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冒険者よりも安上がり  作者: 田中
第4話

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9/12

セクション1 市民登録の必要性

 皇歴三三二年秋。

 この日、ガドール大陸で強国の一角を担うセレニティでは、年に一度の特定魔力生物管理者資格試験が行われる手筈になっていた。

 戦争は既に目前に迫っている。

 ゼムルヤが二ヶ月前に宣戦布告し、既にあわや開戦かという時期にまで迫っていた。


 ほんの数ヶ月前に大石板と呼ばれるこの世界へ落とされた神谷誠司は、この日のためにギルド所属捜査官であるハイエルフのミコ・アルカナイズから与えられる宿題をこなしていた。


「過去の設問も問題なく解けていたし、君は文字も読めるようになってきているから大丈夫だろう」


 ミコからのその言葉に、誠司は「ありがとうございます」と恥ずかしそうに笑う。

 この世界へ来た時に見られた卑屈な笑みと狡猾な目の奥の光は見られなかった。

 生死の掛かった状況で目標に向かって歩くしかないという現状が誠司には良かったのだろう。


 毎日かけうどんとかけそばだけの生活で、誠司はこの世界へ来た当時よりも痩せてこざっぱりした姿になっていた。

 顎髭と顔に刻まれた皺はそのままではあったものの、僅かに出ていた腹やたるんでいた二重顎は無くなっている。


「君、いい顔をするようになったな」


「ありがとうございます。この試験、受かっても駄目でも、自分の命ですし……頑張ってきます」


「ああ、いまの君ならきっと受かるさ」


 試験会場である中央ギルド庁舎七階の会議室へ受験者が集められる。


 誠司は、ふと思い出す。


 かつて元の世界にいた頃に、ここまで真剣に試験へ挑んだことはあっただろうかと。

 田舎で終わるのが嫌で、自分は何かになれるのだと信じていた。

 若い自信で大学受験を機に上京し、突き進み、会社を倒産させてはその支払いを労働基準局へ任せ、督促も無視して再び会社を興してまたひとつを畳んで、逃げて逃げて、ただ逃げてきただけの人生だった。

 死の遠い世界で、若い時代には「死にたい」と言い合って笑った日もあった。


 各受験者の前に魔導タブレットが配られる。

 名前欄には、誠司の名前と何も持たずこの世界へやって来た誠司の保証人になってくれたフィニスの名前が書かれている。


 いままでの誠司にとって、誰かがやってくれることは当然のことだった。

 区役所で、駅で、警察署で、誰もが誠司のために何かをするのは当然だったのだ。

 しかし、この世界ではそうでは無かった。

 全て、個人情報と身分証が物を言う。この世界での誠司は誰でもないのだ。ただ、ゼムルヤ・スネガで得たパスポート一枚しか無かった。


 試験開始の声と共に、誠司が設問を開く。

 そして、安堵に胸を撫で下ろす。文字は読めるし、ミコが出してくれた設問ばかりが並んでいる。


 魔導タブレット専用のペン型デバイスで、この二ヶ月で覚えた文字を書き記していく。

 セレニティの歴史を、大陸や冒険者の役割、魔力生物との関係を。



────


 開戦の時は近い。

 エヴィスィング国の若い戦士は、家族を抱き締めて涙を流す。

 エヴィスィング国はかつてセレニティに植民地とされた前皇歴の頃に魔力持ちの女性を根こそぎ奪われた過去がある。

 魔力持ちは遺伝で生まれてくることを、セレニティはいち早く気が付いていたのだ。

 何より、女性が強い魔力持ちであればあるほど、強い魔力持ちが生まれてくるということも分かっていたのだ。

 だからこそ、エヴィスィング国は弱国となってしまったのだ。


「ミーナ……俺はもう、帰っては来られないだろう。ゼムルヤとの戦争だ。あの国はまた、非人道的な戦士を使うだろう」


 灯りが漏れないように窓へ黒い紙が貼られた薄暗い部屋の中で戦士ヘンリー・ビルソンは静かに言う。

 過去の戦争でもゼムルヤは移民に魔導手榴弾を巻き付けて前線へと送り、魔力生物に魔導刻印を刻み込んで死ぬまで魔法を放つだけの兵器にしたのだ。

 兵士は畑で採れるを地で行くゼムルヤ・スネガや清中王国は他国にとっては恐怖の代名詞であった。


「……ああ、どうか無事で……ドゥルー神の加護があらんことを……」


 両親の涙に、まだ幼い娘エミリアはぱちぱちと目を瞬かせ、父へ向かって前歯だけが生えた口で可愛らしい笑みを浮かべる。


「エミリア、……パパへ……パパへ、行ってらっしゃいと言って」


「エミリア、もう一度顔を見せて」


 ヘンリーは囁いてエミリアの丸い額へ口付ける。

 最後にミーナの体を抱き締めたヘンリーは、軍帽を被り震える呼吸を深く、深く吐き出して玄関の扉を開く。


 そこにはもう、父であり夫であるヘンリー・ビルソンはいなかった。


「もう、よろしいのですかビルソン大佐」


「ああ……お前こそ挨拶は済んだのか? アーキン少尉」


 長い金髪を後ろで引っ詰めた女性、ケリー・アーキンが軍帽を腋に挟み敬礼を行う。


「はい、ビルソン大佐。私の家族は、両親だけですので」


「そうか、それは……それは、大層お辛いだろうな」


 ヘンリーの言葉に、ケリーの瞳には涙が滲む。

 しかし、その涙をケリーは口元へ微笑むことで消してみせるのだ。


「国の、一大事ですから。ビルソン大佐、お車を用意しております」


「いや……歩いて行こう。そう遠くない距離だ」


 ビルソンは軍帽を深く被り直し、湿った声で告げて歩き出す。

 彼らの歩く先には、血のように赤い沈みゆく太陽と、その太陽を追う対の月が浮かんでいた。



────


 既に冬の始まったゼムルヤ・スネガでは誰もが寒さに凍えていた。ゼムルヤ・スネガの国民ですらまともな防寒装備すら与えられていないのだから、それも当然であった。

 凍え、睫毛は凍りつき、口から零れる吐息は白く凍り付いている。


 その極寒の中、魔力生物たちは裸足に裸のような姿で凍えながら立っている。体は真っ赤を通り越し赤黒く染まり、足は動かす度に地面へと凍り付いて皮膚が破けて血を流すも、その血液すらほんの数秒で凍ってしまう。既に体を震わすほどの体力すら無いようだった。


 移民である奴隷兵たちは冷たいトラックの荷台へと座らせられ、首に取り付けられた首輪同士で繋がっている。

 トラックの荷台はその寒さにまるで氷のように冷たくなり、まともな服も与えられていない彼らの体は身動ぎをする度に皮膚が剥がれている。

 逃げようにも、魔力生物たちへ施されているのと同じ魔導刻印が彼らの体にも刻まれており、逃げることすら許されない。


「飯だ」


 国民兵の声が、奴隷兵と魔力生物たちへ届く。寒さと飢えに苦しむ彼らへ与えられたのは、五〇〇〇人を超える奴隷兵と一七〇〇〇人以上の魔力生物たちに対してバケツに二〇杯程度の残飯だけであった。


「兵隊様、私の子が、息をしていないのです、どうか、どうか精霊魔法を使わせてください」


 薄く白い吐息を吐き出すだけの、銀髪のエルフが涙を流しながら自身の子を抱いて食料を運んできた兵士へと縋り付く。


「魔力生物風情が我らが総統閣下の同志たる人間に触れるんじゃない!」


 暖かな毛皮で織られた軍服を着込んだ兵士がエルフの体を蹴り上げ、その腕の中に抱き込まれていた、既に関節が固まり薄く開いた瞳が凍った少女のエルフを奪う。


「やめて、おやめください!」


 エルフの体はすぐに冷たい地面へと凍りつき、立ち上がるだけで皮膚が破ける。しかし、それでも自身の子を奪い返そうと泣きながら兵士へと願う。


「このゴミを捨ててこい」


 しかし、兵士はそのエルフを見ることもなく踵を返しエルフの少女の死体を下級兵士へ渡して歩き出す。

 力無く座り込んだ銀髪のエルフは、ただ泣き続けることしかできず、翌日には体力の全てを使い果たし凍土の一部へとなったのだった。



────


 空調が効いたセレニティの会議室では、既に試験が終わっていた。

 試験結果はすぐに分かるとのことで、試験を受けていた者たちはみなその場に留まっていた。


 扉から、赤い眼鏡をかけたハーピーが入ってくるのが、誠司には見えた。


「合格者……ドミナ・エーブリエタース。ファキオ・ファーブラー。アク・アド。イーオン・アエタス。アーラ・アモー。セージー・カーミャー。アルブム・アルブス。以上だ。何か申し開きがある者は以降、三階の転送装置前、特定魔力生物課窓口へ来るように」


 ハーピーはそれだけを告げるとカシャカシャと爪音を立てて会議室から出て行く。

 誠司は、暫く動くことができなかった。しかし、腹の奥から込み上げるような喜びと興奮に思わず走り出し、エレベーターも待たず階段で三階のカフェスペースへと向かう。


 カフェスペースには、相変わらず不味そうに薄いコーヒーを飲んでいるフィニスと、そのコーヒーを美味そうに飲んでいるミコがいた。


「お、試験は終わったかい」


 ミコの言葉に口を開いた誠司は、しかし何も言えずにただ涙を流すことしかできなかった。


「君のその顔を見れば分かるさ。合格して良かったな。すぐ市民登録をしに行こうぜ。一緒に行ってやる」


 ミコは立ち上がり、フィニスを置いて誠司の元へ歩み寄るついでとばかりに氷だけが残ったコップをゴミ箱へと捨てる。


「ミコさんの、おかげです」


「俺はただ、ちょいと背中を押しただけさ。頑張ったのは君だぜ。……頑張るって、いいことだろ?」


 ミコの言葉に、誠司は涙を流しながら何度も頷く。

 ミコと誠司は二人で一階のルーメン都民課へと向かう。


「よっ、アルトゥス。急ぎで市民登録をして欲しいんだが、良いかい」


 席へ座っていたのは、青緑色の髪に胡乱な青い瞳をした人魚だった。人魚──アルトゥス・アウラに軽く告げたミコに、彼女はミコの隣へ立っている誠司を上から下まで見つめる。


「三年半住んでなければ市民登録はできないよ」


「彼は今日の特定魔力生物管理者資格試験に合格したからな、ここからの研修や小論文試験のために市民登録をしてやってくれ。しかも、彼はいまゼムルヤの人間だ」


 ミコの説明にアルトゥスは「なるほど」と頷き、書類を取り出す。


「パスポートを頂きます。この書類へご自身の名前と保証人の名前、住居をお願いします」


 静かなアルトゥスの言葉に、誠司はパスポートを取り出して渡してから言われた通りに書類を埋めていく。

 パスポートには穴が開けられ、そのパスポートにかけられていた魔導刻印を消す。


「できました」


「はい、確認します」


「君、字も上手くなったな。まるで元からこの国の人間だったようだぜ」


 アルトゥスへ書類を差し出すと、そう冗談めかして告げたミコに誠司は照れたように笑う。


「ありがとうございます、命がかかってるって思ったら、頑張れました」


「そうだろ、人生ってのはそういうものさ。人間も魔力生物も、いつだって、自分の人生のために命をかけるべきだ」


 静かなミコの言葉が誠司の胸を揺らす。


「確認できました。こちらがセージー・カーミャーさんの証明書です。必ず携帯してください。それから、こちらは中央ギルド庁舎の二階以上へ入るための特定魔力生物管理者仮免許です」


 二枚のカードが誠司の前へと差し出される。

 誠司は、ここでようやく自分が何かであるという証明をもらえたのだ。


「ならこれは、ミコさんからの合格祝いだ」


 歩きながら透明の箱に収められたブルーのカードケースが誠司へと渡される。首から掛けられるよう同色の革紐が付属されたケースだった。


「そんな、ありがとうございます」


「これから頑張って、冒険者になったら恩を返してくれよ」


 ミコの言葉に、誠司は何度か唇を開き、そして強く頷く。


「はい、必ず」

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