008 レイリアス
リュカイン王宮にある王子の執務室に青年はいた。
「……リラの容態は?」
第三王子の側近であるシンは医者に言われた通りの言葉を伝えた。
少女の命は助かった。だが、背中に斬られた傷は一生残るだろうということを。
「リラが怪我をしたのは私のせいだ。最高の治療を受けることができるように手配しろ。費用は王子予算から全額出す」
「それはできません」
「なぜだ?!」
「殿下は身分を隠した状態で外出されました。少女は偶然事件に遭遇しただけのこと。王子の暗殺未遂事件に遭遇したわけではありません」
「そんなのは詭弁だ」
「では、王都で起きた反王家活動の犠牲になった者達全員に対し、王家が高額な治療費を保証するのでしょうか? 勿論しません。偶然巻き込まれてしまったというだけ。哀悼の意は伝えるかもしれませんが、高額治療の保証はしません」
近年、王家に対する反抗的かつ武力的な活動が増えている。
青年はリュカイン王国の第三王子レイリアスだった。親しい者達にはレイスと呼ばれている。
優れた王太子がいることから、レイスの王位継承権はないにも等しい。そのため、標的になる可能性も低い。
本人としては剣術や体術等に自信があるため、むしろ襲撃されれば返り討ちにするだけでなく、裏で糸を引いている者達を突き止めるのに丁度いいとさえ考えていた。
その矢先に、思わぬ形で事件が起きた。
「お辛いとは思いますが、かなりの出血でした。命が助かっただけでも幸運です。それよりも確認したいことがあります。あの少女はどこまで知っているのですか?」
答えたくないとレイスは思った。だが、答えないわけにもいかない。
「……何も知らない。名前さえ名乗っていない」
レイスは自分が王子であることを伝えていない。つまり、シンの言ったようにとある事件に遭遇しただけ。第三王子の暗殺未遂事件遭遇したことを口止めする必要はない。
一方で、レイスが王子としてリラに何かをすることもまたできない。
「事件のことはうまく処理しなければなりません。目撃者は少女だけです。色々とつじつまを合わせる必要があります。当分、外出はできませんのであしからず」
「見舞いには行きたい」
シンは咎めるような視線になった。
「その時また狙われたらどうするのです? 病院や病室を血の海に変えるのですか?」
再度襲撃されないという保証はない。
そもそも、レイスがプライベートでこっそり外出していた時に襲撃されている。
このことを知るのは非常に限られた一部の者達だけで、国王や王太子といった家族でさえも知らない。
第三王子のプライベートの予定や突発的な行動を把握している者達から情報が漏れている可能性があった。
「首謀者はわかっていません。殿下があの少女に何か特別な想いがあるかもしれないということがわかれば、それを理由に狙われる危険があります。偶然巻き込まれただけの一般人、それで通すことが少女を守ることつながります」
レイスは納得できなかった。
「あの日、午後だけで六人の者がリラの前を通り過ぎた。四人は襲撃者だったが、残りの二人については不明だ。事件の関係者だとすれば、その者達の顔を見ているリラが危険だ。口封じのために襲撃されるかもしれない」
「わかっています。ですからフェンネル以下数人を密かに張り込ませています。目撃者を始末するために狙うようであれば、この機会に生け捕りにします」
「リラを囮にする気か?!」
鬼気迫る表情のレイスに、シンは動じることなく答えた。
「少女が狙われるということは、少女の知る情報が重要である証拠です。また、少女の潔白を証明するにも役立つかもしれません」
レイスはリラが偶然巻き込まれただけの被害者だと思っている。
しかし、側近であるシン達はリラが何らかの情報を襲撃者側に与えていた、つまりは暗殺計画の協力者だった可能性を完全には捨てていない。
なぜなら、襲撃者に雇われていた女性と親しくしていたと思われるからだ。
「彼女と一緒にいたミルカという女性から探るのは無理です。死んだ暗殺者の一人に依頼されたことが判明しました。他の者は全く知らないそうです」
ミルカは襲撃者の一人に雇われ、王立図書館に通う青年の行動を調べ、報告するように言われていた。
対象の男性が王子であることは知らなかった。また、襲撃者は自分のことを密かに待機するお目付け役兼護衛だと告げていたため、ミルカは犯罪行為に手を貸しているとは露程にも思っていなかった。
また、些細なことでも伝えるようにと言われていたものの、ミルカはリラとレイスが親しいということを報告していなかった。
護衛がいるほど高貴な身分であれば、平民であるリラと親しくするのはよく思われない。リラにとって不都合、もしかすると危険な目に合うのではないかと心配したからだった。
「謝礼もわずかでした。犯罪行為の謝礼は比較的高額ですので、そういった面でも疑わなかったようです」
「使い捨てか」
「酒場で働く女性がどこかで死んでも大した事件にはなりません。何かあれば口封じも簡単とみて雇われたのでしょう」
ミルカは下級平民。しかも、治安が悪い地域に住んでいる。殺されてしまったとしても、警備隊が血眼になってまで犯人捜しをするとは思えなかった。
「王都の治安悪化は放って置けない。やはり私は軍に入る」
レイスはもうすぐ十八歳。成人になる。
王族男子は成人すると執務を担当することになる。レイスは王都を始めとした国内の治安維持を強化するためにも軍に入ることを考えていた。
王子が関わる執務には特別な予算が出る。レイスが軍に入ることで特別予算を計上し、それを活用してリュカイン国内の治安を改善したいと考えていた。
「少女の周辺も調べたので報告を。幼い時に貧しい女性から引き取った直接引き取った養女でした。そのため、一旦は孤児という扱いになりましたが、すぐに養女にする手続きが行われています」
「そうだったのか……」
リラの装いは贅沢でもないが貧しくもない。ごく普通の中級平民だとレイスは思っていた。
「育ての親である両親の評判は非常によく、不審な点もありません。少女は殿下が通うずっと前から王立図書館で働いていますし、不当な金銭を受け取ったり使ったりしたような形跡もありません。運悪く事件に巻き込まれただけの可能性が高いとは思っています」
シンはそう言ったが、気になることがあった。
それはリラがアルバイトをすることになった経緯だ。
リラがアルバイトをしているのは高等部へ進学するための学費が足りないせいだとレイスは説明されており、そのことはシンにも伝わっている。
しかし、リラの両親には十分な貯金がある。高等部の学費が捻出できないわけがない。
とはいえ、未成年であるリラが両親の貯金を把握しているはずもなく、両親は進学させたくない事情があるのかもしれない。
女性は十六歳になれば両親の承認の元で婚姻できる。本人には知らせていないものの、すでに縁談が調っているため、進学させたくなかったのではないか。あるいは非常に優秀なことから隣国であるエルナトス帝国に留学させ、より高度な教育を受けさせたいと思っているのかもしれない。様々な推測ができる。
レイスがリラを特別視していることは疑いようがない。そのため、この件については調査中という理由を挙げ、伝えないことになっていた。
「ですが、今後も親しくされるのは賢明ではありません」
「私は第三王子だ。極端な話、平民を妻にすることも不可能じゃない。親しくする位構わないはずだ」
シンは首を横に振った。
「生粋のリュカイン人、平民でも裕福層ということであれば問題にはなりません。ですが、あの少女の瞳は紫です」
正式に養女の手続きをしていることから、リラの国籍はリュカインになる。しかし、元の出自はわからない。
紫の瞳を持つリュカイン人はいないわけではないが、かなり珍しかった。
「同盟国であるエルナトスやフェリオールなどならともかく、南方の国とは国交がありません。貧しいために養女に出されたというだけならともかく、別の理由、異国の罪人の子供だったなどと判明でもすれば大問題です」
王子が親しくする女性がいれば、徹底的に身辺調査が行われる。
もしかすると、リラの将来に影を落とすようなことが発覚してしまう可能性があった。
「あの少女のことは忘れ、そっとしておくべきでしょう。それが最もあの少女を傷つけません。お側におけば出自を詳しく調べて足を引っ張り、危害を加えようとする者達が次々とあらわれます。幸せにするどころか、不幸にするだけでしょう」
レイスはシンの言葉を否定することができなかった。
「今回のことは表向きとして、逃走中の犯罪者数名が王立図書館に逃げ込み、非番の軍人に見つかって抵抗し、処分されたことになりました。暗殺の件は一切極秘です。今後王立図書館には行かないで下さい。勿論、あの少女の元にも」
「無理だ。会いたい」
側近だけに、王子の意志の強さは嫌というほど知っていた。しかし、側近だからこそ、王子を諫める方法もまた熟知していた。
「……とにかく今は彼女の傷が治ること、そして暗殺計画の首謀者を捕え、周囲の安全を確保することが優先です。これは殿下のためだけではなく、少女のためにもなるということをお忘れなく」
「どうせ、リラの安全を最優先にはしていないのだろう? ならば私が側にいて守る」
「その方法は余計に危険が増すだけです。殿下が王宮から外出されないということであれば、少女の安全を最優先にするよう命令を出し、特別な護衛もつけます。いかがですか?」
シンにとって何よりも大事なのは主であるレイスの命だ。少女の命ではない。
しかし、レイスが大人しく安全な王宮で過ごすためであれば、少女に護衛をつけること位造作もない。
「お立場をお考え下さい。平民のふりをして軽々しく城下を出歩くからこそ、このような事件が起きるのです。罪のない市民を巻き込み、死なせたいのですか? 少女に事件の真相を知られれば、それこそ口封じの対象になりかねません。お察し下さい」
レイスは顔を歪めた。
王子が護衛もつけずに街中を自由に歩き回ることが好ましいことはないことはわかっていた。それでも王子として一般市民がどのような生活をしているのか知りたかった。
そして、王宮を離れた場所に自分だけの隠れ家、心安らげる場所を見つけたと思っていた。
しかし、そのせいでリラを危険な目に合わせてしまったのも事実だ。
自分のせいでリラが死ぬことがあってはならない。
リラが暗殺者によって後ろから切り付けられた時、レイスは自分の気持ちに気付いてしまった。
レイスにとってリラはただの親しく言葉を交わす可愛らしい少女というだけではない。心から愛しいと想う女性だった。
リラが自分の死を感じるような言葉を発した時、レイスの心臓は止まりそうになった。
駄目だ。絶対に失いたくない。自分の命と引き換えにしてでも救いたい。
レイスは心から神に祈った。どんな代償を払ってもいい、リラの命を救って欲しいと。
その願いは叶えられた。リラの命は助かった。今度はレイスが代償を支払う番だった。
「わかった。どんなことをしてでもリラを守れ」
「御意」
レイスは決断した。自分の感情を抑えることで、リラを危険から守ることを。