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冒険者よりも安上がり  作者: 田中
第3話

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セクション3 異世界から訪れた場合の礼儀について

 誠司が、紙の上に書かれたミコの文字をなぞり、法令を頭の中へと叩き込んでいく。

 しかし、誠司の心には僅かな甘えがあった。二ヶ月後の試験に落ちたとて、一年後には再び受けることができるのだと。



 ──同時刻、ゼムルヤ・スネガ郊外


 州民館のまえには長蛇の列ができていた。国民総兵力と言われるゼムルヤでは男も女も魔力持ちも魔力生物も区別無く戦争へと送られる。

 国民のほとんどは高い税率に苦しめられ、贅沢をすることもできず、凍る港に食料も少ない中、それでも糧を得るために戦争へと赴くのだ。


「列を乱すな! 前が空いたぞ、さっさと詰めろ!」


 指導官が怒号を上げる。

 女は少しでも寒さを遮断するために頭へスカーフを巻き、中へ何枚も着込んだワンピースで州民館の中で名を告げている。

 一〇歳未満の子供と八〇歳以上の老人だけが徴兵を逃れられる。


 それ以外の人間は、ゼムルヤ・スネガの国民を示す国民証に赤い判子を押されて返却される。これでもう、ゼムルヤ・スネガの徴兵から逃れることはできないのだ。

 赤い判子にはゼムルヤ・スネガの総統であるブラゴロギーの魔力が込められており、彼に魂を掴まれているようなものなのだ。


 州民館の前へと作られた長蛇の列の横を、移民を詰め込んだトラックが通る。国民は皆「移民よりはマシだ」と互いに身を寄せ合う。

 移民はまともな装備も無いまま、体に手榴弾を巻き付けて他国の兵の元へと走らされるのだ。それよりも粗悪品であっても武器がある国民のほうがマシだと、彼らは囁きあう。


 ゼムルヤ・スネガの南にある清中王国との国境に物資が積み上げられる。

 魔力持ちで無くても扱うことができる魔導力ライフルや手榴弾、魔力持ちが扱うことのできる魔導ライフルが何億もの数積み重ねられている。


 その隣では、裸足にまともな服すら与えられず寒さに震えている魔力生物が立っている。彼らの呼気は白く染まり、体は細かく震えている。

 ゼムルヤ・スネガにおいて、魔力生物という存在は人間に従属するもの、所有物であり奴隷だったのだ。

 彼らは移民と同じような扱いであり、唯一魔法が使えるために奴隷兵のように自爆をさせないというだけであった。



 カフェスペースの無機質なテーブルに座った誠司の読む白い紙の上に踊る“魔力生物管理者法令”という言葉が、彼の脳裏に酷く残った。

 不意に誠司が窓の外を見つめる。そこには暗い雲と澱んだ空だけがある。彼の瞳に、鳥が飛んでいるのが見えた。


 不意に、転送装置から出てきた誠司が名も知らない捜査官が知り合いなのだろう、カフェスペースにいた捜査官へ手を振り近付く。


「お疲れ、ポエッタもいまから仕事か?」


「おー、ラナンクルス。いや、海外紙見てたんだけどさ、ゼムルヤ・スネガがとうとうエヴィスィング国に宣戦布告だと。これは戦争も秒読みだな」


 その言葉を聞いた瞬間、誠司は心臓が力強く血流を押し流す感覚を味わう。ドクドクと鳴る脈動が、まるで誠司の鼓膜のすぐ近くで聞こえるようだった。

 誠司の頭の中で、ミコの言った“奴隷兵”という言葉がぐるぐると回り、リフレインする。

 誠司は、奴隷というものの真実は知らない。

 しかし、それが良くないものであることは知っていた。自分が、その奴隷へと落ちることになるのだということが、あまりにも恐ろしかった。


 そこでようやく、誠司はこの国で市民権を得なければ自分は死ぬかもしれないのだという恐怖心に襲われたのだ。

 日本では、死というものは酷く曖昧で、どこか遠い世界のものだった。だが、この世界では死は自らの隣にいるのだと、誠司は知ったのだ。


「ゼムルヤが戦争始めたら、セレニティはどうするんだろうな」


「いつも通りだろ、兵站と転送装置で儲けて漁夫の利を狙う」


「はは、それ他所で言うなよ。聞かれたら怒られるぞ」


 二人の捜査官が話し、「またな」と告げて別れる。

 誠司はそこで理解した。この国にいれば戦争に巻き込まれることは無いだろうということを。

 その時になってようやく、誠司は本腰を入れて勉強を始めた。


 神谷誠司という男は、運と甘えだけで生きてきた男だった。

 大学への進学を機に上京し、山口の訛りを標準語へ正し、勉強はほとんどして来ず、会社を興しては潰して、その負債を労働基準局へと押し付けてきた。

 いつだってのらりくらりと生きてきた、現代に生きる日本人だったのだ。

 そんな彼が、ようやく一念発起して勉強を始めたのは、自分の命がかかっていると理解をしたからだった。


「よっ、セージー。捗ってるかい?」


 カフェスペースへ、青色のアロハシャツに白いスラックスを履いたミコがやって来る。そのあまりにも軽薄な姿に誠司はパクパクと口を動かす。


「ああ、いいだろうこれ。トット……セレニティから南東に位置する国の土産なんだぜ」


 ミコの言葉に、誠司は眉を軽く顰め、そして「そうなんですね」と言葉を落とす。


「あの、ゼムルヤ……が、戦争準備を始めてるって聞いたんですけど、本当ですか?」


「……ああ、本当だぜ。セレニティから東にある国、エヴィスィング国に宣戦布告した」


 ミコが誠司の前へと座る。白紙の紙を小脇に抱えた彼は、そこから一枚を取り出す。

 手馴れたようにその紙の上へと線を描いていく。


 セレニティの周辺国、北のヴィントラント、東のバラド・ジャミル、南東のパス・コン・モンターナス、南のチェナッツィオ。

 更に、ヴィントラントの北西のニクス、東のゼムルヤ・スネガ。ゼムルヤ・スネガの南、バラド・ジャミルの隣国の清中王国。

 清中王国の南に位置するトット、東に位置する呉純、北東に位置するベーレ。

 呉純の隣には神聖皇国。神聖皇国の南東には五星国。神聖皇国の東にはナーバがあり、そのナーバの隣に大陸が描かれ、国境線が引かれた真ん中にエヴィスィング国の文字が書かれる。


 セレニティから清中王国までが一つの大陸であり、他は海に囲まれた国になっている。

 誠司の前で二七国の名前と位置関係が描かれる。


「このゼムルヤ・スネガの隣にある小さい国、ベーレをエヴィスィング国が植民地化したんだ。それに、ゼムルヤ・スネガが領海を侵されたとして宣戦布告したわけだな」


「なるほど」


 誠司は、あまり理解ができなかったものの、訳知り顔で頷いてみせる。


「まあ、実際のところは違うだろうがな。ゼムルヤ・スネガは国土の割に人間が住める場所も、耕地だって少ない。エヴィスィングが弱国だから、耕地と国土欲しさにベーレを口実にしてるんだろう。ゼムルヤは大魔戦争の際にヴィントラントの国土三分の一を奪って未だに返還してないしな」


「それって、嘘ついてるってことですか? 良いんですか、そんなの許して」


 誠司の言葉にミコは一度瞬いて、それから大きな笑い声を上げる。


「君、生きるのは初めてかい? 国っていうのは、二枚舌なのさ。いつだって建前と本音を使い分けないと生きていけないからな。この国だって、清いわけじゃないんだぜ」


 ミコはニヤニヤと笑いながらテーブルへ頬杖をついて誠司を見つめる。


「それで、君は法令や単語、覚えられたかい」


「あ、えっと……まだです」


「早くやっちまったほうがいい。君に残されてる時間は、君の想像以上に少ないぜ。今年の試験を逃せば、君は体に魔導刻印を押されてゼムルヤの操り人形だ。爆弾を巻かれてエヴィスィング国の兵士に抱きつきに行くことになるぜ」


 ミコの言葉に、誠司は信じられないとばかりに唇を戦慄かせる。その体すら僅かに震えているように、ミコには見えた。


「そんな! じ、じ、人権は無いんですか、国際法とか」


「何言ってるんだい、君。ゼムルヤの奴隷兵になるってのはそういうことさ。嫌なら、頑張ることだな」


 ミコは「じゃあな」と告げて立ち上がりゆっくりと歩いていく。その先には壁に凭れて暇そうにしているフィニスがおり、ミコはそのフィニスへ軽く声を掛けて転送装置の方へと向かっていく。


 残された誠司の顔は、血の気を失い真っ青になっていた。

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