その1
「お会い出来て光栄です、黒崎弦山先生」
黒崎家の客間は本当に豪華絢爛だ。
壁、机、照明それらの全てに黄金の装飾が施されており、今座っている椅子や踏ん付けている絨毯の触り心地はまるで天使の吐息の様に優しく柔らかい。どうでもいいけれどどうしてお金持ちという人種は何でも金の装飾をつけたがるのだろう。
「俺も一度会ってみたかったのだよ……元・天才学生作曲家雨宮一翔くん」
わざとらしく元の部分を強調してそう言う。今は落ちぶれているとでも言いたいのだろうか。一翔は中学の頃はクラシックのジャンルで、今はボカロのジャンルで活躍している。別に落ちぶれた訳ではなくジャンル替えしただけなのだ。
「いやぁお恥ずかしい。私も娘の澪さんにはいつもお世話になっております」
「ほう、娘の知り合いでしたか。恥ずかしながら、娘と学校の話はあまりしないものでして」
だろうな。一翔は心中でそう呟いた。
彩から話を聞いた後――彩と澪の出会い、そして澪の家庭環境の話を――一翔は独自に調べを重ねた。そして掴んだ情報の中には自らの跡取りを澪に指名し、文字を覚えるよりもずっと前の幼い頃から英才教育を澪に叩き込み続けたと言う。それから徹底的にコンクールに挑戦させ続け、今日までエリート街道まっしぐら。一歩もそれる事無く完璧な音楽少女を創り出す事に成功しているとの事。
ちなみにこのソースは雑誌の記事なのだが、これをさも素晴らしい事の様に書いているのが少し不思議だ。確かに凄い事ではあるし弦山の娘だからこそ可能な事であり相当な努力の賜物だとも思う。
だがそれは一方で娘の将来を摘んでいる事にもならないか、と考えはしないだろうか。
「今日はこれを娘さんに渡しに来たのですが……いやぁ外出中とは」
「すみません、毎週木曜はオーケストラの勉強に行かせているものですから。」
と、一翔は言ったがこれは実は演技。
(ま、それを知った上で来たんだけどね)
そう、今日一翔は――澪がいない、しかし弦山は家にいる時間帯をわざと狙って黒崎家を訪れたのだ。
一つの任務を遂行する為に…………。
「そうでしたか……では、こちらの品を帰って来たら娘さんに渡して頂いても構いませんでしょうか?」
そう言って一翔は白い紙袋を弦山へ差し出す。
「これは…………CDと楽譜ですか」
そう言いながら中身をひとつずつ丁寧に確認して行く弦山。
もし一翔が彼氏とかだったりしても同じ事をしそうだ。娘に渡して欲しいと言った物の中身を躊躇なく見るこの男……仮にも年頃の娘だと云うのに。
(だが今回はそれでいい)
そう、今回の作戦は弦山に中身を見てもらわないと始まらないのだ。
「はい! 先日録音したボカロ曲です。澪さんにはピアノ担当で参加してもらいました。製品完成したんで持って来たんですー!」
「…………今なんと?」
一翔はにやりと口元を緩ませた。
(予想的中、っと)
――やはり、澪はこの前のレコーディングの件を父親に相談していない。
「私の作曲しました新作ボカロ曲のレコーディングを澪さんに依頼したんですよ! もしかして話聞いていませんでしたか?」
「……はい、全く。」
雪男の様な大柄な男、弦山はその図体に似合わず顎に手をやって物思いにふけった。
「あららーひょっとして澪さんに悪いことしちゃったかなぁー」
頭をぽりぽりわざとらしくそんなことを言う一翔。
「ま、とりあえずそちら一式澪さんに渡しておいて頂けますか?」
「……分かりました。」
図太い低音でそう答えた。……だが先程までの威圧的な視線が今はない。
こんな男でも嘘をつく時には視線に乱れが出るんだな。恐らく弦山がこれらを澪に渡す事は無いだろう。
――弦山は娘がクラシック以外の音楽に触れる事を極端に嫌っているのだから。
一翔は出されたアールグレイをくいっと一気に飲み干すと、
「じゃ、私の用事は以上ですので! 今日はお邪魔しました〜」
そう言って足早にその場を立ち去った。
部屋に一人残った弦山は楽譜をぱらぱらと捲りながら音符に目を落とした。険しい表情。案の定あまり快く思っていない――――いや、かなりご立腹の様子。
「こんな貧相な音楽を……澪が?」
*
「……お父様」
街灯の光が薄暗い住宅街を照らす午後十時半。
帰宅直後の澪は家に入るなり明らかな違和感を覚えた。父が自分の帰りを待っていたのだ。卒業式の日も、高校に受かった日も、コンクールで一位を取った日でさえも。今まで一度たりともそんな事は無かったのに。
「……澪、話がある。練習室に直ぐ来なさい。」
「……は、はい。」
突然の通達に状況を飲み込めなかった澪だが、取りあえずそう答えた。はて、何だろうか。思い当たる節は彼女に無い。
何かしたのか、と記憶を辿りながら、かかとに人差し指を差し込んでローファーを脱ぎ家へ上がる。そして木曜はこの時間まで夕飯が食べられないから少しお腹がすいているのに、早く終わるといいな、なんて気楽な事を考えながら地下の練習室へ降りて行く。
分厚い防音扉の前に立つとこんこんと二度ノックし、
「失礼します」
がちゃりと扉を開けて室内へ。
ピアノの前に置かれた小さな机と椅子。
そこへ座した弦山の前に置かれているのは――――――
「それはっ!?」
ある筈のない物を見た澪は驚嘆した。
「ああ、そうだ。お前がレコーディングに参加したボカロ曲のCDと楽譜。その反応、どうやら本当なようだな。」
「どうしてお父様がそれを……!」
澪だって製品はまだ見た事がない物だ。何故それをいち早く父が持っているのだろう。澪の脳は混乱していた。
「今はそんな事はどうでもいい。問題なのはどうして俺に黙ってこんな事をしたのか、と云う事だ」
「そ、それは…………」
初めてした父への反抗。それがこんなにも簡単にバレてしまうとは彼女自身も予想していなかっただろう。澪は俯いて歯ぎしりした。
「俺は言ったよな? ボカロの様な低俗で貧相な音楽をやる必用は今のお前には無い、と」
「………………」
何でこのタイミングで。澪は丁度今、その事について悩んでいるときだったのだ。
『俺達と一緒に音楽をやろう』
あの日、レコーディングの後、一翔にそう言われたけど澪は答えられなかった。その答えを出す為に必用な『何か』が彼女の中に無いのか、或はあるのに気付いていないのか。
(……あと少しで……自分の答えを出せそうだったのに……どうして今!)
澪は下唇を噛みしめた。
「……澪、説明しなさい」
「……………………」
澪は父の威圧に言葉をひねり出す事が出来なかった。
そんな彼女の様子を見て、
「まあ、百歩譲ってこれは許そう。だがこれ以上こんな活動はするな。今ここで、もうボカロには関わらない、と約束するならばこの件は全て不問とする」
「今、ここでッ!?」
澪は驚愕した。
それは…………やりたくない。やってしまいたくない。まだ答えを出せないのに、曖昧なまま答えは出したくない。
「……もし嫌だ、と言ったらどうなりますか?」
恐る恐るそう問う。
「荷物をまとめて今直ぐこの家を出るだけだ。やる気の無い人間に高いお金を払って音楽をやらせる必用はない」
弦山の無慈悲な言葉が鉄槌となって澪の心にのしかかった。
……ああ、そうですか。黒崎弦山の娘には――音楽家以外の選択肢は用意されていないらしい。
ならば仕方が無い。
澪は嘘をつくなと教育されてきた彼女らしく、素直な心中をさらけ出すことにした。
「その答えは今出す事は出来ません。もう少し考える時間を――――」
「どういうことだ。これは何か事情があって仕方なくやった仕事ではないのか?」
「それは! …………確かにそうですが……。」
中々厳しい所をついてくる。確かにそうなんだ。そうなのだけれど……。
「後一週間だけ考えさせては頂けませんか?」
「ダメだ。そんな雑念に費やす時間の猶予がお前にあるとでも?」
――苛立ち。
何故私の言葉を聞いてくれないのか。
流石の澪にもそんな感情が芽生えてくる。
「では三日だけでも……」
「時間の問題ではない。考える事に時間を割くな、と言っているのだ」
――憤怒。
何故。
自分が全て正しいとでも思っているのだろうか。
澪は決死の思いで訴える。
「……実は少しその事で悩んでいる事があって……だから、せめて答えを出すまでに少しだけも、時間を頂けないでしょうか?」
「何度も言わせるな。悩む事に時間を割くな。答えは既に見えているのだから。」
――それは、貴様の答えだろう。
その時――――、
澪の中で、何かが吹っ切れた。
「お父様は何も知らない! 私の事も! ボカロ事のも! 音楽の事でさえも! 何で知ろうとして下さらないのです!? 何で私に興味を持って下さらないのです!? 私は…………私はっ!」
初めてだった。
生まれて初めて澪は父親を否定した。どんな事があっても絶対服従して来た父親に、自分の意志で、否定した。
それに驚いたのは澪自身もそうだが、弦山もだった。
初めて耳にする声を荒らげる娘の姿に弦山は驚きの表情のまま静止した。
「――――――ッ!」
涙目の澪は走ってその場を立ち去った。




