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日が昇る。
町中を流れる川を渡る橋の下で、気配を殺して隠れて日の出を待っていた僕は、漸くラジャールの町を目の当たりにした。
果実の入った籠を頭の上に抱えて歩く女性は、恐らく猫人だろうか?
ファンタジーの世界の獣人は、結構色んなパターンがある。
例えば完全に頭部が獣型になっている、言い方は悪いが、二足歩行する獣を獣人と呼ぶパターン。
次にベースは人間で、少し毛深く、耳や尻尾に獣の特徴を残すパターン。
最後に普段の姿は全く人間と変わらないか、或いは耳や尻尾に特徴を残す二つ目のパターンと同じだが、完全に獣化を行えるパターンの三つ。
今見た猫人の女性は、パッと見はほぼ人間と変わらず、耳や尻尾に獣の特徴を残すパターンだった。
つまり二つ目か、或いは完全獣化出来る三つ目のパターンになる。
あの女性は、恐らく市か何かであの果物を売って生計を立てているのだろう。
朝早くからご苦労様だ。
まぁ何よりあの女性を見て安心したのが、多分猫は僕の知る猫で間違いないだろうと言う事。
エルドラの会話の中でた言葉を僕は猫と認識したが、この世界の植物の大半は僕の知らない物だったから、猫や犬や牛や馬も、やはり僕の知る物とは違う可能性はあった。
でも少なくとも猫に関しては、多分そう大きくは変わらない。
何だか不思議と安心する。
実の所、僕にとって獣人はエルフ程にファンタジーを感じさせる物じゃない。
何故なら例えば孔狼仙は、普通に狼の獣人っぽい見た目をしているし、弟子の人達もそんな感じだ。
だからそれ程に獣人の事は、物珍しいとは思わなかった。
ラジャールの町の大通りをのんびりと歩く。
やはり猫人や牛人、羊人等の獣人が多いけれども、人間の姿もちらほら見掛ける。
あぁ、いやでも、牛人の女性は何だかこう、凄いなぁ。
色々と豊かで、少し感動的ですらある。
師匠である瑛花仙は美しいが、元になった姿が日本人の薄幸の美女なので、余り豊かな方じゃない。
エルフの女性達も、シェイファを含めてそうだった。
とても美人だけれど、やっぱり薄い。
エルフであってもエロフではなかった。
ここ最近で見た一番豊かな美女と言えば、あのビルの屋上で相対した女道士だろうか。
思い返せばかなり色っぽい姿だったので、まぁ目を奪われたのも仕方ない。
しかし牛人はそれどころじゃなく、色々パツパツだ。
羊人も割と豊かだが、牛人には及んでいない。
うん、まあ、あんまり堂々とは見ない様にしよう。
隠形の術を掛けてるとは言え、女性は視線に対して鋭い生き物である。
僕の恰好はこの世界では異質だから、それも相俟って視線に気付かれる可能性は皆無じゃない。
さて大通りを歩く事暫く、漸く目的地が見えて来た。
盾と剣の紋章を看板に掲げる場所。
そう、ファンタジーと言えばここに来なければ始まらない場所である、冒険者ギルドだ。
エルドラの長話によれば、西方諸国の冒険者ギルドの長、ギルドマスターは竜人である事が多いらしい。
そもそも冒険者ギルド自体、獣人達が組織して始まったんだとか。
まぁこの世界のモンスターは世界樹が発する力の澱みで、倒す事でその力は世界樹に還る。
神と世界樹を同時に敬う獣人がモンスター退治を推奨するのは、決して不思議な話じゃなかった。
モンスターも世界樹由来の生き物である事には違いがないから、その肉を食す事にも忌避感はなく、皮や爪、牙等の素材も重宝されると言う話だ。
本当に、エルドラはドラゴンの癖に世事に詳しい。
どうせ冒険者をやってみたかったのだから、エルドラの鱗を見せて頼る竜人は、冒険者ギルドのギルドマスターにした方が手っ取り早いだろう。
そんな風に考えて、僕は冒険者ギルドの扉を潜る。
開いた扉に、幾人かの視線がこちらに向くが、それでも隠形の効果で特に違和感を感じなかったのだろう。
向いた視線もすぐに散った。
ぐるりと中を見渡せば、大きなカウンターの向こう側で職員たちが忙しく動き回り、幾人かの冒険者がそのカウンターで何らかの手続きを行っている。
良く物語にありがちな、絡んで来る役割のガラの悪い冒険者は見当たらない。
何だか普通に、役所っぽかった。
うん、まぁ、冒険者ギルドは冒険者が依頼を受けるだけじゃなく、依頼人も訪れるのだから当然か。
ガラの悪い冒険者がウダウダとたむろし、絡んで来るような場所に好き好んで依頼に行こうと思う人は、きっと少ないだろうし。
想像と違った事に少し物足りなく思いつつも、僕はギルド内を歩き回っていた職員の一人を呼び止める。
「はい、どうなさいましたか? 御依頼でしたら左側のカウンターで受け付けております」
こちらを振り向いたその職員は、ハキハキと喋る猫人の女性で、笑顔の際に見える八重歯……、牙? 犬歯に愛嬌を感じる女性だった。
恐らく案内を求めて呼び止められたと思ったのだろう。
彼女は冒険者向けでなく、訪れる依頼人向けの案内を僕に行う。
「あぁ、いえ、ギルドマスターの方が竜人だと聞き、お話をしたくて訪れました。訪問の約束はしていないのですが、こちらを見て戴ければわかって貰えると思います」
僕はそう言い、彼女に布で包んだエルドラの鱗を手渡す。
本当は鱗を手放すのは少し躊躇われたが、何の約束もしていないのに立場のある人物に会ってくれと言った所で、鱗を預けねば門前払いされる事は目に見えている。
鱗と言ってもサイズは指まで含めた掌とほぼ同等の大きさがあるそれを、彼女は不思議そうに受け取って、
「はい、一応伺ってまいりますね。お客様のお名前を教えて戴けますでしょうか?」
僕の名を訪ねた。
「久陽・明と言います。友人のエルドラからの紹介だと、伝えて貰えれば幸いです」
ここで名を秘す意味は特にない。
僕は素直に本名を名乗り、ついでにエルドラの名前も出しておく。
職員の女性はギルドマスターが竜人である事を否定しなかったし、恐らくはこれで大丈夫だろう。
そう考えて、僕は手近な椅子に腰を下ろす。
鱗を預けた職員の女性が、顔色を変えて僕を呼びに走って来るのは、それから僅か数分後の事だった。