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オーディション

 朝、授業が始まる前の生徒たちが騒がしい時間、ユキトは黙ったまま机の上に山と積まれたノートをぼんやりと眺めていた。目の下にはクマができ、明らかに寝不足の表情をしている。

 そんなユキトとは正反対に、ユキトを取り囲む女子生徒たちは嬉しそうだ。

「ありがとう若木くん! やっぱり持つべきものはクラスメイトだね!」

 ユキトに課題を押し付けた女子たちの筆頭、菅桜がユキトの机からノートを拾い上げるとアイドル全開の可愛らしさで笑った。

 それを見てユキトを取り囲んだ他の生徒たちもユキトにさせた課題のノートに次々と手を伸ばす。

「ありがとう!」

「若木くん優しい!」

「助かったよー」

「若木くん大好きー」

 こういう時のアイドルは現金だ。握手会でファンに対応する時のような天使のような笑顔でユキトに接してくる。

「もう二度とやらないからな……」

 口ではそう言ったものの、アイドルに囲まれたユキトの顔がほんの少し緩んでいる。山のような課題を徹夜で終わらせ、寝不足で思考力の無くなったユキトの脳に可愛らしいアイドルの顔が次々飛び込んできて、まるで夢の中のような幸福感がユキトを包んだ。

「やらない、もう二度とやらない……」

 そうつぶやきながら、ユキトはニヤつきそうになる表情を抑え、ノートの山が消えた机の上に突っ伏した。

「……バッカみたい」

 半分ニヤけたユキトを見て沙希が呆れた様子でつぶやくと、沙希に桜が声をかけた。

「ねえ、沙希ちゃんにもお願いしたいことがあるんだけど……」

「私? 待って、私は勉強なんか教えられないよ」

 突然の話に沙希は慌てて首を振ったが桜は言葉を続けた。

「勉強のことじゃないよ、これ」

 桜は沙希に一枚の紙を見せた。

「……オーディション?」

 桜が見せたのは桜の事務所が主催する新人発掘オーディションのフライヤーだった。

「今度うちの事務所でオーディションがあるんだけど、沙希ちゃん出てみない?」

「私が!?」

 あまりに突然な提案に沙希の目が丸くなった。

「沙希ちゃんのルックスなら絶対合格だよ! 私のグループ、新メンバーを入れる話もあるし、沙希ちゃんと一緒に活動できたら私も嬉しいんだけど」

「そんな……私にはアイドルなんて無理だよ」

 沙希は大袈裟に首を振ってみせた。

「別にアイドルやるって決まってるわけじゃないよ、うちの事務所は女優やモデルやってる人の方が多いくらいだし、資質や本人のやりたいことを聞いた上で一番良い道を選んでくれるから、とりあえず受けるだけでも受けてみようよ」

「むりむりむりむり!」

 桜の前向きな言葉とは正反対に沙希は否定の意思を崩さない。

「私、芸能界に興味ないし、そもそも私なんかが受かるわけないでしょ!」

「そんなことないよ、沙希ちゃんなら絶対合格だって」

「無理、絶対にありえない!」

 桜が食い下がるが沙希はものすごい勢いで首を振り続けるばかりだが、桜はそんな沙希を真剣な表情で見つめている。

「実はね、この前忘れ物を届けてもらったでしょ。あれってうちのマネージャーに頼まれたんだ」

「……?」

 この前、桜の忘れ物をイベント会場のデパートまでユキトと一緒に届けに行った話が桜の口から唐突に飛び出し、沙希は不思議そうな顔を浮かべた。

「ブログにクラスのみんなで撮った写真載せたことあったでしょ? あれをマネージャーが見て沙希ちゃんのことすごく気に入っちゃったんだ。それで一度本人に会ってみたいって言われたから、この前沙希ちゃんに忘れ物を届けてもらったの」

「……」

 沙希は忘れ物を届けに行ったあの日のことを思い出していた。アイスをご馳走するからとデパートのアイスクリーム店へ向かう間、やたら話しかけられ、熱心に色々と聞かれた記憶がよみがえってくる。桜の言葉を聞き、あの時のマネージャーの意図を今になって理解した。

「うちのマネージャー、沙希ちゃんのことすごく気に入ってたよ。一緒に仕事したいって。だからオーディション受けてくれないかな」

「そんなこと言われても、私本当に芸能界に興味無いし……」

「お願い! 私を助けると思ってオーディション受けて! これって事務所主催のオーディションだからレベル高い子が参加してくれないと事務所的にマズいの! だから芸能界に入る入らないはおいといて、ひとまず受けるだけでも受けてほしいの!」

「そんなこと言われても……」

 寝不足でぼんやりしたユキトの頭の中に二人の会話が聞こえてくる。そんな会話を耳にするうち、ユキトは思わず声が出てしまった。

「沙希に芸能界なんてムリムリ。受けるだけムダムダ」

 いきなり割り込んで失礼な言葉をぶつけてきたユキトを沙希は見たが、ユキトは机に突っ伏したまま沙希を見てすらいない。

「普通に高校生してるのが一番だって」

 ユキトの言葉は沙希自身が口にしていることと大差なかったが、他人からハッキリ言われれば不愉快にもなる。沙希はユキトの椅子を今にも蹴り飛ばしそうな勢いでユキトを睨みつけたが、桜が無理やり沙希の視界に飛び込んできた。

「ねえお願い! とりあえず受けるだけでいいんだから、ね!」

「……」

 沙希は寝てるのか起きてるのかもわからないユキトを見つめたまましばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。

「わかったよ。桜ちゃんがそこまで言うなら……」

「ほんと! やった! ありがとうっ!」

 桜は沙希の言葉を聞いた瞬間、手を握ってぶんぶんと振り回した。そして嬉しさいっぱいのその顔のまま、握った沙希の手を引っ張った。

「よし! じゃあ今すぐ行こう!」

「ちょ、え、行くってどこに!?」

「今日が一次審査の日なの! 書類作ってる暇ないから直接顔見せに行こ!」

「え、待って! 今なの?! そんな急に……!」

 戸惑う沙希のことなどお構いなしに、桜は沙希を引っ張り教室から連れ出すと、沙希の悲鳴のような戸惑いの声が徐々に遠くなっていった。

「ねえ、授業は!」

「そんなのいいから早く!」

「よくないってばぁぁぁ……」





 昼休み。

 朝イチで一次審査の選考会へと向かった桜と沙希はすでに学校へと戻ってきていた。桜と沙希、ユキト、そしていつものクラスメイトたちで窓際の席に集まっての昼食だ。

「これ、お土産のサンドイッチ。沙希ちゃんの一次審査通過祝いだからみんな食べて食べて! ここの美味しいんだよ」

 桜が事務所近くのパン屋で買ったサンドイッチをみんなに配っている。カツサンド、BLT、イチゴやフルーツを挟んだものもあり、見るからに美味しそうなサンドイッチはどんどん減ってゆく。

「一次審査、通過したんだね、おめでとう」

 そう言って前黒麻衣がフルーツサンドを可愛く頬張った。

「もうね、笑っちゃった。事務所まで行って直接沙希ちゃんのこと見てもらったんだけど、会議室のドアを開けて沙希ちゃんがちょこっと顔出した瞬間、審査してる社員さんたちみんなが『通過~』って言うんだもん」

 桜の言葉に沙希は気恥ずかしいのかうつむいてタマゴサンドをひと口かじった。

「もうオーディションのサイトにも結果が載ってるんだよ」

 桜がスマートフォンでオーディションの特設サイトを開いてみせると、そこにはしっかりと大村沙希の名前があった。

「やだ、それ見ないで!」

 沙希が桜のスマホを手でさえぎった。隙間からのぞくスマホの画面には白い背景に制服姿で映る沙希の写真が載っている。

「書類出してないから事務所で急遽写真撮ったんだよね」

「頭ボサボサだし顔変だしほんと見ないで!」

 沙希は嫌がっているが、その場にいる全員が自身のスマホでオーディションサイトを見始めるともはやどうしようもない。それぞれが覗き込むオーディションのサイトには他の一次審査通過者の笑顔で撮った写真が並び、その中で沙希だけが真っ直ぐ正面を向いた真顔の素っ気ない姿で載っている。

「……一人だけ履歴書っぽい」

 BLTサンドを咥えた飛鳥更紗がポツリとつぶやくと、一斉に笑いが起こった。

「もう! だから見ないでってば!」

 サイトに載った真顔の写真とは正反対の、顔を真っ赤にしてくるくると表情の変わる沙希の姿がそこにあった。

「ねえ、この二次審査ってサイトから一般投票できるんだけど、みんなは誰に投票する?」

 桜が画面をスワイプして通過者の写真を覗きこんでいる。

「写真はともかく、それはもう沙希ちゃんでしょ!」

 麻衣がそう言ってにっこりと沙希を見ると沙希はまた照れ臭そうに下を向いてしまった。

「二番の子はこの角度が最高で他から見るとそうでもないタイプって気がする」

 更紗の冷静な一言にアイドルとして活動してる桜と麻衣が何度もうなずいた。

「わかる、それめっちゃわかる! 最高の一枚を送った感じあるよね。だからこそ、こんなテキトーな写真でも可愛い沙希ちゃんすごいんだけど」

 桜も沙希の可愛さを褒めると沙希はますます小さくなった。アイドルとして活動している子たちに褒められて悪い気がしないわけがない。

「ねえ、若木君は誰に投票する?」

 女子たちの会話を耳にしながら黙々とカツサンドをパクつくだけのユキトに声がかかった。

「……三番の子かな」

 ユキトは事もなげに返したつもりだったが、その言葉を聞いた女子たちが驚いた顔でユキトを見た。

「なんで沙希ちゃんじゃないの? どう見たって絶対沙希ちゃんのが可愛いでしょ!」

 ユキトの言葉に桜が食ってかかった。

「こんなに近くにこんなに可愛い子がいるんだから、ちゃんと可愛いって言わないとダメでしょ! 若木君、そういうとこだよ!」

「なんだよそれ……」

「なんだよじゃないでしょ! 可愛いものは可愛い、言わなきゃ伝わらないよ」

「俺は別に三番の子の方が可愛いって言ってるわけじゃない。誰に投票するかって聞かれたから三番って答えただけだろ」

「なにそれ、意味わかんない」

 妙に突っかかってくる桜にユキトは頭をかいた。

「沙希は芸能界なんて向いてないんだよ。芸能界なんて『自分が、自分が』って奴らの世界だろ。一歩引いて誰かに気を使ったり、自分より周りの事を考える性格じゃ上手くいくわけがない。自分勝手でずるくて図々しいやつほど上に行く世界なんだから沙希みたいなタイプはやるだけ無駄。だから俺は別な子に投票するって言っただけだよ」

 それはユキトの正直な気持ちだった。中学時代から沙希と一緒にすごしてきてその性格はよく知っている。時には口うるさいこともあるが、誰にでも優しく、気を使う、ある意味お人よしな性格の沙希は芸能界には向いていない。

「……」

 ユキトの言葉に沙希は黙ったままだった。他の女子も黙ってしまい、妙な沈黙が場を包んでいる。そんな空気の中、ユキトは沙希の顔を見ることができなかった。ユキトはユキトなりに沙希を褒めたつもりだったわけで、自分が口にした褒め言葉に沙希がどんな表情をしているのか反応を見るのが怖かった。ユキトは意味もなくスマホを触り、沙希を視界に入れないようにしながらただ黙ってカツサンドにかじりついた。

「……」

 その沈黙を破ったのは更紗だった。

「ねえ、今のどういう意味なのかな? まるで私たちが自分勝手で図々しい、性格悪いって言ってるように聞こえたんだけど」

「え……」

「だよね、今すっごく失礼なこと言われた気がする」

「酷いよ若木くん、私たちのことそんな風に見てたんだ……」

 更紗の言葉に桜が反応すると、いつもは笑顔の麻衣も唇を噛んで悲しそうな表情をしてみせた。

「いや、ちょっと待って、別にそういうわけじゃ……」

 ユキトは沙希を褒めたつもりだったがそれは沙希を褒めたとは受け取ってもらえず、桜たちアイドルを悪く言ったと思われてしまった。全く想定していなかった反応にユキトは慌てたがもはやどうにもなりそうもない。桜たちアイドルの冷たい視線が突き刺さった。

「あの、だからさ、俺は沙希が芸能界に向いてないって話をしただけで、別に芸能人を悪く言ったわけじゃ」

「どう考えても悪く言ってた」

「侮辱されたよね、私たち」

「いや、だからその……」

 アイドルたちの追及にユキトは返す言葉が見つからない。

 そんな様子を見て更紗がニヤリと口を歪ませた。

「ねえ若木君、自分勝手で図々しい私たちのために飲み物買ってきてくれない?」

「あー、それいい! 私も喉乾いちゃった」

 更紗の言葉に桜が被せてきた。すると麻衣も一瞬で笑顔に変わる。

「私たち図々しいからおごってもらっちゃおうよ! ありがとう、若木くん!」

 アイドルオーラ全開で甘い声を出す麻衣の笑顔が逆に厳しい。

「ぐ……」

 アイドルたちの反撃を前にユキトは黙ることしかできなかった。

「……わかったよ、買ってくるよ、買ってきますとも」

「やった!」

 アイドル三人組が勝ち誇ったように歓声をあげた。ユキトは立ち上がるとすごすごと廊下へと歩き始めた。しかしその場を離れる時もユキトは沙希の顔を見ることはできなかった。視界の隅でかすかにぼんやりと存在する沙希がどんな表情をしていたのか、ユキトには知る由もない。





 放課後、ユキトは教室に残ってぼんやりと携帯をいじっていた。

 芸能人ばかりのクラスでは授業が終わると生徒たちはそそくさと仕事やレッスンに向かい、教室はあっという間に空っぽになる。

 すっかり静かになった教室でユキトは沙希が受けたオーディションのサイトを開いた。早くも一般投票の様子が速報として載っており、暫定ではあるがそれぞれの順位が表示されている。沙希は三位だ。

「何してるの?」

 うつむいてスマホの画面を覗き込むユキトに声をかけたのは桜だった。更紗も一緒でユキトの背後からスマホを覗き込んでいる。こっそり近づいてきたのか、それともユキトがぼんやりしすぎていたのか、背後に桜たちがいることにユキトは全く気付かなかった。

「順位が気になるんだ」

「別に……ただ暇だっただけだよ」

 不意に声をかけられたユキトは更紗の問いかけに意味もなく否定の言葉を返してしまった。しかし実際、沙希の順位が気になっていたのは間違いない。

「大丈夫だよ、沙希ちゃんは二次審査突破するよ。こういうこと喋っちゃうとアレだけど、沙希ちゃんは決勝まで行くって最初から決まってるから」

 桜は事もなげにそうつぶやいた。

「出来レースってことかよ……」

「この前、忘れ物届けてもらったでしょ? あの時にもうほとんど決まってたんだ。この子を採りたいって」

 沙希が忘れ物を届けるよう頼まれた日のことがユキトの頭に浮かぶ。会場に詳しいであろうユキトでなく沙希に頼んだ不自然さもスカウトの一環だったのなら納得がいく。あの時すでに沙希に対するオーディションが始まっていて、しかもその日のうちに『採る』という結果が出てしまっていたのだ。

「ザ・芸能界って感じだね」

 そう呟いた更紗も特に驚いた様子はなく、それが普通といった風に穏やかだ。

 オーディションの参加者として可愛い少女たちがずらりと並ぶサイトに幼い頃から知った沙希の写真があることになんとも言えない不思議な気持ちがユキトの中にわきあがってくる。

「あの沙希がねえ……」

 いくら考えてもピンとこなかった。

「……ねえ、どうするの?」

 スマホをぼんやり覗き込むユキトに桜が声をかけた。

「どうするって? なにが?」

「……沙希ちゃん、このままだと合格しちゃうよ。そしたら幼馴染のクラスメイトじゃなく、芸能人になっちゃうんだよ」

「そんなの、本人が決めることだろ」

「……いいんだ。沙希ちゃんが芸能人になっちゃっても」

「だからさ、俺が決めることじゃないだろ」

「決める決めないじゃなくて、私は若木くんの気持ちを聞いてるの!」

 ユキトが言葉を返す度に桜はいら立ちの表情を見せ、ついには怒った様子で教室を出て行ってしまった。

「……なにアレ、急にカリカリと」

 理解できない桜の態度にユキトは混乱した。同意を求めようと更紗を見たが、更紗はただジッとユキトを見つめていた。

「まったく、意味わかんないわ、帰ろ」

 予期せぬ形で更紗と二人きりになり、これといった会話も生まれない状況がいたたまれず、ユキトは立ち上がった。鞄を手に廊下へと歩き始めると、引きとめるようにその背中に更紗の声がかかった。

「若木君……沙希ちゃんのこと、好き?」

「な、なんだよ急に!」

 更紗までもが理解できない言葉をぶつけてきてユキトはただ目を丸くするしかできない。

「桜はね、若木君と沙希ちゃんがお似合いだと思ってるみたいだよ」

「はあ?」

 ユキトは混乱するばかりだ。

「なんだよそれ! どこをどうしたらいきなりそんな話が出てくるんだよ!」

「いきなりじゃないよ」

 更紗の表情はいつになく真剣だった。真っすぐな瞳がユキトをジッと見つめている。

「私たちの仕事……特に桜みたいなアイドルグループで活動してる子が恋愛禁止なのは若木君も知ってるでしょ」

「禁止かどうかはともかく、アイドルが大っぴらに恋愛できないことくらいは、そりゃまあわかるけど……」

「あの子、バレないように恋愛できるほど器用じゃないから、そういうのずっと我慢してるの」

「……それが何だっていうんだよ」

 答えを急ぐユキトとは正反対に、更紗はひたすら静かで落ち着いて、ゆっくりと言葉を続ける。

「桜はね、恋愛できない自分の代わりに若木君と沙希ちゃんに自分の思いを重ねてるんだと思う。仲のいい二人のこと、いつも自分のことのように私たちに話してるんだよ」

「……」

「オーディションの件、事務所の人に言われて沙希ちゃんを参加させたけど、どんどん進んでく話に桜はどうしていいかわかんなくなってるんだと思う。このままじゃ自分のせいで二人の関係が壊れてしまうんじゃないかって……」

 更紗はユキトから目をそらさない。

「もう自分じゃ止められないから、若木君に引きとめてもらいたいんだと思う」

「……」

「……引きとめないの?」

 更紗はただジッと答えを待ったがユキトは何も答えられなかった。ただひたすら、時間だけが過ぎてゆく。

「……」

 ユキトは二、三度頭をかくと、長い沈黙の後にようやく口を開いた。

「飛鳥たちの間で俺と沙希の関係がどう思われてるのかわからないけど、俺に何の権限があって引きとめることなんてできるんだよ。俺たちはただの幼馴染ってだけで、別に何かを誓った関係でもないし、大体、なにをどうするかなんて沙希自身が決めることだろ」

 それがユキトの精一杯の答えだった。どんなに考えてもそれ以外の答えは見つからない。

「……そっか、それもそうだよね」

 ユキトの言葉を聞いた瞬間、更紗はケロリとした表情でうなずいてみせた。あっさりと納得した様子の更紗からはさっきまでの真剣な表情は消え、いつものとらえどころのないポーカーフェイスに戻っていた。

「そりゃそうだ、若木君に聞くことじゃなかったね、うんうん」

 更紗は勝手にうなずきながら教室を出ていった。

「なんなんだよ、くそ……」

 一人残された教室で、ユキトはどうにもならないモヤモヤとした感情に包まれ、ただ苛立った。

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