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「何故ダ!!!」
魔族、えっと、確か、ビュームとやらの罵声が響く。
彼、彼女、いまいち性別はわからないし、魔族に性別があるのかどうかも知らないが、念液体は宙に浮かんだまま、巨狼の骸に近付けないまま喚き立てている。
「何故入れなイ!!!」
その問いは多分、僕に向けられた物ではないけれど。
答えを言うなら僕が禁術で、ビュームに三日間程は侵入を禁じたからだ。
『我、侵入を禁じれば、即ち立ち入ること能わず』
別に大した効果のある禁術じゃないから、代償も然して重くない。
僕も同じ三日間、トイレに入れなくなるだけである。
あぁ、否、僕は仙人だから良いけれど、単なる人なら大分と困るか。
何せその目的で立ち入るのなら、茂みでさえもトイレと見なされて、つまり物影に入れなくなってしまうから。
まぁ代償の事はさて置き、たったそれだけでビュームの特技は防げるのだ。
だって自分で能力を全部喋ってくれたのだから、これ程対処が楽な事はない。
勿論喋った能力がフェイクである可能性はあったけれど、ジャーネルの遺体を調べれば真偽の判別位は出来た。
「オマエェ! 何をしタ!!!」
ビュームが僕に問う。
もがく念液体を見て嗤っている僕に、漸く気付いた様子。
だがまぁ、説明してやる心算はない。
僕が今考えるのは、ビュームをどうやって始末するかだ。
念液体であるビュームは、『ワタシに打撃は、斬撃は、効果がありませン』とか言っていた。
実際にはそんな事は多分ないから、それを思い知らせてやるのもありだろう。
水を粉砕する武と言うのもあるのだ。
でも物理攻撃に強い相手は、それ以外に弱いと言うのも御約束の一つである。
ビュームは多分、見るからに火に弱い。
僕が魔法を使わない、術者でないと思い込み、余裕を見せていたビュームを仙術で追い込むのも、それはそれで悪くはなかった。
うん、まぁ後者で行こうか。
今のビュームは、引っ越し最中のヤドカリの如くに弱点を晒した状態だ。
それを攻めるのは寧ろ礼儀でもあるだろう。
―火行を以って焔を為す。燃え盛れ―
自らの体内から火の気を引っ張り出し、手を振って炎の仙術を発動させる。
ボッ、と中空に火の華が咲き、
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁッッ!? 何故、何故、魔法が使えるうぅぅぅゥゥゥ!!」
大慌てでビュームが逃げ惑う。
いやいや僕に魔法は使えない。
使っているのは五行の仙術だ。
使用に関する制約は幾つかあるが、個人的には魔法よりも良い術理だと思う。
何せ五行の仙術は僕の師匠、瑛花仙の特技だし。
二度、三度と同じ炎の仙術を使えば、ビュームは急に方向を転換し、僕に向かって襲い掛かる。
「クソッ、こうなったラ、オマエを乗っ取ってやるぅぅゥゥゥ!」
そう叫びながら高速で飛来し、……そして僕の眼前で急停止した。
残念ながら入れないのは巨狼の骸に対してだけでなく、ビュームが侵入するとの意図を持って行うならば、それを禁ずる効果は全てに及ぶ。
僕は勿論、一度脱ぎ捨てたジャーネルの身体にだって、もう戻れない。
まぁ例え戻れたとしても、ジャーネルの遺体は魔族の関与と僕の身の潔白を証明する為に必要だから、決して渡しはしないけれども。
「な、何故……?」
間近で、僕に問うビューム。
でも僕はその問いに笑顔でのみ答え、手を振り、炎の仙術でビュームの全てを焼き尽くした。
戦いの後、僕は貰ってから始めて、エルドラの鱗を喉に当てて震わせて竜語を発する。
即ち、事の経緯の報告と、巨狼の骸をどう始末するかに関しての話し合いだ。
例え僕がどんな風に報告しても、冒険者ギルドの調査はこの場所に及ぶだろう。
隠し通す事は不可能ではないが、大分と難しい。
何せ物が大き過ぎるし、持ってる力も強過ぎる。
世界樹側で、具体的にはエルドラが回収してくれれば一番良いが、……まぁそれが出来るならそもそもこんな形で地の底に骸は眠っていない。
故に僕が提案したのは、この骸を僕に、より正確には僕を通じて五悪仙に、と言うか緑青仙に譲渡しないかと言う事だった。
僕から五悪仙に連絡を取る手段はないが、今この瞬間、確実に緑青仙は僕に注目してるから、エルドラとの話が終わればすぐに接触はあるだろう。
当然、対価は用意される。
恐らくはこの世界に来てる五悪仙の弟子達全てに対し、世界樹側への攻撃禁止と、魔族との敵対が指示として下される筈だ。
詳しい内容は交渉次第だが、このまま火種となる骸をここに放置する位なら、別の世界に譲り渡した方が実利は大きい。
問題は同胞の骸を見ず知らずの相手に譲り、対価を得る事に対しての感情的な嫌悪感だ。
僕はエルドラからの問いに全て正直に答える。
骸は何に使われるのか。
五悪仙とは、特に緑青仙はどのような人物か等々。
それから始まった、僕とエルドラを窓口にした、五悪仙と世界樹の守護獣達の交渉には三日を要した。
丁度僕が使った禁術の代償が終わるまでの時間である。
その間に僕は、先ずはケルベロスを大樹海に返し、土行の仙術で入り口を塞ぐ。
状況を探りに、新たに冒険者が派遣されてきても、今は非常に困るからだ。
目覚めたばかりのケルベロスは僕に敵意を向けて来たが、エルドラの鱗の匂いを嗅がせれば後は素直に言う事を聞き、大樹海へと駆けて行く。
ずぅっとずぅっとこの地を狼人と、更には狼人がこの地を去っても守り続けたケルベロスが、この先をどう過ごすのかは知らないが、また出会えると良いと思う。
まぁあれだけボコボコに殴ったのだから、懐いてくれる事はないだろうが。
三日間の交渉で決まった内容は、五悪仙は世界樹及びその守護獣と友好関係を結ぶ事。
具体的には、世界樹や守護獣への攻撃を弟子に禁じ、二柱の魔王の討伐に助力させる。
尚且つ魔王討伐後の、エルドラの五悪仙への弟子入りも条件に含まれていた。
最後の条件は、完全にエルドラ個人の望みだと思う。
選ぶ師匠に関しては、友好関係にある僕の師であり、樹木の精でもあった瑛花仙が希望らしい。
この内容を決めるにあたって最も意欲的だったのは、まぁ当然ながら緑青仙だ。
何せ最大の利益を得るのは他ならぬ緑青仙である。
尤もその利益の還元の為、緑青仙の洞府から秘蔵の品が他の五悪仙に贈られるらしい。
次に僕の提案だからと、全面的に賛成したのはやはり師である瑛花仙。
僕としては交渉であっても、師匠と話して声が聞けた事が嬉しかった。
凛香仙は師匠に追従して消極的な賛成。
孔狼仙はバランスを取る為に意見を出す事は控え、積極的に反対に回ったのは双覇仙一人である。
建前上の理由は、『異世界では弟子の好きにさせるって最初の主旨からずれてる内容だ』と言った物だが、本音は守護獣との戦闘禁止が気に食わなかったのだろう。
尤も魔王の討伐には乗り気だったから、何が何でも絶対に反対と言う訳じゃなかったので、最終的には五悪仙全員が同意した。
細かな条件は未だ調整が必要だけれども、取り敢えずの交渉は纏まり、慈悲深く、獣人を守った守護獣、銀の巨狼の骸は緑青仙に引き取られて行った。
僕もこれで漸く町へと帰れる。
とは言え僕にはこれからもう一仕事、冒険者ギルドへの報告が待っていた。
全ての真実を明らかにする事は決してない。
ラーセン氏に直接報告すれば、ある程度はそのままの内容を話せるが、銀の巨狼の骸に関しては、エルドラに相談の上で処理したって誤魔化しを入れなければならないだろう。
そして報告を受けたラーセン氏も、恐らく今回の件は決して公にしない筈だ。
この地を追われた狼人が、銀の巨狼の骸を守っていたなんて、イル・ファーン王家にとってあまりに不都合が過ぎる話だから。
過去の事とは言え、獣人を守って命を落とした銀の巨狼の、骸を守っていた狼人をこの地から追い出したなんて、王家の正当性を根底から揺るがせる話だった。
でもまぁ報告した内容をどうするかはラーセン氏が、或いはその情報を共有した竜人達が考えて胃を痛めれば良い話で、僕には関係ないと言えばない。
僕は報告した後は、忘れた事にするだろう。
勿論、イル・ファーン王家が余程に僕を怒らせない限りの話だが。




