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当時の狼人は、現在のイル・ファーン国の南部に大きな勢力を誇り、初代王の統一に於ける最大の障害になったそうだ。
個の武勇に優れ、特に無手の強さに誇りを抱く獅子人や虎人に対し、狼人は連携に優れ、弓や剣を巧みに操ったとされる。
一説には今の虎人が武器を当たり前に使うのは、狼人に対抗する為だったとの説があるとも言う。
まぁ勿論虎人はそれを否定するし、迂闊にそれを口に出そうものなら、厄介な事になるけれども。
しかしそんな狼人はあまり他種の獣人との交流を好まなかったとされ、迷い込んだ旅人を持て成し、縄張りの外に送り届ける事はするが、自分から他所に出向く事は殆どなかったらしい。
但し竜人に対してだけは別で、狼人は竜人を特別な存在として敬ったそうだ。
けれどもその他種の獣人と交流しない性質が、獣人の中で狼人を孤立させ、やがては戦況を不利にして行く。
如何に仲間内での連携に優れようとも、他との交流、つまり外交を知らない狼人に、味方する獣人は数少なかった。
「こうして徐々に追い詰められて行った狼人はイル・ファーンの地を追われます。現在、狼人は西方の各地でひっそりと暮らしていますが、この地を追われた狼人の末裔の行方は知れません」
少し得意気に、人差し指を振りながら僕に講義を行う彼女。
そう、彼女こそが依頼者である学者のジャーネルだ。
そして少し驚いた事に、ジャーネルは二十代後半の、人間の、女性だった。
「イル・ファーン王家もその行方は知りたいらしく、今回の調査にも些少ですが、そう、些少ですが! 援助をして下さってます。だから例えモンスターが出ても、私は諦められないんですよ」
そう言って彼女は、力なく肩を落とす。
何故ならこの場には、僕と彼女しか居ない。
調査隊の殆どは、前回襲われたモンスターを恐れて逃げてしまったと言う。
逃げられないのは王家からの援助を受けてしまってる、責任者のジャーネルのみだ。
尤も王家としても、本気で狼人の末裔の行方を知りたいと、切に願ってる訳じゃない筈である。
既に竜人すらも代替わりをしている遥か昔の事だから、現在のイル・ファーン国に対する脅威には成り得ない。
でなければ、他所の国からやって来たジャーネルに些少の資金援助だけして終わりにはしないだろうから。
「お願いしますよ。クヨウさん、本当にお願いしますよ。王家に出す報告書を書けるだけの何かが必要なのもありますけれど、私も出来ればこの地に生きた狼人を知りたいんです」
縋る様にジャーネルは言う。
王家の目的は、この地を追われた狼人の末裔の行方だが、ジャーネルが知りたいのは、この地に生きた狼人の文化や生活様式だ。
今回の遺跡は、寧ろジャーネルの目的を達成する為に向いている。
僕は頷き、調査用の荷物を背負う。
依頼人のジャーネルに案内されて辿り着いた先は、丘にぽっかりと大きな口を開けた洞窟の前。
「ここが狼人が住んでいたと思われる地下の居住地に繋がる洞窟です。今、西方の生きる狼人は、この様に地の下で暮らす風習を持ちません。過去のイル・ファーンでのみ、それも一部の狼人だけが地下で暮らしました。不思議ですよね?」
そう問いかける彼女に、僕は曖昧に頷く。
確かにそれは不思議だけれども、もう一つ不思議な事がある。
洞窟の入り口から、ほんの少しだけ離れた場所に転がった二つの巨大な石塊。
あれはもしかすれば元は一つで、この洞窟を塞いでいたんじゃないだろうか。
もしこの遺跡が今まで発見されなかったのが、あの岩が入り口を塞いでいたからだとしたら、どうやって二つに割れたのかは、もしかすれば重要だ。
一番高い可能性としては、調査隊を襲ったと言うモンスターがあの岩を割り、中に入ってそこを住処に決めたと言うケースだろう。
でももしそうでなかったとしたら、他には何が想定されるか?
「……あの、どうなさいました?」
僕が足を止めた事に、ジャーネルが不思議そうに首を傾げて問う。
いや、やめておこうか。
抱いた疑問を共有しようかとも思ったが、僕は内心で首を横に振る。
ただでさえ調査隊が壊滅し、不安を抱えている彼女を、更に不安にさせる必要はどこにもない。
何でもないとジャーネルに告げ、僕は洞窟に足を踏み入れた。
広い、馬車でも通れてしまいそうな洞窟が、なだらかに下に向かって続いてる。
ほんの僅かだが風の流れも感じるから、さっきの入り口以外にも通風の為の小さな穴は、幾つか外と通じているのだろう。
光源となるランタンはジャーネルが持ってくれてるから、僕はモンスターの奇襲を許さぬ様、気配を探りながら先へと進む。
そうして暫く進んだ先は、ぽっかりと大きく開けた広い空間だった。
「はい、ここが狼人が築いた地下拠点の上層部、居住区です。ここは前回、既に調査済みなんですよ」
まるで観光案内の様に紹介してくれるジャーネルだが、……思った以上にここは凄い。
地下に暮らしていたと聞き、蟻の巣穴の様な物を想像してしまっていたが、ここは広い空間を確保した上で地下なのに住居が建ててある。
ジオフロントとまで言うと流石に大袈裟だが、住居の数から言っても、村と呼ぶには充分過ぎた。
しかもジャーネル曰く、ここは上層部らしい。
つまりここで終わりじゃなく、この下があるって事だ。
驚く僕の顔を見て、ジャーネルが満足そうに笑う。
最初はおどおどとしてたのに、遺跡に入ると大分と元気が出て来たらしい。
流石は学者と言った所か。
「でも気を付けて下さい。前回の調査隊が襲われたのは、この先での事でした。暗闇の中で姿はハッキリとは確認できませんでしたが、あっと言う間に三人の犠牲が出たのです」
うん、でも流石に、モンスターが出る場所が近付いているのに、楽しそうなのは少しばかり違和感がある。
……まぁ薄々感じてた違和感ではあるのだけれども、それでもまだ、彼女は僕の依頼人だ。




