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 トットットッと跳ねる様に、ビルの非常階段を駆け上がる。

 どうしてだろうか、今日の追手は何時も以上にやけにしつこい。

 階段を登る最中、ビルの掃除に雇われているのだろう掃除道具を担いだ中年男性が、駆け上がって来る僕を見て驚愕に顔を引き攣らせた。

 まあ今時の日本で道士服を着てる人間なんてまず居ないから仕方ない。

 普段は隠形の術を使い、他人から認識され難い様に調整しているが、これだけ派手に逃走してる最中だと流石に術の効果も薄れてしまう。

 それに恐らく、この男性も一般人にしては随分と勘が鋭い様子。


 しかし驚かせてしまったからと言って、立ち止まって謝っている暇は僕にはなかった。

 階段を蹴って軽く跳ね、更に手摺を蹴って大きく跳び、僕は道士服の裾を風に翻らせて宙返りしながら、男性の頭の上を飛び越える。

 軽身功。

 或いは単に軽功ともいうけれど、要は身を軽くする技法の事だ。

 極めれば鳥の羽の様に重さを無くし、そう、物語に稀に出て来るような、刀の峰に乗る真似だって出来る技。

 初対面の人間の頭上を飛び越えるなんて真似は大変に失礼な事だけれども、清掃中の壁面を走るよりはマシだろうから、どうか許して欲しいと思う。

 飛び越える最中に驚愕の表情を浮かべたままの男性と視線があったので、軽くだけ頭を下げて謝意を投げ、僕は着地と同時に再び階段を駆け出した。


 けれどもやはり、今日の追手はいやにしつこい。

「追い詰めたわよ邪仙人! いい加減に諦めて捕まりなさい!!」

 屋上に辿り着いた僕にそんな言葉を投げるのは、派手な深紅のチャイナドレスを身に纏った妙齢の女道士だ。

 ビシリと指を突き付けて見栄を切る彼女は、美人と言ってしまって差し支えの無い整った顔立ちと、深紅のチャイナドレスが身体のラインを強調する豊かでメリハリの利いた姿形の持ち主。

 驚く位にスリットが大胆に深い。

 アレだけスリットが深いと走り易いんだろうかとか、彼女の師は他人を指差してはいけませんと教えてくれなかったんだろうかとか、相手が邪仙だとわかりながら道士の身で追い掛けるのは無謀だなとか、色々と思う。

 でも一番に思うのは、この女道士もやはり先程の中年男性の頭の上を飛び越えたのだろうか?って事だ。

 もしもそうなのだとしたら、驚かされた彼も少しは報われたのかも知れない。


 だが僕自身にとっては、幾ら美人に追い掛けられても、それが追手ならば何も嬉しい事はなかった。

 寧ろそのしつこさには辟易とする。 

 とは言え、彼女の言い分は別に間違っていないのだし、正義感から追っていると言われればそれも止む得ぬ事なのだけれども。




 僕の名前は久陽・明(くよう・あきら)

 年齢は百から先は数えていないと言えば、まぁ格好は付くかも知れないが、数えなくなってからはそんなに経ってないから多分百二十か百三十だろう。

 しかし残念ながら年相応の外見はしていない。

 先程女道士の彼女が言ったけれど邪仙人、仙道の端くれなので老化はとっくに止まってる。

 豊かな白髭を蓄えた枯れ木の様な仙道の姿には若干の憧れを持ってはいるが、僕が仙人になったのは十代の中頃なので、術で化けて生やさなければ髭とは全くの無縁だった。

 無論昇仙には長年の修行を必要とするので、十代の中頃で仙人になれるなんて話は滅多にない。

 生まれつき余程の才能に恵まれ、更に教えるのが好きな、理解のある師に拾われると言う幸運が重なるか、或いは余程の事情があったかだ。

 そして僕は、才無しとは思わないが天才ではなかろうから、あぁ、後者のケースが当てはまる。



 生家である久陽の家は、大昔に仙人の血が混じって出来たらしい。

 まぁ真っ当な仙人なら俗人との間に子を残すなんて欲とは縁遠いから、多分邪仙の類だろうが。

 とは言え邪仙と呼ばれる者でも、そのすべてが世界を支配しようとか破壊しようとか、そんな事を考えてる訳ではないのだ。

 酒食や色に溺れたいとか、得た力を使って好きにしたいとか、そんな俗な仙人も、真っ当な道から外れていると邪仙呼ばわりをされる。

 本当に破壊衝動に任せて大暴れする様な邪仙も居るが、数百年暴れ続けた挙句に飽き、その後は真っ当に修行して今では徳の高い仙人面をしている者だっているから、別に仙人と邪仙にはそれほど明確で厳密な差はないとも思う。

 欲や拘りから抜け出せないのが邪仙で、それ等を捨てた、また捨てようと努力しているのが仙人だと考えればわかり易いだろうか。


 話が逸れたけれど、久陽家は祖たる仙人から受け継いだ術を大事に守り、退魔業なんて物騒な物を家業としていた。

 だが僕が十になった頃、当主たる父が滅し損ねた妖物に復讐され、久陽の家は僕を除いて全滅する。

 老いも若いも、男も女も関係なしにみな等しくだ。

 運良く僕が生き延びれたのは、一つは妖物が分家を先に襲い、本家の襲撃を後回しにしたからだろう。

 でももっと大きな理由は、僕が久陽の祖先である仙人の血を、濃く発現した先祖返りだったからに他ならない。

 当時から幾つかの術を使えた僕は少しではあるが妖物に対して抵抗出来たし、何より喰われる寸前で誰も使えず置物となっていた家宝の宝貝が、力を貸してくれたのだ。


 宝貝とは仙人が生み出す特殊な力を込めた道具や武具、つまりは文字通りに仙人の宝である。

 弟子や一般人に与える力の弱い宝貝もあるが、久陽の家に伝わるそれは誰も使える者が出なかった事からもわかる通り、祖たる仙人が自分で使っていた武器だった。

 凄まじい力を発揮したそれは、僕以外の久陽の全てを殺し尽した妖物を、実にあっさりと塵へと変えてしまう。 

 無我夢中ではあったけれど、余りにあっさりと勝利出来た事に、当時の僕が呆ける程に。


 しかしだ。

 強い力には当然対価が必要だ。

 一般人や弟子が扱う為の弱い宝貝ならば兎も角、仙人自身が扱う為の武器は扱うのに相応の資質と、そしてエネルギーを必要とした。

 仙人が修行で蓄えた莫大な気血、精等を練り、昇華した仙丹を身の内に宿すからこそ使える。

 では身の内に仙丹を宿さぬ僕がそんな宝貝を使えばどうなるのか?

 答えは至極単純で、気も、血も、精も、全てを宝貝に吸われて死ぬ。


 それは仕方の無い事だっただろう。

 そのままならば妖物の餌になって死んでいたのだ。

 ならば例え吸い尽されるとしても宝貝を使い、一族の仇を討ち、世の脅威を一つ取り除いた。

 たかが十になったばかりの子供がそれを成したのならば上出来以上だと、本当にそう思う。

 でも僕は死にたくなかった。

 死にたくなくて、怖くて、涙が出そうになって、でもその涙も宝貝に吸われて干からびる。


 そんな僕を助けてくれたのが、今の師である瑛花仙だった。

 西にある大陸なら兎も角、日本で宝貝が、それも暴発の様な形で使われた気配に興味を惹かれてやって来た師匠は、干からびつつある僕を見付けて助けてくれたのだ。

 それも自分が蓄えて練った仙丹を分け注ぐ形で。

 仙丹を持たぬが故に、宝貝に全てを吸われつつあった僕を助けるには、仙丹を持たせる以外に術はない。

 けれども仙丹はそれを宿す下地のない者にとっては猛毒も同然の代物である。

 幸い仙人の血を濃く引いていた僕は、ほんの少しずつなら仙丹を受け入れれると見抜いた師匠は、本当に少しずつ長い年月を掛けて絶えず仙丹を僕に注ぎ続けてくれた。


 三十年。

 それが僕に師匠が仙丹を注いだ年月で、僕が眠っていた年月だ。

 その間は一瞬たりとも師匠は僕から肌を離さず、眠らず、仙丹を僕に与え、僕に生じる澱みを吸い取ったらしい。

 最初の五年で僕の身体は仙人へと変わり、老化、否、まだその時期なら成長と呼ぶべきだが、身体の変化は停止した。

 それから十年で吸い尽された事でボロボロになった心や意識や魂を癒し、補強し、更に十五年掛けて今度は得てしまった仙人としての力に耐えれる様に師匠は僕を調律したのだ。


「君はもしかしたら、人のままに死にたかったかも知れないけれど、(やっこ)は君を助けたかったんだ。きっと君は変わった自分に戸惑うだろうけれど、出来る限り手伝うから、どうか生きて欲しい」

 目を覚ました僕に、師である瑛花仙が言った最初の言葉。

 手足が長くなり、背も伸びていた僕が、とても惑っていたから、そんな風に言ってくれたんだろう。

 それからずっと瑛花仙は僕を弟子として、或いは家族として、仙人の生き方を教えてくれている。

 修行の時は一切容赦のない厳しい師だが、それ以外の時の瑛花仙は僕にとても甘い。

 まるで子に接する母の様に、弟に接する姉の様に、時には行き過ぎて恋人に接するかの様に振る舞う事もあるけれど、彼女は僕のかけがえのない恩人である。


 でも僕にとってそんな大恩ある師匠にして唯一の家族、瑛花仙だけれども、彼女は一つだけ、……否、仙人の中では結構色々と問題を起こしている存在だった。

 そう、彼女は紛う事なき、邪仙人だったのだ。

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