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第32話 嵐の中の奇跡

○宮城県 沿岸部 市街地


『津波がきます、避難して下さい』


 役所からのアナウンスがあちこちから流れる中、高台へと走る市民の後ろで俺は一人の少女の体を抱えて走っている。


「お兄ちゃん......」

「大丈夫、まだ大丈夫だよ」


 この日、俺の所属する部隊は沿岸部で訓練に励んでいたが突然の地震によって状況は一変してしまう。 地震が収まった後、海岸線の波が一気に引いたことにより巨大な津波が来ることを実感した俺達はすぐさま訓練を中止し、車両隊は付近の病院や小学校に向かい、残った俺達は各自で付近の住民達を高台へと避難させるために誘導していた。 この少女はそんな中で母親とはぐれ、一人さまよっていたところを保護していたのだが、突然流れた津波アナウンスに気付いて海の方へ振り返ると目の前に津波が迫っていることに気付き、こうして少女の体を背負って逃げているわけだ。


『早く逃げて下さい!! 早く......』


 その言葉を最後にアナウンスは途切れ、聞こえなくなる。 どうやらアナウンスを流した役所も津波の被害を受けてしまったのかもしれん、最早沿岸部に安全なところはどこにもないな。

 津波が迫り来る中、俺の横に荷台に人を満載にした一台の軽トラックが通り過ぎる。


「チャンスだ、あれに乗せてもらおう」


 俺は一縷の望みをかけてその車に向かって全力疾走で走る。


「もうこれ以上は無理よ!!」


 荷台で叫ぶ女性がいたが、俺の背中に小さな女の子がいたことに気付く。


「この子だけでも頼む!!」

「あなたは?」


 最後の力を振り絞り、彼女に女の子を預けるもそのままバランスを崩してしまい、地面に転んでしまう。 


「俺は大丈夫です!!」 

「お兄ちゃん!?」


 目の前を走り去る車を見送った後、振り返ると目の前に黒いカーテンのような濁流が迫っていた。


「やっぱ無理かも......」


 その言葉と同時に俺の体は冷たい波の中にさらわれ、濁流の中に飲み込まれてしまう。

 急速に体温が奪われる感覚と瓦礫にぶつかり合う中、俺の意識は徐々に遠のいていき朦朧としてしまう。 思えば生まれてこのかた良いことなんてあんまりなかったな。

 祖母が亡くなって以降、俺には身内もいないし愛すべき家族や恋人もいない。 最後に少女の命を救っただけ良しとするかな。

 俺はこのまま人生を終えようとしていたが、思わぬ人物の手によって俺の体は引き上げられてしまう。


「私の部下である限り死ぬんじゃない!!」


 彼女はそう言うと俺の体を筏の上へと引き上げる。


「はあ、はあ、折原1士、まだ私達にはやることがあるのよ!!」

「ゴホッゴホッ、水神2曹...ありがとうございます」


 俺の目の前には背中を瓦礫にぶつけられた影響で迷彩服越しに血をにじませつつも力強く叫ぶ上官の姿があった。


「まだ救助を待っている人がいるからこのまま行くわよ」

「水神2曹、背中を怪我してるんじゃ」

「こんなの唾付けときゃ治るわよ!!」


 怪我をしたにも関わらず、奇跡的に救助された俺は彼女の指揮の元で多くの市民の救出に成功し、後にそのことが世間から高い評価を受けることになる。



「んー、こ、ここは......」


 夢の中で懐かしい思い出を体験していた俺であったが、体を激しく揺さぶられる感覚に襲われた影響でゆっくりと瞼を開く。 


「目覚めたか? 心配したぞ」

「アミ、お、お前運転してるのか?」


 気が付くと俺はトラックの助手席に座らされており、運転席の方ではアミがハンドルを握っている。

 俺の腹部には包帯が巻いてあり、傷口を確認してみると傷跡と共に治療された痕跡があった。


「あの時、サオリさんの体をした娘に刺されたはず」

「私が助け出してエルシャに治療させたんだ」

「...そうか、有り難う」


 俺の言葉にアミは一瞬だけ顔を赤くしつつも口を開く。


「わ、私はただお前の体を持ち上げただけだ。 フィリア達にも感謝しろよ、エルシャの魔法じゃ流れ出た血を補充することができないからってあいつ、闇魔法を使って弟と一緒に自分達の血をお前の体内に入れたんだぞ」

「...おい、待てよ!! あいつ等の血液型も分かんねえのにそんな危ないことをしやがったのか!?」

「エルシャに以前輸血の話をしたんだってな? あいつ、水晶眼の力とお前の話をヒントに独自に血液型の判別方法を編み出してたらしい。 あいつの話だと自分はAB型、フィリアはO型、ニヒルはA型だから大丈夫だって言ってたぞ」

「なるほど、俺の血液型はA型だけど同じ血液のニヒルやO型のフィリアなら確かに問題ないかもしれないな」

「因みに私はB型だった」

「...お前マイペースなとこあるもんな」

「うるさい!!」


 エルシャの奴、以前俺が衛生科の同僚から面白半分に聞いた知識を元にして独自の判別法を生み出していたとは。

 一般的に用いられるABO式血液型の判断基準という物は、簡単に言うとAとBと呼ばれる二つの物質によって決められる。 A型にはAという物質があり、B型にはBという物質がありAB型は両方持っており、逆にO型は両方持っていない。

 更に説明するならそれぞれの血液型の人には血液(血漿)の中に自分にはない物質と反応する「抗体」という物があり、A型の人には自分には無いBに反応するB抗体があり、B型の人にはAに反応するA抗体があり、AB型の人には両方無く、O型の人はこの両方を備えているということだ。

 注意しなくてはならないのはAとBの物質は赤血球の表面にあるのに反してA抗体とB抗体は血漿中に存在していることであり、異なる血液型の人に輸血してしまうと体内の抗体により輸血した血液に対する赤血球破壊が生じてしまうのだ。

 しかし、AやBの物質を持たないO型のみはそのような抗体の反応がないために赤血球破壊が生じないと言われている。

 血液型の診断にもこの現象が利用されており、新しい研究の名目でエルシャは何度か俺達の血液を抜いていたことから俺の知らぬうちにある程度目星を立てていたのであろう。


「にしてもあいつ、俺を実験材料にしやがって」

「助かったから良いじゃないか」


 O型の人が全ての人に輸血できる理屈ってのは実は不適合輸血(前述の異なる血液型に輸血すること)の症例においてO型の血液のみ死亡例がゼロだったが故に言われていることだ。

 現在ではRH式つうのも考慮されているから下手な知識で治療を行うのは勘弁してほしい。

 例外的には母児間のABO式血液型不適合による「新生児溶血性疾患」という場合にO型の血液が利用されているってくらいだろう(因みに溶血とは赤血球破壊のこと)。

 治療をしたのが原因で亡くなるって話は勘弁してほしい。


「傷口を水だけで流して治癒魔法をかけたのには驚いたがな」

「異物や壊死組織さえ無ければ細菌がいくらいても問題ないらしいからな。 逆に薬をぶっかけて消毒してしまうと治癒しようとしている細胞を殺してしまうし」


 事実、現在多くの外科手術の現場においては縫合前後の消毒は実施されていないという。 また、火傷の応急処置においても冷やす他には水や医療用の液体で洗い流した後、傷口からの感染症予防に医療用のラップや包帯などでくるむという方法があり、出会ったときに怪我をしていたフィリアもそうやって治療したわけだ。 

 しかしながら、正直言って施設科出身の俺のにわか知識でここまで治療法を編み出してしまったエルシャの力には恐れ入る。 彼女とフィリア、ニヒルがいなければ俺は間違いなくあの世行きだったな。


「3人ともお前を治療するのに力を使い果たしてしまって今は死んだように荷台で眠っているよ」

「......頼りになる仲間達だ」


 荷台で3人並んで眠っている姿を見つつ俺は再び傷口を眺めてしまう。

 輸血の歴史は古く、17世紀には動物実験によって大まかな効果などが研究され始めたが、人体に対する実験においての死亡例や宗教上の理由も相まって禁止された歴史もあったが、20世紀が始まってまもなくして現在のABO式血液型の存在が発見されたことにより、大きく躍進することになる。

 因みに2.26事件で重傷を負った鈴木貫太郎氏(終戦時の総理大臣、本土決戦防いだ人物)は当時は新機軸であった輸血法によって命拾いしている(本人はまるで神秘的な力であったと述解している)。

 ペニシリンの発見と麻酔の発明、そしてこの輸血方法の確立によって20世紀の医療は大きく躍進し、世界人口の増加に大きく貢献したと言われている(そこは某医療マンガでも大きく取り上げられている)。


「エルシャの奴、そのうち医療の神様として崇められちまうかもな」

「暢気なことを言ってないで後ろを見て見ろ」


 窓から体を出して後方を見てみると、大地を覆い尽くすような勢いで移動している魔物達の姿があり、事態は最悪な展開になっていることが伺える。


「俺のせいで済まない」

「仕方がないさ、私もチズを倒せなかったんだしな」


 アミはそう言いながらダッシュボードを開けて煙草を取り出す。


「おい、最後のとっておきとして残していた煙草を勝手に吸うな!!」

「禁煙しろ」


 彼女はそう言いながら煙草に火をつけて煙を吸い込む。


「ふう、良い煙草だ。 これしか残っていないのが名残惜しいがな」


 実はフィリアとエルシャは大の煙草嫌いであったため愛煙家であった俺は彼女達にばれないようにこっそり吸っていた。 意外にもアミは以前から愛煙家であったためにこの件に関して理解があり、俺達は大きな依頼を成し遂げる度に一本の煙草を交互に吸いながらお互いのことを語り合っていたのである。


「お前の持ってきた煙草は最高だよ」

「まだ仕事が終わってもないのに吸いやがって」

「いいじゃないか、助けてやったんだし。 しかし、それはそうとこの車の椅子は尻が痒くなりやすいな」

「ああ、お前の尻尾が変なとこに当たるんだろ? 今度尻尾の位置にあわせて穴を開けてやるよ」

「う、うるさい!!」

「へぎゃ!?」


 アミから強烈なパンチを食らって俺は助手席のドアのガラスに頭を打ち付けてしまう。


「変なこと考えてないで早く戦う準備をしろ、戦はまだ終わってないんだからな」

「はい.......」


 俺達の運転する車はシュミット達の合流を目指し、ラクロアの首都シティの北東に位置する都市べレヌスへと向かっていた。



○シティ 東北門 


「まさかこれほどの規模とは」


 門の上に設置された望遠鏡で眺める視線の先には、シティの北東に位置する都市であるべレヌスに迫る魔物の群の姿があった。 余りにも数が多かったために草原であった地面の姿が見えにくく、パッと見ただけでも魔物が7、地面が3といった割合であった。

 シティには統一王朝時代の名残で周囲を均等に囲む4つの2万人規模の都市があり、それぞれ統一王朝時代における4大国の初代領主の名が付けられている。

 現在でこそ4大国それぞれの国民の通商拠点として利用され、その都市の向きに応じた各国の有力商人の拠点が置かれているこれらの都市も元々は統一王朝時代における首都防衛を補佐するための要塞であり、シティより規模は劣るものの都市全体が城壁で覆われている。 

 また、その周囲には農業や漁業を生業とする人々の暮らす村が点在しており、上空から見ると首都であるシティを中心とし、周囲を形成する4つの城塞都市によって大陸随一の巨大都市を形成していることが伺える。


「数が多すぎてこちらの戦力では対応できん!!」


 傍らにいる傭兵ギルド会長が苦言を漏らす。 元々この国には条約によって軍隊を持つことができず、魔物の襲撃や盗賊の対応などといったことに関しては傭兵ギルドがかき集めた傭兵達によって賄われ、都市の中の治安に関してはそれぞれの地区に応じた自警団で対応していた。

 しかしながら今回の魔物襲撃の件に関しては明らかに人手不足であった。


「せめて他のギルドの協力があれば対応できたのじゃが......」

「そんな......今まであいつの言うとおりにすれば全て上手くいったのに!!」


 あまりの光景にゴラーダの顔から血の気が一気に引いていき、言葉を失ってしまう。

 今回の計画のために工房ギルドには総督の名で南にある湖の河川工事に向かわせており、冒険者ギルドには湖から現れる魔物(もちろんでっち上げだが)に対処するよう伝えてあったため、実質的な戦力は商事ギルド内の自警団(ゴラーダの子飼い)と傭兵ギルドのみであった。


「エルザはどこに行った!?」


 ゴラーダはこの計画を進めるよう指示したサオリのことの名前を口にするも傍らにいる部下は「見ていません」の一点張りであった。


「どうやら儂はお主の口車に乗ったが故にとんでもないことをしてしまったのかもしれんな」

「く、くそ、こんなことになるなんて......あいつだ、あいつが悪いんだ......」


 混乱の余り訳の分からぬことを呟くゴラータであったが、この後来た部下からの報告で更に混乱することになる。


「スラムで反乱が起きました!!」

「何!?」

「外に取り残されることを知った連中の呼びかけで隠し持っていた武器を持って一斉に東門に迫ってきております」

「どこから漏れたんだ!!」

「分かりません!!」


 ゴラータが東門に視線を移すと、それぞれの武器を手に街の中に入ろうとするスラムの住人達の姿があった。


「奴らを入れるな、街が荒らされてしまう!!」

「それが、先頭に立っている連中がかなりの腕利きでして、自警団だけでは対応できません」

「何だと......」


 この街には大通りに通じる4つの巨大な門の他に、各地区に直接物資を搬入するための業務用の門があり、普段は物資の搬入時以外開けられることがなかったため、ゴラーダのいる北東門と比べて戦力は手薄であった。

 因みにスラムの人々の先頭に立つのはかつて復讐連隊の一員であり、チズ達の元を離れた二人の亜人である。 


「おらあ!! この程度では俺は倒せんぞ!!」

「あたい達のコンビネーションは最強だわさ」


 スラムの人間を押しとどめようとする自警団員達に恐れることなく、トールとキャムは次々とそれらをなぎ払っていき、門の前へと迫る。


「弓隊が出てきたぞ!!」

「盾隊前へ!!」


 門の上に弓隊の姿を見たキャムはスラムの人々に合図を送り、バラックを崩して作った盾を持つ若者達が前に出たかと思うと味方の盾となるべく瞬時に密集して固まる。 放たれた弓は盾や地面に命中していき、大きな成果は上げていない。


「うおおおおお!!」


 弓が尽きた隙を見逃さずトールは仲間が用意した鎖を手にし、その先にある大きな鉄球をかけ声と共に大きく振り回して門の上に陣取る弓隊に投げつける。


「「「ぎゃあああ!?」」」


 ガリガリと門の上部を削る鉄球の凄まじい破壊力によってそこにいた弓隊はなぎ払われていき、地面に真っ逆さまに落ちてしまう。


「今だわさ!!」


 城壁にいる他の自警団員の隙が生まれたのを見計らい、キャムはスラムの住民が用意した長槍を使い、棒高跳びの要領で地面に垂直に立てたかと思うと先端に足を乗せて大きく飛び上がる。 魔物の侵入を寄せ付けない高い城壁であったが、全ての種族の中で最も高い跳躍力を持つ兎族であるキャムにとっては問題ではなく、彼女は城壁の上に着地すると共に陣取っていた自警団員達を凪ぎ払いながら門の内側に侵入し、門にかけられていた鉄製のかんぬきをたたき落とす。


「このまま街の中に避難するぞ!!」


 門が開かれたのを合図にスラムの住民達は一斉に東地区の中へと侵入し始め、付近にいた自警団員達はあまりの光景に恐れおののき一斉に逃げ出してしまう。


「何てことだ......」

「どの道奴らは避難するために入ってきたんじゃ。 ここはほっといて街の防衛に努めたらどうかな?」

「逃げないと......」


 ゴラーダは傭兵ギルド会長の言葉にも聞く耳を貸さず、そのまま部下と一緒に見張り台から離れてしまう。


「やれやれ、利権を目当てに組んだものの所詮は小物じゃったな」


 会長はそう言いながらべレヌスの方へと視線を移す。

 魔物の襲撃によって今まさに消滅しようとした街であったが次の瞬間、甲高い音と共に街の周囲を取り囲んでいた魔物達が一斉に倒れ込んでしまう。


「あ、あれは.....」

「ほほう、どうやら奇跡というものが起きたようじゃの」


 配置に付いていた傭兵達が驚く中、会長は一人べレヌスで起きた光景を興味深く眺めている。

 

 これこそヒロト達の反撃の雄叫びであった。

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