後編 生き残った理由、看取る理由
ねえ、フォンユ。ボクはとてもオロかでした。ボクがシぬマギワになって、やっとワかったんです。ダレかがシんでしまうのはカナしくて、ダレかをノコしてシんでしまうのは、とってもカナしくて、きっと、ボクがシってるマリョクセイブツたちのことを、ボクたちがシらなくなってしまったら、それはきっと、もっと、イマよりもずっとカナしいと、ボクはオモいます。
だからダメなんですね。ねえ、フォンユ、ボクのことをナンドもトめてくれて、ありがとうございます。
フラマには、とてもたくさんのカナしみをノコしてしまいますね。
どうか、カレが、ナガいジカンをかけてでも、アタラしいイッポをフみだせるようになることを、ボクはいのっています。
どうか。あのココロヤサしいジュウジンが、シアワせになりますように。ボクはそっとユビをカラませて、イノりのかたちをツクる。
このイノりをオシえてくれたのは、ユニコーンのジュウジンのベルスだった。「かつての主が信仰していた、神に祈る時のポーズだ」とカレはイっていたようにおもいます。
ボクたちとまたチガったカミや、マリョクセイブツなら、もしかしたら。
「フエラ」
「なんですか、フォンユ」
「大切なものは、見つかったか? かつての魂と同じほどに大切に思えるものだ」
「ふふ、ミつけてしまいました。ツギにウまれてこれたなら、イマのボクがミつけた、このタイセツなモノを、タイセツにできるボクだといいなあ」
もう、タちあがることも、カラダをオこすこともできないカラダで、ユカにヒロがるジブンのチシオをカンじて、そっとマブタをトじる。オモテをアげることも、もうできない。
ボクのトモのカンバセをみることも、もうできない。
「ねえ、フォンユ。ボクはアナタのことが、いっとうタイセツなんだよ。……もう、キこえないかな」
かたわらでシんだ、ボクのタイセツなトモをオモって、シぬことのできるコウフクは、きっとナニモノにもカえがたいのだと、ボクはツギをネガって、セイをオえた。
────
そのパーティは、同胞殺しがあった屋敷だと聞いた。一人残ったサラマンダーの獣人であるフラマは堕ちている可能性があるとして、閉じられることを待つばかりの屋敷だった。
そこに行くことを決めたのは、正義感でもお節介でも無くて、ただの憐憫からだった。
堕ちた魔力生物は、屋敷が閉じられてしまっては何も残すことは無く消えるしかない。それなら、と思ったのだった。
それならば、魔力生物として戦って消えるほうが幸福だろうと。
なにより、きっと私の憧れている人達なら行くだろうと。
足を踏み入れた屋敷は、少しばかり澱んだ空気を除けば清浄だった。それを清浄と言って良いのかは分からなかったけど。
いつも通り、ヴェスパーとマーレを伴ってやって来た屋敷。
そこに残っていたただ一人は、静かに柱に寄り添って目を閉じていた。近づくと気配に気づいたのか、開かれた目には理性が見られ、穏やかにそこにいた。
彼によって語られたこの屋敷の実態には、驚くばかりだった。屋敷の者たちが殺し合い、悲しみに身を焦がすのはどんなにか苦しいものだっただろうか。
閉じられた世界の中で正義も悪も無く、それを許せないと嘆く魔力生物と、それは正しいのだと声を挙げる魔力生物と。どちらも主張することはほとんど同じにも関わらず、実態はあまりに違いすぎた。
「どうするのが、正しかったんだ」
フラマの血を吐くような慟哭が胸に痛かった。
「誰も正しいことを、教えてはくれない。どうするのが正しかったんだ。それがいけないことだと言うのなら、どうするのが正しいのか、教えてくれるべきだろう。どうすれば誰も死ななかった? どうすれば全員が救われたんだ。どうすれば誰も犠牲にならなかった」
自分を選んだ冒険者が、共に戦った魔力生物が、自身の兄弟分が、その全てが自分を残し、仮初の正義のために戦う姿は胸に痛かっただろう。その正義の何が悪いだなんて、誰も言えなかっただろう。それぞれが、それぞれの正義のために戦ったのだ。
「その方法を知っているのなら、教えてくれ」
フラマの血を吐くような嘆きに返せるものを、私は持っていなかった。きっと、誰もその答えを持っていない。
「何故世界を変えてはいけないんだ。俺たちは魔力生物だからか。お前たちは変えたがるのに、なんで」
ひぐ、とフラマの喉が鳴る。
それに、誰も返す言葉は持たないだろう。誰も、それに返すことはできないだろう。誰しもが持つ疑問で、誰しもが目をそらす疑問だ。
ふと、隣に座していたヴェスパーがその血色の悪い唇を開いた。
「それでなくてはならないと決められたからだ。それでなくては、世界はその道筋を辿らないからだ。
何か一つが変われば、アンタの兄弟が生まれない未来になるかもしれない。何か一つが違えば、アタシはここで契約もしてなかったかもしれない、誰にも見られることなく朽ちていったかもしれない。
何か一つが噛み合わなきゃ、ギルドにいるハイエルフはまだ森の中で苦しめられて朽ちていたかもしれない。その、たらればが全て排除された世界が、いまのこの世界の記憶だ。
だから、仕方無いだろ。アタシは……パーティを知ってしまった。コロポックルたちの快活な笑い声を、世話好きなエルフたちも、精霊の穏やかな感情も、悪魔の深い愛情も、天使の静かに風情を慮る姿も、何より、冒険者のことを知ってしまった」
その言葉を、私はいまに至るまで忘れることができないでいる。
魔力生物は魔力生物にとっての未来を守るために戦っているのでは無いのだと、再認識させられたできごとだった。
いま思えば、随分と昔のことだった。本当にそんな会話をしたのかも怪しい。人間はいつだって忘却をしてしまう生き物だから。
けれどその言葉だけは忘れられないでいる。
デスクの前で書類を整理しながら思い出に浸っていると、ふとノックと共に扉が開けられる音が耳に届いた。
振り返れば、あの当時から随分と変わったフラマがそこにいた。
「なんだ、一段落ついたのか。丁度いい、ヴェスパーが呼んでいたぞ」
その言葉に頷き、立ち上がる。
ヴェスパーが私を呼ぶなんて珍しいなと考えていると、「おい」とフラマが私へ声を掛ける。
振り返ると彼は少々言いづらそうに幾度か逡巡し、私の目をしっかりと見る。彼の夏の空と同じ色の瞳が私をしっかりと見つめて、瞬時たじろいでしまう。
「ヴェールが、俺を拾ってくれたことは感謝している。だが、それと同時にアンタに対して負い目があることも確かだ。初対面の時は悪かったな。知らなかったとは言え、アンタの師匠を悪く言った」
その言葉に、フラマの言葉をふと思い出す。
そういえば魔物落ちの説明をしてくれる時にそんな話をしたなと思い出す。
多分、私にとってはその程度の思い出でしかなかったのだろう。結局、死んだ人間よりも生きている人間のほうが大切になるものなのだから。
以前のことを悔いるように言ってくれたフラマに、「ううん」と首を振る。
そうすれば、彼は安堵したように頬を緩めてくれた。
それに、自身も頬を緩める。
「なあ、本当に感謝してるんだ。あの日、俺を見限らないでいてくれたこと。アンタの魔力生物にしてくれたこと、今日まで、共に戦えたこと」
「突然、どうしたの?」
「いや、ただ、いつ言えなくなるか分からないだろう。……アンタと、アンタのヴェスパーに、習ったからな。捜査官は、別れが多すぎる」
ふいに私から視線を外したフラマが庭を見る。
その眼には、何が映っているのだろうか。彼のいた屋敷で死んでいった数多の魔力生物か、それとも私たちが見てきた、もう存在しない魔力生物たちか。
彼があの日、あの本丸に置いてきた彼自身か。
視線を私へと戻したフラマは、その雰囲気を和らげる。
「早く行かないと、ヴェスパーが待ちくたびれるんじゃないか」
「そうだね。ありがとう、フラマ」
微かに聞こえた音は、ただの聞き違いだと思い込んでヴェスパーがいつも座っているお気に入りの縁側へと向かう。
そこには木漏れ日の中、ヴェスパーの友人のイルカ獣人のメンスが一人で座っていた。
「あれ? 今日はヴェスパーと一緒じゃないの?」
「ああ、ヴェスパーが呼んだんだろ。構わないよ。すぐに来るだろうから、ここにいると良いよ」
メンスの言葉に、その場に座る。彼の隣には電気ポットと急須が置かれていた。
温かいお茶が好きなヴェスパーのために買った、ちょっと良い茶葉がティーポットの中に入れられる。湯が注がれ、芳醇な紅茶の香りが鼻を擽る。
その香りに体から力を抜くとメンスに笑われてしまう。
「紅茶のにおいでそうも崩れるとは、きみとヴェスパーは似ているんだな」
「似てるなんて、初めて言われた」
その時、ふいに香ったどこかで嗅いだ覚えのある鉄錆の香りがして、すぐに紅茶の香りにかき消された。
「なあ、きみ。どうかヴェスパーを恨んでくれるなよ。彼女もああ見えて色々と悩んでるんだぜ」
含みのあるその言葉に首を傾げる。その表情は、悲しそうに見えた。彼が初めてこの本丸に来た時にも、確か彼はこんな表情をしていたように思う。嫌な予感が胸を掠め、立ち上がろうとすると彼にそれを咎められる。
「どうか、きみ。分かってくれ。きみは今日、なにも知らずにここで茶をしていた。俺と一緒にだ。それ以外、何も無い。どうか分かってくれ。ヴェスパーが守りたがった、きみを、守らせてくれ」
美しい金色の瞳が木漏れ日に滲み、私は理解してしまった。
そうか、そういうことなのか。
「……いつから分かってたの?」
「……そうだなあ。彼が、この本丸に来た、その日から。いつかこうなると分かっていた。それを今日まで引き延ばしたのは、俺とヴェスパーの我儘だ」
あの日、私の屋敷預かりとなって共に戦い始めたフラマの姿を思い浮かべる。あの燃えるような髪と美しい空色の瞳ばかりが、網膜に焼き付いて離れなかった。
「……契約できない魔力生物が増えていくね。この屋敷で死んでいった子が、多すぎるよ」
そうして嘆く私の背中をメンスは撫でて、手に温かなティーカップを握らせる。
その温かさが、いまはどうしようもなく哀しかった。
契約できないままに倉庫の中に増えていくヒトガタが、あまりに哀しかった。
その数が、私の救えなかった魔力生物の数と重なって、その重責に潰れそうだった。
「どうして、私なんだろう」
いつの間にか私のヴェスパーは断罪の人魚と呼ばれ始めていた。
彼女は、私と出会わなければまた違う未来を歩んだのかもしれない。既にダンジョンで魔物を倒した数よりも同胞を屠った数のほうが、多い。
命を奪うことに躊躇いを覚える、うつくしい青の髪をした私の大切な魔力生物を思い浮かべる。
────
それに気が付いたのは、その時には俺とヴェスパーだけだったと記憶している。
反逆者の証である、墨で塗りつぶされたような、首の後ろの刻印。
ああ、この魔力生物も、世界を変えたいと願ってしまったのかと思ったものだった。
それでもヴェスパーは彼を観察したいと告げ、俺はそれを了承した。日が経てばより悲しむことは理解していたにも関わらず。
日に日に濃くなるその刻印に、内側に沸き起こる渇きに、フラマ自身も気が付いたのだろう。
この屋敷へ来て数年が経過した頃、彼は粛々とヴェスパーと俺の部屋へやって来ると、静かに口を開いた。
「アンタらも、もう気づいてるだろう。俺の渇きはもう限界だ。どうか、ヴェスパー。アンタに、頼みたい」
その言葉にヴェスパーは静かに頷いて、そうして今日が来た。
「お疲れさん、ヴェスパー」
「ああ」
魔物へと傾いていたフラマの体は何も残らず、服の一片すらそこには無かった。
空の棺を、ヴェスパーは庭へ埋める。
きっと、昼の血臭で屋敷にいた魔力生物たちは何があったかを理解しただろう。
それに、また悲しみを覚える。
「気の良い奴だったな」
「そうだな」
「寂しくなる」
「そうだな」
「みんな、きみが好きでこういったことをしているんじゃないと知ってるさ」
「ああ、それは……ありがてぇよ」
死んでから何も残さない魔力生物を見るのは幾度目だったか。
ダンジョンで散ればその体を失うことは知っていた。それでも、目の当たりにすれば恐ろしくもなる。
ヴェスパーは、それを何度経験したのか。その悲しみを映す自身と同色のうみいろの瞳を見つめる。
命を大切にする、命を救われる尊さを知っている人魚だ。
喧噪よりも閑静な場所を好み、争いを嫌い、誰かと茶を飲むことを楽しむような、優しい人魚だ。
「どうしてきみなんだろうなあ」
「そういう……運命だったんだろ。運命ってのは変わることのないものだからな。でも、アタシはそれに満足もしている。アンタや、ヴェールとも会うことができた。それは、アタシの全てを投げ出してでも、手に入れる価値のあるものだろ」
静かな声に、思わず笑みが浮かぶ。嬉しかった。
「次に何かが起こる時には、もっと優しいものが良いもんだ」
それはフラグじゃないか、と静かな声が言うのを、俺は正義的に無視をする。




