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冒険者よりも安上がり  作者: 田中
第22話

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中編 アミュレットの存在理由について

「馬鹿野郎! 死んでしまうも何も、テメェが殺したんだろう、主を!」


 ラピスに揺さぶられるナツメが、糸の切れた操り人形のようにガクガクと揺れるのが恐ろしかった。

 まるで、これが悪い夢ではなく現実であるかのような、妙な実感がそこにあった。

 しかし、血臭を嗅ぎすぎて馬鹿になった鼻に、涙を流しすぎて熱くなった目に、そのどこにも虚構は無かった。


 ラピスの涙混じりの怒声がキッチンに響く。それに、ナツメは再び、首を傾げた。


「主はいまから俺と一つになるんだ。そうすれば、主は俺がいる限り永遠に生きていられる。主が死んでしまうのは、可哀想だろう」


 先まで理性的な光を灯していたはずのナツメの瞳孔は開き、焦点が合ってすらいなかった。

 まるでただ嵌め込まれただけの硝子玉のような瞳をしていた。

 そして、ナツメはその硝子玉の瞳のまま、ことさらやさしく微笑むとラピスの首へと手を伸ばす。

 その、いまにも折れそうな腕で咄嗟のことに困惑し動きあぐねたラピスの首を、鶏でも絞めるかのようにいとも簡単にへし折った。


 重い音を立てラピスは血に塗れた床へと倒れ込み、ナツメの一太刀でその首は胴体と分かれてしまった。


「……ナツメ」


 思わずと緊張に掠れた吐息のような声をひくつく喉から絞り出すと、ナツメはラピスの首を折ったのと同じ微笑みを浮かべ、俺へと刀を振り上げた。


「ヒナタも、死んでしまうのは可哀想だから食ってやろう」


 最後に見たのは、ナツメの狂ったような優しい笑顔と、僅かな悲哀の交じる紅の差す瞳、そして血に塗れた白刃だった。


 ふと目が覚めると、屋敷の中にはひとつの生すら感じられなくなっていた。

 引きずられたような血の跡に、転がる首。

 ああ、と声が漏れた。


「そうか、屋敷で死ぬと、肉はうしなわないのか」


 そうして漏れた言葉に、何故俺は意識があるのかと呆然とした。最後の記憶が確かなら、俺は死んだはずだった。

 主の、魔力生物の血を吸いぬらぬらと光るナツメの刃が、俺の首にぬるりと差し込まれ、意識の一切は失われた、その記憶がたしかにあった。

 そうして立ち上がった俺の胸に当たったのは、首から下げた破壊されたアミュレットだった。

 結界魔法と治癒魔法を同時に使用し超速治癒を行い一度だけ死を免れるその高価なアミュレットは、パーティの中でまだ経験の浅く弱かった俺に渡されたものだった。


 主からの贈り物が嬉しくて、風呂に入る時ですらずっと首からかけていたことを思い出した。主から貰った唯一が俺を助け、それによって主から貰った唯一はもうここから失われていた。


 血に濡れて気持ちの悪い体を動かす。

 濃緑色の着流しは真っ赤に染まっていた。

 生きる気配の無いことから分かるように、ナツメはもうこの本丸にはいないようだった。


 厨の床に転がっていたラピスの首を持ち上げその戸惑いを残したままの首から血液を拭い、テーブルへと乗せる。

 その困惑を写す目をそっと閉ざそうとしたものの、もう固まってしまって動こうとしない。俺は、諦めてそのままにしておくことにした。


 ナツメの美しく研がれた刀で切られた首の断面は滑らかで、しっかりとテーブルの上に自立している。それが不思議だった。

 ラピスを立たせたテーブルの上へと乗る、肉の塊と、作られた料理。

 このどれかは主のもので、どれかはこの屋敷で共に過ごした魔力生物のものなのかと茫と考えながら、挽かれ、捏ねられ、焼かれた肉を眺めた。

 それらは作られて時間が経った為に冷めて白く脂が浮き、やや固まっている。上にかかっている赤い、分離して固まりかけたソースもまるで床にぶちまけられた血のようで苦しくなった。その時ふとナツメの言葉が脳裏に過ぎる。


──ユーススはいまから俺と一つになるんだ。そうすれば、ユーススは俺がいる限り永遠に生きていられる。ユーススが死んでしまうのは可哀想だろう。


 そうか、食べれば主もパーティの仲間たちも、この屋敷の者たちは俺とともに永遠に生きていられるのか。

 脂の浮く肉へ箸を通すと、それはあまりに簡単に切ることができた。

 口へと含むと固まった脂が口内の温度で溶け、味蕾が解ける。


 ぼたぼたと、しおからい涙が溢れてきた。


 主の肉が、同胞である魔力生物の肉が、あまりにも美味かった。

 その事実が、あまりにかなしかった。


 一人黙々と肉を食べる俺の姿を、テーブルへと乗ったラピスの首が、そのうつくしい天色の双眸が、まるで責めるかのように見つめている。

 焼かれた肉を食べ、部屋へと戻ると黒い風呂敷を取り、そこに本丸中の床に落とされた生首を一人一人拾っていく。そうして集まった首を持って庭へと出た。

 庭には、やはり雨が降っていた。足を取るような泥濘を歩き、畑の柔らかい土を掘り、そこへ一人一人そっと収めていく。

 昨晩まで笑い合っていた仲間は、もうそこには誰もいなかった。

 最後に生首の一番上へとラピスをそっと置いて、俺はその穴の前へ墓標代わりに自身の刀を刺した。そうして朽ちるために俺は自分の部屋へと戻る。


 ただ、主を悼むかのように降る雨だけが空と地面とを細く繋いでいる。



────


 世界は、残酷で醜悪だ。なのに時々美しく装って俺を困惑させる。


 俺の主であるユーススはただただ不器用で、けれどそれを補って余りある繊細で、穏やかで誠実で実直な心を持っていた。

 俺たちはそんなユーススを愛していたし、ユーススが死を迎えるまでは共にいようと、そう思っていた。

 そしていつかきっと、俺はユーススの黄泉の案内をするのだと。その為に共に墓へ入るのだと、そう信じていた。


 そんなユーススから、病のことを聞かされたのは主が冒険者となってから七年が経った頃で、俺がユーススと共に生活をして六年と三六一日が経過した頃だった。


「なあ、ナツメ」


 ユーススがいつも通りに俺に話しかけるから、俺はただ普通に、いつも通りに「なんだい、ユースス」と答えた。

 そうするとユーススはいつも、俺の知らない世界の話をしてくれる。

 それは夢物語であることもあれば、現実世界の話のこともあった。

 その、ユーススから語られる話が、俺は大好きでそれを聞くために傍付きであるラピスよりも俺のほうがユーススの傍にいることが多かった。


「俺なぁ、死ぬらしい」


「なんだい、今日はなんの話だ。嫌な冗談はやめてくれ」


 俺をまっすぐに見つめるユーススの瞳には、ひとすじの笑いすら浮かんでおらず、嘘や冗談は全く見えなかった。

 ただただ、真摯に俺を見つめていた。

 それだけで俺は、ああ、これは本当のことなのだと理解してしまった。理解して、ああ、嫌だな。と思ってしまった。


「死ぬのか、ユースス」


「ああ、死ぬ」


「いつ死ぬんだ」


「来月の末には、政府直属の病院で死ぬまで管理されることになる」


「……そうか」


 俺の返事の後には、ユーススはもう何も言わなかった。

 初めて、ユーススと二人きりなのに何も話さないまま、太陽が沈む様子だけを並んで見つめていた。


 冷めていく手の中の湯呑みだけが妙に現実的で、俺は改めて“ああ、ユーススは死ぬんだなぁ”なんて思っていた。

 ユーススは死ぬことに関しては諦めた様子だったが、それでも一人で見知らぬ場所で死んでいくことが辛い様子だった。


 俺とユーススは、もうユーススが死ぬことについては何も話さなくなっていた。

 そんな時だ、ユーススをこの屋敷で殺そうと決めたのは。狂ったふりをしてユーススを殺して、魔力生物もみな殺して、そうしてその肉を食べたら、俺が死ぬまではユーススは俺と共に生き続けるし、ユーススの魂は彼を慕う魔力生物と共に黄泉を往くことができるだろうと。


 そのためには、時間が無かった。いつ計画を遂行するかも考えていなかった俺は、ユーススに言われた通りに、彼が来月末には結婚のために冒険者の任を降り故郷へ戻るという話をした。

 みなそれを喜んだ。

 当然だ、冒険者の幸福は、俺たち魔力生物の幸福だ。

 俺たちとユーススはここで別れることになるが、きっと彼の行く先には幸福が訪れると、そう思ったのだ。


 ……俺も、知らなければそう思えただろう。


 俺はただ機会を待った。ユーススがみなと別れの挨拶を済ませた、翌月の半ば。鳥も鳴かぬほどの早朝に、俺はユーススへと話をした。

 ユーススは驚いて、俺がそうも悩んだことを悲しんで、そして俺を悼み、抱き締め、喜んでくれた。

 俺はユーススが苦しまないよう一太刀で頭を落とし、血抜きのために天井から逆さに吊るした。


 すまない、すまない、と微かな声を漏らす度に、ユーススは気にするなと言うように頭を失った首から血をこぼした。

 こんなにも畳を汚してしまったら、きっとサトゥムに怒られてしまうだろう。トゥパにも怒られそうだと、ぼんやり考えた。


 そうして俺がユーススを殺して皮を剥ぎ解体している姿を、血臭を感じやって来たのだろうヒナタに見られてしまった。

 呆然とこちらを見ていたヒナタは、滂沱と泣きながらその場に蹲ってしまった。この光景を信じたくなかったのだろうと、胸が痛んだ。ヒナタは、優しい鬼だ。

 きつい物言いや優しくない言葉は、精一杯の彼の救いを求める言葉だ。触れなければ、関係を持たなければ、そうすれば悲しむことは無いのだと。

 それを知っていた。

 この優しく穏やかで、何よりも縁と関係を大切にする鬼のことを、俺はきっと誰よりも見てきた。


 それでも、俺はユーススのために行動をしなければならなかった。


 屋敷内の異常を察知して駆けてきたハーフリンクを、エルフを殺し、セイレーンを、鬼を、人魚を、コロポックルを、獣人を、一人一人殺していった。

 この身に魔力生物の血を浴びる度に、怨嗟と恨みが穢れとなって渦巻いていく。キッチンへと戻って来ると、殺したはずのヒナタが五体満足で眠っていた。そこで合点がいく。


「そうか、アミュレットか」


 その場にそっと膝をつき、ヒナタの血に固まった髪を撫で、俺は刀を鞘へと収めた。二度も、可愛い弟分を殺したくはなかった。


 俺はユーススの肉を、同胞の肉を調理し、ただ食べ続けた。

 ユーススの肉はさながら甘露のようで、あまりに美味しくて、食べながら嘔吐き、泣いた。

 血を吸う鬼となってしまった魔物は人間の肉を好むのかと、胸の内へと溜まる怨嗟と恨みに、穢れに、どうしようもなくなって、ただただ泣いた。

 ユーススを美味いと感じてしまう俺の体が、どうしようもなく憎かった。

 本当にいまにも狂ってしまいそうな体を引きずり、ユーススの頭を抱き締め、俺を壊してくれと、その願いだけを胸にギルドへと向かう。


 ギルドの転送装置前にいた転送員が、俺のことを見て何かを言ったような気がしたが分からない。

 ただ、撓む聴覚と視界の中で前へ進んだ。


 ギルドの窓口に立っていた、美しい白にも似た銀髪と長くの時を見つめてきた琥珀のような瞳のハイエルフは穏やかに俺を見て微笑み、言葉を交わし、話を聞き、自我を失った俺を殺してくれた。

 あのハイエルフに、最後に伝えた感謝の声は聞こえただろうか。


 どうか、ヒナタを助けてやってくれ。アイツは寂しがりなんだ。あんな場所で一人だと、きっと寂しがる。

 どうか、よろしく頼む。

 ハイエルフは声にならなかったそれに、微笑みを返してくれたように感じた。

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