セクション1 パーティ維持の義務
ギルド所属、もしくはギルドから屋敷を斡旋されながらもギルドからの依頼を受ける魔力生物は、大抵が冒険者の名と共に呼ばれる。
しかし、ミコを相棒にしたフィニスは納税義務に対して大人の本気の駄々を捏ねてパーティ結成を破棄した。
そのため、ミコは‘’フィニスのところのミコ”ではなく、“ミコ”とだけ呼ばれるようになったのだ。
「君のせいだぞ、屋敷持ちにならなかったから」
そうミコがフィニスに言うと、フィニスは馬鹿にするように鼻を鳴らしてギルド内にある書庫のソファに寝転んだ。
「俺はいまの、ギルドで役人やりながら納税してるのですら拒絶反応で鳥肌立ってるんだからな、ほら」
フィニスがそう言い、わざわざ袖をまくってドヤ顔でポツポツと全体に広がった鳥肌を、ミコへと見せる。
「気持ち悪いな、そんなの見せるなよ。男の腕なんて、見ても嬉しくもない」
「ハイエルフもエルフも、男にも女にもそうそう欲情しないくせに、何言ってるんだ」
「俺は女好きのハイエルフなんだよ」
互いに軽口を言い合う。
フィニスは今日も相変わらず面白みの無い喪服のような礼服を身に付けている。
そんなフィニスの隣で、ミコはいつも通り全身ピンク色の衣装を着たチンドン屋か、アロハシャツにスラックスといった南国トットの観光客ルックで歩いている。
そんな二人の様子を、ギルド内ですれ違った新人冒険者が二度見した。
「だがな、フィニス。君がいま支払ってるのは所得税の一六パーセントと消費税の五パーセントだけじゃないか」
「そういう税金が全部免除になると思ったから冒険者になろうと思ったんだよ、俺は。
嫌だろ、税金なんか払うの。稼いだ金は全部俺のものにしたい」
「君はどうして、そんなにも税金を親の仇のように憎むんだ?」
ミコの言葉に、フィニスは唇を尖らせる。
「俺がまだ貴族だった時に、父親や一番上の兄が税金を引かれまくって火の車になってるのが可哀想だって思ったんだよ。
貴族の税率は四五パーセントだからな」
それに興味の失せたミコは「なるほどな、だからいまは自分のスネを齧ってるのか」と呟いた。
「そうだ、フィニス。次の摘発パーティのレジュメを纏めてるから読んどいてくれよ」
ミコがフィニスと話しながら歩いていると、不意にミコと同じハイエルフのバディが目に入る。
「やあ、ロイ」
ミコの声掛けに反応した、その白い髪をしたハイエルフ、ロイがまるで人形のようにうっそりとミコを見る。
ロイの白い絹のような髪には、光よりも時間の色が混じっているように見えた。
白い絹のような髪に、琥珀のような瞳をしたロイは、四〇〇〇年ほど前に初めて相棒として選ばれ、何度か冒険者と共に過ごしたハイエルフだった。
しかし、その最後の冒険者もロイの隣にはもういない。ロイは捜査官として、もう冒険者を持たないと決めていたのだった。
ロイは、通常のハイエルフとは違い、まるでミコのようにジョークも通じるうえに、鉄も肉も好む不思議なハイエルフだった。
そして、ハイエルフによくある不遜で自己中心的な性格も無く、穏やかで静かなところが人気の魔力生物だったのだ。
過去、彼と組めることを誇りにする冒険者は、後を絶たなかった。
「ああ、ミコか。久しいな」
ロイは、最後の冒険者だったトリナスが亡くなってからずっと、冒険者を持たず、ギルド付きの魔力生物として働いているのだという。
ロイ本人は、トリナスが亡くなったその日も、それ以降も悼む様子もなく、ごく普通の顔をして働いていたという。
四〇〇〇年間も勤続しているギルドの人間はいないため、そのロイと黒髪に黒い瞳のハーピー、そしてミコがギルド内でも最古参となっている。
「君、色々なパーティを摘発に行ってるんだろう?」
「ああ、そうだな。多分……両手足を含めても数え切れないほどに行った」
常通りの衣服を着用したロイと、アロハシャツを着たミコという、不可思議な二人組がギルドの廊下で話している状況が面白くて、薄暗くなり始めた窓に映る二人の姿を見てミコは唇を引き結ぶ。
薄暗い窓に、片方は色鮮やかに、片方は影のように映る。
「おい! ミコ、俺先に戻るからな!」
既にカフェスペースよりも先を行っているフィニスの言葉に「ああ、分かった」と返したミコは、そのままロイと立ち話を続ける。
ロイは、基本的には大体相槌を打つばかりで、時折返事をし、会話をする。
「どのパーティが、一番しんどかったんだ?」
「そうだな……病気になった冒険者を、一人で死なせたくなくて、傍付きの魔力生物がパーティ中の魔力生物と冒険者を全員殺して喰らったパーティが、あった」
静かに淡々と話すロイの声は、別段大きくも無いにも関わらず、廊下を震わすほどに聞こえた。
「そんなパーティがあったのか」
「ああ、そんなパーティが数多あった。最近は、随分減ったな」
ロイの穏やかな声が、ミコの鼓膜を心地好く揺らした。
「もう、俺が呼ばれてから何年が経過したか分からないが……俺がパーティにいた頃は、たくさん、たくさんあった」
ロイは、過去へと思いを馳せるように窓の外の夕暮れに視線を落とした。
「……魔力生物や、ハイエルフには、忘却が無い」
「ああ」
「時折、忘却という赦しを与えられる人間が羨ましくなるな」
その言葉はきっと、人の心の奥にそっと落ち、柔らかい部分を静かに突き刺してゆくだろう。
ミコ自身、ロイの言葉に心臓を掴まれるような心地すらしたのだ。
胸の奥に、見えない棘がひっそりと沈んだようだった。
ロイは、昔からこうだったのだ。
いつだって達観した眼差しで、遠いどこかを見つめている。
不思議な魔力生物だった。
けれど、その瞳は亡くした誰かを想っているのではなく、ただ静かに凪いでいるだけだった。
「ロイ、明日行くパーティの話を聞いてくれるか?」
ミコの言葉に、ロイはゆっくりと瞬きし、そして「ああ、構わない」と応えた。
こういう時、ロイは本当に他者のことを気にしないのだと、ミコはそう思うのだ。
人間であってもハイエルフであっても存在する、他者への興味や理解が、ロイには一切無い。
摘発パーティのことを聞くことを嫌がるバディや冒険者は多いし、これがイグニスならば眉根を寄せて言うのだろう。
「そういったものは社外秘だよ、ミコくん」
そう言って、あの小さな体を揺らしながら去っていく姿が浮かぶ。
しかし、ロイはそういったことを一言も言わずに「構わない」とだけ言う。
ミコは、ロイのそういうところを気に入っていた。
────
報告書によると、そのパーティは冒険者が魔力生物を皆殺しにした場所だと言う。
二ヶ月が経過しても任務完了の報告が無かったために発覚したのだと言う。
「ギルドの役員がそんなに早く動くわけがないだろう」
「多分、納税が無かったんじゃないか?」
「ああ、それなら納得だ」
ロイの言葉に、ミコが返事をする。そうすれば、ロイは薄く笑んで頷くことで返した。
「ギルドは納税が無ければすぐに動くからな。もしも早く来て欲しいなら、税金を払わなければいい。そうすれば医療師よりも早く来る」
ロイの言葉に、ミコは「わはは」とひとつ声を上げて笑うことで返す。
ミコのそんな反応に、ロイは嫌な顔ひとつせず薄く笑うことで返してくれる。
大抵、パーティにいるハイエルフやエルフは、笑いの“ノリ”がズレていたり、そもそもユーモアが通じない者も多いがロイはそんなことも無い。
傍らに冒険者を置かず好きなように動いているロイは独り者だ、だからこそミコと同じように、ただの“ロイ”と呼ばれる。
そんな存在だからこそ、ロイは不思議な感性を持っているのかもしれない。ミコはそう思っていた。
「それで、続きはどうした?」
「ああ、すまんすまん」
それで、その報告によると……二ヶ月が経過しても出陣が無かったことからパーティが身を寄せる屋敷へ調査が入ったんだと言う。
その時に調査に入ったのがソキウスのパーティだったそうだ。初バディの、アニマリア族のフェネック獣人のイグニスとハーフリンクのアエスタスと共にな。
「ほう、ジョック族が初バディとは珍しいな。俺はすっかり、ハーフリンクが初バディだとばかり思っていた」
ロイは、アニマリア族を四〇〇〇年前の呼称、ジョック族で呼ぶ。現在ではある種、蔑称にもなっているその呼び方はギルド内で聞かれれば即座に指導が入るにも関わらずだ。
「ああ、滅多にいないからな、アニマリア族の、しかもフェネック獣人が初バディというのは。大体が嫌われ者だ、アイツの機嫌は収穫の季節のように荒れやすく、怒りっぽい」
「ははは、確かにな」
ロイが口角をわずかに上げる。それを見て、ミコもつられるように笑いを返して、話を続ける。
調査に行ったところ、屋敷内は血塗れ、あちらこちらに魔力生物の死体が山積みだったと言う。
冒険者は正気を保てず、意味の無い叫びを繰り返していたために大型医療施設へ送られ、その屋敷の調査がミコとフィニスに回ってきたということだ。
「普通ならソキウスのパーティがそのまま引き継いで調査をするだろう」
ロイの言葉に、ミコも頷くことで返す。
「ああ、普通ならな」
「普通じゃなかったということか?」
「そうだ。その本丸では、前皇歴一二二〇年頃に行われた、カンディドゥス呪殺事件と同じように、呪いの兆候が感じられたらしい」
「呪殺か、ならパーティ付きじゃない冒険者に回されるのも納得だ」
呪殺事件となるとパーティ付き冒険者がそのまま関わることが望ましくないとされる。
冒険者を伝って、全ての魔力生物に呪いが広がっていくことも少なくないからだ。そうなれば大量の魔力生物資源が失われる。
そのため、パーティ付きではない、被害が少なく済む捜査官に回されることが多いのだ。
ミコとフィニスの場合、呪いが回るとしてもフィニスとミコの二人のみになる。
だからこそ、フィニスはこういった事件の時に重宝される。
「明日だったか」
「そうだな、明日だ」
「呪殺事件は大変だが、無理をするな」
「ああ、気を付けるさ。俺が死んだら君と話す奴もいなくなるからな」
「ああ、そうだな」
ミコはロイが彼の言葉を肯定したことに驚き、ロイの顔を見る。
白い髪に金色の瞳をしたロイが月明かりの下、まるで幽玄のように立っている。
「お前がいなくなると……つまらなくなるだろう」
静かな声だった。
まるで凪いだ海のような、穏やかな声がその空間を揺らす。
「お前と、お前の主が来る前は、こんなに楽しくなかったからな」
「そうか、君が……楽しく思ってくれているなら何よりだ」
ロイは、不思議な存在であった。なんのてらいもなく恥ずかしいことを言うことができるのだ。
翌朝、フィニスが仕事に行きたくない時は絶対にかけることの無い目覚まし水盆が鳴らないことに、早くに起きていたミコが気が付いて、午前九時にフィニスを叩き起こす。
「ほら、起きろフィニス! 仕事だぞ!」
「いやだ! 今日の仕事、めんどくさいだろ! いやだ!!」
「納税もしたくない、仕事もしたくないで、君どうするんだ!?」
布団を被って嫌だ嫌だと喚くフィニスの掛け布団を、ミコが引き掴んで引っ張る。
「だってあのめんどくさい本丸だろ!」
「フィニス、どうせ君は報告書読んでないだろう! 折り目も付いてなかったぞ!」
「うるさいうるさい! だって俺が行く本丸全部めんどくさいだろ、税金払いたくないのと同じくらい行きたくないんだよ、死ぬかもしれないだろ!!」
ミコが掛け布団を引き剥がして、シーツにしがみつくフィニスの体をベッドから引きずり下ろす。
目やにの付いたフィニスの顔を濡れたタオルでグリグリと拭いて部屋から叩き出す。
「行くぞ、フィニス!」
「嫌だ、これ部屋着だろ!」
「どうせ見るのはギルドの冒険者やバディくらいだから良いだろ、行くぞ!」
ミコが大の大人の本気の駄々を見るのはこれで何度目だったかも分からなかったが、ミコはフィニスの腋の下へ腕を回し居住区域からギルド内の転送装置へと向かって引きずる。
ミコたちが住んでいる居住区域の通称A室はカフェスペースと転送装置がある三階にある。
これがC室の多くある二階や、A室が多い四階だったならば、ミコがフィニスを引きずって歩くのも、もっと大変だっただろう。
一七〇センチメートルはあるフィニスは、まるで巨大なナメクジのように下半身を床に擦り付けながら、ミコに引きずられていた。
そんな様子をギルド所属のバディや冒険者は見慣れたという様子で、その異様な光景にも誰一人驚くこともなく、いつもの朝の光景を眺めるようにカフェスペースに座って使い捨てのコップ式の魔導販売機で売られている薄い泥水のようなコーヒーを啜っていた。
「ミコ、今日も大変そうだな!」
「ああ、本当にな! 君らも今日は任務かい? 頑張れよ!」
ハーフリンクのアエスタスから掛けられた言葉に、ミコはフィニスを引き摺りながら返す。
政府内の転送装置へ到着するとフィニスはとうとう諦めてミコの白い手を叩いた。
「ミコ、分かった、行くから、せめて靴履かせてくれ」
そう言ったフィニスを、ミコは転送装置の前へ置いて「ここから逃げるなよ、いいな」と声を掛ける。
そして、フィニスとミコの部屋へと戻ったのだった。
フィニスの服の上から着せるための上着と靴を持って戻ると、フィニスは綿の寝巻きのまま床に座り込んでいた。
「戻ったぜ、さっさと向かおう。嫌なことは早く終わらせるに限る」




