神託
数日前——
枢軸国グランゼリア、首都グレイゼス。
首都の中央に佇むグレイゼス大神殿。
その神殿の最奥、祈りの間で彼女、シルヴィアは毎日のように神へ祈りを捧げていた。
膝を大理石で出来た床に着き、両手を胸の前で握り、首を垂れる。
「神よ、我が主よ、どうか前線に向かう兵たちにご加護を、皆をお守りください」
彼女が願うのはいつも前線へ向かう兵たちや、グランゼリアに住む民の安全、そして人間界に住む全ての人類の平穏。
しかし現実は無情だ。
九年前、シルヴィアが15歳を迎えた年。
パレドシア攻略により戦力を消耗し一度は撤退した魔族達。
それから九年後の今、デモニウス連合軍が人間界である北の大陸に再侵攻を始めたあの日から、人類は再び戦線の後退を余儀なくされ、魔族達は日々着々と、確実に人類の領土を侵している。
大戦初期に比べれば、魔物達への対処も以前よりは可能になった。
それでも遅滞戦術に努めるのがやっとという状況だ。
ここグランゼリアにも魔の手は迫っている。
神殿内の自室。
長時間の務めを終え、悲しげな表情で南側の窓から遥か遠方の空を見つめる。
青空が黒い雲に覆われていくような錯覚。
そんな錯覚をシルヴィアは目を伏せることによって振り払おうとする。
ふと、部屋の姿見が目に入った。
ひどい顔だ、シルヴィアは疲労の残る自分の顔を見てそう思った。
「主よ、私達は滅びるしかないのでしょうか」
普段絶対に漏らさない言葉。
民に敬われ、親しまれ、愛されている自分。
神からの言葉を代弁する事を許された自分が、民の前で先ほどの言葉をつぶやくだけで皆が恐らく絶望するだろう。
使える言葉、言える言葉に制限があるという事がいかにストレスか。
それは考えるに難くない。
出そうなため息すら我慢し、姿見から視線を外そうとしてふと、おかしな事に気が付いた。
姿見に映る自分の顔、厳密にいえば目が閉じているのだ。
今間違いなく姿見を見ている自分の目が閉じている筈がない。
この不可解な現象にシルヴィアは覚えがあった。
「主よ、御出でなのですか」
『グランゼリアの巫女よ、よく聞きなさい』
神託だ、シルヴィアが神託を聞く際はいつもそうだった。
神がシルヴィアの近くにあるもの、いるものの姿を借りて語り掛けてくるのだ。
今回はシルヴィアの自室に姿を借りることができるような物がなかったために、姿見に映ったシルヴィア自身の姿を借りたようだ。
『既に天使は降り立っています。彼女らに会いなさい、そうすればあなた達の世界は新たな局面を迎える事になります。ですが優しいあなたの事、彼女らに会えばきっと苦しむことになるでしょう。それでも人類全てのためを思うなら、行きなさい、トラリシアへ。あなたの力なら、彼女らの存在に気が付くでしょう』
一語たりとも聞き逃すまいと耳を傾けるシルヴィア。
全ての言葉を聞き終えると、軽い眩暈を覚え、気づけば姿見には目を開きこちらを見つめる自分の姿があるだけだった。
「天使、トラリシアに神の御使いがおられると言うのですか。ああ神よ、あなたは我々を見捨ててはいなかったのですね。
誰かいますか! 直ちに旅支度を、神託がありました。私はこれよりトラリシアへ向かいます!」
自室前に待機している警護の兵に聞こえるようにそう言い放ち、警護の兵もむやみに扉を開けようとせず扉越しに「了解いたしました、直ちに」と伝令を呼びつけ、準備を進めるように他の者に準備をさせるように伝えるのだった。