1-7 撃退
前話
エドモンが狼の群れと相対
日課の鍛錬から戻ったタイミングで、村から悲鳴が聞こえた。
何事かと慎重に様子をうかがうと、村の入り口が騒がしい。
【襲われておるのはにわとり小屋じゃ! 皆、絶対に出てくるでないぞ!】
この空気が震える感じは覚えがある。村長の【拡声】の風術だ。
内容から察するに、どうやら狼が村のに来ているらしい。
人が襲われているわけでないなら、やり過ごすのが一番だろう。木剣をベルトに差し込み、するすると木の上に登って水筒を開けた。
のんびり待つかと考えた矢先に、俺は茶を吹きだすことになる。なんと、村長夫婦が家から出て狼と対峙していた。
ぱっと見、十頭ぐらいはいそうな群れだ。老人二人では多勢に無勢もいいところだろう。
周囲を見渡し、武器になりそうな物を探す。
「あれならいけるか」
干し草用のピッチフォークが、一番近い家の裏手に立てかけてあった。
あとは――
手元の水筒を見つめる。
堅信式も受けてない俺が、聖の力を使えるなどとは本来ありえない。
ばれるとめんどくさいことになる可能性はある。
「だからと言って、見過ごせないよなぁ」
水筒を開けて、残り半分を一気に流し込んだ。
術力を体に通し、まぶしいぐらいの光を得て走りだし、ピッチフォークを掴む。
村長の【疾風】が切れるのも近そうだ。と、思った矢先に村長の腕に大きな狼が喰らいついた。
さすがにこの状況だと、狼の群れの存続がどうこうは言っていられない。勢いそのままに、狼の横っ腹に思いっきりピッチフォークを突き刺す。
「こっちだ、狼ども!」
ボスらしき狼が鳴き声をあげて倒れた。
深く刺さりすぎたか、ピッチフォークは抜けなくなったため、腰の木剣を手にした。
木剣で二、三の打撃を狼に振るいながら群れの中を走り抜ける。子供の姿を甘く見たか、狼たちは俺を追ってきた。
足に喰らいつこうとしてくる狼の頭を順番にもぐら叩きにしながら、村入り口へ走る。
「このまま、なんとか……」
村長夫婦と一緒に戦ってしまっては、狼たちも退く道がない。
村の入り口の森まで連れていったあとに俺が木に登ってしまえば、狼たちも撤退するかもしれない。
走りながらも右腕を振り、俺の右足に狙いを定めていた狼の頭を殴りつけたときだった。
左足に激痛が走り、転倒する。右側に半身の体勢で振り返りながら木剣を振っていたため、左から回り込んだ狼の姿が見えていなかった。
「があああっ!」
食いつかれた左足を振り回そうとしてくる狼の頭を、渾身の力で殴りつける。
なんとか狼のあごを外したが、思ったほどは深く牙も刺さらなかったらしい。
怪我も最初こそ激痛を感じたが、聖の術力ですぐに消えた。
さすが聖者様の力だ、なんともないぜ。
しかし悦にひたっている暇もない。
今の転倒で群れに追いつかれ、村入口の小さな川にかかった橋にも、一頭回り込まれてしまった。
川はせいぜい俺の膝ぐらいの深さしかないと考え、川を突っ切ろうとしたが、これは完全に失敗だった。
川の向かい側に上がる場所は、腰の高さほどの段差がある。
膝まで水につかり、衣服も濡れた状態では、ワンジャンプで駆け上がるのは難しい。
聖の力がある今ならできなくはないが、段差の上にも一体、狼が回り込んで待ち構えているのがつらい。
「やばいか」
完全に囲まれ、川の中では登る木もない。水につかった足は動きも制限されている。
逃げられないなら、もう開き直るしかない。
なんせ背水の陣どころか、すでに両足突っ込んでしまっている状況だ。
開き直ってしまえば冷静になるものなのか、そういえば俺は神術を使っていなかったと気づく。
川では狼の動きも多少にぶいようだし、かみつかれないことに集中すればやられはしないはずだ。
先頭の狼の鼻先に【着火】を発生させ、勢いを止める。
牽制しつつ、戸惑う狼にはすかさず木剣を叩き込んだ。
何度となく繰り返される狼の突撃をしのぎ、呼吸もつらくなるほど、口の中はからからになっていた。当然、【着火】を使い続けて水を飲む暇などはない。
のどの渇きと頭痛で、目の前がちかちかする。足もつりそうだ。
弱気を気合いと木剣で振り払うかのように狼に叩きつけるうち、いつしか群れにたじろぐ様子が見え、何頭かは逃げ出そうとしている。
遠目に、村から村長夫妻も応援に駆けつけてきたようだ。
なんとかなりそうだと思った、その瞬間――
俺を囲むように炎の柱がいくつも立ち昇った。
戦意が残っていた残りの狼も、一斉に森に向けて走りだす。
危機を乗り越えた達成感のせいか、体の力が抜けていく。暗くなる視界の奥に、覚えのある禿頭の助祭がいぶかしげな目をしているのが見えた。
「リュド。ああ、よかった……」
目を覚ますと、母の涙声が耳元で聞こえた。
首に母が抱きつき、父と兄が誰かにお礼を伝えている。
仰向けの体勢で見上げる天井の色には見覚えがない。母を離して、ゆっくり体を起こした。
「リュドや、ありがとう。リュドとコトゥ助祭のおかげで助かったわい」
右腕に包帯を巻いた村長が俺にほほえむ。
部屋入口のコート掛けには村長の帽子がかかっていて、ここは村長の部屋だとわかった。
椅子には洗礼式で担当だったコトゥ助祭が座っていて、家族から何度もお礼を言われている。
「あー、気にしなくていい。念のために、今夜リュド君はここで休んでもらおうと思う。明日の朝に送っていくんで、家族の方は先に帰宅で」
繰り返し礼を言う家族をそこそこに、コトゥは話を切り上げた。
扉を閉めると、再び椅子に座って口を開く。
「ボウズ、具合はどうだ」
コトゥは相変わらずの口調だ。
「今はなんともないです。どうして俺は倒れたんでしょう」
「お前はかなりの脱水状態だった。川で倒れて濡れてたから、気づくのに遅れたけどな」
ここで気づいたと言わんばかりに、コトゥは手の甲をつまんでいる。
「だ、脱水……」
無我夢中だったため、尿意も放置し、水を飲むのも忘れていたのが良くなかったようだ。
「気を失ってると水を飲ませることもできねえ。やばいところだったが、【回復力強化】は体の水分も持ち直させる。アリゼさんに礼を言っとけ」
「はい。アリゼさん、ありがとう。今日は皆さん、本当にお疲れ様でした」
「話をいきなり終わらせようとしてんじゃねえ」
優しくほほえむアリゼさんを見てこのまま話が終われるかと思ったが、そういうわけにもいかないらしい。
「じゃボウズ、いくつか聞きたいことがある」
「はい」
なんとなく重苦しい雰囲気を感じながら、返事をした。
「今からこの場で話すことは他言無用で」
コトゥは同席している村長夫妻をじろりとにらみ、夫妻の同意を確認したのちに、もう一度俺のほうを向いた。
「お前は聖の術力を持っていた。俺が到着したときの金色の光は見間違えようがねえ」
コトゥはずばり核心から切り出してきた。村長夫妻もうなずいている。
「だが春の洗礼式ではお前に聖の適性は見えなかった」
それは【洗礼】を受けた直後なら当たり前の話で、どうして不満・不可解な表情になっているのだろうか。
そのように考えて無言になった俺に、コトゥは種明かしのように聖の神術について語り出した。
「実は聖の術力は適性と努力と運の全部が必要でな。そんで【洗礼】の段階で、俺ら教衆者には聖の適性は見える。見えた奴にはあとで声をかけて、その子の親に伝えるようになってんだ」
なるほど、洗礼式の時点で俺に聖の適性がないことはわかっていたわけか。
しかしそれなら、コトゥの締めの発言は何だったのかと思い問いただす。
「でも『堅信式までに聖の術力に目覚められるよう、努力しろ』的なことを言ってませんでしたっけ」
「ありゃあ建前だ。聖適性がなくても神術がたくさんうまく使えりゃ、いい職につけるからな」
なるほど、大人の事情というやつか。
たしかに子供相手にあの場で、「お前らは適性無しだ」などと言う必要はない。
「聖適性がある奴が、それを発動させられるようになるのが『目覚める』ってことだ。洗礼時に聖適性がないやつが、あとで急に使えるようになった例はねえ」
しかしこうなると、村長夫妻の危機で光の戦士に目覚めた設定は納得してもらえなさそうだ。
今コトゥが説明していることも、このあと聖の術力について根も歯も掘るための伏線なのだろうし、どう説明すればいいのか悩ましい。
ここで選択肢を間違えて聖教会に目をつけられると、あっさり人生詰んでしまう可能性すらありそうだ。
「そのことと関係があるのかわからねえが、今のお前からは聖の術力がほとんど感じられねえのも謎だ」
室内にはコトゥの【灯り】が灯っていた。俺はけっこうな時間、寝ていたらしい。
コトゥは相変わらずのガラの悪さで、椅子を後ろに傾けながら話を続ける。
「それとズボンが破れて血の跡もあんのに、お前には傷一つねえ。聖の【自然治癒】は水の【回復力強化】と違って速効で治る優れもんだが、伝承だけの神術で、聖モレル以外に使えた奴はいねえ」
布団の中で左足をさわってみるが、傷一つなく完治している。
教衆者は聖術が使えると聞いていたが、他の属性と同じく、術によって個人で使えたり使えなかったりするようだ。
誰も使えない神術、しかも以前に適性無しだと思っていた八歳の子供が使っているとなると、このように詰問されてしまうのも仕方ないのだろう。
「そもそも八歳のガキなんぞ、狼からはあっさり食いちぎられそうなもんだし、木剣で殴ったところで大して効きゃしねえはずだ。【聖強保護】がありゃ別だけどな。もちろんこれも、聖モレルの伝承でしか使えた話が残ってねえ」
聖術力の自動回復は【自然治癒】で、身体能力強化は【聖強保護】か。
神術で使った聖者様と、聖タンポポ茶で勝手にその効果がつく俺とは違うかもしれないが。
「最後に、なんであんなにひでえ脱水状態になってたか、だ。エドモンさんから聞いた話じゃ、狼とやりあったのは長い時間だったわけじゃねえし、乱入する前から脱水状態だったのもおかしな話だ」
いくつか聞きたいことがあると言ったが、コトゥは俺の返事を待たず、まとめて話した。
要は、俺の聖の術力について詳しく聞きたいということだろう。
今の俺に聖の術力がないなら、見間違い・勘違いでしらばっくれるしかないのだろうか。
だが聖教会入りを希望する身で不審に思われたくはない。
だからと言って、聖タンポポ茶のことを全部話してしまうのは厳禁だ。
なぜならあれは、今世を幸せに生きるための、俺の飯のタネなのだから。
どのように納得させるかを考えるもうまく言葉が出ず、俺は黙り込んでしまった。