第19話 害獣退治
○イーストノウスへと向かう川船
自由都市国家ラクロアの首都シティの南には巨大な湖「レイク」があり、その湖から東と南に向かって海にまで伸びる二本の大きな川がイーストサウスの国境線を形成している。
ラクロアからイーストサウスへと向かうにはこの湖から東に向かって伸びる川「フルーメン」を利用する連絡船に乗り込むことが一般的である。
この日、川の流れを利用してイーストサウスの首都「タラサ」へと向かうこの連絡船の舳先において黙って行先を見つめる一人の女の姿があった。
「アミさん」
「リリアか」
先程から全く声を発せずに外を眺めていたアミの身を案じてか後ろからリリアが声をかける。 彼女の隣にはカルラの姿もあり、二人はこれからの旅先の仲間であるアミのことが気になってしまったのである。
「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「どうした?」
「アミさんはヒロトさんと同じチームにいたんですよね」
「そうだが」
「宜しかったらそのことについて話して頂けませんか」
「...何を突然言い出すかと思えば」
「あ、その...言いたくなければ構わないです。 ちょっと気になったので」
「構わないさ」
アミはそう答えると二人に船上に設置されたベンチに座ることを勧め、自らは向かい合う形で船縁に腰を当てて腕を組む。 日頃は口数が少なく、近寄りがたい印象がある彼女であったが、今までの接触からリリアとカルラは彼女のこの行為は信頼する相手にだけ見せる態度であることは分かっていた。
「あの色ボケ男のことをどこから話せばいいかな?」
「で、出会った頃からでお願いします!!」
唇の端を噛み締め、目を細めるアミに対しリリアは恐縮しつつも口を開く。 ヒロトとヴァンパイアとの一戦以降、中々目覚めないヒロトの身を案じて献身的に介抱していたフィリア達と違い、彼女は時間が空けば何かにとり憑かれるが如くずっと一人で剣を振るい続けていたのである。
その姿は正に自身の不甲斐なさのためにヒロトを巻き込んでしまったことに対する彼女なりの後悔の形であり、その姿を見ていたリリアは彼女に対し、奇妙な親近感を抱いたのである。
だからこそ無礼を承知でヒロトとの経緯を訪ねたのである。
「そうか、あれは今からちょうど3年前の話になるな」
リリアの思いとは裏腹に、アミはこれからの旅の仲間のために懐かしい思い出を話し始める。
○3年前 イーストノウス国内 とある農村
どこにでもある一般的なこの農村は近年、度々現れる巨大な猪の存在に頭を悩ませていた。 戦争の影響で多くの男手を失い、女性や年寄り、子供だけで細々と畑を耕していたため集団で現れるこの獣に対する有効な対策を取ることが出来ず、為すがままに蹂躙されようとしている。
村長は領主に相談を持ちかけるも腐敗にまみれた彼の口から出た言葉は「村の若い女と子供を全て我が元へ献上すれば考えよう」という返事が返されただけであり、最早見捨てられたことが明白であった。
追い詰められた村長は苦肉の策として私財を投げうち、冒険者ギルドにこの凶暴な獣の討伐依頼を出すことにする。
しかし、彼の目の前に現れたのは若い女性と二人の子供を引き連れた青年の姿であった。
「すまんがこれだけの人数であの凶暴なウォーピッグを倒すつもりかね?」
危険度が高い割には依頼金額が低かったため、2ヶ月近く誰からも相手にされなかったため諦めかけていた上、突然村を訪れたヒロト達の姿を見て村長は心細く感じたために思わず言葉を漏らしてしまう。
この世界でウォーピッグと呼ばれるこの家畜は「イーストノウス戦争」においてウエストサウス軍が食用として同行させていた豚が逃げ出して野生化し、野生の猪と交配したことによって生まれた交配種であり、猪以上に巨大で凶暴な性格であったために魔物以上に厄介な生き物である。
地球においてもこの交配種は世界各地で大きな問題となっており、銃を持ったハンターでも倒すことが難しいとされる危険な獣である。
「あいつらは群れで行動する上、頭も良い。 お主らの手に負える相手ではないぞ」
「大丈夫です、狩りは得意なので」
ヒロト達の身を案じて声をかける村長であったが、ヒロトはニヤリと笑みを見せて作戦の内容を説明するのであった。
三日後......
ドドドドドドドドド
体長3m近い巨体とは思えぬ足取りで30頭近い群れを形成するウォーピッグ達は収穫時となった畑の穀物や野菜を目当てに駆け抜けている。 先頭には群れのボスであろうか、5m近い巨大な体と鋭い牙を持つオスの姿も見受けられる。
奴は目当ての畑を見つけ、立ち止まると同時に「ブギャア!!」と吠え、他の仲間達を先行させて突撃させる。 凄まじい地響きとともに畑へと突っ込んでいく獣達。 この最後の畑を蹂躙されれば最早村人達は領主の思惑通りに奴隷身分に身を落とすしか手段がなくなってしまう。
村にとって絶望の光景が繰り広げられようとしている。 しかし、ボスの予想を裏切る形で目標の畑を目前にして先頭を走る獣達の姿が一瞬で消えてしまう光景が発生してしまう。
「ブギャア!?」
ボスは何があったのか分からず、ゆっくりと畑に近づいてみる。 すると目の前には幅5m、深さ4m近くの直角に削られた堀の中に落とされ、身動きの取れなくなっていた仲間の姿があった。
「あとはお前だけだな」
「ブルルル」
ボスが振り返った先にはヒロトの姿があり、この堀こそ彼が対戦車壕を参考にして魔法の力で作った罠であった。 深く掘った上、丁寧にも側面はよじ登ることができないようにレンガのように固めてあったため、堀の底では悲しく鳴き声を上げる群れの姿があった。
仲間達の悲しみの声を耳に受けてかボスはヒロトを目の前にしても怖じ気付くことなく、突進してくる。
「リーダーとしては立派な心意気だけど愚かだね」
ヒロトはそう呟くと同時にドライバーを地面に刺し、魔法をかける。 その瞬間、彼とボスとの間に巨大な土壁が現れ、ボスはその壁に激突すると同時に頭を強く打ってそのまま目を回して倒れてしまう。
「猪突猛進とは正にこのことだね」
依頼をクリアし、得意気に呟くヒロト。 これにより、今まで村を脅かしていたウォーピッグの驚異は消え去るのであった。
その日の夜......
堀の底に残された獣達がピーピー泣く声が聞こえる中、村の中央の広場においてボスであったウォーピッグの肉を肴にした宴会が催されている。
村人達は滅多に口にできない肉の味を堪能しつつ、ヒロト達に感謝の言葉を伝え、祭りで披露される華やかな演目や音楽を奏でるとともに、各家々から持ち込まれた上質な酒を献上(エルシャが要求した)し、村に戻った平穏な生活に思いを馳せていた。
「いやはや、本当にありがとうございます。 これでこの村は救われます」
上座に座るヒロトの盃に酒を注ぐ村長。 出会った頃と違い、彼の顔は満面の笑みで満ちており、傍らでは夢中で肉にかじりつくフィリアとニヒル、上質な酒を味わってほろ酔い気分になるエルシャの姿もあった。
「ニャンて美味い肉ニャ!!」
「この肉は味が良く、近年は高級料理にも使われておりますが何せ凶暴な生き物なので並の猟師では太刀打ちできんのです」
「これからはこの堀を利用して上手く繁殖すると良いよ」
「恐れ入ります、なんとお礼を言っていいのやら......」
ヒロトの言葉に村長の目からは涙がこぼれ落ちる。 村を救ってくれただけでなく、新たな産業の下地を作ってくれたヒロトの行為に彼の心は感謝の気持ちで一杯であった。
「このままでは私の気持ちが収まりません。 追加でお礼をさせて頂きたいのですが......」
「依頼金額だけでいいよ。 見た感じ、あの金額で精一杯でしょ?」
「はい、ですから私共は感謝の印としてこの者をあなたの元へと献上しようと考えております」
村長の声を合図に、村人達の中から一人の女の姿が現れる。 フィリアよりも少し身長が高く、胸は普通、他の村人と同じようにやせ細っており、袖なしのベストと長いスカートと灰色のエプロンを着て頭にスカーフを巻いているどこにでもいそうな村娘であった。
「献上!?」
村長の言葉に対し、ヒロトは思わず目を白黒させてしまう。 この世界に奴隷制度が存在し、持ち主とのあいだで金銭的に売買されることはフィリア達から教えられていたが、まさか特別ボーナスで渡されるとは夢にも思わなかったのである。
「ニャ!?」
「あら」
「えええ!?」
ヒロトだけでなく、先程まで宴席を楽しんでいたフィリア達もまた驚いてしまう。 しかし、そんな一同を目にしつつも村長は更に口を開く。
「彼女は4年前、道端で行き倒れていたのを私共で保護したのですが記憶を失っておりまして仕方なく私が養女として引き取り、育てておりました。 もし、今回の依頼を誰も受けないようでしたらこの者を売って依頼金の増額を考えておったところです」
「ちょ、えと......」
「これは彼女自身が持ち出した話です。 今回のあなた様の活躍は明らかに依頼金額とは釣合いません。 このままではギルドの方から怒られるので受け取って頂けませんか」
強引に特別ボーナスを渡そうとする村長であったが、ヒロトは困り果ててしまい、傍らにいるフィリア達と相談してみることにする。
「どうしようか」
「断りにくい空気ですね」
「確かに今回の依頼の成果を考えるとこうでもしないと釣り合わニャいわね」
「仕方がないんじゃない」
ゴニョゴニョとあーでもない、こーでもないと意見を出し合う一同であったが、そんな光景を見かねてか村長の傍にいた娘の口から一つの提案が出される。
「近くの街で私を売るというのはどうでしょうか?」
「「「え!?」」」
思わぬ言葉に一同は一瞬で娘の方に釘づけになってしまう。
「あなた達と行動を共にしても足手まといになるのは目に見えています。 なら依頼完了の報告をした街で私を売ればそのまま現金収入になる筈です。 私は命を助けてくれたこの村のために命を投げうつ覚悟は既に出来ております」
その言葉に対し、一同は何も反論ができず、呆然とするしかない。
「決まりですな、あなた様のような方にもらって頂けるなら私も安心です」
「ふつつか者ですが宜しくお願いします」
深々と頭を下げる村長達に対し、ヒロトは首を縦に降るしかなかった。
数日後......
依頼達成の報告をするためにヒロトは仲間達と共に冒険者ギルドの建物に入る。
「もう依頼を達成したのか!?」
証拠品であるウォーピッグの牙を眺めつつ担当の職員は口を開く。
冒険者ギルドに所属する会員は大きく分けてS、A、B、C、D、Eの6段階に分かれており、結成から僅か3ヶ月ほどであり、雑用が中心で草刈や野生動物の駆除などを手がけていたヒロト達のチーム「キャッツハンド」の現在のランクはDである。
ギルドに出される依頼は全て推奨ランクという物があり、基本的にどのランクにいても全ての依頼を受けることが可能なのだが、多くの会員達は基本的に命の危険の薄いCランク以下の依頼しか受けないようにしている。
会員のランクを決めるのも冒険者ギルドの役割であり、Aランク以上になれば貴族並みの身分として扱われるのだが、その分危険度の高い依頼を何度も受けなければならないため、その人数はかなり少ないのが現状である。
「Aランクの依頼をこんな短時間で達成するなんて聞いたことがないぞ」
「運が良かったのさ」
「出会った頃から只者でないことは感じていたが、まさかお前さんがこんなに強かったなんて思わなかったよ」
チーム結成時からの付き合いのある無精髭を生やした担当者はヒロトの活躍ぶりに言葉を漏らす。
元冒険者でありながら、面倒見が良く、鋭い人間観察力を持つことで定評のあるこの担当者からしても最近のヒロト達の活躍ぶりには目を張るところがあった。
「上に掛け合ってお前さんのランクを上げるように頼んでやるよ」
「頼んだぜジョーンズ」
「だから俺の名前はジュニアって言ったろうが!!」
「だって子供っぽくてダサいじゃないか」
「親父からもらった大切な名前を馬鹿にするな」
ヒロトにからかわれながらもジョーンズと呼ばれた男は報酬の詰まった袋をヒロトに渡す。 ヒロトはその袋を隣にいるフィリアに渡すと彼女は目をキラキラさせながらエルシャ達のいるテーブル席に向かい、袋の中を開けて金額を確認し始める。
「それはそうと、そこにいる農家の娘は何者だ?」
「特別ボーナス」
「へ!?」
「まあ、ちょっと困ったことが発生してね」
ヒロトはこれまでの経緯をジョーンズに話す。
「ふむ、それはしょうがないかもしれん。 今回の依頼は危険度の割には金額がかなり低かったしな」
「どうしようか?」
「そりゃあ、その娘の言うとおりにするしかないんじゃないか?」
「人身売買は俺のポリシーに反するよ」
「そうは言ってもなあ、受け取っちまった手前突き返すわけにもいかんだろうに」
ジョーンズの視線の先には足を組んでテーブル席に座るエルシャの盃にお酒を注ぐメイドの姿があった。 あの夜以降、口数は少ないものの彼女は進んでフィリア達の身の周りの世話をし始め、その行為に気を良くしたのかフィリアとエルシャはありとあらゆる雑用を彼女に任せるようになっていた。
元々良家の娘であり、幼い頃から家事全般をお付きのメイドに任せていたフィリアと私生活においてズボラであり、すぐに宿の中を散らかしてしまうエルシャにとって娘の存在は有難かったようであり、今やチームにおいて(私生活限定だが)欠かせない存在となっていた。
「随分役に立ってるじゃないか」
「まあな、今まで俺とニヒルで雑用をやってたから大分楽になった気がするけど」
「名前は何て言うんだ?」
「アミって言うらしい。 4年前に記憶を失って以降、その名前だけが頭に残ってたみたいだ」
「アミか......」
ジョーンズは無精髭の残る顎を触りつつもどこか思い当たるフシがあったのか口を開く。
「ちょっと調べてみるよ」
「頼む、出来たら内密にしてくれ。 村長の話だと何だか訳有りみたいだし」
「分かった、それとお前さんに会いたいって男がいるんだが会ってもらえないか?」
「俺に?」
「以前に大きな岩を崩した事があったよな? どこからかその話を聞き付けてお前さんに興味を持ったらしいんだ」
ジョーンズはヒロトの手元にその男の住所と地図が書かれた紙を渡す。
「この街を拠点にしているドワーフ族の親方だ」
「ドワーフだって!?」
ファンタジー世界において優れた鍛冶集団として認知されていた種族がいることにヒロトは思わず胸を高鳴らせてしまう。 彼らと同じ製造業に身を委ねているヒロトにとってその存在は憧れの対象でもあったからだ。
「是非ともこちらから会いに行こうじゃないか」
「ドワーフう? 私はあんまり乗り気じゃないなあ......」
目をキラキラさせるヒロトと違いエルシャはあまり乗り気でない。 最早鉄板ネタに近くなったが、この世界においてもエルフとドワーフは生活環境の違いからか余り仲が宜しくなく、ほとんど交流もなかったため、お互いが偏見の目で見ているところがある。
今まで、部族同士で殺し合うほどの争いこそなかったが、酒場でたまたま鉢合わせただけで大喧嘩になった事案が存在するほど、彼等の仲が悪いことは最早一般常識である。
「じゃあエルシャは付いてかなくてもいいよ」
「そうする、今日はこのウォーピッグの干し肉を肴に部屋で飲んでるわ」
エルシャはそう言いながら、席を立ち上がる。 しかし、フィリアもまたエルシャと同じようなことを口にし始める。
「私も遠慮するニャア、あいつらは下品で薄汚ニャいしね」
「僕は付いて行くよ、ヒロトさんばかりに任せるわけにはいかないしね」
結局、フィリアとエルシャは二人で宿屋に戻ることになり、ニヒルがヒロトに付いて行くことになる。
「アミはどうする? フィリア達と一緒に居てもいいよ」
ヒロトの言葉に対し、メイド服に身を包み立っていたアミの口から思わぬ言葉が漏れる。
「私はご主人様と一緒に行きます」
「へ!?」
最早、使用人のような扱いが板についたのかヒロトのことをご主人様と認知し、付いて行こうとするアミ。 その姿にフィリアとエルシャは特に危機感を抱かず、「勝手にすれば?」と答えてしまう。
結局ヒロトはフィリア達と別れ、ニヒルとアミを引き連れてドワーフの親方の元へと行くことになる。
○現在
「記憶を失ってたんですか!?」
アミの話を聞き、リリアは思わず声を上げてしまうがアミは顔色一つ変えずに「しばらくはな」と答える。
「あれだけの戦闘力を持つあなたにしては信じられない過去ですね」
「村長は私の身を案じて出来るだけ人間の娘のフリをするように指導したんだ。 お陰さまで私は無事に戦争を乗り切り、こうして自由を謳歌できるって訳さ」
カルラの言葉に対し、アミは耳の裏を掻きながら「でもあの二人は未だに許せん」と答える。
「フィリアさんとエルシャさんですか?」
「ああ、ヒロトと違ってあいつらは私の記憶が無いのをいいことに顎でコキ使ってくれたからな。 これは私にとって最大の屈辱に等しい」
アミの目には王子様に出会う前のシンデレラのようにコキ使ってくれた二人に対する怒りを滲ませている。 二人はヒロトが見ていないことを良い事に「掃除が甘い」「これも洗え」「疲れたからマッサージしろ」などと散々アミをコキ使っており、記憶を失い戦闘力を発揮できなかった彼女は黙ってその命令を受け入れて働いていたのである。
高い戦闘力を持つ反面、誇り高いことで知られる人狼族にとってその行為は正に屈辱にほかならない。
「思い出すだけで怒りが振り返してくる......」
狼のごとく怒りで喉を震わせるアミの姿を見てリリアとカルラは恐怖心を抱き、抱き合ってしまう。 冷静な感情を持つ彼女がここまで怒りを見せるのはかなり珍しいことである。
「シティに戻ったらヒロトのことも含めてあの二人にキチンとお返ししてやらないとな」
アミの冗談にも聞こえるその発言に対し、リリアは背筋から冷たいものが流れる感覚を覚えてしまう。
(この人、本気だ)
記憶を取り戻したアミが二人に対し、どういったお返しをすることになるのかは後に明らかになるのであった。