第12話 ある青年の回想
僕と姉さんがヒロトさんと初めて会った時のことを話す前にこの世界の歴史について少し話をしよう。
かつて、この世界の中央大陸において人間と魔族と呼ばれる種族との長年に渡る激しい戦いが繰り広げられていた。
700年前、大陸の北西部と当時、陸続きであった魔大陸に魔族が、それ以外の地域を人間が住むことになる協定が結ばれ、長年に渡る戦いに終止符が打たれる。 ちなみに、この当時はお互いの種族が一つの国家を形成している訳でなく、複数の国々に分かれており、戦争の度に同盟を結んで戦う形式を取っていた。 その後、双方の間で平和的に交易を行える街を作る構想が持ち上がり、大陸の中央部に小さな交易拠点が作られたことが自由都市国家ラクロアの現在の首都であるシティの始まりといわれている。
600年前、大陸全土が深刻な飢餓に襲われ、魔族の国々同士が争いを始める。 そんな中、魔族の中でヴァンパイアと呼ばれる種族が魔王として魔族たちの国家を纏め上げ、大魔国を建国する。 魔王は飢餓を乗り切るため、豊富な穀倉地帯である大陸南西部に進軍し、そこに存在する人間の国々を滅ぼし、大陸の西半分を手に入れる。
500年前、先祖の土地である南西部が魔族の領土となっていることに怒りを感じていた一人の青年が立ち上がり、大陸の東で無益な争いを繰り広げていた人間の国々を一つに纏め上げ、大魔国に宣戦布告する。 長い戦いの果てに魔族を魔大陸に追い詰めることに成功し、突然の地殻変動によって魔大陸が中央大陸から引き離されたことにより人類は初めて大陸を制覇することに成功し、かつては青年であった男を皇帝とする統一王朝を樹立する。 皇帝は首都をシティに定め、再び魔族の攻撃を受けることを考慮して街の周囲を高い城壁によって囲ませる。 また、後継者以外の4人の息子達に大陸外周を四等分する形で領土を与え、大陸の守護を命じる。
300年前、首都の城壁が完成した後、時の皇帝は堕落した生活を送り、国民の生活を無視した勝手な政策をとるようになる。 4人の息子達の子孫はそんな皇帝の醜態ぶりに呆れ、同盟を結んで皇帝に反旗を繰り出す。 突然の反乱に激怒した皇帝は自ら先陣に立って鎮圧をしようとするも家臣達から見限られ、押し迫る反乱軍の姿に恐れおののき自決してしまう。 その後、同盟間の話し合いでそれぞれの領土は国家として独立し、かつての首都シティとその周辺の都市を自由都市国家ラクロアとする「4カ国条約」を締結する。 これによりこの中央大陸は中央に位置する自由都市国家ラクロアとその周囲を囲む4大国家によって統治されることになる。
15年前、豊富な農業地帯を持ち大陸全土の食料の半数を補っていた南西の国、ウェストサウスにおいて大規模な疫病が広がり、農業の地盤を支えていた多くの奴隷達が死に絶え、食糧生産量が大きく減少する。 一年後、疫病は大陸全土に広がり、奴隷だけでなく多くの人々が病に倒れるだけでなく、食糧生産量の減少による飢餓にも見舞われる。 他の国々が協力し合って事態に対処しようとする中、イーストノウスは疫病が国内に入ってくることを恐れ、国境を閉鎖。 併せて強引に入国する者は身分に関わらず殺害する方針を立て、中央大陸の国家の中で唯一疫病の蔓延を防ぐことに成功する。
10年前、疫病を乗り越えたイーストノウスを除く3大国家がイーストノウスに国民を殺したことに対する謝罪と賠償金を要求するもイーストノウスは拒絶し、国境付近の山々を要塞化し始める。
イーストノウス国境付近に緊張が集まり始める。
8年前、3大国とイーストノウスとの交渉決裂。 3大国、軍事同盟を結んでイーストノウスに宣戦布告。 3年に渡る戦いとなる「イーストノウス戦争」が始まる。
緒戦は亜人達の協力と地の利を生かしたイーストノウスが優勢に展開されるも、徐々に追いつめられていく。
7年前、膠着した戦況の打開するためイーストノウスは冬に入る前に一大攻勢をしかける。 後に「冬戦線」と呼ばれるこの戦いはイーストノウスの大敗に終わり、撤退の折に亜人達の部隊を捨て駒にしたため彼等との友好関係が決裂。 以降は3大国に押される形でジワジワと首都に追い詰められ始める。
5年前、イーストノウス首都陥落。 国王は暗殺され、第3王女をトップとする暫定政権が発足。 3大国との間に講和条約が結ばれ、終戦となる。 この講和条約によってイーストノウスは毎年一定数の奴隷を3大国に供給する宿命を背負わされることになり、国内は一気に貧しくなる。
以上がこの物語の大まかな歴史の流れである。 僕と姉さんは終戦当時、商事ギルドの一職員であり戦争と講和条約によって荒廃したイーストノウスに住む人々のために食糧支援を提案し、イーストノウス各地を転々としていた。 僕らの行動は多くの人々から支持を集めたけど当時の会長から疎まれてしまう。 彼は戦争で儲けた莫大な利益を惜しみなく人々に分け与えようとする僕らの存在を邪魔に感じ、ある集団に僕らの暗殺を依頼する。
僕らはそれによって支援物資を輸送中に突然魔物の大群に襲われ、命を襲われることになったけど辛うじて異世界から召還されたばかりのヒロトさんに命を救われる。 これから話すことは僕らとヒロトさんがであったばかりの頃の話である。
商事ギルド 第21代会長 ニヒル・メルカトール 自伝書
○3年前 襲撃地点から離れた村
「こ、ここは......」
夕日の差す宿屋の一室のベッドの上でフィリアはゆっくりと起き上がると同時に辺りを見回す。 室内には小さなテーブルと椅子が置いてある他は何も無く、テーブルの上には綺麗な花が飾られている。
「私、たしか魔物に襲われたんじゃ」
彼女はふと、魔物に襲われた時のことを思い出して右足に視線を移すと傷口は綺麗に縫われており、見たことの無い素材の透明な布に包まれていた。
「姉さん!!」
ドアが開くと同時に入ってきたニヒルは姉が目覚めたことに気付き、傍に駆け寄る。
「丸一日、目を覚まさなかったんだよ」
「そう......どうりでお腹がすいたと思ったら」
「どうやらヒロトさんの処置が良かったみたいだね」
「ヒロト?」
「僕らを助けてくれた恩人だよ」
ニヒルは魔物に襲われた時の状況をフィリアに話し始める。
魔物に襲われ、命を散らそうとしたところにヒロトの運転するトラックが乱入し、二人を乗せてニヒルの案内で近くの街へと急行したのだが、その街も魔物の集団に襲われ壊滅状態となっていたために仕方なく、以前支援したことのあるこの村を頼ることにする。
人口100人ほどの小さな村で医者がいなかったため、ヒロトがフィリアの足を荷物の固縛に使っていたラッシングベルトで縛り、たまたま持っていた針と糸で傷口を縫い合わせた後、感染症防止のために傷口にサランラップを巻きつけこの部屋で経過を観察することにしたのである。
「それで彼は今どこにいるの?」
「村長の所で今後の方針について相談してるよ。 僕は姉さんの様子が気になったから途中で抜けてきたんだ」
「そうなの......」
「まあ、ご飯持ってきたから食べてよ。 まだこの村の復興も進んでいないみたいであんまり美味しい物じゃないけど」
フィリアはニヒルに勧まれるがままに小麦粥を口に運ぶ。 粗末な物であったが上にかかっていた黒いソースのような物のおかげで食欲が薄れることは無い。
「このソースは何かしら?」
「ショウユと言う物らしい。 ヒロトさんが持っていた物で、料理には欠かせない調味料らしいよ」
「ショウユ? 聞いた事が無いわね」
「どうもヒロトさんは僕達と違う世界から来たみたいなんだ」
「違う世界? 詳しく教えてもらえないかしら」
ニヒルはヒロトについて知っていることをフィリアに話し始める。
なぜか言葉が通じる他、彼のことについては謎が多く乗っていたトラックの中に所狭しと詰まれていた物はこの世界に存在する物ではなく、彼が話す地名も全く理解出来なかったため、村長の推測で伝説上の話で出てくる召喚された者かもしれないと結論付けたという。
「とにかく彼に会ってみないと」
「待って姉さん」
まだ体力の回復しきっていない彼女にニヒルは咄嗟に肩を貸す。 姉は昔から言い出したら聞かない性格であった為、彼は彼女を止めずにそのまま村長の元へと連れて行くことにする。
フィリアはふらつきながらも何とか村長宅の前にたどり着き、ドアをノックする。
「どんな人なの?」
「大きな体で優しい性格の人だよ。 まるで死んだ父さんみたいにね」
ニヒルがそう言うと同時にドアが開き、村長の奥さんが出迎えてくれる。 フィリアは命の恩人にお礼を言いたいことを伝えると彼女は快く承諾し、中へと案内する。 しかし、彼女の気持ちとは裏腹に室内では酒とエロ本を片手に村長や村の男衆と共にエロトークを展開するヒロトの姿があった。
「凄いでしょ、この巨乳!!」
「むむ、そそられるのう」
「うちのかーちゃんより大きい」
「ワシの嫁も昔はこんなに可愛かったのに」
「美しい体だ......」
ヒロトの持ってきたエロ本の魅力に村長達を始めとした男衆は釘付けになり、1冊しかない本をお互いが取り合うなどして食い入るように見ている。
「久方ぶりにそそられるのう」
「お、ご老体、元気になったんじゃないの?」
「まだまだ現役ですね!!」
村長の下半身が盛り上がったことにヒロトを始めとした男達はからかい始める。
「やっぱ巨乳が一番でしょ」
「全くじゃ、ワシの嫁なんぞ結婚した頃は良い物を持っておったが今や水分の抜けたオレンジじゃ。 興奮しろってのが無理があるわい」
「貧乳じゃあ揉み応えがないしなあ。 せっかく助けた女の子も貧乳の幼児体型だったしねえ」
「お主も好き者よのう」
「村長こそ」
ヒロトと村長は巨乳ネタで夢中になっていたために後ろから近付いてくる殺気に全く気付いていない。 他の男衆はその殺気の正体に気付いてしまったために顔を真っ青にしている。
「パフパフって言葉分かる?」
「当たり前じゃ! 特に二十代後半が一番良いのう」
「やっぱりあるんだ~、俺はどっちかって言うと挟んで貰う派なんだけど」
「挟む?」
「こういうことだよ」
ヒロトは村長の耳元でゴニョゴニョと何やら話し始める。 そんな二人の背後で黙って聞き耳を立てる女性達の姿があり、男衆は恐怖のあまり顔が引きつってまう。
「確かにフィリア殿にそれを要求するのは難しいのう」
「あ~あ、助けるならボン、キュ、ボ~ンみたいな美女が良かったなあ」
「ワシも嫁が若いうちに挟んで貰うべきじゃったなあ」
「じゃあ、今度一緒に娼館行かない?」
「良いのう」
後ろにいる女性達が顔を真っ赤にし、揃って拳を握って震えていることに未だに気付かない二人。
「なんじゃ、お主等? さっきから黙り込みおって」
「どしたん?」
青ざめた顔をする男衆に声をかけると彼等は震える手で二人の後ろを指差す。
「何を恐れてるの?」
「お化けがいるわけでもあるまいし」
ヒロトと村長が後ろを振り向くと目の前に握りこぶしを頭上から振り落とす二人の女性の姿があった。
「あんた!!」
「この野郎!!」
バキ!!
甲高い音と共にヒロトはフィリアに村長は奥さんにボカスカと殴られ始める。
「水分の無くなったオレンジで悪かったわね!!」
「助けた女性が貧乳で揉めなくて悪かったわね!!」
「「助けてくれええええ」」
フィリアと奥さんは拳だけでは飽き足らず、馬乗りになって鍋や棍棒までも使って容赦の無い制裁を加え始める。
「あんた!! どこでパフパフして貰ったんだい!?」
「ま、まて!!」
まるでスイカを割る如く勢いで村長の体を棍棒で叩く奥さん。
「挟めない胸で申し訳ないわ!!」
「そ、それは勘弁してくれ!!」
鍋を片手にヒロトの頭を殴打するフィリア。
その光景を見た男衆は恐怖の余りソロリソロリとエロ本を片手に家に帰ろうとする。
「おい、逃げるな!!」
「ちょっと言いたいことがある」
突然の声に男衆はビクリとして振り返るとフィリアと奥さんはお互いがボコボコにした男を椅子代わりにして座り、腕を組んで睨みつけている。 二人は男衆を床の上に正座させ、説教を始める。
「こんな馬鹿男の言うことに耳を傾けるんじゃない」
「胸の大きさで女性の良さを判断しないこと」
「女はいくつになっても美しい」
「私は立派なレディーだ」
など、延々と女性の魅力について話し始め、説教が終わった頃には男衆の口から出たのは
「貧乳も素晴らしい」
「年老いた女性も美しい」
「幼女もレディー」
「浮気はダメ」
などまるでどこかの宗教施設に監禁された信者のような虚ろな瞳で言葉を発し始め、それぞれの家族から気味悪がられたという。 ニヒルに至っては、あまりにもその光景を面白く感じたためか部屋の隅で必死に笑いを堪えている。
今まで、名家メルカトール家の一員として幼い頃から厳しく育てられ、決して他人には感情を表に出さなかった姉さんがあれほど感情を露にする相手が現われたことに僕は驚きと共に、安堵を覚えてしまう。
姉さんを助けたのは「白馬の王子様」でなく、トラックに乗ったエロ男だったけど彼はこの時を機会に彼女にとってかけがえの無い人になったのも事実だ。
実際、ヒロトさんはこういった一面のある反面、リーダーとして優れた判断力と知識を有しており、彼の判断のおかげで何度と無く命を救われ、僕達を暗殺しようとした黒幕を倒すことも出来た。
ヒロトさんのおかげで今の僕らの立場があるといっても過言ではない。
僕達と出会う前の彼の過去についてはよく分からないけど、もしかしたら彼は軍に所属していたのかもしれない。 一度、二人で飲んでいた頃に彼の口から以前の職場で巨大地震に襲われた時の話をしてくれた。 彼はその時、現地で避難民の支援活動をしていたらしいけどその一件で上司と大喧嘩をして職場を追い出されたらしい。
それ以降、僕はヒロトさんの過去を検索することをやめた。 良いんだ、今や僕にとってかけがえのない義兄さんでもあるし。 だけど一つだけ腑に落ちないところがある。
誰が何の目的でヒロトさんを召喚したのだろうか......
この一件について明らかになるにはまだ時間を必要としていた。
○何年かした後のニヒル宅
「あなた、何を書いてるの?」
「ん? まあ、自伝書さ」
妻に声をかけられ、ニヒルは素っ気無く答える。
「何で突然書くようになったの?」
「何となくかな」
「ヒロトさんみたいなことを言うなんて」
彼の言葉に二アは笑みをこぼしつつ机の上に淹れたてのコーヒーを置く。
「有難う」
ニヒルはコーヒーに口をつけると共にこれまでの思い出を目に浮かべる。 数々の困難を乗り越え、二アと結婚して幸せな生活を歩む彼であったが、近年はいささかスリルを求めている自分がいることに気付いてしまうついこの頃であった。
「明日は子供達と一緒に湖に行く予定なんだから早く寝ましょう」
「ああ、そうだったな」
ニヒルはコーヒーを置くと机の上を片付け始める。
「仕事の出来る人は常に机の上を綺麗にする」
ヒロトから学んだ教訓を守りニヒルは机の上を綺麗にした後、ニアの待つ寝室へと向かう。
「ねえ」
「ん?」
「ヒロトさんって元の世界に帰ろうと思ったことはあるのかな?」
隣で一緒の布団に入るニアの言葉にニヒルは一瞬、間を置いた後に口を開く。
「実は一度だけ元の世界に帰るチャンスはあったんだ」
「え!?」
「だけど彼は自らの意志でそれを放棄して姉さんと添い遂げることを決意したんだ」
「そうなの......」
ニヒルの言葉に二アは天井に視線を移して呟く。
「ロマンチックな話ね」
「そうだね......」
後にニヒルの自伝書は多くの人々に愛読されるベストセラー小説となり、貴重な歴史書として後世の人々から高い評価を得ることになる。 彼らは、他の人々が残した伝記物と違ってヒロトの意外な姿を知れたことに親近感を抱き、英雄と呼ばれた彼もまた一人の男であるという認識を持つことになる。
「名声を得た男は欲望に忠実である」
このような言葉が生まれたのもこのころからであった。