前編 人間のような魔力生物
ぼくが訪れたパーティは、瘴気の渦巻く恐ろしい場所だった。ご主人は気弱な質で、魔力生物に舐められてはいけないと必死に暴力を奮って、時には魔力生物を殺してしまったり、それに逆らおうとすると仲間同士死ぬまで戦わせたりすることもあったらしい。
いや、ここで伝聞を使うのはぼくの法に反するね。
ぼくが見たのは仲間同士殺し合わせるというものだけだったけど確かにあったよ。ご主人はそれを悪いとは思っていなかったと言っていた。
そうしなければ、人間よりも遥かに強い魔力生物にアドバンテージを取ることができないんだと。
ぼくは側仕えとしてご主人の傍へと座って話を聞いていた。そうして、抱き締めて辛かったね、とそれだけを囁けばそれだけでご主人は滂沱と涙していたよ。
ご主人様が何故泣いたのかはぼくたち(もの)よりも人間のほうがよく分かるんじゃないかな。
とにかく、その日からご主人は変わったのさ! 無理な攻略もしなくなって、重傷になれば手入れをして、穏やかに微笑むようにもなっていたね。
けれど、ご主人の魔力生物はそれを恐ろしく思ったそうだ。
いつ豹変するか分からない。また自分たちが、降ろされたばかりで何も分かっていない仲間を殺さなければならないかもしれない。
……そうだね、彼らはすっかり人間のようになっていたんだよ。ふふ、魔力生物が人間の真似事なんて面白いよね。だからこそ生物と言うのかもしれないな。
あるかも分からない未来を恐れるのは、いつだって魔力生物ではなくて人間だからね。彼らは、すっかり人間になってしまっていたんだ。
そうして、彼らは見えもしないたらればを恐れて武器を持った。
あのままご主人が変わるに任せて魔力生物として生きていけば、きっと共に笑い合える未来もあったとぼくは思っているよ。
何度も言われたんだ。
「お前は冒険者に騙されている」
「こちらへ来い」
「お前を助けてやりたい」
……悲しいよ。ぼくが自分から望んでご主人の傍にいるということも理解されることは無かった。
それに……ぼくがご主人の傍から離れたら、誰がご主人様の悲しみを癒して、ご主人を慰めて、あの暖かい体を抱き締めて眠りに就くのだろうね。
ぼくはただ、脆弱で愛らしいあのただの人の子でしかないご主人を守りたかっただけなのにね。
ご主人は彼らよりずっと前から助けを求めていたんだよ。それこそ、冒険者になる前から、ずっと。
それを聞かずに無視をして放置をしてきたのは彼らだからね。ぼくは、あの魔力生物(者たち)のことを、ずっと恨んでいるよ。
ぼくが、もっと早くにご主人の傍に来ることができれば良かったと本当に思っているんだ。
ああ、その後だったね。
彼らは武器を持ってご主人を殺しに来たんだ。
執務室へ。
あの日は、雨が降っていたな。
セレニティは雨季に入っていて、雨がほたほたと降っていたんだ。
未だに相手を見つけられていない尾長鶯も時折泣いていた気がするな。
雨に濡れる紫陽花が綺麗だからと、ぼくが窓を開けたんだ。
ぬかるんだ地面と、重く垂れた雲、その間に咲く青と紫の紫陽花が雨に濡れて本当に綺麗だった。
その頃にはもう瘴気は随分と薄れていたから、空気もとても綺麗だったよ。
その時だった。
廊下側の襖が勢い良く開けられて、白刃が閃いて……。
ぼくはご主人を守るために必死だった。
障子を開けたのは、確かハーフリンクの二人だったかな。ああ、アクくんとアエラくんだ。切り込んできたのは、銀の髪をして面頬をした獣人……この子、アンゲルスくんだ。
ぼくがご主人とアンゲルスくんの間へ入ると、彼らは信じられないという顔をしていた。
ご主人を守る魔力生物なんていないと思っていたんだろうね。
そこでもぼくは、騙されているんだと、そこを退けと言われて……それでも退かなかった。
彼らが過去に何をされていても、何を思っていても、ご主人はぼくの唯一のご主人でしかなかった。
退けるはずがないよ。けれど相手は高経験の魔力生物で、小回りの効くハーフリンクもいる。
彼らが命を果たせなければ、きっと他の者が来るんだろうということも分かっていた。
けれど、どうしようもなかった。ぼくはまだ一度もダンジョンへも行けず手合わせもせず、経験だってなくて、装備すらも付けていなかった。三人の攻撃のひとつひとつがあまりにも重くてね……ぼくはアクくんを止めることができなかったんだよ。
ぼくの横をすり抜けていく彼女を、ぼくはその瞬間憎悪したんだ。
まるで人間のようだろう? 人間のように、彼女を憎悪した。思わず、ぼくはアンゲルスくんの腹を思い切り蹴飛ばして、アエラくんの頬へ肘を打って、ご主人のほうへと踵を返して……間に合わなかった。
ご主人は最後までぼくに見せてくれたあの穏やかな表情のまま、首を真一文字に切り開かれて、冗談のように血を流して……事切れてしまっていた。
ご主人の血はとても暖かかったよ。かぐわかしい香りもした。そして……それ以上に、絶望した。
ぼくは叫び、泣きながらアクくんの背中を、後頭部を、首を、……多分全身を滅多刺しにしていた。
アンゲルスくんに止められても、アエラくんに止められても、ぼくの声を聞いて駆け付けた誰に止められても、ぼくはアクくんを挽肉にするかのように刺し続けた。
……だって、あまりにも、報われないだろう?
ご主人が、報われない。
誰にも泣き叫ぶ声を聞かれることなく、悪と決め付けられて、理解されることなく死んでいくなんて、あまりに可哀想だと思ったんだ。
ご主人ひとりに対して、魔力生物ひとり。
ぼくたちの不文律、内なる法というのかな。
何かの対価には、何か同量のものを。
でも、ご主人は人間で換えは無いけれど、彼らは魔力生物だろう。いくらでも換えはあるんだ。
ぼくたちは、たかが魔力生物でしか無いんだ。彼らがそれをきちんと理解していたのかは分からないけれど、きっとしていなかったんだろうね。
だからこそ、ご主人にあんなに可哀想なことができたんだよ。
結局ぼくはご主人を守ることもできなかった。
パーティは解散されて、ぼくはアクくんを殺したために彼の兄弟分だったアエラくんに罵られたよ。
本当はぼくが彼を罵りたいくらいだったのにね。
幾人かは他のパーティへ貰われていって、ぼくだけがあの屋敷へ残って、残りは解放された。
それからしばらくして、ぼくの体に錆が浮かぶようになったんだ。
魔力生物の恨みを媒介にした呪いだって聞いたよ。この呪いはぼくが救われると伝播するらしくてね、だから、ミコくん。きみにはぼくを処分させることはできないよ。
このギルドへ来たのも、何かの罪滅ぼしだったのかもしれないな。
───────
屋敷に一人残された夢魔についての調査をソキウスが依頼されたのは、ソキウスが冒険者兼任の捜査官となって一二年が経過した頃だった。
その頃には世界大戦が始まり、セレニティでは内需が満たされ好景気が続いていた。
そうして冒険者として魔力生物と共に生きる中でギルドの依頼を受け、違法運営パーティやその他なんらかの要因があり問題が起きたパーティへ共に赴くようになっていた。
冒険者が殺されるということは意外にも多いのだということを、イグニスが知って嫌そうな顔をしていたのも、いまは昔のことだ。
その屋敷に残る夢魔のことを聞いたのは、そうしてソキウスがギルドからの依頼を受ける捜査官になってから一二年が、ソキウスの魔力生物である天使のドクトゥス・テンペスタスがこのギルドに所属してから四〇〇〇年近くが経過した頃だった。
他の者はほとんどが解放され、残った者もみな他のパーティへと譲渡された中でその夢魔だけはその屋敷へ残り続けたという。
ソキウスに与えられた命は、夢魔の保護だった。
屋敷は、ずっと雨が降っていたそうだ。
ギルドの職員が訪れて解放を行い、譲渡をし、その間も雨は降り続けたと言う。雨が止みませんねと言った職員へ、夢魔は穏やかに微笑んだそうだ。
なんと返されたのかは、聞けていない。
夢魔の屋敷へと繋がった転送装置からは、さらさらと雨の降る音が聞こえてくる。
一歩を踏み出すと雨に流された土が泥濘となり、まるで干潟のようだった。
足を取られながらも屋敷へと歩を進める。
──あの日から、ずっと執務室にいます。
ギルドの職員の言葉通り、夢魔は紫陽花の美しく咲く執務室の外、縁側で穏やかな表情のまま座っていた。
ぴんと伸びた背筋に、穏やかな視線、揃えられた膝。
彼は近付いたソキウスとドクトゥスを見ると、彼はことさら笑みを深めた。
「どうぞ」
甘やかな声の夢魔が立ち上がり、執務室へと歩を進める。
ソキウスとドクトゥスは靴を脱ぎ、揃えるとその後へと続いた。
少々濡れてはいるが、まあ後で拭けば良いだろうと考えたドクトゥスと違い、ソキウスは濡れた靴下を床にぐりぐりと押し付けている。
歩くドクトゥスの後へとソキウスが続く。
執務室の床の間へは刀掛が置かれ、そこに一振の刀が丁寧に掛けられていた。
「この屋敷へあなたたちが来たということは、ぼくの処遇は決まったんだね」
「はい、夢魔キトー・クラルス、あなたは一度ギルド預かりとなります」
ソキウスの言葉へ夢魔・キトーは一瞬瞠目し、もう一度微笑んだ。
「普通に話してくれて大丈夫だよ。あなたは人間で、ぼくは魔力生物なんだから」
「……助かる。ひとまず、君はギルドで預かって、その様子を確認してから改めて処遇が決定される。その最中はイグニスがお前の世話係になる」
「そうなんだね。うん、分かったよ。それじゃあギルドへ行こう。……そこで、改めてぼくの話をさせてもらっても良いかな」
キトーの言葉にソキウスは頷き、それを確認してから彼は自身の腰へ刀を差し、立ち上がった。
再び濡れた靴を履いて泥濘へと足を下ろすと、キトーは縁側からじっと執務室を見つめ、ゆっくりと一度頭を垂れた。
その表情をドクトゥスは伺うことなどできなかったが、見ることができたのはキトーの冒険者だけなのだろう。
ソキウスのほうを向いたキトーは既に微笑みを浮かべていて、「行こうか」と穏やかに口にした。
三人連れ立って歩く。
泥濘にはやはり足を取られたが、どうにかギルドへと帰り着く。掃除婦から「これは掃除のしがいがあるね」などと小言を呟かれながら泥を落とし、カフェスペースへと腰を下ろした。
その穏やかな声音と口調から語られた、あの屋敷で行われた全て。
そうして、彼がシャツを脱ぎ晒したその背中。美しい白い背中の三割ほどが赤茶けた錆に覆われた姿が現れる。
「何度医療魔法をかけても、削っても、何度だって出てくるんだ。これはね、呪いなんだよ。禁忌魔法だ」
キトーは再び微笑む。
「これは呪詛なんだよ。アクくんを切り、それによってアエラくんや、アンゲリスくんから受けた怨みと呪い。……どうしようもないものだね。
いずれ、この錆はこの身全てを覆って、やがてぼくは折れるんだ」
穏やかな微笑みだと思っていたそれは、どうしようもない諦めだったと、ソキウスはその時ようやく理解することができた。
「そうか、それならここで過ごすのは余生ということか」
ドクトゥスの言葉にソキウスが苦笑を浮かべ、キトーが驚いたようにドクトゥスを向く。
「あなたは、悲しんだり悼んだりしないんだね」
「悲しむのも悼むのも、人間の役割だろう」
それに困ったように笑んだキトーはシャツを着直し、その首元へ赤いネクタイを結んだ。
「ぼくが死ぬまで、よろしくね」
「こちらこそ、よろしく頼む」
ドクトゥスとキトーの穏やかなやり取りに、ソキウスはぼんやりと転送装置を眺めていた。
既に紫陽花の季節はとうに過ぎ、日がさんさんと差し込んでいた。
───────
キトーがソキウスの屋敷へやって来てから、約半年が経過していた。
じわりじわりと体を侵食する錆に、キトーは時折悪夢を見、魘されるようになっていた。
同室のドクトゥス・テンペスタスが「夜、魘されているようだよ」と伝えてきたためにソキウスが心配を浮かべた表情で、起こしてやっているのかと聞けば、「夢を見てる時に声を掛けるのは良くないから」と、常通りの口調で返される。
ソキウスは正直、そういった時の魔力生物の言葉のどこまでが本心でどこまでが冗談なのか、未だによく理解ができていなかった。
何を言っても、まあそれは些細なことじゃないか。と返すことの多い魔力生物の言葉は、実は全て本心なのかもしれないなとソキウスは思うのだ。
そして、そういったところがまた、魔力生物が人間とは違う生物であるという証拠なのだと思うのだ。
キトーの体は既に九割程が錆に侵され、関節は既に曲げることすらできず、彼自身も動くことが億劫になっているようだった。
呼吸すら苦しそうなキトーにソキウスは、何かしたいことがあるかと聞くも、ゆっくりと首を振られる。




