第13話 気になる人
○シティから南に位置する湖
小学校低学年くらいの子供達が水浴びをする傍で、背もたれ付きの椅子に仲良く寝転ぶニヒルと二アの姿があった。 二アの手には昨晩ニヒルの書いた自伝の原稿が握られており、ヒロトとフィリアの馴れ初めが書かれている。
「あなた......」
「ん? どうしたんだい」
「これによるとヒロトさんは助けたはずのフィリアさんに酷い目にあわされているけど」
「事実だからしょうがないよ」
妻からの質問にニヒルは腕を組みながら答える。
「でも普通の人なら愛想をつかせて離れていくと思うわ」
「そこが不思議なところなんだよ。 姉さんに懲らしめられたというのに翌日は普通に起きて何食わぬ顔で仕事をしてたんだしね。 まあ、姉さんはまだギスギスしていたけど」
そう話すニヒルの口から笑みがこぼれる。 ヒロトは助けたはずの女性に暴力を受け、ボロボロの体になったにも関わらず、前日から受けていた村人達からの依頼を反故にせずにキチンと仕事をこなしていたのである。 彼はこれまでの仕事上の経験で、日本人特有の職人気質を色濃く受け継いでいたため己の不祥事で仕事を休むことが許せなかったのだ。
「その時のこと、詳しく話してくれない?」
「いいよ」
妻の要望に答え、ニヒルは懐かしい思い出を語り始める。
○リコルド村
3人が身を寄せるこの村は人口100人ほどの小さな村で、主な産業は農業や織物が中心だったが、戦争の影響で荒廃し一時は廃村の危機にまで陥っていた。
しかし、フィリア達が実施した食糧支援などによって徐々に復興の兆しが見え始め、村を離れていた者たちも戻り、かつての繁栄を取り戻そうとしている。
「助かるわ、うちの人不器用だから困ってたのよ」
「いえいえ、お世話になってる手前お役に立てて嬉しいですよ」
依頼主から感謝の言葉を貰いつつ、ヒロトは鶏小屋の骨組みを組み立て始める。 今回の依頼は養鶏を始めようとしている農家からの依頼で、彼はトラックに積んであった自身の愛用工具を駆使して近くの林から集めた材料を効率よく加工していき、瞬く間に立派な鶏小屋を建ててしまう。
「まあ」
「良いじゃないか」
出来上がった鶏小屋を見て夫婦の口から賞賛の声が漏れる。
「どうですか? ついでに餌受けを作ってみましたよ」
ヒロトはそう言うと近くに生えていた竹を二つに割って作った餌受けを見せる。
「ここまでしてもらえるなんて申し訳ないわ!!」
「いい腕だ、このままこの村に住んでもらえないか?」
夫婦からの言葉にヒロトは照れながらも
「お気持ちはありがたいですが、一応勤め人なので早く帰る手段を見つけないといけないので」
と答える。
「そうか、帰る手段が見つかればいいな」
「これ、大した物じゃないけど受け取って」
ヒロトの手に彼女が作ったと思われる芋煮の入った鍋が渡される。
「うちは貧しくてこれしか渡せないんだけど......」
「いえいえ、有難うございます!!」
ヒロトは笑顔で答えると同時に「これで旨い酒が飲めます」と話す。
そんな姿を遠目で眺める二人の男女の姿があった。
「良い人でしょ」
「そうね」
この村に身を寄せて早五日、まだ傷が完治していない為、椅子に座って窓越しに外を眺めるフィリアの目に入ってきたのは持ち前の技術を生かして村人達の依頼に答えるヒロトの姿であった。
「材料は自分で取りに行ってるんだ」
「毎日こんなことをしてるの?」
「うん、姉さんにこっ酷くやられた日の翌日も働いていたよ」
「そうなの......」
ニヒルの言葉にフィリアは内心で罪悪感を抱いてしまう。 あの時は自身の気にしていることをズバズバと言いふらし、下品な話題をしていたヒロトに怒りを抱いて村長の奥さんと共に暴れた訳だが、今思うと命の恩人に対し申し訳ないことをしてしまったと思っていたのだ。 あれ以降、彼女は部屋に閉じこもってしまい、ヒロトと顔を会わせていない。
「気にしてた?」
フィリアの言葉に対し、ニヒルは首を横に振って答える。
「いや、むしろ申し訳ないことをしたって言ってたよ」
「え、嘘でしょ!?」
「ホントだよ、僕達を助けた件に関しても一切見返りを求めなかったしね」
「思ったより無欲な人ね」
「そうなんだ」
ニヒルは姉にヒロトとの一件を話し始める。
名家メルカトール家の自分を助ければ大なり小なり見返りが期待されるとニヒルが説明したにも関わらず、ヒロトは一切のお礼を断ってフィリア達の護衛も引き受けたのである。 彼は金銭目当てで人助けした訳ではないと答え、護衛の件もこの世界のことはよく分からないからしばらく一緒に行動させて欲しいと自分から持ち出してきたため、あの夜も本来は村長達の口から今後の村の方針について聞き出そうとしてたのである。
「酔った手前、失礼なことを言って気にしていないか心配してたよ」
「それはもういいわ。 私ももう気にしてないし」
「じゃあ仲直りに行く?」
「へ、変なこと言わないでよ!!」
フィリアは顔を真っ赤にしながら背ける。 こんな反応は長年兄弟として過ごしてきたニヒルに取って初めての光景であった。
(「氷結の女」と言われていた姉さんがこんな表情をするなんて)
感情を一切表に出さず、家柄の格式と高い教養を持つ彼女に周囲の人々は尊敬と恐れの意味を込めて「氷結の女」と呼んでいた。 男尊女卑の世界でありながらも彼女は男性以上に働き、高い業績を上げておりながら、求婚してくる男性を一切傍らに寄せ付けなかったため、ニヒルの記憶の範囲では彼女は今まで一度として男性に好意を持つことは無かった筈である。
にも関わらず、突然フィリアが一人の流れ者の男性を気にするようになることにニヒルは驚きと興味を抱いてしまう。
「じゃあ一緒に夕飯を食べるよう誘ってみない?」
「大丈夫かしら......」
フィリアの言葉にニヒルは「大丈夫」と胸を叩き、姉の返事を待つまでもなく部屋を出てヒロトの元へと向かう。 ニヒルが部屋から出たあと、一人部屋に残されたフィリアは不意に心臓の鼓動が早くなっていることに気付いてしまう。
「なんなの一体」
それが初恋であることに気付くのはまだ先のことであった。
その日の夜......
宿の中にある食堂では唯一の宿泊客であるヒロトとフィリア、ニヒルの三人の姿があり、一同はテーブル席で向かい合うように座っている。 注文した料理はまだ届いておらず、先に運ばれてきたグラスの中身も減っていないことから気難しい空気が流れている状況が一目できる。
「ヒロトさん、今日は来てくれて有難うございます。 あなたのおかげで姉さんもすっかり元気になりました」
「気にしなくて良いよ。 俺としては感染症が気になってたけどどうやら大丈夫そうだね」
ヒロトがそう声をかけるもフィリアは黙って俯いている。
(ホントはウブな女の子かな)
フィリアの凶暴な一面を記憶に持つヒロトがそう思い始めると彼女の隣に座っていたニヒルが小声で声をかける。
「姉さん、何か言ってよ」
「......」
「ヒロトさんが不思議がってるよ」
「......」
俯いたまま一向に口を開けようとしないフィリア。 彼女はこの席に着いて以降、ヒロトの前で一切言葉を発していない。
「すみません、姉は先日のことがショックであまり喋らなくなってしまったんです」
ニヒルがフォローするもヒロトは
「やっぱり俺と村長の会話が失礼だったのか」
と答えてしまう。
(しまった)
ニヒルとしては魔物に襲われたときのことを説明したつもりだったのだが、ヒロトは別の捉え方をしてしまったことに気まずさを感じてしまう。
「女性に対して失礼なことを言ったのには謝るよ」
「いや、その......」
「フィリアさん、失礼なことを言ってすみませんでした!!」
ヒロトの精一杯の謝罪の言葉に対し、フィリアは顔を向けて声を発する。
「失礼なことって何?」
その言葉にニヒルは殺気を感じ、席を立ってしまう。 ヒロトが姉に対する爆弾発言を再び発しようとしていることに彼はいち早く気付いてしまったのだ。
「えと、君の体に関するコンプレックスとかだよ」
「コンプレクス? 何の言葉か分からないわ」
「その、個人が他の人に比べて劣っているところを気にしてしまうことだよ」
「私のどこに劣っているところがあるとでも!!」
フィリアは立ち上がると同時にテーブルの上に「バン!!」と勢いよく両手を叩きつける。
「その、背の低さとか」
「背が低いからって何なの!! こう見えても私は10代のうちに大学を出てるのよ」
「え!? 君10代じゃなかったの?」
「な......」
ヒロトの言葉にフィリアは怒りの余り顔を真っ赤にしてしまう。
「ご免、この世界では子ども扱いする行為は失礼なことだったよね」
地球においても近代まで、子供という概念は存在せず、自分で地面を歩き始めた頃から「小さな大人」として子供達は扱われてきたため、中世ヨーロッパに近いこの世界の子供達もまた、幼い頃から大人達と同じように労働者として扱われている。 子供と大人という明確な区分けが始まったのは学校教育が始まった頃からである。
村で働く子供達の様子を見たことからヒロトはフィリアの怒りの矛先が子供扱いする行為だと誤解してたのだ。 しかも、フィリアとニヒルは童顔で背が低かったことから未だに二人を中学生くらいの子供と見てたのである。
「大丈夫、これから大きくなるから」
「どこがだ!!」
再び怒りを燃やしたフィリアはテーブルの上に乗ってヒロトの首を掴み、ギリギリと締め上げる。
「ぐ、ぐるしい......」
「わ、私はもう22だ。 成長期なんてとっくに終わってるんだよ!!」
「す、すびばせん......」
「許すものか、このまま引導を渡してくれる!!」
苦しさの余り、ヒロトはそのまま床の上に倒れるもフィリアは攻撃の手を緩めようとしない。 名家の家柄に関する重み以上に、成長期を終えても他の女性達と違って幼児体型であることにフィリアは強烈なコンプレックスを持っていたのだ。
それ故に、女性でありながら誰よりも努力して史上最年少で大学を卒業し、若くして商事ギルドのナンバー2の地位にまでなった訳である。 そのため、彼女の部下や仕事相手、結婚を申し込んできた殿方を始めとした誰もが彼女に対して子ども扱いすることが出来ず、今までヒロトに出会うまで幼児体型や貧乳といった言葉をかけられたことが無かったのである。
「姉さん止めて!!」
ニヒルの言葉に対してもお構い無しにヒロトに対する攻撃をやめないフィリア。 食堂に来ていた他のお客に関してはその光景を微笑ましく見守っている。
「またやってるな」
「お似合いのカップルじゃねえか」
彼らは先日の村長宅の一件を知っていたため、村長夫妻と同じく夫婦喧嘩のようなものと思い、止めようとしない。
そんな中、関節技まで食らって意識を失い始めたヒロト達の下に青ざめた顔をした一人の青年が駆け寄る。
「うわ、何やってんですか!!」
最早プロレスのような光景を展開していた3人(ニヒルはレフェリー的な立ち位置だった)に対し、青年は声を上げると同時に口を開く。
「大変なことになりました、村長の家まで来てください!!」
青年は強引にその場を収め、3人を村長宅にと連れて行く。
○村長宅
3人が家に来たと同時に村長はことの詳細を話し始める。
彼は商事ギルドにフィリアの無事を伝えようと先程の青年を使って街に行かせたのだが、彼がたまたま目に入った情報掲示板にとんでもないことが書かれていたのである。
『我が商事ギルド本部は極秘捜査の結果、フィリア嬢に不正な手段で得た所得があると断定した。 現在、その資産を持って逃走中である彼女を見つけた者には多額の報酬を約束する』
「嘘でしょ!!」
フィリアは驚きの余り席を立ち上がる。
「嘘ではない、現にワシの手元にはその詳細が書かれた書面もある。 これによるとフィリア殿は食糧支援と称して商事ギルドの資金で用意した支援物資を先日魔物によって壊滅した街で不正に売買して資産を得ていたことが書かれておる」
「そんな......」
「そんな話、ワシらでさえ信じられんが現に傭兵ギルドには討伐依頼まで出ておる。 ニヒル殿も含めてな」
村長は青年が持ってきた手配書を3人に見せる。 そこには容疑の内容と犯人の特徴が書かれており、ご丁寧にフィリアとニヒルの精巧な似顔絵まで描かれていた。
「生死問わず二人合わせて金貨50枚なんて......」
「盗賊団の頭目並ね」
この世界の通貨において金貨一枚は日本円で15万円程であり、ラクロアの首都シティでは一枚で一般家庭が二ヶ月ほど遊んで暮らせる金額である。
独身なら10年は余裕で遊んで暮らせる賞金の上、彼女が持ち出したとされる資金に関しても討伐者自身の物にして良いというお墨付きまで書いてある。 傭兵でも無い彼女達にここまでの賞金がかけられること事態異例であり、これでは多くの賞金稼ぎ達から襲われてしまうことが目に見えていた。
手配書の内容を見てニヒルは頭を抱えて絶句し、フィリアは怒りを露に呟く。
「あの男...いや、あの女に嵌められたわ!!」
「あの女?」
「魔女よ」
今一つ話の内容の掴めていないヒロトにフィリアは説明を始める。
商事ギルドの会長でもあるコラーダ・メルカトール氏は、当主となったフィリアの父親の弟に当たり、陰湿な性格で肝心な時に逃げ出す臆病者であったためトップの役職には向かず、シティの郵便本部長として閑職に追いやられていたのだという。 しかし、7年前にフィリアの父親が亡くなると同時にある女と婚約し、メキメキと実力を発揮してそれまで受け取り側が料金を支払う体制であった郵便体制を改革し、切手の実用化によって売り上げを一気に3倍にまで伸ばしたのである。
更に、それまで手書きで写していた出版事業に関しても活版印刷の導入や、品質の高い紙を使用することによって金持ちにしか手に入れることの出来なかった書物が庶民の下で読まれるようになり、急速に支持層を拡大し、イーストノウス戦争が始まる5年前には商事ギルド会長にまで上り詰めたのである。
「あの男に商才があるはずが無い。 全てはあの女の入れ知恵が原因なのよ」
「へえ~」
ヒロトはフィリアから説明を受けつつも手配書の紙をまじまじと見つめている。 その紙はどう見てもヒロトの世界にある物と同じ物だったからだ。
「これ、和紙だな」
「え?」
「ワシ?」
ヒロトの言葉に一同は注目してしまう。
「俺のいた世界じゃあ一般的に使われていてこいつの良い所は材料を選ばず、原始的な道具でも生産できるんだよね」
和紙は加工に手間のかかるパルプを材料とする洋紙と違い、麻や楮などを原料として紙漉きの技術をもってして誰でも簡単に生産出来る物である。
某テレビ番組の企画ではアフリカの極貧の村の子供達のための教材作りの一環として現地の材料で作れるのがこの技術最大の強みである。
しかし、寿命が長い反面、インクには弱く技術の発達によって機械印刷に強い洋紙の大量生産が可能となった現在においては主に書道や装飾用にしか使われなくなっている。 ちなみに現在は和紙も機械生産が基本となり、現在の日本で出回る和紙の大半が機械漉きである。
「活版印刷に使われていることを考えるとどうやら楮と三椏を混合して作っているみたいだな。 この世界の材料を使っている割には良い出来だ」
ヒロトの言葉に周りにいた一同は唖然としている。 このラクロア紙と呼ばれる代物はこれまでの羊皮紙と違って書きやすく、丈夫で湿気にも強いことから書物だけでなく、軍事用の通信文や契約書にも使われる優れ物として多くの人々から重宝されている。
現に高い収益が見込めることから生産方法も機密であり、厳重な管理の下でシティの工場でのみ作られているために、流れ者であるヒロトが生産方法を知っている筈がなかったのである。
「あなた何者なの?」
フィリアの言葉に対し、ヒロトはニヤリと笑みをこぼして答える。
「何でも屋さんだよ」
◇◆◇◆◇
「へえ~そんなことがあったの」
「うん、その時僕らは始めて実感したんだ。 ヒロトさんがどこから来たのかもね」
「あの時は私のお店にも引っ切り無しにフィリアさん目当ての賞金稼ぎが来て大変だったわ」
「迷惑かけたね」
「いいわよ、これは罠だってことにはお父さんも気付いてたしね。 心なしか売り上げにも貢献してくれたし」
ニヒルの言葉に対し、ニアは笑顔で答える。 そんな二人をよそに幼い声が聞こえてくる。
「お父さん続き教えて~」
「気になるニャ~」
いつの間にか2人の傍に子供達が集まっており、ニヒルの話の続きを聞きたがっている。 先程まで兄弟揃って元気に遊んでいたというのにどういった風の吹き回しであろうか。 男の子はニヒルの面影を色濃く持っているのに反して女の子に限っては猫耳と尻尾を持っており、一同は仲良く湖の傍の芝生にしゃがんで父親の思い出話に聞き耳を立てていた。
「こらこら、お母さんとのお話を邪魔しちゃ駄目だぞ」
「だってニャア~」
末っ子の娘がゴロニャンとニヒルの膝の上に擦り寄り、甘え始める。
「フフフ、もう少しお話してあげたら?」
「しょうがないなあ」
妻からの言葉を受け、ニヒルは子供達のために続きを話すことにする。
二人は結婚後、多くの子宝にも恵まれ、今もニアのお腹の中には新しい命が眠っている。 多額の賞金をかけられ、多くの賞金稼ぎ達から命を狙われることになったニヒルがこうして幸せな家庭生活を送れるようになったのもヒロトの存在が大きかったのである。
彼はヒロトへの感謝の気持ちを抱きつつ子供達にも懐かしい思い出を話すのであった。