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故に瑛花仙の弟子である僕も、邪仙と言われれば頷くより他にない。
大きな力を持ち、尚且つ欲や拘りを捨てぬ邪仙が、人の世に幾度となく大きな災いを齎しかけた、或いは齎したのは事実である。
世間一般の倫理観に欠けるのは、邪仙のみならず普通の仙人も同じだが、後者はそもそも俗世に関わろうとはしないのだ。
「捕まるのは嫌だよ。そもそも貴女に捕まる様な事をした覚えもないし」
まぁでも、僕は邪仙ではあっても悪人ではないと思うので、一応は追手の女道士にそう告げる。
だが彼女は想像通りに、そんな僕の言葉は歯牙にもかけずに構えを取った。
「言い分は捕まえてから東洋秘神会で聞くわよ。叩かれて埃の出ない身なら何も恐れる必要はないでしょう?」
東洋秘神会。
あぁ、成る程。
つまりこの目の前の女道士はどこかの仙人の弟子ではなく、組織で術を学んだエージェントか。
確か東洋秘神会とは、この国の神秘界隈にとっては侵略者である、西洋の魔術協会に対抗する為の東洋系術者による組織だ。
魔術協会との抗争以外にも、妖物や霊障を祓う退魔業や、神秘を悪用する術者の捕縛を活動内容としていた筈。
だとしたら僕が口先でどれ程に、そんなに悪人の心算はないと言っても無駄だろう。
この国には持ち込みが許されない品々を所持しているし、博物館から妖物に成り掛けの山水画を盗んだ事だってある。
僕はそれを悪いとは思ってないが、清い身であるとは言い難い。
「なら仕方ないね」
相手が構えた様に、僕も腰を落とし、拳を向けて構えを取る。
然程広くはないビルの屋上、彼我の距離はおよそ十メートル程。
仙道の端くれである僕にとって、こんな距離は一歩分でしかない。
つまりは既に攻撃圏内だ。
だから本当なら僕の方が大分と有利だった筈なのだが、でも僕は次に女道士が取った行動に驚き、彼女に先制を許してしまう。
「えぇ、仕方がないわ。捕まる気がないなら力尽くよ!」
何せそう言って動いた女道士は、自らスリットを跳ね上げて、内に仕込んだナイフを数本引き抜き投擲したからだ。
……彼女に羞恥心とかはないのだろうか。
或いは余程自分の容姿に自信があって、敢えてそうやって振る舞ってるのかも知れないが、確かに効果的だっただろう。
決して見惚れてしまった訳ではないけれど、本当にないけれど、それでも驚きから先に攻撃を許してしまったのは確かなのだから。
僕は時間差で飛来するナイフを弾いたり掴み取ったりはせずに、避ける。
飛び道具を避けさせて僕の動きを誘導するのが狙いだとはわかっているが、ナイフに込められた気が、僕にそれに触れさせる事を躊躇わせた。
恐らくだが、アレは触れれば小さく爆発するだろう。
只人なら兎も角、仙道の端くれである僕にとってそれは致命傷とはならないが、それでも喰らえばきっと痛い。
そして避けながら誘導されたその先で、僕は間合いを詰めた女道士の、その鋭い蹴撃を腕で受け止める。
思ったよりも、結構強い。
否、正しくは、随分と戦い慣れているが正確だろうか。
特別に腕が立つと言う訳ではないけれど、自分の力を活かす事が上手いと言った印象だ。
投げナイフでの誘導も、目を惹く深いスリットから繰り出される蹴撃も、悪い言い方をするなら足りない実力を補う為の惑わしに過ぎない。
でも自分の持てる武器の全てを使って戦い方を組み立てるその姿は、僕に決して悪い印象を受けさせなかった。
何度も言うが、別に見惚れて好印象を受けた訳ではないけれど。
だが、そう、彼女にとっては残念ながら、多少戦い方が上手く、恥じらいを捨てて小技を駆使しようとも、その程度で埋まるほどに仙人と道士の間に在る溝、実力差は浅くない。
敵が同じ、人間と言う土俵に乗ってる西洋魔術師相手ならその戦い方で通用するのかも知れないが、僕を相手にするには大分と足りないのだ。
「破ッ」
女道士の腹部に拳を添えて、震脚と共に気を撃つ。
手応えは、軽かった。
大きく吹き飛ぶ彼女だが咄嗟に軽身功を使ったのだろう。
ふわりと中空で回転し、屋上の縁の上に降り立とうとするが、……でも甘い。
随分手加減したから、然程のダメージはない筈だ。
だがそれでも、もうこの戦いはお終いだった。
―木行を以って強き風を為す。吹け―
僕がサッと手を振ると、まるで団扇が風を起こす様に、けれどもそれとは段違いに強い突風が起こり、着地前の、軽身功で身軽になった女道士の身体をあっさりと屋上の外へと押し運ぶ。
五行法の一つ、木行を用いた風の仙術だ。
「えっ?!」
足場を奪われて焦る彼女の表情は、先程まで冷静に戦いを組み立てていた時のそれとは全く違って間抜けており、整っている分だけ余計にコミカルで、少し可愛く思う。
恐らく派手な攻撃仙術でなく、こんな単純な術にしてやられて負ける自分が信じがたいのだろう。
けれども残念ながら、これが現実だ。
無論今までの戦いで見た実力から、彼女がビルから放り出された程度で大怪我を負う様な事はないとわかってる。
しかし僕が逃げるだけの時間を稼ぐにはこれで充分だった。
女道士が怪我をせずに今の状況を切り抜けるには、落下速度を殺す事に集中する必要があり、その間は僕を見失う。
一度僕を見失えば再び見つけ出す事は、少なくとも彼女には不可能だ。
落下して行く女道士に笑顔で手を振って、僕は逆側に向かって走り、地を蹴って別のビルの屋上へと飛び移る。
ちょっと出歩くだけの心算が、随分と余計な手間を取らされる羽目になったが、良い運動になったと考えよう。
邪仙として生きてる以上、突っ掛かって来る術者をあしらう事位、この先にも数え切れない位にあるだろうから、一々怒っても居られない。