その4
次の日の放課後。
いつも通り部室に集まって先日アップした動画のレスポンスを確認したりしながらどうでも良い話をつらつらと語り合っていた時――無駄に重たい防音扉がガタリ、と音を立てて開いた。
「……お、おはようございます………………」
扉の外には、一人の少女が立っていた。靡く黒髪は太陽に照らされより艶やかに輝き、艶やかな手を後ろで組んだその少女――黒崎澪はほっぺたをピンクに染め、視線を左にズラして室内を見ようとはしなかった。
その一言から三十秒。
何故かお互いに動こうとしない。言葉も返さない。
(私が何か言わないと……!)
澪はそわそわと肩を揺らしたりするが言葉が出て来ない様子。
そんな澪を見かねた一翔は微笑んで、
「ま、入りなよ」
「!? ふぁ、……はぃ………………」
澪は尻尾を踏まれた猫みたいに背筋をびびびび、と逆立てるとロボットのようにがたがたと、右手と右足を同時に出して真っすぐ前に進んだ。
何に緊張しているんだか……。
澪は四人全員の中心に辿り着くとぴたりと足を止めた。
そして深呼吸を一度、二度。
「よし…………!」
そう言って何か決心すると目をきりっと釣り上げて、
「あのっ、私…………っ!」
「あーそう言えば澪これ、新譜な」
澪の言葉を遮ってそう言うのは一翔だった。
そして彩から奪ったであろうポッキーを二本口に咥えたまま、三、四枚の楽譜の束を澪の前へ差し出すのだった。
澪の雰囲気を見れば分かるのだが、何か大事な事を伝えようとしていたのだ。その澪に、新譜を渡すなんてそんな事務的な事を…………。
「……って新譜?」
澪は顔をしかめる。
何それキイテナイ。何の話?
すると一翔は当たり前の事のように、
「おう、次のレコーディングは二週間後だから。まー時間あるし適当に見ておいて。次の目標は再生数十万オーバーだ!」
と新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいに笑うのだ。
「って一翔何それ!? 澪はうちに入部したって事!?」
彩が身を乗り出す。
「あーまだ入部してないんだっけ? あれ、ていうかそいやーあの後どうなったの?」
ポッキーを奥歯で噛み砕きながら。……それってそんな気楽に聞いていい事なのか? というかそれを今まさに、彼女は伝えようとしてたのでは?
「ふふっ! 相変わらず酷い人ですね。折角台詞とか考えて来たのに……色々台無しです」
「なっ! そうだったのか……ま、でもそういう堅苦しいのはナシで行きましょうや」
一翔はそう言って濁す。
すると大崎姉妹はジト目になって、
「……一翔って女に嫌われるタイプだよな」
「同意。」
まったくその通りだ。女心とか、そういうのよりもいつも中心にあるのは楽しい音楽をやる事だけだ。
澪の事を気にかけて助けたのだって、結局は澪の事が好きだったからとか、そんな感情ではなくただ、自分の音楽に必用だから、それだけなのだ。
「でも……私、きちんと言わせて頂きます。」
澪はそんな一翔を無視して全員の顔を一斉に眺めた。
そして、ずっと言えなかった――言葉を言うのだ。
「私を――仲間にして下さい!」
澪の笑顔はやっぱり可愛らしかった。そんな様子を見た電研部一同はほっこりと表情を緩める。彼女の笑顔を見ていると何故だろうか心がぽっかりと暖かくなる。
すると一翔は立ち上がり、右手を差し出した。
「……ようこそ、八音電研部へ。歓迎するよ、黒崎澪」
以前は握り返す事の出来なかった手だ。
辿り着く為に足りなかったピースはもう揃った。
――二人は手を取り合った。
苦難を共に乗り越えて来た一翔のゴツゴツした手。
ひたすらにピアノに打ち込んで来た澪の品やかな指。
それらが――かつて二人が交わした音の様に――交わった。
「……私、一翔の事好きかもしれません」
「………………はい?」
至近距離で手をあわせ、向かい合って目を合わせると澪は思い出した様にそう言った。
うん、ちょっと意味が分からない。好きだって? また冗談を。
その一言を遠くから眺める彩は口をあんぐり開いたまま呆然とした。
「……それは澪っ! そのぉー、一体どういう意味で……?」
「一翔、貴方彼女とかいるんでしょうか?」
「――――――――はい?」
真顔、いつも通りの真顔でそう言うのだ。……ひょっとして本気なのか?
「いないなら私が彼女になってあげなくもないです。ていうか彼女にして下さい」
――――ガシャーン
彩は手に持っていたポッキーらを盛大に床にバラまいた。あたふたあたふたしながら懸命にそれを集めようとするも集まっていない。目がくるくる回ってよく周りが見えていない様子。凄く分かり易い狼狽えようだ。
しかしあの澪がどう心境が変化すればそんな結論に至るのだろうか。
「あのー澪さん……それ…………えっと、冗談ですよね?」
恐る恐る一翔が確認を取ると、
「はい、勿論冗談です」
……真顔のままあっさりとそう否定した。
成る程、冗談に慣れていない人が冗談言うとこうなるのね…………。
一翔はわざとらしく大笑いしながら、
「あっははー澪の冗談はきついなぁー! 場を和ませようとして言ってくれたんだろー?」
だが少し顎を引いて、
「……やっぱ抜け駆けとかそういうのダメかなーと」
「ん? どうかしたか?」
ぼそっと小声で澪がそう言ったが小さ過ぎて聞き取れなかった様子。
「いえ、何も」
澪はそう言って微笑み、誤摩化した。
「それから桃沢彩さん…………」
「ひゃい!」
唐突に名前を呼ばれた彩は奇声を上げた。
澪は一翔の手をぶっきらぼうに投げ飛ばすと彩の元へ駆け寄る。
そしてこれでもかと云う程深々と頭を下げた。
その体勢のまま、
「……今までごめんなさい。今直ぐ許して欲しいとは言わない…………これからより一層の信頼回復に務めますので……どうか私ともう一度お友達に……―――――」
そう言ってその体制を維持する澪。重力に負けて項の辺りの髪がさらさらと地面へ向く。
そんな彼女の肩を彩は優しく二度叩く。顔を上げて、と云う意味だろうか。
恐る恐る澪が顔を上げると――――抱きついた。あまりにも勢い良く抱きつくもんだから二人で床に倒れ込む。彩が下だったら胸がクッションになったかもしれないけど澪じゃちょっと痛そうだ。
「別にうち怒ってないしー! 寧ろうちからもお願いするよ――うちとお友達になって下さい――澪ちゃん!」
彩は猫の様にきゅるりと笑いながら澪の胸に顔を埋める。
澪ちゃん――何処か懐かしいその響き。そう、その呼び方は二年前のもの。
表情には出さなかったものの、それは、澪にとって最高に嬉しい言葉だった。
「でも……それでは私の気が収まりません……何か償いを…………」
「んーじゃあ今日の夜ご飯は澪の奢りって事で……どうすか?」
「そ、そんな簡単な事では…………」
「大丈夫、割と高い所行くから〜」
にっ!、と口を横に引っ張ってお日様の様に彩は笑った。
うん、この二人は良い友達になる――いやもう既になっているか。そんな事を周りの皆は思っていたに違いない。
それから彩は澪の左耳元に口を持ってくると、
「……あとうち、澪には負けないから…………っ!」
と内緒話の様に囁いた。澪はそれにはっとするも、彩はそこから直に立ち上がって、
「をっしゃー! 今日は澪の奢りだぞー! さーみんないこー!」
と大声で言って鞄を拾うと、威勢良く闊歩して部室から飛び出した。
「お、何だって黒崎の奢りで飯食いに行くの?」
「茅ヶ崎先生!」
彩が扉から出るとそこで待ち構えていた愛珠と顔を突き合わせた。
「先生大人げないっすよ〜」
「馬鹿、黒崎だって歳は十五だけどちゃんと稼いでんだからもう大人よー! ねぇ?」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。
本当にずるい人だ。そう言われてしまってはプライドの高い澪がそれを否定出来る筈も無く、
「――は、はぁ……」
弱気に一応そう答える。
やれやれ、この教師は相変わらずだ。
「じゃ、皆でどっか行きますかー」
「うち寿司が食べたい!」「あたしは焼き肉って気分かしら」「おいおい、んななよなよしたのじゃなくてもうがっつりステーキ行こうぜ! ロックにステーキよ!」「……お任せ。」「澪は? どっか行きたいとこないの?」「えっ……私は皆さんの行きたい所で、構いませんけど…………」「お、流石黒崎。何処に行こうが私は払えますーってか?」「なっ! ……じゃ、じゃあ、ファミレスで。」「……まー正直澪とお喋りしたいしファミレスで良い気もして来ちゃったかも、うちは」「えー焼き肉いこうよー! ビール呑んでぱーっとやろうぜー?」「未成年。」「気にすんなよ! あたしだってもう十六の時には呑んでたわ」「先生、ロックといえば飲酒なんて古い概念は捨てて下さい!」「……いや別にロックの話はしてないけど」「ふふっ!」「んだよ澪、何がおかしいんだよ」「……いえ、皆さん面白いなーって」「澪の冗談も面白かったぞ、ていうか私を彼女にして下さい」「なっ! ……恥ずかしいから思い出さないで下さい」「っていうか実は本気なんじゃないのー?」「笑止。」「え、あたし桃沢と一翔が付き合ってるもんだと思ってたんだけど違うの?」「「違いますっ!」」「お、じゃあ黒崎と桃沢の三角関係か! ひゅー青春だねー」「いやぁ……モテる男は辛いぜ」「「――黙れ。」」「……すみません調子乗りました。」
黒崎澪が加わって新たな一年を迎えた八音電研部。
彼らはきっとこの先どんな困難があろうが乗り越えるだろう――――隣にはいつも、支えてくれる仲間がいるのだから。
-了-




