009 季節が過ぎて
リラが退院した。
レイスは現状を打破するため、自ら指揮を執った。
そして、暗殺未遂事件の首謀者はエルナトス帝国との友好を従属だと決めつけて反抗する勢力であることを突き止め、反抗勢力を一網打尽にした。
レイスは幼少の頃からエルナトス帝国の皇族ルーファス大公に度々預けられ、剣や軍略を中心に様々なことを学んできた。そのため、ルーファス大公のことを「父上」と呼ぶほど慕っている。
第三王子にはリュカインとエルナトスを結ぶ懸け橋としての役割が期待されていたが、一方でエルナトスに都合のいいように洗脳されてしまったと考える者達もいた。
それが、今回の事件第三王子の暗殺計画へと結びついてしまったのだった。
ただでさえ国内の治安が悪化していることが懸念されている時期に、このような事実が公表されれば、リュカイン中に激震が走るのは必至。エルナトスとの友好にも悪影響が出る。
この件はあくまでも極秘事項とされ、内密に処理することが決定した。
ようやく身辺が落ち着いたレイスはこれでリラに会いにいけると思ったその矢先、国境近くの小競り合いをおさめるために出撃せよという王命が下った。
これまでも非公式に実戦経験を重ねてはいたものの、今回は正式な王命によるもので、成人としての初陣だ。
レイスが成人するのを機に軍に入る意向であることを知っていたリュカイン国王は、初陣を勝利で飾れるようにしたいと考えていた。
そこで本格的な戦いではなく、小競り合い程度のものであれば丁度良いと考え、レイスを総司令官に任じて出陣させることにした。
ところが、王都を出発した第三王子率いるリュカイン軍が到着する前に、小競り合いは激しさを増し、隣国キーエフから大規模な援軍が派遣されたこともあって本格的な国境争いになってしまった。
国境を警備する軍は地方に駐屯しているリュカイン軍に応援を要請したものの、第三王子の率いる軍勢を加えても少ない。明らかに兵力の差があった。
より多くの援軍を派遣して欲しいという伝令を王都まで送ったものの、承認を受けた援軍が到着するまでにはかなりの時間がかかる。
国境を守る要として増築中だった要塞を拠点に据え、国境線ではなく要塞を守ることに徹するしかないと多くの将兵たちは思っていた。
しかし、総司令官であるレイスの考えは違った。
要塞を攻略するには時間も手間もかかる。兵力があっても簡単には突破できない。
そこで要塞を囮にして敵軍をひきつけ、背後と側面からの奇襲攻撃で崩し、一気に敵を国境外まで追い出す作戦を打ち出した。
あまりにも無謀な作戦だという将官もいたが、レイスは天才的な剣士でありエルナトスの軍神と呼ばれるルーファス大公の愛弟子だ。
これまでもレイスに付き従い、数々の戦略と指揮する手腕を目にしてきた者達は、迷うことなくレイスの提案を受け入れた。
その結果、国境を越えて進軍してきたキーエフ軍はリュカイン軍の拠点である要塞へと迷わず侵攻した。
要塞は増築中のため、完成しているわけではない。むしろ、完成させないために徹底的に破壊するつもりだった。だからこそ、短期間で要塞を叩くための大軍を投入してきたのだ。
元々の要塞部分は小規模ながらも堅固で、簡単には落とせない。しかも、要塞に立て籠もっていると思われたリュカイン軍が側面から奇襲を仕掛けて来た。
要塞を攻め落とすための布陣をしていたキーエフ軍は、すぐに側面から襲ってきたリュカイン軍に対する迎撃を命じたものの、兵力の差があることから要塞への攻撃を中断しなかった。
しかし、更に別の部隊がキーエフ軍の最も後方に位置していた本陣を背後から突く形で襲撃した。
奇襲が二段構えで来るとは思わなかったキーエフ軍は混乱した。また、要塞と側面での戦闘が激しさを増していたせいもあり、本陣をすぐに援護できる態勢ではなく、キーエフの本陣はあっさりと瓦解した。
司令官を失ったキーエフ軍は数の上では勝っていたものの、指揮系統が混乱してしまったこともあり、態勢を立て直すために退却を命じたが、リュカイン軍の激しい追撃もあって、その数を激減させながら国境までの敗走を余儀なくされる。
初陣とは思えない見事な戦略と指揮をレイスは見せつけ、リュカインの若き軍神の誕生を知らしめる大勝利を手にすることになった。
季節が移り変わって夏が終わる頃、レイスは王都に帰還した。
戦場から帰ったレイスの表情は精悍さを増し、十八歳という年齢以上に大人びていた。
凱旋パレートや国王への謁見と報告、祝勝会、成人の儀式など様々な予定を一通りこなした後、レイスはようやく自室に戻り、シンを呼んだ。
今回、側近のシンは留守番役として王都に残っていたため、不在中の報告をさせるつもりだった。
「おかえりなさいませ。初陣におけます大勝利の報告はリュカイン中に届いております。心よりお祝い申し上げます」
当初は劣勢だったため、初陣が敗戦になるのではないかと思われたが、レイスはそれを跳ね返した。
レイスが飾りではなく真に有能な司令官であることをはっきりと示す機会になったのはいうまでもない。
第三王子の人気と知名度は一気に上がり、国民も熱狂していた。
「戦場で誕生日を迎えることになるとは思わなかった」
レイスは大きく息を吸って吐いた。
「今回は思わぬ戦況だったが、上手く対応できた。地方軍がすぐに駆け付けてくれたおかげでもある」
「殿下の初陣のためとあれば、地方軍も力が入り、士気も高かったのではないかと思われます」
「国境軍は尻込みしていたため、要塞の守備にまわした。地方軍が側面から奇襲し、私の軍が背後をつく形にしたが、あまりにも上手く行き過ぎた。数の割には手ごたえがなかった」
「さすがです。エルナトスのルーファス大公もさぞお喜びのことでしょう」
「ルーファス大公であれば国境近くの町まで攻め込んでしまうだろう。そうすれば、キーエフの補給を封じることができる」
「なぜ、殿下はそうされなかったのですか?」
「町を攻め落としたところで、そのまま占領し続けるだけの兵力はない。キーエフが残存兵を立て直し、援軍と共に攻め込まれると負ける。初陣は勝利で飾りたい。それに、町を占領して犠牲になるのは一般市民だ。無益な殺戮は避けたかった」
「ですが、その一般市民が国境への補給をしているのです。後方部隊と同じでは?」
「キーエフとの国境争いにはケリをつける時が来る。だが、今ではない。より周到な準備をしてからが望ましい。でなければ勝利はつかの間に終わる。それでは犠牲になった者達も浮かばれない」
淡々と落ち着いて話すレイスの様子を見て、シンは自らの主がより強くたくましく成長したことを実感した。
だからこそ、あの話をしても大丈夫ではないかという思いも浮かぶ。
「父上が初陣を勝利で飾った褒美をくれるらしい。大勝利だったことを踏まえ、相応しいものをねだっても構わないと」
初陣の勝利に対し、褒美を与えるのは恒例の行事ともいえる。
しかし、今回は本格的な戦いにおける大勝利。しかも、敗戦も仕方がないという状況をひっくり返したことを考慮し、より大きな褒章をねだっても構わないと国王は上機嫌だった。
「聞いております。何を望まれるのでしょうか?」
「お前なら何がいいと思う?」
「やはり将来的なことを考えて領地を頂いては?」
レイスはシンをまっすぐに見つめた。
「リラを妻に迎えたい。まずは婚約だけする。二、三年後に婚姻するまでは、互いの心を通わせる期間にすればいいと思っている」
レイスはリラとの婚姻を褒賞としてねだることを考えていた。
成人したばかり、しかも出会ってさほどたってもいない平民の少女を婚姻相手に選ぶというのは、さすがのシンであっても予想外過ぎた。
それほどレイスがリラに対して真剣な想いを感じていることは明らかでもある。
だからこそ、シンは視線をそらさずにはいられなかった。
「リラは元気にしているか? 退院した後はどうしている? まさかとは思うが、余計な虫がついてはいないだろうな?」
レイスは出陣の際、シンにリラのことを引き続き守るよう命じた。
シンも戦場に向かうレイスの心が迷わないようにするため、快諾した。
だがしかし。
「……申し訳ありません」
シンは振り絞る様な声を出した。
「運命からは守れませんでした」
「どういうことだ?!」
シンは淡々と説明した。
レイスが王都を出発してしばらく経った頃、リラは自宅内で胸を抑えて倒れ、意識不明のまま息を引き取った。
毒物混入を疑うような状況でもなく、死亡診断書には心臓麻痺と明記された。遺体は王都のはずれにある教会の墓地に埋葬された。
すでに開戦しており、敵と戦闘中のレイスにこのことを知らせるわけにはいかず、帰還した後で報告することにした。
「信じられない!!!」
レイスは叫んだ。心からの叫びだ。しかし、シンはうつむいたまま言葉を続けた。
「身内と親しい者だけの葬式も執り行われました。私も陰ながら参列し、ライラックの花束を墓碑に捧げました」
「嘘だ! 絶対に嘘だ!!!」
レイスはシンに掴みがかった。
「リラを諦めさせるための嘘だ! そうなのだろう?!」
「埋葬されたのは王都の外れにある教会です。そこにリラ=ファランドルの墓碑があります」
「神に誓って真実……なのか?」
「はい。このようなご報告しかできませんこと、心より深くお詫び申し上げます。ですが、神が定められし運命です。受け入れるしかありません」
レイスはシンを離した。
「確認する」
「墓碑を確認されますか?」
「そうだ。すぐに出発する。馬を用意しろ」
「夜には成人を祝う舞踏会があります」
「それまでに戻ればいい」
レイスはシンの話が真実かどうかを確認したい気持ちを抑えることはできなかった。
すぐにでも確認したい。
夜にはレイスの成人を祝う舞踏会が開かれる予定だった。その時にレイスはリラを妻にすることをねだろうと考えていた。
死んだ者を妻にすることはできない。
レイスはシンとフェンネル以下の護衛数名を連れ、王都のはずれにある教会に向かった。
教会の外で馬をおりると、レイスは自分の馬をフェンネルに預け、シンと共に墓地の中に入っていく。
「あれです」
新しい墓石があった。
リラ=ファランドル。十四歳。美しき乙女、ここに眠る。
あまりにも素っ気ない言葉と簡素な墓石。ここに最愛の少女が眠っている。
レイスは静かにリラの眠る墓石を見つめた後、突然その場に崩れ落ちた。
体が震えている。信じられなかった。リラの命は助かった。そう思ったのはつかの間だった。神はリラを自らの元に呼び寄せた。
「彼女はきっと喜んでいます。殿下が会いに来て下さったことを」
シンが告げる。
レイスは動けない。まるで金縛りにあったように。そして気付いた。涙を流していることに。リラへの想いが溢れた。
「なぜ……なぜこんなことに……」
レイスは胸の中の張り裂けそうな想いを吐き出すようにつぶやいた。
どこまでも深い悲しみと苦しみが溢れるような言葉と姿に、いつもは冷静で無常を装うシンでさえ、悲痛な面持ちになった。
自らが命をかけて仕える王子が、初めて心を捧げたのがあの少女だった。
王子として生まれながらも政略結婚を拒絶し、幼少より絶対に愛する者を妻にするといってはばからなかった王子。だが、その初めての愛は伝えることができない。少女は死んでしまった。
教会の鐘が鳴る。十七時になったのだ。
レイスは思い出した。十七時は図書館の閉まる時間。リラの仕事が終わり、帰る時間だった。
レイスはいつもリラの笑顔と何よりも美しい神からの祝福をあらわすような紫の瞳に見惚れていた。
たわいもない挨拶や会話をするだけで心が満たされ、幸せな気持ちになれる。
そして、王子ではなく一人の人間としての幸せをかみしめながら王宮に帰るのだ。またリラに会いに行こうと思いながら。
そんなふうに過ごした日々が、ひどく遠く感じた。
遠いにきまっている。季節は春から移り変わり、夏さえ終わろうとしている。
リラはもういない。その命は永遠に失われてしまった。
鐘が鳴り止んだ。
静寂がまた訪れる中、レイスはライラックの香りを感じた気がした。
視線を彷徨わせると、墓地の一角にある木に目が留まる。ライラックだ。
しかし、甘い香りを放つ花はない。全て散ってしまうだけでなく、後かたもなかった。まるで、リラの命が散り、失われてしまったことをあらわすかのように。
レイスはもう一度墓石を見つめると、心の中でそっとささやいた。
ライラックの花言葉は初恋。リラは私の初恋だった。心から愛している。永遠に……忘れない。
レイスは静かに立ち上がった。
無言のまま踵をかえし、その場を離れる。
シンもそれに続いた。
十七時を告げる鐘はすでに鳴り終わっている。
リラに別れを告げ、王宮に帰る時間だった。
リラがいた頃もいない今も、それは変わらない。
夕闇が迫っていた。
原稿の一部のみ投稿しましたが、話のきりはいいかなと。
取りあえず完結済にしたかったので。
読んで下さり、本当にありがとうございました! 美雪




