前編 ゼムルヤ・スネガの演説とNPOとの対話論について
皇歴三三二年、世界歴二一七七年。
ゼムルヤ・スネガの総統であるゴルジェーエヴィヂ・クトゥーゾフが女神ダモイ像の前に立ち、拡声魔法で声を上げる。
「我らが友、我らが同志、ゼムルヤ・スネガの国土を踏む同志たちよ!
我らはいま、苦境に立たされています! 悪しきエヴィスィング国が、このゼムルヤ・スネガを蹂躙し、土地を奪わんと進軍しているのです!
誇り高き同志たちよ、共にこの国を悪しき悪魔共から守り抜きましょう! それこそが、我らが母、女神ダモイの望みであり、同志たちの望みなのです!」
群衆が「我らが同志!」「素晴らしい演説です!」「我らの命は同志のために!」と声を上げる。
「素晴らしい声です、同志!
我らのゼムルヤ・スネガが悪しき悪魔たちに穢されようとしています! 女神ダモイは、悪魔に穢される国の土に嘆いておられる! 同志よ、これはただの戦争では無い! これは、祈りであり我ら同志の喜びであるのです!」
ゴルジェーエヴィヂの言葉に、群衆がわっと声を上げて拍手をする。
その愚かで愚鈍な群衆の姿に、ゴルジェーエヴィヂは微笑みを浮かべ、自らも拍手をして見せるのだ。
女神ダモイ像の前へ集まった群衆たちへは脱穀のされていない麦で作られた黒パンが配られ、ぬるい魔山羊のミルクも配られる。
群衆はそのパンに声を上げ、ミルクに歓声を上げる。
「同志たちよ! 悪しき悪魔たるエヴィスィング国を退けたその日には、女神ダモイの望みのままにエヴィスィングの国土へ女神ダモイの言葉を広め、そして今日よりも多くの糧を約束しましょう!」
群衆の「同志ゴルジェーエヴィヂ!」「同志よ! 同志ゴルジェーエヴィヂよ!」と高らかに讃える言葉に、微笑みを浮かべて手を振って見せる。
「同志たちよ! 悪魔である魔力生物を排した素晴らしい世界を共に掴みましょう!」
ゴルジェーエヴィチの言葉に、国民たちが声を上げる。
「素晴らしい演説です、同志ゴルジェーエヴィチ」
背後へ控えていた愛人がゴルジェーエヴィチへホットチョコレートを盆へ乗せて渡す。
ゴルジェーエヴィチはゼムルヤ・スネガでは高価なホットチョコレートを好み、そればかりを飲むのだった。
寒く、涸れた土地であるゼムルヤ・スネガではカカオが決して採れず、他国からの輸入に頼っていた。そのカカオを高価な油脂で溶き、輸入でのみ手に入れられる乳で伸ばして作られるホットチョコレートは、国民が一生をかけても飲むことが許されない高級品であった。
そのため、チョコレートを飲むことができるのは総統たるゴルジェーエヴィチ・クトゥーゾフただ一人のみなのだ。
ゴルジェーエヴィチの娘や妻であっても飲むことは許されず、唯一ゴルジェーエヴィチの愛人であるクリスティーネ・オブストのみがゴルジェーエヴィチの気まぐれで飲むことが許されるのだった。
ゴルジェーエヴィチは愛人の北ヴィントラントから奪われてやって来たクリスティーネを大層重宝していた。エキゾチックな美しく黒い髪は長く艶やかで、アーモンド型の瞳は黒曜石もかくやという美しさであった。
クリスティーネは、ゴルジェーエヴィチの妻とは真逆の存在だったのだ。
ゴルジェーエヴィチの妻であるアヴドケーヤ・クトゥーゾフはブルネットの長い巻き毛に大きな垂れた碧眼をしたゼムルヤ・スネガの同志諸君の娘であった。
ゴルジェーエヴィチの二〇歳は年下の彼女はふくよかな体付きに小さな体躯、豊満な胸とゴルジェーエヴィチの好みではあったものの、彼にとって妻とは所有物であり、息子さえ生まれれば後は無用の長物であったのだ。
ゴルジェーエヴィチの演説に感銘を受けた国民たちは、徴兵の印が押された国民証書を携えて州民館へと並ぶ。
そこで国民は簡素なヘルメットと魔導ライフルを受け取り、防具も鎧も無いままに兵士として徴用されるのだ。
────
皇歴三三五年八月一七日。
フィニスの魔力生物であるミコが起きた時、時計はまだ午前八時半を指していた。
ミコたちが生活をしているセレニティ国首都ルーメンの中心に位置する、中央ギルド庁舎が動き始めるのは午前九時半からで、庁舎内居住区域に住んでいる場合、動き出すのは九時二五分からでも十分だった。
それにも関わらず、政府内が騒がしいというのは何かが起きたということだ。
世界情勢の荒れもあり、ミコは眠い頭を起こして布団を跳ね飛ばす勢いで起き上がり、自身が眠っていた温もりが残る布団を畳んで隣のベッドで眠るフィニスを叩き起す。
「おい、フィニス! 起きてくれ、ギルド内が騒がしい」
「んん……騒がしいのはいつもだろ、何人の冒険者と魔力生物がいると思ってるんだ」
「そうじゃない。それに、もう朝だぞ! 仕事だ!」
ミコの言葉に嫌そうな顔をしたフィニスが起き上がり、思い切り伸びをする。その時だった。
フィニスの部屋のドアが乱暴にノックされる。
それにミコが、フィニスの顔へ水で適当に濡らして軽く絞っただけのタオルを叩き付けて玄関へと向かう。
ギルドの居住区域内の設備は古く、インターフォン音が鳴っても映像照射水晶どころか音声も聞こえはしない。
ミコが玄関扉の覗き穴から見ると、そこに立っていたのは見たことの無い男性だった。
ドアノブを捻り開けると、男性は焦点の合わない目でその扉へと足を捩じ込む。
「おはようございます! 私はSECCの活動家のブラテラ・ゲルマニカです! 私は魔力生物の人権問題について問題視しており、調査・行動をしております!」
ブラテラ・ゲルマニカと名乗った男性は、寝起きで寝間着のまま可愛らしいキャラクターが描かれたナイトキャップを被っている状態のミコにべらべらと話し始める。
「あなたも、冒険者として魔力生物には人権があり、一人の人間として生活する権利があると思うでしょう!」
「あのな、君」
「き、き、きみとはなんですか! 他者には敬意を持ち言葉を選んでください! ……こ、こ、こ、これだから野蛮な冒険者は!」
「あのな、聞けよ。俺は君が言う魔力生物だ」
「えっ」
ブラテラの信じられないという言葉に、ミコはナイトキャップを外す。その下から現れたのは、エルフ族を示す長い耳だった。
「魔力生物には様々な種類がいる。大人と同じような身長の者から、人間とは思えないほど大きな者、子供ような身長の者。長耳と呼ばれるエルフやハイエルフ。
そんなことも知らないのかい、セクの馬鹿どもは」
「せ、せ、セクの馬鹿ども!? そんな、ひ、ひ、卑猥な呼び方をするのはギルド関係者とい、い、一部の冒険者だけでしょう!」
あまりにも興奮しすぎて、まるで吃音のようになっているブラテラに、ミコは胡乱な目を向ける。
その物言いは、まるで魔力生物はギルド関係者では無いかのようなものだった。
魔力生物に人権を謳いながらも、彼ら自身がギルド内で生活し、仕事をしている魔力生物のことを認めていないかのようだった。
「なんだい、それ。まるで俺たちには自由意志が無いかのようだな。俺たち魔力生物だってギルド関係者だぜ」
ミコの言葉に、ブラテラは気まずそうな表情を浮かべている。
「そもそも、特定魔力生物共生委員会、略称SECCはただのNPO法人だろう? 文化・芸術団体の。それがどうして開庁前に警備の許可も無くセレニティ国首都ルーメン中央ギルド庁舎に来てるんだい」
「私たちは! ま、ま、魔力生物の解放を訴えるためだ!」
「そのためなら法を侵しても良いってのかい」
「そうだ! ヴィーガンが食料品店で肉や卵を破壊するように、環境保全活動家が道路で座り込むように、私たちの活動にも許可が与えられているはずだ!」
ブラテラの言葉に、ミコは小さく鼻で笑い玄関の前で腕を組み壁へ頭を預ける。
その、まるで人外かのような様子にブラテラは僅かな恐怖から喉を鳴らす。
「行政から与えられている許可を、これみよがしに行使するのは楽しそうだな。しかし、気をつけた方がいいぜ」
「き、気を付けるって、何をだ」
「……俺たち魔力生物には、人権が無い」
囁くようなミコの言葉に、ブラテラは言葉を返そうと口を開く。
「あ、ああ。だから、その人権を……」
「まあ聞け。俺たちには君たちが言うように人権が無いから、法律にも縛られないんだ。俺たち魔力生物が、いまここで君を、危険分子だと判断して殺したとしても……それは不問になるんだ」
ミコの言葉に、ブラテラは玄関扉を押さえていた足を、ゆっくりと抜こうとする。それに、ミコが一歩を進める。
もちろん、ミコがいま言ったことを実際に行えば、彼もギルド内規則に則って処罰をされることになる。
しかし、できるのだと理解させればそれで良かった。
「君たちは、俺らが許しているからそうやってここに立ち、存在することを許されているんだぜ」
「ミコの旦那!」
居住区域内の廊下を走ってきた冒険者アピスのプルヘルが開いている部屋番号からミコだろうとあたりを付けて、彼へと声をかける。
「SECCの馬鹿はそこにもいたのか、転送装置の前にもいたんだ、まったく嫌になるぜ」
プルヘルの言葉に、ブラテラが目を白黒させる。
「こ、こ、こんな生物が働いてるのか!? ドラゴンだぞ、これは!」
ブラテラの言葉に、プルヘルが目を何度か瞬かせて、それから口を大きく開き大声で笑う。
「なんだ、旦那。魔力生物のこと知らないのか? 俺は魔族だ、ナリが小さいのは俊敏に敵の懐に入れるようにさ」
「て、敵の懐って」
「魔族の中でも知性が無く、人間を襲い、人間の日常生活を脅かす奴らさ。俺らがそいつらを殺してるから旦那たちは高枕で寝れるんだぜ」
プルヘルが肩を竦めて言うとブラテラはパクパクと口を動かす。
「考えつかなかったかい、魔力生物が何故存在するのかってことを」
ミコが背後から告げると、それにブラテラは小さな悲鳴を上げて逃げ出す。その成人男性の体をプルヘルは小さなドラゴンの身なりで背後から捕まえて捕縛して見せる。
まるで猫が鼠を捕まえるように簡単に捕まったことに、ブラテラは恐怖すら覚えた。
自分が、“人権を与えてやろう”と思っていた存在がこんなにも恐ろしいものだとは思ってもいなかったのだ。
「インカンタティオ先生はそんなこと言ってなかった!」
「インカンタティオっていうと、SECCの会長をしてるハルモニア・インカンタティオかい?」
「そ、そうだ」
「あのちゃきちゃきして細面の、狐みたいな顔のお人か」
ミコとプルヘルの言葉に、ブラテラは何を言われているのかも分からない様子で頷く。
「なんでSECCの奴らは冒険者から話を聞かずに自分の考えで突き進むんだ」
「ぼ、冒険者がちゃんと俺たちと話してくれないからだろ!」
「いいや、冒険者たちは聞かれればちゃんと答えるさ」
「聞かれたら答えるなんて、そんなのは詭弁だ! ちゃんと説明する義務があるはずだろう!」
ああ言えばこう言うを繰り返す床の上でプルヘルに取り押さえられたままのブラテラに、ミコは鼻の下を人差し指の先で掻く。
「君は、仕事をする時にもそんなことを言うのかい? 業務マニュアルに書かれていることも、言ってもらえないから分からないって? 子供じゃないんだぞ」
ミコの言葉に、ブラテラは言葉を失って項垂れる。その様子を確認したプルヘルはブラテラを伴って立ち上がった。
「さ、行くぜ。旦那はいまから拘置所だ」
「そ、そんな!? 私の表現の自由を奪うつもりか!」
ブラテラの言葉にミコとプルヘルは、まるで面白い話を聞いたとばかりにケラケラと笑った。
「不法侵入に、警備員への暴行。この二つは表現の自由じゃないぜ」
「ああ、それから器物破損もだ。鍵をこじ開けて入ってるからな」
ミコとプルヘルが交互に言うと、ブラテラは言葉を失う。そんなまさかと言ったような様子だ。
「警察や捜査官に暴力を振るってなくて良かったな、国家公務員に暴行すると拘置所どころか、しっかり裁判までいっちまう」
「い、嫌だ! 私は正しいことをしてるだけなのに!」
「残念だが、それは正しいことじゃない。正しいことってのは、一方だけが正しいだけじゃ、正義じゃあないからな」
ブラテラを伴って去っていくプルヘルに、ミコは手を振り見送った。そして開けっ放しだったステンレス製の扉を閉めて寝室へと向かう。




