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アイドルの心の闇を見た。

 入学式から数日。ユキトはいまだアイドルだらけの教室に慣れていなかった。

 右を見てもアイドル、左を見てもアイドル……天国ではあったが、地獄でもあった。

 女子校に本来いるはずのないユキトは何日経とうが異物のままだ。異物に拒否反応を示す者も当然いる。うっかりそういう生徒と目が合ってしまうと最悪で、氷よりも冷たい侮蔑の視線が飛んでくる。美しい少女からの拒絶はそこらの一般女子から拒絶されるのとは比べ物にならないほどに堪える。多少の楽しい気分など簡単に吹き飛ばされるため、今はまず、いかに冷たい視線を浴びないようにするかを第一に考えなければならない。

 ユキトの中に『目を合わせてはいけないリスト』が作られ、そのリスト入りしたアイドルたちと目を合わせないような学校生活を送らねばならなかった。

 しかし逆に、向こうから積極的に目を合わせてくる場合もある。

 ユキトはこの日、困惑していた。



 1時間目、数学。

 教師が黒板に立てるチョークの音が静かに響く教室で、ユキトは背後から猛烈なプレッシャーを感じていた。

 ユキトの右斜め後ろに座る飛鳥更紗。彼女がこっちを見ている。

 始まりはプリントだった。前から渡されたプリントを後ろに回す際、何気なく視界に飛び込んできた更紗の顔を見てユキトは固まった。更紗は白目を剥き、口をひょっとこのように尖らせ、こっちを見ているのだ。

「な……」

 あまりの事態に自分の目がおかしくなったのかと目を擦る。するともうそこにはいつもの飛鳥更紗がいた。

(なんだ、気のせいか……)

 更紗はメンバーカラーや個性がハッキリと決まったアイドルグループに所属している。メンバーカラーはブルーで見た目も性格もクールと、まるで戦隊モノに出てきそうなほどにわかりやすいキャラクターをしている。その恰好良さから女性ファンが多く、時には男装をするほどの男前だ。

 そんな飛鳥更紗が変顔などするはずがない。ユキトはそう思っていた。 



 2時間目、国語。

 茶浜木のとぼけた声が響く教室で、ユキトは背後から強烈なプレッシャーを感じていた。

 こつん、こつんと何かが体に当たる。ちぎった消しゴムだ。

 消しゴムが当たり、振り返ると、そこには寄り目でだらしなく舌を出した飛鳥更紗がいた。見間違いではない、そこには確実に変顔をした更紗がいる。一時間目の変顔も見間違いなどではなかった。

 ユキトは見てはいけないものを見てしまったように慌てて視線を前に戻す。

(なにこれ、なにが起こっているんだ……)

 まるで状況が理解できなかった。クールビューティーが売りの更紗が変顔などありえない。ユキトは必死で考えた。

(飛鳥と書いてヒトリと読むのに、この前アスカと呼んでしまったことへの怒りだろうか……)

 怒りと変顔の関係性がまるでない。どう考えても違う。

 消しゴムがまた頭に当たる。無視をすると二度、三度と消しゴムが飛んできて、振り向くまで絶対にやめない。

 仕方なく更紗の方へと振り返ると、口をへの字にし、こぼれ落ちそうなほどに目を見開いている。

(唯一の男子である俺に好かれたら困るからと、自衛手段として変顔をしてるのだろうか……)

 だからといって、積極的に変顔を見せてくる必要もないだろう。

 ユキトは思考をめぐらすが、思考がまとまるよりも早くちぎった消しゴムが飛んでくる。

 ユキトがその『呼び出し』に仕方なく振り向くと今度は鼻にシャープペンシルを突っ込む更紗がいた。

(アイテムきた、ついにアイテムまで使い始めちゃったよ……どうすんのこれ、次に振り向いたら絶対シャーペン2本になってるよ……)

 もはや変顔の理由でなく、変顔予想にユキトの思考が変わっていた。

 またしても頭にこつんと当たる消しゴム。なんだかちぎった消しゴムまでもが大きくなっている気がした。

(くるぞ、ダブルがくるぞ……振り向いたら鼻にシャーペン二本突っ込んだ飛鳥更紗がいるに決まってる)

 覚悟を決めてユキトは振り向いた。そこにはシャープペンシルを二本、鼻に差した飛鳥更紗がいた。しかもだ、左右の穴に一本ずつではない。片方の穴に二本だ。あまりの衝撃にユキトは一瞬で前に向き直った。

(ちょ、ダブルってそういうダブルかよ! 普通左右に一本ずつだろ、常識を考えろよ、常識を!)

 変顔に普通も常識もなかったが、とにかくユキトの理解の範疇を越える勢いで更紗の変顔は加速している。

(一体なぜ……なぜこうも彼女は変顔を続けるのだ……)

 考えに考えて、ユキトの思考はある答えにたどり着いた。

(これは彼女のSOSだ……助けを求める悲鳴なんだ!)

 アイドルとしての彼女はクールなキャラクターを演じなければならない。常に表情を殺し、笑うことも怒ることもできない。その抑圧された感情が心のうちにストレスを生んだ。やり場のない苦しみの爆発がこの変顔なのではないか。彼女の変顔は自身の役割が生んだ苦痛に歪む顔そのものなのだ。

 ユキトの頭にまた消しゴムが飛んでくる。髪に絡みついた消しゴムの数々はそれこそ彼女の中の苦しみの数なのかもしれない。

(どうする、俺はどうすればいいんだ。彼女の苦しみと向き合うにはどうしたらいい?)

 ユキトは『共有』を決断した。彼女の気持ちを理解し、受け入れたこと伝えるには同じことをするしかない。

 ユキトはためらわず更紗の方へと振り向いた。自身が持つ素材を活かし、小道具無しの変顔で更紗を出迎えた。限界に届くほど全力の変顔ではろくに前を見ることもできず、更紗が今どんな顔をしているかもユキトにはよくわからない。だが、彼女もまた、酷い変顔をしてるのだけは間違いない。

(これでいい……俺は、俺は今変顔をしているのではない、飛鳥更紗の心の苦しみと向き合っているんだ!)


「あのさ、変顔合戦で盛り上がってるところに悪いんだけど、授業受ける気無いなら準備室から資料取ってきてくんない?」


 茶浜木の『指導』により、二人は準備室まで資料を取りに行くはめになった。

 準備室から持ち出した資料を抱えて二人は歩く。廊下の窓から差し込む春の日差しで更紗の黒髪がキラキラと光って見える。さっきまで変顔の応酬をしていたとは思えないほど落ち着いた表情で、ユキトがメディアを通じて知っていたクールな更紗がそこにいた。

 教室では更紗に応えるように変顔をしてみせたユキトだったが、こうして二人きりになるとどうしていいかわからず、取ってきた資料を手に教室に向けて黙って歩くことしかできなかった。

 すると更紗の方がぽつりとつぶやいた。

「若木くん、あの顔は酷すぎだよ……人に見せちゃダメなやつ」

「それ自分こそだろ、シャーペン二本て、しかも同じ方の穴て」

 反射的に言葉が突いて出た。どう考えても更紗の変顔の方がインパクトがありすぎた。

「あはは、あれマズかった?」

 更紗が笑ってみせた。その表情はとても柔らかで、いつものクールな顔とも、もちろんさっきの変顔とも違う。自然で優しい笑顔は可愛らしさの極致に思えた。

「まずいに決まってるじゃん、どうしたらあんなこと……」

「だって退屈なんだもん。外じゃキリっとしてなきゃいけないし」

 そう言った更紗はまた変顔をしてみせる。話をしながら歩く間にくるくると変わってゆく更紗の表情はユキトの知っているクールな飛鳥更紗とはまるで違っていた。

「ファンのいないとこだといつもこんな感じなの?」

「クールな表情で顔を動かさないでいると張りが無くなっちゃうでしょ、だからこれは表情筋を鍛える仕事の一環みたいなもんだよ」

 そう言ってユキトにまた変顔を見せつけてくる。

「仕事とか絶対嘘だわ……」

 わざとユキトに変顔をアピールしてその様子を楽しんでいる更紗に仕事のような息苦しさは感じない。優しく微笑む更紗と歩く廊下は春の日差しそのものの心地良さだった。

「ねえ……お仕事でしてるクールな私と今の私、どっちが本当の私なのかな……」

「え……」

 突然の問いにユキトは言葉を失った。さっきまでの柔らかな表情ではなく、どこか寂しげで、苦しそうな更紗がそこにいた。

「時々わからなくなるんだ……」

 不安げな更紗の表情を見てユキトは黙ってしまった。

 さっきまでの冗談交じりの会話ではすまない。これこそ本気で向き合わなければならない彼女の心の苦しみに感じた。

 しかし何も答えられないまま、少しずつ教室が近づいてくる。このままではいけない、絶対に答えてあげなければいけない問いかけを前にユキトは真剣に考えた。

「こんな答えはまるで答えになってなくて、もしかしたら逃げに思われちゃうかもしれないけど……どれも本当の姿なんじゃない? 飛鳥更紗は一人なんだから本物も偽物もないよ」

 更紗の瞳がユキトをじっと見つめている。

「うまく説明できないけど、光の当て方で影の形が変わるみたいに、なんというか、見る角度や光を当てる角度が違うだけで、自分自身はいつでも変わってないというか……」

「…………」

 ユキトの言葉に更紗は黙ったままだ。

「こんな答えじゃダメかな?」

「ううん、そんなことない。いっぱい考えてくれたのわかったもん……ありがとう」

 更紗から不安げな表情は消え、春の日差しのような優しい表情が戻っていた。

 その視線の暖かさが照れくさく、ユキトは思わず足を早め、更紗の顔が見えなくなるように少し前を歩きはじめた。

「ねえ、質問を少し変えていい?」

「え?」

「若木くんはどっちの私が……好きかな?」

「それは……」

 ユキトがその答えを出すよりも前に、二人は教室に着いてしまった。



 国語の授業時間も残りわずかだ。茶浜木は相変わらずとぼけた声で授業を続けている。

 席に戻り授業を受けているとそこにはいつもの日常があり、さっきまで飛鳥更紗と二人ですごしていた時間は幻のように思えた。

 こつん、こつん。

 頭や肩にちぎった消しゴムが飛んできた。

(きっとこれでいいんだ、これが今の彼女にとって必要なことなんだ……)

 ユキトは納得したように、更紗が座る席へと振り向いた。

 そこにはさっきまでと同じく、変顔をした飛鳥更……


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って! 同じ穴にシャーペン三本はダメっ! それ人としてダメなやつだからああああああっ!」

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