その2
「彼に……雨宮くんに相談したい…………」
広々とした――電研部の部室の二倍以上ある――自室に鍵をかけて籠る澪はベッドへ横たわり枕に顔を埋めていた。
そんな彼女の脳裏に浮かんだのは――あの言葉だった。
『俺達と一緒に音楽をやろう』
「正直……凄く嬉しかったんです、私。心躍っていたんです。最初は無理矢理部活に勧誘させられて……しつこくて、正直嫌いだったけど……。けど、やっぱりどこか嬉しい自分がいた。けど否定してた。そんなのは雑念だって……」
それは父親に植え付けられた思い。ボカロを好きなのは雑念だ、それは彼女の本心ではない。澪自身もそれに気付きつつあった。
「でもやってみて分かった。私、やっぱりボカロが大好きなんだ! 大大大好きなんだ!」
ずっと辿り着きたかった答え。澪はようやくそこへ辿り着いたのだ。
「……その気持ちを、私は裏切れない……!」
けど、その先、どうしたら良いのか分からない……。
父親をどうやって説得したら良いのか。
説得した所で自分は結局どうしたいのか。
それが分からない。
電研部に入部してこれからもボカロを続けて、ゆくゆくはプロを目指したい、何て思っているのか?
それともボカロをただ自由に聞ける環境が欲しいだけ?
分からない。答えが見えない。
恐らく自分の中には無い、何かが答えへのヒントになっているのだ。
だからきっと澪一人じゃ答えに辿り着けない。
(仕事を受けるか迷っていた私の心を後押してくれた茅ヶ崎先生)
(ボカロのおもしろさを教えてくれた親友、彩)
そして………………
「雨宮くん……貴方は今、何処で、何をしているのかしら――――…………」
澪をここまで引き上げてくれた一翔。
一翔が澪を素直にさせてくれたのだ。
一翔が、一翔が、一翔が。
「雨宮くんに会いたいよぉう…………」
澪の枕は涙でびしょびしょになっていた。
あまりの寂しさから雨宮との思い出を思い出したりしちゃう澪だった。
(最初に話したのは入学式の次の日。帰ろうとした私の腕を強引に引っ張って……それから意味不明な話してきて……ふふ、そういえば第一印象は最悪だった……)
それから…………、
「名刺…………」
そうだ、一翔は澪に強引に名刺を手渡したのだ。
澪はベッドから飛び降りると急いで鞄を漁って財布を取り出す。そこの一ポケットを名刺入れとして使っている。
「あった……!」
無駄にシックでカッコいいデザイン。カラーだし、紙の質も良い。何処にこだわってるんだか。
だけど――ムカついて捨てなかった過去の自分に感謝。
澪は携帯を取り出しそこに書かれた番号を急いで押す。
そして……、
『はいもしもし雨宮ですー』
「――ッ!」
雨宮くん!
澪は心中でそう叫ぶ。
あれ、……でもいざかけてみるとどんな事を話したら良いのか。
泣いてる私を慰めて下さい?
(いやいや、流石にあんな奴に格好悪い所みせたくない)
でもそれが本心だったりして。
(ばかばか! 慰めてなんて……!)
『あのーもしもし……?』
「…………」
何やってるんだ自分。
雨宮くんから教わった事、それは素直になる事じゃないか。
自分の音に、自分の心に素直になる事。
なら本心を告げた方が……
『もしかして、澪?』
「――――――ふぇっ!」
意外過ぎたその言葉に反応してしまう。
『……やっぱり』
「……どうして、分かったのよ…………」
『いや、そろそろかけてくるかなーと』
「……………………?」
『……いやすまん、こっちの話だ』
こっちは真剣だと云うのにそう言って鼻で笑うのだ。相変わらず意味の分からない男だ。
けど……、
「あの、貴方に一つお願いがあるのだけど……」
すると一翔は震える澪を包み込む様に、優しくこう言うのだ。
『何だよ、何でも聞くぜ?』
ばか……。
……こんな時だけ優しくなるのは、反則だ。
「……私を、慰めて下さい」
口をもごらせながらそう言ったから電話じゃ聞こえなかったかもと思ったが、
『……分かった。愚痴でも何でもいくらでも聞いてやるから、話したいだけ話せよ』
一翔はそう言って優しく笑うのだ。澪にはその笑顔が電話越しにも伝わって来た。
*
「そうなんです! それで私が悩んでる事があるって言ったらあの人何て言ったと思います!? 悩む事に時間を割くな、ですよ!? 貴方の正解が全て私に当てはまると思ったら大間違いなんですよっ!」
『あっはは! そりゃそうだ! それも澪の意見が正しいよ』
かれこれ電話をはじめて二時間程が経過した。
澪の身の上話から始まり、幼い頃から無理矢理てクラシック音楽をやらせられた話、中学の頃彩とそしてボカロと出会った話、そして先程の話。
色んな話をしたが……大半は父親に対する愚痴だった。
ずっと溜め込んでいたのだ。
練習付けの日々、毎日が受験生。そんな彼女に悩みを相談出来る友人などいなかった。
そんな中で自分と云うアイデンティティを保てる唯一は父親に認められる事だった。
だからすがりついた、しがみついた。
『澪はこれまで凄く頑張ったよ。お疲れ様』
「……雨宮くん…………。」
澪は涙を懸命に抑えようと目尻を抑えたり目頭を抑えたりしてみる。
なのに、
『……別に我慢しなくていいよ、涙。言いふらしたりしねーし』
(馬鹿…………それは反則だよ、雨宮くん…………)
「何それ…………。雨宮くんって、ちょっとズルいよね……」
澪はその言葉に甘えて、抑えていた涙を一気に爆発させた。少女は思いっき不細工に、不格好に泣いた。
洪水の様に頬を水が伝う。涙の筋が小さな川を創り出す。
だがそんな時、今度は一翔の方が衝撃的な事実を口にするのだった。
『澪、あのさ』
「うん……何?」
『レコーディングの事澪の父親にバラしたの俺なんだ』
「……………………はい?」
澪は全ての身体機能を停止させた。
ちょっと待って、一旦整理しよう、言葉の意味を考えよう。
レコーディング、それはあれですね一翔のボカロ曲のレコーディングですね、その事をバラしたのは、つまりそれは父親弦山にバラしたのは、俺、つまり雨宮一翔と。
「……電話切りますね。」
『ちょ、ちょちょちょっと待て!』
一翔は慌てて澪を引き止める。
「女の子を泣かせて慰めて…………さぞ気分が良かったでしょうね、雨宮一翔さん?」
『違うんだ! 俺の話を聞いてくれ!』
「ふぅーん、マトモな言い訳があるんですかー?」
口を尖らせてつーんと鼻を曲げた澪はぶっきらぼうにそう言う。
『澪があの時、俺の誘いをすぐに受け入れなかったのって何でだ?』
少し落ち着いたトーンで一翔がそう問う。
すると澪は少しだけ俯いて、
「……何となく、まだ腑に落ちない点があって…………」
それでそれが何なのか、考える時間が欲しかったのだ。だからもう少し待ってと言った。手を握り返さなかった。
『それの答えは…………父親と本気でぶつかり合う事じゃないか?』
「――――――ッ!?」
何故それを……。澪は薄々しか自分でも気付いていなかった事を言い当てられた衝撃から短く息を漏らした。
『澪が本当の意味で自分の心と向き合う為には、どの思いが自分の気持ちでどの思いが父親に植え付けられた感情なのか、自分の中ではっきりさせないといけない』
「……確かに、それはそうですが…………」
さらに一翔は間髪入れる言葉を紡ぐ。
『さっき父親に初めて反抗の言葉を言ってみてどんな気持ちだった?』
「……やっと素直になれた気がしたと云うか…………」
そうか、レコーディングの件をバラしたのが一翔だとするならば、そのきっかけを作ったのも一翔、と云う事だ。
まさか、そこまで計算して……?
『今までの澪は父親と面と向かってぶつかり合う事を避けて来てたんだ。もう逃げるな、澪。ぶつかり合う事から、逃げるな!』
「一翔…………」
そうだ。
一翔の言う通りだ。
何か引っかかっていたもの。
答えを出す為に必用だった最後のピース。
それは……父親と正面から向かい合う事だったんだ。
『この前のレコーディングの映像を動画サイトにアップしてあるから、そこのURLこれ切ったら澪のアドレスに送るよ。それ使って父親を説得すればきっと分かってくれる』
「……あれ録画もしてたんだ……」
そして一翔は少し間をあけてから、
『頑張れ澪! 俺達の新しい仲間っ!』
その言葉は澪の言葉に重く響いた。
「ありがとう、一翔……。私、頑張るから!」
彼女の言葉は、力強く、意志が籠っていた。
『おう! 澪の事、信じてるから!』
一翔の言葉も、一つ一つに強い気持ちが籠っていた。
『……で、澪のアドレス教えてくんね?』
「あ、ゴメン。」




