神聖皇国の死生観について
皇歴三四〇年、世界歴二一八五年。
皇歴三三九年、世界歴二一八四年に清中王国の友好国である南の海洋国家トットが参戦表明をしたことにより、重い腰を上げたのは神聖皇国だった。
世界で唯一の“皇帝”を抱く、万年の歴史を持つ唯一の国である。
神話歴三九九年にセレニティと永世親交国として不可侵条約を結んだ国でもあった。
日聖と呼ばれる、神聖皇国の皇帝が魔導音声機で国民へと呼びかける。
『空は青く澄み渡り、冷たく透明な魚が体の中を通り抜けるような清々しい、素晴らしき今日というこの日に、我らが愛し子たちを戦火へ送る悲しみを、許してください』
柔らかな声が響く。
日聖の言葉を、誰もが大切な者と、職場の者と、そして魔列車やバスの中で聞いていた。
その声は穏やかで、決して焦りすら見えなかった。だからこそ、神聖皇国の国民たちは静かな気持ちでその言葉を聞くことができたのだ。
『皆様もご存知でしょう、この度の戦争で、我が国、美しき神聖皇国が戦火に曝される日が遠くないということが、……分かりました。この国を守るため、一致団結しこの苦難を乗り越えましょう』
今度の日聖は女性で、生まれた時から目元の紅が美しい者であった。
神聖皇国の日聖は、四〇年周期で生まれる。首の後ろに赤い羽毛が生えている者が日聖であり、新たな日聖が二〇歳になると、前の日聖はその命を静かに終えるのだ。
日聖は、神話歴の頃にその代の皇帝と心を交わした不死鳥の末裔だと言われているのだ。
『私の愛しき子ら、共に安寧を取り戻し、静かな日々を歩みましょう。
皇国軍は、愛し子たちの力を必要としています。素晴らしい日々のために、互いに手を取り合いましょう』
そこで魔導音声機から日聖の言葉は終わる。
「なあ、お前、皇国軍に志願するか?」
誰もが言葉を発することのできなかったバスの中で少年の声が響く。
半円を描くように立っていた、同じ部活のユニフォームを着た少年たちが唇を僅かに歪めて、それから何度か躊躇い口を開く。
「俺は、もし行くとしてももう少し先かな。だってさ、俺……やっとピッチャーになれてさ」
「それは分かるけどさ、でも、国の一大事だって日聖様も言ってるんだぜ」
「じゃあ、航太は志願すんのかよ」
少年たちの言葉に、バスの中にいる誰もが、“果たして自分はどうするのだろうか”と自分の心の中へと問い掛けるのだ。
「俺はさ、行くよ。勉強できないし、ずっとベンチだし、それならこの命を国のために使いたい」
静かな声だった。しかし、日焼けをしているその顔色は真っ白で、唇は青白くすらなっていた。
「お前、だって、ベンチでもこれからだって監督が言ってただろ」
「でも、俺さ、俺、このままベンチだったら大学だって行けないし、頭も悪いし、それなら日聖様のために、国のためになることをやりたい」
まるで、英雄的思考だった。
自らの命が戦争を変えるのだと、そう言うかのような、どこか夢を見るような視線と声音だった。
しかし、誰もその言葉を笑うことはできない。まだ幼い彼らにとって、そのような英雄的思考は、言葉にするしない関わらず存在するものなのだ。
バスが駅に停まる。
空気が抜けるような音が鳴り、僅かにその車体が沈む。
「じゃあな、また明日」
まだ白い顔色で航太は告げて、早足でバスを降りていく。
脹脛の筋肉に力が入り、タラップを踏んで降りていく。彼と同じく、数人のスーツを着た男性と女性が降りていった。
その誰もの頭に“自分は果たしてどうするのだろうか”という思考が浮かんでいる。
「なあ、航太、ほんとに志願すると思うか?」
「わかんねーよな。でもアイツ、あんなこと言っちまったから、行くしかないって思ってんじゃねぇの」
バスは、次の停車駅へと着く。一組のカップルが立ち上がり、体を抱き締めあう。
まるで、もう二度と会えないかのように。
「また明日、会えるよね」
「俺、父さんが……軍人だから」
たった一言だけの、言葉。
それに少女の眦に涙が浮かぶ。野球部の少年たちとは違う、進学校の制服だった。
仲間たちといる時は「羨ましいな」「俺も彼女ほしー!」なんて言っている彼らは、言葉すら無く、その二人を見つめることすらできず、僅かに視線を逸らしている。
「あたし、待ってるから」
その白くまろい頬を涙が伝う。
どこか、演技的な涙だった。悲劇のヒロインである自分が可愛いと言うかのような、そんな涙だった。
「あたし、ずっと待ってるから」
「うん、待ってて。絶対帰ってくる」
静かな声だった。
『次は、山之手参道』
運転手の言葉に、少年がもう一度少女の体をきつく抱き締めてから、歩き出す。
その少年の姿を見送ってから少女は涙を拭い、涙で崩れてしまったメイクをコンパクトを見ながら直す。そのしなやかで白い脚は組まれて、鼻から深く息を吐き出していた。
そして魔導端末を開き、素早い指さばきで友達だろう人物へメッセージを送る。
先程、恋人と別れを告げていた人物とは別人のようだった。
────
誰もが、最後には家に帰る。
家が無くダンボールの中で眠る人間も、そのダンボールが家なのだ。青いシート、底冷えする体を暖めるダンボール。
そんな彼らを後目に、少年たちが笑いながら走っていく。
裸足で歩くホームレスたちに、軍人がチラシを配っていく。
皇国軍への入隊を促すチラシだった。給料と、三食の食事、暖かな部屋と布団、毎日の風呂。
家のない彼らからすると、夢のような条件だった。
「タジマのオヤジ、行くかい、コレ」
神聖皇国では、文字が読めて計算ができる人間や魔力生物ですらホームレスになることがある。
そんな中で、ひとつのチャンスを得ることができる。生き方を、変えることができる。その可能性を得るのだ。
「俺は、もう……年だからなぁ」
黒く汚れた焼酎の瓶に直接口を付けて喉を鳴らしながら中身を飲み下す。酒気を帯びた息を吐きながら、タジマのオヤジと呼ばれた男性は静かに言った。
「お前は行ったらいい」
タジマのオヤジはそう告げる。
黒く汚れた焼酎の瓶を、対面に座った髭面の男性へと渡すと、彼は手で感謝を示して一口飲む。
「ありがとよ、タジマのオヤジ」
「おう、……ヤマウチはまだ若いんだからよ、行ったらいい。ここにいたらいずれ、冬の寒さか夏の暑さで死ぬ。なら、誰かのために戦場で死ぬほうがいいだろう」
静かな声だった。
手動発電の音声機からは、夕方に告げられた日聖の言葉が繰り返し流れ、コメンテーターが静かに「国民の皆様、ここからが神聖皇国の意地の見せどころです」と優しく告げる。
────
翌日、学校の生徒は三分の一がいなくなっていた。教師はそれを当然かのような表情で「彼らは勇気ある志願兵として、皇国軍の元へ向かいました」と告げる。
その教師の言葉にも、誰も反応をすることは無かった。
ただ、自らも志願するべきなのか、それともせずにこのまま生きていくべきなのか、それを考えるだけだった。
いなくなってしまった学友たちのことはそのままに、授業は進んでいく。
山中小夜はリップクリームを塗った唇にシャーペンの頭を軽く押し当てる。クラスの中で三番目に可愛いと男子から人気のある少女だった。
たぬき顔と言われる、垂れた目に少し大きめの口、白い肌に左目の下と唇の右端のホクロがチャームポイントの少女。
彼女の恋人は皇国軍の兵士へと志願してしまった。
上靴を軽く脱いでぷらぷらと動かす。若い時間を、ただもてあましているだけだった。
恋人は死ぬかもしれない、もう戻ってこないかもしれない。そう考えた小夜は、教科書の影に隠した魔導端末を開く。そこに書かれた隣のクラスの男子から送られたメッセージに返事を送る。
『私で良ければ、付き合ってほしいな。一緒に楽しいこといっぱいしようね』
そのメッセージに、すぐに『ありがとう、すごく嬉しい』と返事が来る。
小夜は一切の興味も見せない詰まらなさそうな表情で魔導端末の画面を切ると、つまらない授業の続きを聞く。
学生にとって、最もつまらない、最も生命の脅かされない時間だった。
────
皇歴三四〇年、セレニティ内でも傭兵を送り出す準備が成されていた。
「女王陛下、謁見をお許し頂けまして、これ以上無い喜びにございます」
「そのような言葉は良い、頭を上げよ。ギルドの主たるお前が動くということは、傭兵が動くということであろう」
セレニティ国女王、アモル・セレニティが恭しく頭を垂れた男、エッセ・ドケオーへと告げる。
アモルは美しいプラチナブロンドを結い上げ、いまでは着ている者の少ない後ろへ大きく膨らんだバッスル・ドレスを着用している。
「はい、陛下。既に南ヴィントラントへ傭兵を送り込んでおります。無線兵からの連絡によりますと、ゼムルヤ・スネガは南ヴィントラントとの国境に北ヴィントラントの国民を爆弾として配置しているとのこと」
「やはりそうか、ならば傭兵は多くいるに越したことは無いな」
「はい、陛下。その通りにございます」
女王は唇を軽く触れると、立ち上がり「全ての傭兵を戦争準備に入れることを許可する。国庫を開けよ」と高く、遠くまで響く声で告げる。
「し、しかし、陛下!」
「良い、傭兵たちには給与を与えよ! 傭兵の遺族には夫や妻、子、親の代わりに暫しの心を癒す金を与えよ。傭兵が働けば、この金はすぐに戻るだろう」
女王の静かな声に、エッセが「陛下の温情に感謝いたします」と平伏の意を示す。
女王の側近である大臣が小切手をエッセへと手渡し、女王は「足りなければまた訪れると良い」と告げる。
ギルドへと戻ったエッセは「女王陛下から傭兵たちへの給与が出た、次の傭兵の準備をしろ!」と職員へと告げる。
ギルドの内勤をしていた二つ足に鱗の生えた人魚であるフルクトゥアトは傭兵を自国へと呼び戻す作業を行う。
セレニティ国で傭兵として登録している人間や魔力生物は体にセレニティ国の傭兵であることを示す刺青が彫られている。
それにより、死亡したとしてもセレニティ国の傭兵であることが分かるようになっている。
その刺青はセレニティ国が傭兵を呼び戻す際の印となっており、その刺青を中心として呼び戻し魔法が使用される。
副業へと勤しんでいた傭兵たちは、その魔法によりセレニティへと戻り、知り合いである者たちへ互いに検討を称える。
傭兵たちは褒賞として二五〇万イェンが与えられ、彼らはその金を持ち、家へと戻る。
家族と、友と共に過ごし、呼ばれるその日まで静かに過ごすのだ。




