食堂のステーキ定食について
皇歴三三九年、世界歴二一八四年。
清中王国がゼムルヤ・スネガの親交国として、ヴィントラント並びにエヴィスィング国へと宣戦布告を行い参戦をした。
それと同時に清中王国と国交のあるトットが参戦する運びとなった。
このニュースは世界中で話題になり、セレニティにまで入ってくることになったのだった。
「フィニス、新聞読んだかい」
「ああ」
ミコの問いかけに商店で買ってきたらしい、可もなく不可もなくという味付けのホワイトソースのグラタンをつつきながらフィニスは答える。
その表情には一切の興味も浮かんではいない。
「この分だと、世界大戦になりそうだな」
「そうだな、それでもセレニティは参戦しないだろ」
湯気の立つグラタンを、まるで熱さを感じていないかのようにそのまま食らいつくフィニスに、ミコが顔を歪めて見せる。その表情はグラタンの熱を思い出しているかのようだった。
「あ! ミコさん!」
明るい声が、カフェスペースに座っているミコの耳へと届く。椅子の背もたれに体重を掛けて振り返ると、そこにいたのはオヴィスの屋敷で出会ったマカカ・フスカタだった。
黒い艶やかな髪に黒い瞳をした天狗であり、助けに来たミコとフィニスに懐いた魔力生物だった。
「やあ、マカカ。久しぶりだな。捜査官として働いて、どうだい?」
「毎日楽しいよ。主が死んじゃったこと、いまでもたまに思い出すけど、でも主がいたらいまみたいな生活できなかったし、ある意味いい区切りだったのかも」
「それは何よりだ」
マカカの言葉にミコは笑顔で応え、サンドイッチを齧る。
「そういえばさ、清中王国が宣戦布告したの、見た?」
「ああ、丁度その話をしていたところさ」
「なんかさぁ、俺の出身国も戦争始めるんじゃないかなーって思ってんだよね」
サンドイッチを咀嚼し飲み込んだミコがコーヒーを一口含み、口内のサンドイッチを流し込んでからマカカを見つめる。
「君、出身はどこなんだい」
「神聖皇国だよ。名前はこっちに来てから発音しやすいのに変えたけどね」
「神聖皇国か、なら安泰だな。あの国はそうそう参戦しない」
ミコの言葉に、マカカは困ったような笑みを浮かべる。
「そうでもないんだよね。トットが参戦したらさ、神聖皇国の周辺国が全部参戦することになるでしょ。そしたら、神聖皇国は自国が戦場になるかもしれないから宣戦布告をせざるを得なくなるんだよね」
静かなマカカの言葉に、ミコは座ったまま彼の顔を見上げる。目の下に紅が引かれた、美しい顔立ちをした男子だ。
「君のご家族は、神聖皇国にいるのかい」
「うん、神聖皇国の北、ゼムルヤ・スネガに近いところに夏でも雪がかぶさった山があるんだ。そこが俺の故郷」
「それは美しいだろうな」
「うん。戦争が終わったら、……フィニスさんと一緒に来てよ。俺、案内するからさ」
ミコは少しだけ黙って、それから頷いた。
「ああ、楽しみにしている」
カフェスペースでは、動画サイトをイヤホンもせず開いている捜査官がいる。
動画の中では歴史学者や戦争学者といったものがああでもない、こうでもないと好き勝手に言葉を垂れ流している。
セレニティに住む誰もが、戦争など対岸の火事であると思っているのだ。
ミコは立ち上がり、ゆっくりと息を吐く。
戦争なんていう人間の歴史の中では大きな転換期にあって、セレニティは何ひとつだって変わることはない。
ただ、ギルドの中は僅かに慌ただしく、ギルドへ出勤する傭兵の数が増えていた。
────
セレニティ国中央ギルド庁舎に所属している傭兵、アウレア・ボースはギルドの安食堂で食券を買っていた。
いつも同じ、B定食。
決して美味くは無いが、四〇〇イェンで穀物粥にジャムや蜂蜜、牛乳がたっぷり入って腹に溜まるのだ。仕事の無い薄給で副業ばかりの傭兵にとっては渡りに船という食事であった。
食券と共に、ギルド所属の傭兵であることを示す所属カードを見せると、食堂で働くドワーフの女性がいつも通りの薄オレンジ色をしたトレイへ厚切りのステーキと新鮮な野菜、そして白パンが乗ったものをアウレアへと渡す。
それが示すことを、アウレアは知らないわけが無かった。
ただ言葉を失い呆然とし、そして静かに額へと手をやる。早くどけと文句を言おうとした男性捜査官は、アウレアの服装とそのトレイの上に乗せられた食事から、彼が傭兵であることを察して口を閉ざす。
ほんの数分、アウレアは立ち止まり、そしてそのトレイを持って席へと着く。
豪華な食事、柔らかな白いパンに、新鮮な野菜。どれも高価なものだった。
「我らが……戦乙女ルーメン、どうか……私の進む先、私の戦いに勝利の光を……」
左胸へ右手を当て、左手を高く掲げる戦乙女への祈りを捧げたアウレアは、ナイフとフォークでその筋張った硬いステーキを細かく切り始める。
アウレアは、明日戦争へと投入される兵士として登録されていたのだ。
「よう、アウレア。お前もか」
疲れきった表情をしたエゴがアウレアへと声を掛ける。
エゴのトレイの上にもステーキが乗せられていた。
「ああ、……久しぶりの再会が死出の旅になるとはな」
「おいおいやめろよ、まだ死ぬとは決まっちゃないだろ」
エゴの言葉に、アウレアは難しい表情を浮かべる。
「エゴ、お前……どの国が戦争に参加してるのか、知らないのか」
「ゼムルヤ・スネガとエヴィスィング国、それにヴィントラントだろ?」
「お前、暫く国を離れてたか?」
「ああ、炭鉱で少しな」
アウレアは、震える吐息を漏らす。そして、数度呼吸を整えて、それでもなお震えることを止められない唇で言葉を紡ぐ。
「……清中王国と、トットが参戦した」
アウレアの言葉に、エゴは音を失う。
何度も唇を動かし、そして、言葉も無く両肘をそのテーブルの天板へとつき、頭を抱える。
「……セレニティのことだ」
掠れた、小さな声だった。
「俺たちは、……ヴィントラント側に配置されるだろう」
涙すら乾いた、無味乾燥の声。
呼吸だけが、やけに逸っている。
「エゴ、今日は……家族へ」
「ああ、お前も……家族に、別れを」
静かな言葉は、そこまでだった。
友と語らったアウレアとエゴの眦に涙が光り、さながら川のように滂沱と流れる。
言葉すら発することもできず、顎が震え、まともに食い締めることもできず、二人は子供のように抱き合い泣いた。
しかし、食堂にいた誰もが彼らのことを責めることもできず、彼らと同じ傭兵は頭を抱え、涙に濡れ、そして戦乙女へと勝利を祈る。
それしか、できなかった。
その日、アウレアは婚約したばかりの幼馴染の体をきつく、きつく抱き締めた。
赤毛に雀斑の可愛らしい女性だった。肉感のある体に小麦色の肌が魅惑的な、アウレアが一目惚れをして、二七年の間片思いをしてきた女性だった。
「フェーミナ」
静かな声だった。
「どうしたの、アウレア。元気がないみたい。……ねえ、喜んでちょうだい。あなた、パパになるのよ」
フェーミナの頬にパッと紅が散り、眦が柔らかく緩む。その両手は愛しそうに自らの腹部を撫でていた。
そんなフェーミナの様子に、アウレアはまるで過呼吸でも起こしたかのように浅く呼吸を繰り返す。
「フェーミナ……俺は……」
「聞いてるよ、アウレア」
「俺は……戦争へ、行くことになった……」
フェーミナの顔が、一気に青褪める。
「……どうして、アウレア、私たち……結婚だって、まだなのよ? 来月式を挙げようって、そう言ったでしょ?」
フェーミナの眦から、一粒の涙が零れる。
「……アウレア、生きて、生きて帰ってきて。今日、ギルドに婚姻完了届を出しに行こう。アウレア、私のことシングルマザーにさせないでね」
アウレアは、そのフェーミナの表情を、これから先の一生忘れないだろうと思った。
短く下がりがちな眉毛を更に下げて、泣き出しそうな唇を引き結び無理矢理笑みの形へ引き上げ、その青い瞳にはクリスタルのように涙が絡まっている。
書物で見た戦乙女ルーメンや歌姫セレニティよりも、美しい女性だと、アウレアは思ったのだ。
アウレアはその時、自分は彼女へ勝利を祈ろうと、そう思ったのだ。
その日、エゴ・グラウィスは一人庭にある木製の椅子に座っていた。太腿へついた両肘は祈るように掌が重ねられ、彼の眉間を押さえていた。
細く、細く、息が吐き出される。
そして彼は決意したように立ち上がり、家の中へと入った。
家の中は薄暗く、饐えたような臭いに満ちていた。ぶぅんと音を立ててハエが飛んでいる。
ベッドの上に横たわっていたのは、口を閉じる力すら既に無い、彼の祖母であった。
エゴにはもう、両親はいない。祖父もおらず、ただ死にかけている祖母以外に家族はいなかったのだ。
「ばあちゃん」
静かなエゴの声に、祖母の虚ろな、白濁した目がぎゅるりと彼の方を見る。
「あ、ぁ……ェゴ、よく、かえっだ、ねぇ」
小さな声は掠れていたが、エゴがかつて好きだった祖母の声の形をしていた。
「ばあちゃん、俺……明日、死ぬかもしれん」
小さな声は、しかし祖母へ届いたのだろう、枯れ枝のような腕がエゴへと伸ばされる。
その体を、エゴはひっしと抱き締めた。
「ばあちゃん、俺、俺が死んだら、誰がばあちゃんを看てくれんだ」
「エゴぉ、ええよ、一思いに、やってくれ」
エゴの耳へ、祖母の言葉が直接吹き込まれる。
エゴが幼かった頃、母や父に内緒だと言って小遣いをくれていたのと同じ、耳元で囁く優しい声だった。
ひぐっと、エゴの喉が鳴る。
「ばあちゃん、俺、俺……今日は、ばあちゃんが好きだった料理作るから、それ、食ってくれ」
エゴの祖母は再びベッドへと横たわり、エゴの顔を見つめて何度も嬉しそうに頷く。
嚥下しやすいよう短く切ったトマトソースパスタを祖母の口元へと持っていく。彼女は嬉しそうにその口を小さく開き、数度唇を動かす。
そして、一度満足そうに深くふうと息を吐き出し、そして二度と目を開かなかった。
「ばあちゃん?」
後にはただ、愛しい孫の呼ぶ声だけが残るだけだった。




