第17話 死神に愛された女 前編
○エルシャの家
辺りが暗くなり、多くの人々が眠りにつく時間帯であったがエルシャは一人、今度の学会のための資料を作成している。 彼女の毎日の日課は早朝に子供達を起こして一緒に朝食を取り、託児所に預けたあと勤務先である大学にて教鞭を取り、夕方には子供達を迎えに行き一緒に夕飯を取りつつ一家団欒を楽しみ、子供達を寝かしつけた後に大学の論文を書いて深夜に眠りにつくといった忙しい日々であった。
当初は彼女が思う以上に仕事と子育ての両立は難しかったが、今は忙しい毎日に充実感を抱いている。
そんな彼女のもとに一人の少女が声をかけてきた。
「お母さん......」
「ん、どうしたの?」
彼女の視線の先には大きな熊のヌイグルミを片手に立ちすくむ娘の姿があった。 その子はエルシャと同じ碧色の瞳とピンと張った耳を持っていたが、髪の色は真っ黒であることから一般的に知られているエルフと異なる外見である。
「怖くて眠れないの」
「......またお兄ちゃんから怖い話を聞かされたのね」
「だってえ」
「もう、この子ったら。 部屋に戻りなさい」
エルシャはまだ幼い娘の体を抱き上げ、部屋に着くと同時にベッドの上に寝かせる。
「眠れそう?」
「ううん、まだ怖い」
娘はエルシャの袖を掴んで甘えてくる。 一緒に寝て欲しいという仕草であったがエルシャはまだやることが残っている。 まだまだ甘えん坊の娘のためにエルシャはある提案を持ちかける。
「じゃあ、あなたが眠れるようにお話をしてあげよう」
「お話?」
「お母さんもね昔は眠るのが怖かった時期があったのよ」
エルシャは眠れない娘のために懐かしい思い出を話し始める。
ヒロト達と出会って一ヶ月後......
「こ、ここは......」
かつて教会の礼拝所であった広い室内には所狭しと簡易ベッドが置かれ、そこには全身を包帯で覆われたり、腕や足を失った状態で苦しむ声を上げる怪我人達がいた。 運ばれてくる患者たちに反し、治療に当たる医師や看護師の数が不足しているためか血で真っ赤に汚れた包帯は中々交換されず、寝たきりの患者の汚物が垂れ流しの状態になっており、時折看護師であろう10代の少女が切断されたばかりの腕や足を持って負傷者の中を動き回っている姿が見受けられる。
血や汚物、消毒剤の匂いが充満するその場所こそかつてエルシャが勤務していた野戦病院であった。
「せ、先生......」
彼女の服の袖に一人の患者がすがりつく。 彼の顔は火傷でただれており、切断された右腕の傷口からは蛆がわいており、素人目でも最早助かる見込みは無い。
「助けて」
力の限りそう呟く患者であったがエルシャは彼の手を握ると同時に口を開く。
「御免なさい」
精一杯の言葉を投げかけ、その場をあとにするエルシャ。 しかし、患者は突然起き上がると同時に口を開く。
「そうやって俺達を殺してきたんだろ」
「え!?」
気がつくと彼女の周りに患者達が集まっており、それぞれが彼女に対する恨みの言葉を発している。
「なんで助けてくれないんだ」
「あの世に行くまで苦しくてたまらなかったぞ」
「もっと生きたかった」
彼等は皆、酷い火傷や体の一部が欠損しているか全身を包帯に巻かれているといった重症者であり、エルシャによって「治療不能」の判断を下され、治療もされないまま亡くなった人々であった。
念仏のごとく流れる恨みの声に彼女の心は徐々に犯されていき、先ほどエルシャを引き止めた患者が追い討ちをかける。
「何でひと思いに殺してくれないんだ」
「それは医師の仕事ではないわ」
「ならお前は何者なんだ? 医師なら患者を救うことが先決だろ!!」
「仕方がなかったのよ!! あのまま見境なしに治療を続けていたら私達の方が倒れてしまって助かる見込みのある患者達を救えなくなってしまうのよ」
火傷の酷い顔から膿がただれ、傷口から血を染み出しながらも訴えてくる患者であったが、エルシャは物怖じせずに反論する。 しかし、そんな彼女の後ろから思わぬ人物が声をかけてきた。
「優しかった君がこんなことをしてたなんて」
「ゲネロ!?」
振り返った彼女の目の前には結婚の約束までしていた婚約者の姿があった。
「君のことが信じられなくなったよ」
「ゲネロ、ち、違うのよこれは......」
かつての恋人に必死で訴えようとするエルシャであったが、ゲネロの隣に父親の姿があったため言葉を詰まらせてしまう。
「こんな娘に育てた覚えはない」
「パパ!!」
人が良く誰からも好かれ、家族のことを大事にしてくれた父親の口から出た言葉に彼女は衝撃を受けてしまう。 二人の後ろにはエルフの里で共に過ごした家族や友人達の姿もあり、皆が一様にエルシャに対し、蔑むような視線を送っている。
「人殺し!!」
先ほどの患者が残りの力を振り絞るかの如く突然大声を発する。
「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」
その言葉に周りの患者達だけでなくエルフ達からも同様の声が響き始める。 声を上げる人々の中にはゲネロや家族の姿もあった。
「そんな......」
あまりの光景に言葉を失ってしまうエルシャであったが、人々は彼女の反応とはお構いなしに声を高々に呪いの言葉を合唱する。
最早彼女の心は平常心を維持できる状態ではなかった。
「いやあああああ!!!!」
耳を塞ぎ、その場でしゃがみこんでしまうエルシャ。 しかし、呪いの言葉はお構いなしに頭の中で響き渡っていた。
◇◆◇◆◇
「お願い、許して!!」
その言葉と同時に彼女は目を覚ましてベッドから起き上がる。 周りを見渡すと普段から利用している宿の寝室の光景があり、隣のベッドではフィリアが布団を蹴飛ばし、お腹を出してムニャムニャしながら「ヒロト~そこはダメニャア~」と寝言を言っている。
既に見慣れた日常の光景を見たことにより、先ほどの光景は夢であることに気づき、エルシャはホッと胸を撫で下ろす。 終戦後、彼女の夢の中に時折このような悪夢が現れることがあり、それは月日が経つごとに強烈になっていき、彼女の精神を徐々に犯していく。
「怖い......」
罪悪感に苛まれ、エルシャは寒気に襲われてしまう。
彼女がお酒を好む理由の一つに酔いつぶれることによって悪夢を見たくないという想いがあり、それが酷くなっていくとともに彼女の酒量は増えていく一方であった。
家族や恋人の支えを失った彼女にとって酒こそが自我を保つ唯一の手段であったが、それは寿命を縮めるに等しい行為であった。
翌日......
ドガガガガガ!!
大の大人が10人いても動かせなかった巨大な岩をヒロトは粉砕機を使用して打ち砕いていく。 その後ろでは小さく砕かれた岩をツルハシやスコップ、バールなどを片手に作業をするフィリアとエルシャ、ニヒルの姿があった。
「なんで私がこんな作業を」
「うるさいニャ。 デカいのは胸だけにしてとっとと働けニャ!!」
慣れない土木作業にエルシャは息を切らしてしまい、フィリアに怒られてしまう。 そんな彼女の横ではニヒルが息を切らせながらも小さく粉砕した岩を一輪車に乗せ、隣に作った集積場所に運び込む光景があった。
今回の依頼は庭の一角を占領していた大岩をどかせて欲しいというもので、依頼金額の割には大人数を必要としたため、誰も相手にしなかったのだが今やそれはヒロトの手によって細かく砕かれていき、この調子でいけば夕方までに終わりそうな勢いである。
「ねえ、何で魔物討伐とかしないの?」
「ロクな武器も無いあたし達が戦えるわけ無いニャ!!」
フィリアはそう答えつつ慣れた手つきで岩石の塊をバールで掻き出す。
「ううう、失敗したかも」
ヒロトの強さと優れた魔法の特性からエルシャは彼等が腕利きの冒険者チームであり、数多くの魔物討伐をしていたと思っていたが、現実は草刈や土木作業、木工や鍛冶作業など一般的な冒険者とは程遠い仕事内容であった。
「依頼ニャンは夕方までに終われば特別ボーナスを出すって言ってるんニャからとっとと働くニャ」
「う~」
「口より手を動かすニャ!!」
フィリアに急かされる形でエルシャは渋々とツルハシを振るう。
一同の努力の甲斐もあって日が落ちる前に依頼は達成し、依頼人から特別ボーナスを受け取ることができ、一同は意気揚々と酒場へと向かう。
「今日も良い仕事をしたなあ」
「そうね、お酒がいつもより美味しいわあ~」
「アンタ休んでばっかじゃニャかった?」
エルシャの言葉にすかさずフィリアがツッコミを入れる。
「私にとってハードな仕事だったのよ」
「にしてはアンタやたら飲んでニャいか?」
既にエルシャの周りには空の酒瓶が並んでおり、働きの割には一番飲んでいたことが明らかであった。
「元々私はヒロト君に魔法を教えるためにチームに入ったのよ」
「その割にはヒロトは未だに魔法が使えニャいんだけどニャ」
「う......そ、それは私にも分からないわ。 彼が召喚者であることが原因かもしれないけど」
一緒に仕事を始めて早、一ヶ月。 エルシャは仕事の合間の空いてる時間でヒロトに魔法の使い方を教えていたのだが、いくら詠唱を呟いても魔法が発動しないため、、一向に進んでいない現状があった。
「すまない、どうも俺は適性がないのかもしれない。 俺のいた世界は魔法が存在しない上にインチキとして定義されてしまってるしな」
「君が気にすることはないわ、恐らく詠唱そのものに馴染みがないのが原因かもしれないわ」
「そう言う割にはニャんでヒロトにくっついているのニャ?」
「えと、まあ、頑張ってくれているヒロト君に対するサービスかな」
エルシャはそう答えると同時にヒロトと腕を組み、豊満なバストを彼の腕に押し当てる。 その行為にヒロトの顔は赤くなってしまい視線を逸らしてしまう。
「ふざけニャいで!!」
ヒロトの隣に座るフィリアは強引に彼の腕を引っ張り、自分の方へと寄せようとする。
「あん、引っ張らないでよ!!」
「付いてくるんじゃニャい!!」
「ちょ、止めてくれ!!」
ヒロトの取り合いをはじめる二人。 最早この光景は一同の中でありふれた光景となっていたため、ニヒルは「またかよ」と呟きながら一人寂しく牛乳を飲んでいる。
いつもの賑やかな光景を繰り広げる一同であったが、そんな彼らを遠巻きに眺めている一人の男の姿があった。 彼は楽しそうにしているエルシャの姿を見ると同時に手を握り締めて血を滲ませ始める。 その姿は明らかに彼女に対する敵対心を剥き出しにしている状態であった。
「お前はこの手で殺してやる」
男は決意を胸に秘め、酒場をあとにする。
その日の深夜......
エルシャは同室で眠るフィリアに気付かれないように宿の外に出て、裏路地を歩いている。
この世界において見た目の麗しい美女が一人で夜道を歩くことは不謹慎であったが、彼女にはある目的があった。
「まさか一人で出てくるとはな」
「仲間を巻き添えにしたくなかったのよ」
「多くの患者を見捨ててきた貴様にそれを言う資格はない!!」
怒号とともに暗闇の中から一人の初老の男性が姿を現す。 彼の顔は年老いてこそいたが、年齢の割にはガッシリとした肉体の上に真紅を基準とした鮮やかな色合いを放つ鎧を着ており、腰には握り手部分に紋章を刻んだ銀色に輝く剣を差していることから高貴な身分であることが伺える。
「コレール家の方ね」
「よく分かったな」
「イーストノウスの重臣だったもの」
エルシャの言葉を受けると同時に男性は剣を抜き出すと共に切先を彼女に向ける。
「息子の仇だ」
「彼はどの道助からなかったわ」
「嘘をつくな。 貴様が見捨てたからだってことは分かっておる!!」
男性は目に涙を浮かべながら更に口を開く。
「年老いてようやく得た一人息子のため、甘やかしていた事実はある。 色々と馬鹿なことをしてくれたがそれでもワシにとっては宝だった。 それをお前は......」
「私は患者に対して身分や家柄で差別したことはないわ」
「死神風情が黙れ!!」
一人息子をエルシャによって殺されたと思っていたため、男性の目は憎しみに染まっており、エルシャの反論に耳を貸そうとしない。
説得の通じる相手でないことを悟ったのかエルシャは銀製の杖を男性に向けると同時に詠唱を呟き始める。
「死ね!!」
男性が剣を振り下ろした瞬間に杖の先から眩い光が広がり、男性は思わず切先を逸らしてしまう。
「卑怯な」
視界が安定し、周囲を見渡すと先程までそこにいたエルシャの姿がいなくなったことに男性は気づき、苦言をこぼす。
「逃がしはせんぞ」
男性はあらかじめ用意していた笛を取り出し、音を鳴らす。 その音を合図に街の中に散らばっていた彼の仲間達が一斉に動き始め、エルシャを追い詰めるべくジワジワと包囲網を形成していく。
「く、ここにも」
目の前を矢が横切ったことにより、エルシャはこの道にも追っ手が潜んでいることに気づき、来た道を戻ろうとする。
「いたぞ!!」
「こっちだ!!」
「何人いるのよ!?」
再び現れた暗殺者の影を見つけ、彼女は何とか裏路地に逃げ込もうとする。 しかし、その行動は正に罠に追い詰められたことを意味していることに他ならない。
「嘘でしょ!?」
突然目の前に土壁が現れ、エルシャの逃げ道を塞いでしまう。 男性はどうやら彼女を殺すために暗殺者だけでなく、高位の魔法使いも雇っていたことが明白であった。
「大人しく成敗されるんだな」
彼女が振り返ると目の前に先ほどの男性の姿があった。
「こんなことをしても息子さんは帰ってこないわ」
「それでもワシは貴様を許すことはできん」
男性はそう答えると同時に彼女に向かって走り出す。 エルシャは咄嗟に杖を使って受け止めようとするが、飛んできた岩によってはじかれてしまう。
「覚悟!!」
男性の剣は自身の胸に真っ直ぐ向かってきており、杖を落とし防ぐ手立てのなくなったエルシャは死を覚悟する。 死への恐怖からか極限まで高まる心臓の動きとともに、彼女の脳裏にこれまでの人生の思い出が走馬灯のようにめぐり始める。
(これで楽になれる......)
静かに目を閉じ、両手を広げて男性の憎しみを受け止めようとするエルシャ。 その行為を見てか男性の顔からは笑みが溢れる。 悪夢から逃れ、あの世へと旅立とうとする彼女であったが、一人の男の乱入によって現実に引き戻されることになる。
「何者だ!?」
男性が驚くのも無理はなく、エルシャの行く手を塞いでいた土壁がドロドロに崩れると同時に、中から灰色のツナギを着て愛用の工具一式を腰に引っさげた一人の男性が飛び出すと共に持っていた武器でエルシャの胸を貫こうとした剣を弾いたのである。
「ヒロト君!?」
エルシャの目の前には彼女を守るかのように鉄パイプ片手に立ちはだかるヒロトの後ろ姿があった。
「トイレに行こうと思って部屋を出たら君の姿を見かけてね。 慌ててあとを追ったんだよ」
「でも私は......」
自責の念に囚われるエルシャであったが、ヒロトは言葉を綴る。
「君は決して間違ったことはしていない。 それは仲間である俺が保証する」
「...ありがとう」
家族や恋人を失い、頼るべき人のいなくなって一人きりとなったエルシャの命を狙う男達を前にして他人であり、種族や住む世界の異なるはずの彼女の命を守ろうとするヒロト。
エルシャにとってその姿は正に伝説の英雄の生き写しのように思えてしまう。
仕事に関しては誰よりも厳しさを見せるヒロトであったが、自身が仲間と認めた者に対しては深い愛情をかけるその姿こそ、長くエルシャを苦しめてきた悪夢から開放するキッカケとなる光景でもあった。
本当は各ヒロインで3話ごとに話を区切るつもりでしたが、この話は意外と長くなってしまったので前後編にしました。
後編は三日後くらいに掲載する予定なのでよろしくお願いします。