その3
「うぁーお、こりゃ確かに戦場じゃな〜」
校舎4階に位置する一学年の教室が集合するフロアに辿り着くや否や彩はそうぼやいた。他の者も同じように驚きを隠せない様子。辺り一面、この命に代えても部員を確保してやると血腥く殺気立つ生徒達で埋め尽くされているのだった。
「チッ…………やっぱ作戦会議なんかしてないでさっさと陣取るべきだったか……。」
「そうだろ! さっき一回ここ見に来たんだったらそう提案しろっての!」
「てへぺろっす☆」
そう言ってお茶目に舌を出し誤摩化す様に紫音は呆れ果てた。
「それ過去。」
ぼそり、とそう呟く凛子。それを見ると何だか吹っ切れた様子で、
「んまぁそうだな。過去は過去。これからどうするか考えるか」
「っていっても――……」
四人は辺りをざっと見渡す。
「四人で陣取れる場所は……」
「皆無。」
「ですよねぇ〜」
はー、と一同肩を落とした。
それもその筈、例えるなら平日朝の新宿駅ホームのお客が全員ヤンキーだったら、なんて状況を想像してもらえれば今のこれを理解頂けるかもしれない。怖くてそんな所へ突っ込む勇気は出て来ないだろう。絶望だ。
「諸君、何を弱気になっているのだっ!」
だがそんな時、一翔は指をピンと立てその手を空高く掲げた。
「我々の目的は何だ! 澪ちゃんを部員に迎え入れる事だろう!? その目的の為には己が命も惜しまないと誓い合ったばかりではないかッ!」
「いや、そこまでは言ってねえよ」
「兎に角今はここで恐れず一組の前までダッシュするしかないのだよ!」
一翔は続いてごった返した眼前を指差す。
目の前に広がるこの狭い廊下――当然そこは人で溢れかえっている――の一番奥に一年一組が存在する。
「……ここ抜けるの〜?」
彩は思わず膝を落として弱音を吐いた。
「ああ、その通りだ彩くん。見よ! 我々にもう退路は無い! このまま進むしかないのだよ…………ッ!」
確かにもう自分達の後ろにも他の部活の生徒達が押し寄せて来ているため逃走も不可能だ。それを見ると「げ……っ」と一言肩をがくりと落とす彩。
だが一翔はその眼をめらめらと赤い炎で滾らせると、
「いくぞ! 電研部ファイト――!」
そして「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃー!」の掛け声の元、ただひたすらに人の群れに突進するのだ。
するとどうだろう、少しずつ、少しずつだが前へ進んでいるではないか。
ド◯クエの如く彼が創った道を三人は追いかける。その後ろ姿に多少なりとも尊敬の念を込めて。
「……なんか、アイツやる時はやるんだな」
「一翔っち流石っす…………」
「勘違い。」
「「へ?」」
意外だった凛子の発言に二人は思わず声を漏らした。勘違いとは何が勘違いなのだろう。
「……ここ女子の群れ。」
そうか――ここは音楽高校。男女比1:9――つまりこの人の群れの九割は女子、JKだ。
そんな所に突っ込むなど寧ろ男なら大歓迎。
「「あ〜(察し)」」
二人の眼差しは尊敬から軽蔑へと一瞬で色を変えた。
そんなこんな中、遂にHRが終わりを迎える。
飛び出してくる新入生を確保しようとして案の定、物凄い声量で勧誘の声があちこちから上がった。それは本当の混沌を形成する。そう、今までのは前哨戦に過ぎなかったのだ。
――――オケ部部員募集中ですー! どんな専攻でも大歓迎です!
「おい彩、澪ちゃんいたか?」
――――声楽専攻は合唱部へー! ピアノ科も歓迎ですー!
「え、一翔っち今何て言ったの聞こえない〜」
――――ジャズ専攻は是非軽音部へー! 勿論他の専攻も歓迎ですー!
「ていうかあたしらは黒崎澪以外の部員は確保しなくていいのか?」
――――吹奏楽部ー! 一緒に吹奏楽で青春を駆けませんか〜!
「目標発見」
「おぉ、凛子先輩ナイスー! そのまま捕まえらます?」
「承知――――ッ。」
「きゃッ!?」
「目標確保。」
不幸中の幸いか、他の部活は兎に角多くの生徒に声をかけたいのに対し電研部は澪を見つける、という目標だけに絞った事が逆に功を奏したようで一番に澪を捕らえる事が出来たようだ。
凛子が澪の右腕を掴み人が少ない廊下まで誘導――と云う名の強引な連れ出し――を完了させ、全員が息を整えるまでには時間を要した。
当の本人――黒崎澪は当然だろうか、何が起きたか分からぬ様子で先輩達の顔を疑念の意を持って観察し始めていた。第一印象はきっと最悪だろう、だだ正直これ以外の方法も無かった。
(……しっかし間近で見ると更に可愛いなぁ――――……)
それどころではないと分かっている一翔だが、澪のあまりの美しさに見入ってしまった。
枝毛一つなく真っすぐと伸びた艶やかな髪にシルクのように透き通った肌。
大粒な宝石の様に透き通った瞳に程よく肉付いて柔らかそうな足。
モデルだ女優だアイドルだと言われても全く疑う事無く信じる程、いや寧ろもうただの学生と言われても信じない程美しく、美しかった。
「……何なんですか、こんな所に連れ込んで。」
少女の声を初めて耳にする。
それは彼女の奏でた音ととても良く似た、何処か冷たく、そして槍の様に鋭い声だった。
少年はそんな彼女に思わず目を奪われ、数十秒静止した。
「……あの……用が無いなら帰りますけど。私、帰って練習したいんで。」
「あ、! 練習なら三階の練習室を使うといいよ! 全部個室になってて一番から二十番練習室にはグランドピアノが置いてある。ここだけの話、十五番練習室だけは一台一千万近くするスタインウェイが置いてあってすっごく音が良いんだ!」
「いえ、私家にその一二〇〇万のスタインウェイが置いてあるので。」
彼女のサファイアの様な瞳はまるで揺れる事無く淡々とそう答えた。
一翔も必死になって彼女を引き止めようとする。
「へ、へぇ! しず……違った、……黒崎さんの家って、その、凄くお金持ちなんだね!」
「は、はぁ…………」
澪は眉をしかめ、面倒くさそうに右足に重心をかけ、口こそ開かぬものの「貴方と話す気などない」と確かに言っているように険悪な態度を取った。
さて、どうやって話を進めたらいいのだろうか。訳がわからなくなった一翔はまず鉄板の話題で場を暖める事にした。
「てか、L◯NEやってる?」
そう、今の若者が初対面の相手に聞く物と云えばL◯NEIDと相場が決まっているのだ! これをやってない人などまず……
「なんですか、それ?」
「やってないのかい!」
氷の魔女恐るべし。
「じゃあ、名刺交換でもします?」
「すみません、それも今切らせてます」
音高生は売り込みが大事だから高校生でも名刺持ってたりする。多分澪も持っている筈。うん、凄く真面目そうな彼女が切らせてるなんて無い気がする! なんで嘘つくんだろう!
そんな事を思いながらとりあえず「じゃあ俺のだけでも……」と強引に自分の連絡先だけ手渡した。
さて、どうしよう。どう切り出そう。
状況が芳しくないのを悟った彩が一翔に耳打ちする。
(ちょっと一翔何やってんのよ! 澪ちゃんなんかもうウザがってるの見え見えじゃん!)
(そ、そんなこと言われても……きんちょーしちまって)
(は?)
「痛――――――――ッ!」
彩につま先を踏ん付けられた一翔は飛び上がって悲鳴を上げた。
そんないつものやり取りを見て微笑むのは彼女らの後ろに控える大崎姉妹だけであり、当の本人――黒崎澪は既に彼女らに関心を失っていた。
「あの――――」
「「はいっ!」」
威圧的な澪の一言に思わず彩と一翔の背筋が凍った。
「帰っていいですか?」
「待って待って待って待って待ってー!」
彼女の鋭い一言に対し一翔は反射的にそう返した。しかしそんな煮え切らない彼の反応が彼女の憤りを募らせている事はひしひしと表情に現れていた。
それから彼女は小さく舌打ちをしてから、
「……何か用があるなら言って下さい。何も無いなら帰らせて下さい。」
そう言ってさらに苛立ちを露にした。
冷徹且つ無慈悲。先輩に気を遣おうだとか新入生だから謙虚にとかそう云った素振りは一切無く、ただ、自分の行動だけを一貫して貫くその様。彼女の創る音色と同じくまた彼女自身こそが正に『氷の魔女』と言えよう。
(……まさかこんなも冷たい子に…………流石の一翔も目が覚めたかな?)
彩はそう心のうちで呟くとほっと胸を撫で下ろした。
それから一翔の肩を叩いて、
「もういいよ一翔、彼女はウチらの部はきっと合わないよ……誘っちゃったらかえって彼女にも迷惑が――――」
「――か、カッコいい…………!」
その時、一翔の目は今までに見た事が無い程目映く輝いていた。
「「「は?」」」
そんな彼の意味不明な反応に周りの目が一斉に点になる。
「…………カッコいいって、何が?」
彼の背中へ恐る恐るそう問いかける紫音。
「黒崎さんの生き方ですよ! 突然入学二日目に先輩集団に絡まれても一変せず自分を貫くその姿勢! まるで自分の理想を信じて突き進む少年漫画の主人公みたいだ!」
子供みたいにはしゃぎながらハキハキする一翔。
好きな物は後先考えずとことん追求する一翔と自分のやりたい事をなんとしてでも貫く澪。性格はまるで正反対だが根本的な部分は似ているのかもしれない。
対する澪の方は自分が褒められているのかけなされているのか分からず困惑した様子。
すると一翔は唐突に鞄から何やら取り出すとそれを澪の胸へぎゅっと押し付けた。
それは――彼が昨日書き上げた新曲だった。
「申し遅れましたが俺達、電子音楽研究部の者です。この曲、君の為に俺が書いた曲です! 一緒に演奏しませんか?」
「は、はぁ…………!?」
余りにも唐突――澪にしてみれば迷惑な話だ。
突然人波の中強引に腕を引っ張られたかと思ったら次は君の為に曲を書いたから演奏して欲しいなんて言われたのだから。
だがそれでも彼女は音楽家。手渡された楽譜を手に取ると真剣な眼差しで音符に読み耽った。
遠くから勧誘合戦の声が聞こえる――そこにぽつりと出来上がった静寂。
楽譜を捲る度、紙の擦れる音が聞こえる程の緊張の中、部員達は彼女をじっと見つめた。
すると二、三ページ捲った所で、
「このヴォーカル、声域がとても人間とは思えないのだけれど誰が歌うのかしら」
澪は楽譜に目を落としたままぼそりとそう言った。
「それはヴォーカルをコンピューターで演奏するパソコンソフト『ボーカロイド』っていうののパートなんだ! ……知らない?」
笑顔で澪を見つめ朗々とそう返す一翔。だが少し緊張しているのか、言葉尻がビブラートしている。
それもその筈電子音楽研究部はボカロ曲を作ったり演奏したりする部活だ。つまり、そもそも『ボーカロイド』を知らなければ一気に入部は難しくなる。
こんな真面目そうな子がサブカルチャーに分類されるボカロを果たして知っているのか――――……。
部員達の緊張は最高潮。
すると澪はふっ、と口元を緩ませこちらへ振り向いた。
「ええ、知っているわ――――――」
初めて笑み――――もしやこれはイケるか! 彼らは互いに顔を見合わせ目で笑い合った。
――のだが。
「私の大嫌いなツールよ」
続くその言葉を聞いた瞬間――凍り付いた。
何かの勘違いかもしれない、そうだそうに決まっている。恐る恐る一翔はこう聞き返す。
「大嫌い……そりゃ一体何が?」
強引な作り笑顔がたどたどしい。
「勿論ボカロよ――私、アレが大嫌いなの」
そんな彼をそうあざ笑う。希望が崩れ落ちた一翔の表情からは色が消えていった。
「汚い電子音、味も深みも無い歌詞、おまけに作ってるのは素人ばかりでリズムもコードワークも滅茶苦茶。あんな音楽、何処がいいのやら」
「……………………」
一翔は……いや部員一同絶句だった。
その理由の一つは勧誘成功の確率が著しく下がった事。ボカロが大嫌いだと豪語する相手をどうやってボカロを研究する部活に勧誘しようか。
そしてもう一つは――――
「おい、アンタちょっと悪く言い過ぎじゃねえのか?」
自分達の大好きな物をバカにされた事だ。
紫音が鋭い目つきで澪を睨む――――が、そんな事に動じる彼女ではない。寧ろ二つも年上の紫音を馬鹿にするように再びあざ笑った。
「もしかしてあんなものを専門に研究しているの、貴方達は? 一体何処までバカなのよ」
「――ッ――――――!」
「抑えろ、紫音!」
理性が飛びかけた紫音を凛子が取り押さえ強引に引き止めた。ここで後輩に手を出したりしては百害あって一利無しだ。
そんな彼女らを澪は鼻で笑う。
「そう云う事だからこの曲を演奏する気も勿論無いわ。そちらの用件はそれだけ?」
「随分と上から物言ってくれるじゃ――――」
「――用件はそれだけか――――と聞いているのだけど。」
紫音の言葉を自らかき消してそう言った。それから左手で長い髪を耳にかけるとぶっきらぼうに腕を組んで彼らを見下ろした。
「んだよ…………ボカロの事何も知らない癖に偉そうにしてよっ!」
紫音は拳を握りしめる。
しかし澪はこの時ばかりは特につっかかって来る事無く――寧ろ何か悔しそうに俯いた。
「……何も知らなくなんかないけど――――……」
澪は小さくそう呟くと、その長い髪でふわりと弧を描き彼らに背を向け颯爽と立ち去った。
「…………」
澪は仄かな甘い残り香と閑散とした空気を残した。
電研部部員達の元へ訪れた暫しの静寂。
すると紫音はそれを破るように、静まった一翔の肩に手を置き明るく声をかける。
「残念だったな一翔。まさかこの期に及んで勧誘を諦めてない、なんて言わないよな?」
うん、さすがにこうなってしまっては勧誘は絶望的だろう。諦めるのが順当だ。
しかし振り返った彼の表情は喜びと好奇心とやる気に満ち溢れた最高の笑顔だった。
「すまん、まだ諦めてないですわ」
なんだその表情は。
そんなのその顔見れば分かる――寧ろ朝よりわくわくしているだろう。
一体どういう神経していればそんな風に思えるのか、不思議でならない。
そんな笑顔に紫音は呆れて溜め息を漏らした。
「ったく、アイツの何処見れば勧誘したいって思うんだよ?」
「……んー主に顔ですかね?」
「あ?」
「……スミマセン」
実際の所は『カッコいい』この台詞が全てを物語るのだ。一翔風に言うなら「あんなわくわくする奴俺がほっとくと思うか?」と云った所だろうか。あんな奴――言い換えれば非常に強い個性を持った人間――と音楽をやりたくて仕方が無いのだろう。
「ったく分かったよ、一翔がそう言うんなら手伝うよ――あのクソの勧誘」
「同意。」
しかし意外にも紫音と凛子はそんな一翔の『本気の冗談』に付き合うのが案外好きだった。
それは彼女らもまた音楽家として――自分のやりたい音楽を全力で追求したいという欲望が根底にあるからだ。性格は違っても根底に持っている物は同じ――だから音楽家は我がままな奴程いい音を出したりする。
「――待って!」
その時、彩は唐突に大声を上げ視線を集めた。
「一翔――まさかそれ本気っ!?」
唇を噛み締め眉をひそめる。
「うん、本気だけど?」
「っ! 澪をわざわざ入れる必要ないよ! ……それに迷惑じゃない? ボカロは嫌いって堂々と宣言した子をボカロの部活に入れるなんて…………」
「もしも本当に嫌がるようだったら辞めるよ。俺も彼女に迷惑はかけたくない。けど――それはまだ分からない」
一翔はいつになく真剣だ。決心していた。
まだ諦めるには早い、と。
「諦めようよ――…………」
「彩……?」
珍しく彩の浮かない表情を見た。それは何処か果無く、目はいつもより潤っていた気がした。
「……ううん、何でも無い。もー我がままなんだからー。ま、じゃあもう少しだけだよー?」
だが彼女は仮面を被り懸命にそれを隠した。一翔もそれを悟ったのだろうが遭えて追求はしない。彼女が隠したいのならそれを尊重しようとするのが一翔だ。だからこそ明るくこんな風に言い返すのだ。
「流石は我が親友桃沢彩! 我の志を理解してくれるか!」
「うむ、理解しようぞ雨宮一翔。一人でも多くの可愛い女の子を自分の周りにおいておきたいのじゃろう?」
「違うわい! ……いやまぁ、違わなくはないけど。」