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光るメガネ。

 前黒麻衣は正真正銘のアイドルだった。ユキトが座る席から前を見るとそこに麻衣はいる。後ろ姿であってもアイドル然としたオーラを放っている。

 しかし、この教室にはもう一人、アイドルの中のアイドルがいる。

 いや、いないのだがいる。

 ユキトが座る席から見て斜め前にある席は入学式の日からずっと空席だ。そこに座るはずの生徒の名前は姫山真由。テレビで見ない日は無いほどの売れっ子アイドルだ。歌手、女優、バラエティ、なんでもこなす。雑誌を開けばファッション誌から漫画雑誌のグラビアまでどこにでも登場し、知らない者はいないほどの有名人だ。グループアイドル全盛の世の中にあってもソロで活躍する彼女は唯一無二の存在といえるだろう。

 しかしテレビで毎日見ている姫山真由も学校ではまだ一度も見ていない。授業が始まる直前の賑やかな教室で、今日もただ空っぽな席がそこにあった。

 いくら芸能活動に柔軟な対応のとれる学校といえど、一日たりとも来ないのであれば卒業は難しいだろう。今日も空っぽの席を見ながら、ユキトはアイドルの悲しい一面を思い知っていた。

「ねえねえ聞いて! 大ニュース!」

 ユキトが座る席の隣、菅桜がやかましく声をかけてきた。

「今日、真由ちゃんが学校来るらしいよ!」

「マジで!?」

「さっき茶浜木先生を見かけたんだけど、そう言ってた」

「マジか……姫山真由が学校に……」

 ユキトは空っぽなままの真由の席を見た。ここにあの超メジャー大アイドルの真由が座る。それを想像しただけで緊張してくる。


 姫山真由、来たる。


 この話題はすでにクラス中に広まっているらしく、他の生徒たちも色めき立っている。同じ職業であるアイドルの彼女たちですら落ち着かない様子を見て、姫山真由は別格なのだとユキトは思い知った。

 始業のチャイムが鳴って生徒たちが着席するが、まだ席は空席だ。いつ来るのだろうという落ち着かない様子がクラス中に広がっていた。

 そんな緊張感の中、とぼけた顔で担任の茶浜木がやってきた。

「えー、今日は授業の開始前に伝えておくことがある。たぶん知ってはいると思うが、このクラスには姫山真由さんが在籍しています。ずっとお休みしてましたが今日から登校することになりました」

 生徒たちのざわめきがハッキリと聞こえる。そんな中、廊下と繋がる扉が開き、一人の男が教卓に立つ茶浜木の隣へと歩いてきた。

「……マネージャーかな?」

 ユキトの隣の桜がつぶやいた。スーツ姿に七三分け。地味なメガネをかけたその男はマネージャーと言われればそうなのかなと思うような風貌で、クラスの生徒たちを前にペコリと頭を下げた。

「はじめまして、姫山真由と申します。今日から皆さんと一緒に勉強や学校行事を頑張らせていただきます。どうかよろしくお願いします」

「はぁ?????」

 クラス中の生徒たちが男の発言に目を丸くした。何故か茶浜木の隣に立つマネージャーのような男が姫山真由を名乗っている。クラスの生徒たちはお互いの顔を見合わせたり、首を傾げたり、真由の姿を探したり、とにかく誰もが男の言葉に混乱していた。

「あの……真由ちゃんはどこに?」

 前の席の生徒が恐る恐るたずねてみた。すると謎の男のメガネが光った。

「姫山真由です、よろしくお願いします」

 男は自分が姫山真由だと押し通した。聞き間違いだなんて可能性はもはやありえない。

「大人……これが大人の世界なのか……」

 ユキトは察した。あの男は姫山真由の身代わりなのだ。学校に来れない真由の代わりに出席をし、授業を受け、姫山真由に高校卒業の資格を与えるつもりなのだ。

「大人はここまでやるのか……」

 ユキトは目の前で繰り広げられる大人の世界に震えた。

「みんな、仲良くしてやってくれよ」

 とぼけた顔の茶浜木もこの状況に何も言わない。淡々と、事もなげにあの男を姫山真由として扱っている。とぼけた顔をしていても茶浜木も大人の世界の一員なんだとユキトは噛み締めた。

 姫山真由を名乗る男は茶浜木にうながされ着席した。

「……よろしくお願いします」

 アイドルばかりの学校に入学したはずなのに、今ユキトの斜め前には七三分けのメガネ男がいる。姫山真由であることを譲らない男に見つめられ、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。



「若木さん、ちょっとお話があるのですが……」

 授業も一通り終わり、下校時間となった時、隣の席の姫山真由(仮)が声をかけてきた。

「私はまだ学校に慣れていないので、学校について少し案内をお願いできませんか?」

(慣れてないのはこっちだっての……)

 当然のような顔で姫山真由を装う男には慣れようがなかった。ユキト以上の異物がアイドルばかりの教室にいるのだから。

「えーと……」

 そもそも、彼、もしくは彼女をどう呼んだらいいのかもわからない。

「……姫山真由です」

 少しでも疑問の表情を浮かべようものなら念を押してくる。そこまで徹底するならこっちも乗ってやろう。姫山真由に会えなかった落胆と若干の怒りがユキトを動かした。

「学校の案内とか、そういうのは女の子に頼んだ方がいいんじゃないですかね。姫山さんはアイドルの中のアイドルなんだし、クラスメイトとはいえ男子と一緒に行動するのは……」

 ユキトは皮肉たっぷりに言ってみたが真由(仮)のメガネが光る。

「問題ありません。たとえ私とあなたが一緒にいて、それを誰かに見られたとしても別にどうということはありません」

(そりゃそうだろ……お前は姫山真由じゃないんだから……)

 こういう時だけ開き直る大人の汚いやり方をユキトはまざまざと見せつけられた。

「お願いします。ただのクラスメイトなのですから大丈夫です」

「…………」

 この押しの強さに逆らうのは不可能だ。諦めて学校の案内をする以外なかった。



「ネコがいますね……」

「ああ、学校に住み着いてる猫ですよ。何年も前からいて、ある意味生徒の1人みたいになってます」

 ユキトがそう説明すると、真由(仮)がメモを取る。スーツのポケットからカメラを取り出すと、猫の写真まで撮り始めた。地面を転がる白猫の姿を、角度を変えながら何度も撮って回る。

「学校の猫は二匹いて、その白いのの他に黒いのもいるんですよ」

「なるほど……」

 真由(仮)はユキトが何か口にする度にメモを取る。

「あの向こうの建物は何ですか?」

「ああ、あっちは体育館とか運動系の建物ですよ」

「行ってみましょう」

 カメラを手に、真由(仮)が歩く。体育館までの道のりでもあちこち写真を撮っている。校舎の壁、何の変哲もないただの地面、そんなものにすらレンズを向ける。

「ずいぶん熱心なんですね……」

 何気ない一言のつもりだったが、ユキトの言葉に突然、真由(仮)の動きが止まった。

「……どうしました?」

 真由(仮)が光らせるメガネの奥、そこにある小さな目がユキトをジッと見つめていた。

「あなたには正直に話しておいた方がいいかもしれませんね……」

 ネクタイを直し、スーツの襟を正し、真由(仮)はユキトと真っ直ぐ向き合った。

「実は私、姫山真由ではないのです」

(わかってるわ、そんなこと……)

 見ればわかることを真顔で言ってのける男にユキトは呆れた。しかしこれだけ徹底して大人の世界を見せつけられると若干の敬意も生まれてくる。

 ユキトはこの際だからと大人の階段を一歩のぼることにした。

「姫山さんじゃない? まさか……そんな……じゃああなたは一体……」

「岸束と申します……」

 真由(仮)が名刺を差し出した。そこには真由が所属する事務所名と共に岸束という名前があった。

「私が真由になりすましてまでこの学校にきた理由を話しましょう……」

 姫山真由としてではなく、マネージャーとして岸束が話し始めた。

「真由はこの学校に入学こそしましたが、登校することは恐らくないでしょう。知っての通り、彼女の忙しさは尋常ではありません」

「もちろん知ってます。でも来られないならなんで入学なんか……あれだけ売れてるなら学歴を気にする必要もないし、影武者を使ってまでするような事とは……」

「学歴のために私がここにいるわけではありません。一言で言ってしまうなら私が今ここにいる理由は『罪悪感』です」

「罪悪感?」

「真由は幼い頃からわが社で芸能活動を行っています。小学校、中学校時代も学校にはあまり行けず、修学旅行の思い出すらありません。正直、仕事を辞めたいと泣かれたこともあります。しかし自分の立場を幼いながらも理解し、そこに関わる大勢のスタッフのために仕事を続けてくれています。そんな彼女のために少しでもできることはないか。そう考えて私がここへきました」

 岸束は手にしたカメラをジッと見つめていた。

「私は姫山真由に成り代わり、この学校で様々な経験をし、それを本人に伝えようと思っています。彼女がするはずだった学園生活をほんの少しでも味わってもらいたいのです。いびつな愛情ですが、自分のためだけでなく、私たちのためにも頑張ってくれている真由への、これがせめてものお返しなのです」

「そんな理由が……」

 高校卒業の資格取得のためにしていることだとばかり思っていたユキトは、この奇妙な行為の背後にあった真由に対する思いやりを知り、汚い大人の世界だと軽蔑した自分を恥じた。

「だから若木さん、どうか協力してくれませんか? 本物の姫山真由と直接顔を合わせることはなくとも、本人に届くような学園生活を、私を通して真由に経験させてやってください」

 岸束は深々と頭を下げた。高校生のユキトに対しても誠実に向き合うその姿に胸を打たれないわけがなかった。

「わかりました。たとえ学校に来れなくても彼女は大切なクラスメイトの1人です。一緒に学校生活を楽しみましょう」

「若木さん……ありがとうございます」

「そこは『ありがとう』でしょ。もうクラスメイトなんだから」

 岸束の目元が光った。メガネが反射で光ったわけではない、そこにあったのは涙だ。

「ありがとう……ありがとう……」

「これでもう友達だから、これからよろしくね」

 姫山真由(仮)は、涙もそのままに、黙って何度もうなずいた。

「じゃあ、まずは友達の第一歩として、『真由ちゃん』って呼んでもいい?」

「……いえ、そこは『姫山さん』でお願いします」

 どうやら越えてはいけない一線はあるらしい。

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