と将級の中位も同程度だとか。
但し将級の数は兵級に比べて非常に少なく、滅多に姿を見せる事はない。
兵級のみが押し寄せる攻撃を襲来、襲撃と呼び、将級が指揮を執っている場合は侵攻と呼んで区別すると言う。
そして先程述べたごく少数の例外と言うのは、兵級、将級の括りとは関係のない、魔王が特別扱いする、或いは人類が特に危険視する魔族の事だ。
例えばあの貪食大海魚と呼ばれる魔族の同種だが、数倍のサイズを誇る『暴食王』と呼ばれる個体が居て、南の島の周囲を警護してるらしい。
うん、まぁ、四天王みたいなもんだと思えば良いのだろう。
因みにジギィが忠告したのは、モンスターは世界樹の力に由来した生物なので肉は普通に食せるが、魔族は全く異なる存在なので、その肉を口にした人は身体が腐って死に至るそうだ。
魔族は魔族を食べても平気らしく、仮に貪食大海魚が陸に辿り着いた時はその場で死に、身の内に抱えた卵が孵って貪食大海魚の肉を喰らい、陸戦型の魔族として大地に解き放たれると言う。
……そもそも別の世界から来た僕が食べたらどうなるのか、ほんの少し気になりはするけれど、試してみようとはあまり思わない。
互いを認識した双方、貪食大海魚も人の乗る船も速度を上げて、彼我の距離はみるみる縮まる。
冒険者達の乗るこの小型ガレー船の他に、五隻の軍船、中型のガレー船が出撃していて、こちらよりも少し先行していた。
その時、貪食大海魚が水面を大きく跳ね、固まって進んでいた五隻の軍船は一斉に進路を変えて散ろうとする。
何事かと思えば宙を舞った貪食大海魚の口から、大きな火球……、と言うよりも少し吐瀉物染みたマグマの様な何かが吐き出されたのだ。
あぁそう言えば、南の魔王の眷属は炎を扱うって言ってたっけ。
でも海を泳ぐクジラもどきが炎を吐くのは、少しばかり意表を突かれた。
だが意表を突かれたのは僕だけで、素早く散った軍船はその吐き出された炎を回避している。
水面に着弾した炎に、ドバンと水柱が弾け飛ぶ。
「おぅおぅ、良いね。悪くない。さぁてそろそろ攻撃の時間だ。兄ちゃん準備は出来てるかい?」
ジギィの言う通り、確かに悪くない。
あんな風に直ぐに散れるのは、手漕ぎのガレー船で、尚且つ船乗りの練度が高いからだ。
味方が心強いのは良い事である。
但し僕の方の準備と言えば、少しばかり迷いはあった。
火を相克する水気に囲まれた海の上では、火行の仙術は準備に時間が掛かって多少使い辛いし、使った所で炎を吐くアレを相手にダメージがあるかは微妙な所だ。
逆に水行の仙術は使い易いが、海を多少割った所で、船なら沈むがどうみても泳ぎが達者な貪食大海魚に意味があるとは思えない。
土行の仙術は、岩を出してぶつければ多少のダメージはあるだろうが、効果は決して高くないだろう。
金行の戦術も土と同じく、ぶつけるのが岩でなく金属になる位か。
そう考えればジギィの槍投げって選択は決して悪くはない。
もう少し間合いが詰まれば、真似させて貰うとしよう。
何と言うか海の上の戦いは、工夫の余地が少なくて難しい。
そう言えばあまり海の上で戦った経験はなかった。
海の上を走って行って、直接殴るのが手っ取り早いが、これを人前でやるのは流石に駄目だろう。
となれば残るは木行。
水気は木気に変換し易いから、これがベターな選択か。
「う……ん、よし、風で切るのが一番マシかな。お待たせ、ジギィ。何時でもどうぞ」
木行を使うと決めたは良いが、海の上だとやはり術の選択肢は少なくなる。
樹木を動かす術は論外だし、雷は海で拡散してしまう。
小物が相手なら拡散しても何とかなるかも知れないが、あのサイズにダメージを与えるとなれば適さない。
故にこの場で使うなら、風で切り裂くのが一番ダメージを与え易い筈。
水生木、水気を木気に変換しながら、僕はジギィにそう告げた。
散った軍船がそのまま貪食大海魚を包囲する様に動き、冒険者の乗る小型ガレーもそれに加わって、そして一斉攻撃が始まる。
軍船に搭載されたバリスタの矢に続き、魔法で生み出された火球や石弾も飛ぶ。
だがやはり最も大きな効果を上げたのは、ジギィが放つ投げ槍だ。
ゴゥと空気を裂いて打ち出される投げ槍は、相手に突き刺さるのではなく、当たった瞬間に爆発する。
一体どれ程の気……、じゃなくて魔力を込めて投げたのか。
それも一撃で終わらずに複数回の投擲を繰り返すジギィは、紛れもなく星四ランクに相応しい実力者だった。
「おぉぃ、兄ちゃんサボるなよぅ」
仙術の準備を終えて、それでもまだ待機状態の僕にジギィが文句を言う。
まぁ、うん、そうなんだけれど、もうちょっと待って欲しい。
タイミング的にはもう少しの筈なのだ。
相手の雰囲気、気配を読めば、攻撃を受け続けて怒る貪食大海魚は反撃に出るタイミングが読める。
あぁ、よし、今だ。
―木行に命じる。空よ裂けよ。刃を成せ―
その仙術が発動すると同時に貪食大海魚が跳ねた。
恐らく先程と同じ様に、炎を吐く心算だったのだろう。
しかしその時、貪食大海魚の真上には、僕が設置した空の裂け目、風の刃が置いてある。
そこに勢い良くそこに飛び込んだ貪食大海魚は、ぞぶりとその身体が綺麗な半身に割れた。
片側は骨付きなので、二枚下ろしと言う奴だ。
海に向かって風を放つよりも、こちらの方が攻撃としては効率が良い。
静まり返る船の上。
二つに分かれた貪食大海魚の身が、どぶんと海に落ちて水柱を上げる。
「えぇぇ、おい一撃かよ。あれって上位兵級なんだが、えぇ? 本当かよ。うへぇ、兄ちゃん凄ぇなぁ」
驚くジギィの声に片手を上げて応じると、ワッと冒険者達から歓声の声が上がった。




