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冒険者よりも安上がり  作者: 田中
第10話

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ゼムルヤ・スネガと北ヴィントラントの関係性

 皇歴三三五年、世界歴二一八〇年。

 南ヴィントラント、首都クラークにある大統領官邸前。


「誇りある南ヴィントラントの国民たち」


 低く、静かな声が拡声魔法によって大統領官邸前へ広く響く。その声に、ヴィントラント国民が拍手をし、声を上げる。


「我々は、誇りあるヴィントラントの国民である。いまでは、我々と同じ誇りある北ヴィントラントの者たちが、憎きゼムルヤ・スネガの国民として苦しめられている。これが許せるだろうか」


 大統領、デアーグ・ライムント・シュトレーメルが静かに言う。

 その言葉に、誰もが「否」と応える。まるで、群れた小魚のように、デアーグには見える。


「我々は、二一七七年もの間、我らが北ヴィントラントを奪われ続けてきた我々にとって、ゼムルヤ・スネガがエヴィスィングと開戦をしたことは、男神ドゥンケルと女神リヒトが与えたもうた奇跡である」


 一度、デアーグが深く息を吸い込む。


「我々、ヴィントラントの誇りある軍隊は、ゼムルヤ・スネガへ宣戦布告を行う」


 デアーグの低い声に、誰もが声を上げ、抱き合う。

 いま、デアーグの元へ集まった国民のうち、何人が北ヴィントラントに親族や友の家族がいたのだろうか。

 過去、北ヴィントラントが奪われたその時、北ヴィントラントにいたという、たったそれだけで南ヴィントラントに戻ることもできなかった者が数え切れないほどいたのだと言う。


 その日、東のエヴィスィング国を警戒していたゼムルヤ・スネガの元へ、西のヴィントラントから宣戦布告が届いたのだった。

 両側から挟み込まれるように戦火へ見舞われたゼムルヤ・スネガは苦しみに悲鳴を上げる。

 そして、ゼムルヤ・スネガが決めたのは、最も非人道的な手を使うことであった。


 ──北ヴィントラント、ゼムルヤ・スネガとの国境付近


 耳が凍らないようスカーフで覆った女性や男性、子供までもがゼムルヤ・スネガのトラックへと乗せられる。

 防寒具を取ることもできず、着の身着のままで寒さに震えながら前線へと続く道を往くのだ。


「並べ! 並べ!」


 ゼムルヤ・スネガの二等兵が、魔導ライフルを手に叫ぶ。息をするだけで喉が凍りそうなほどの気温であった。

 しかし、彼も仕事をしなければ、雪の上へ脳漿を撒き散らし呼吸をすることすらできなくなるのだ。


「すまないな、どうか苦しまないように死んでくれ」


 ゼムルヤ・スネガの一等兵が白い息を吐き出しながら、北ヴィントラントの者たちの首の後ろへと魔導刻印を刻んでいく。

 逃げたり、捕虜になればその時点で首から上が爆発し、捕虜にした敵兵ごと巻き込んで死ぬ、人間爆弾になるのだ。


「……おかあさん」


 か細い少女の声が、母の耳へと届く。

 少女、クラウディア・ブレイトナーの目には大粒の涙が溜まっている。

 母であるイネスはクラウディアの湿った声に、何も言うことができなかった。ただ、小さな体を抱き締めることしかできないでいた。

 二人の首の後ろには黒い星と三日月が重なる、ゼムルヤ・スネガの印が刻まれている。


 その二人の様子を、自身も一人娘を家へ残してきたリュドミーラ・ザヴェリューハ一等兵は見ていられず、軍帽を下げる。

 足元には深く積もった雪がある。しかし、目の前の母娘は靴下すら履かしてもらえず、赤く染まった足を互いにくっつけて少しでも体温を分け合おうとしている。

 北ヴィントラントの人間は、一七〇〇〇〇人がいる。その全てがゼムルヤ・スネガの“兵器”になるのだ。


 刻印を刻まれた北ヴィントラントの者たちへ、手榴弾を巻き付ける。ゼムルヤ・スネガの兵士がボタンを押して、両側から圧力が掛かると爆発する。そういった爆弾だった。


 リュドミーラの前には次から次へと、まるでフルコースの料理のように北ヴィントラントの人間が運ばれてくる。


 ゼムルヤ・スネガは極寒の国だった。

 耕地は少なく、ツンドラ地帯が多く住む場所は少ない。常に飢えに満たされた、そんな国だったのだ。

 そんな国で、リュドミーラは生きてきた。幸いにも二三歳まで無事に生き、子を成すこともできた。

 しかし、この戦争で彼女は夫であるアントーニーを失っていた。


「ママ、ぼくたちどこに行くの?」


 まだ幼い少年の声が聞こえる。

 それに、リュドミーラの隣で作業をしていたエヴゲニー・ポモーロフ二等兵の手が止まり、呼吸が詰まる。


「ポモーロフ二等兵、手が止まってる」


「はい、サヴェリューハー一等兵……すみません」


「分かるよ、私も……家に娘を残してきたから」


 静かに、囁くような声が二人の間で交わされる。

 この時だけは、彼らは友人のようであった。


「私は……私は、妻と息子を置いてきました」


 微かな言葉に、リュドミーラは頷く。

 そして、その手で子や母や父の首へと刻印を施すのだ。


「ポモーロフ二等兵、彼らを人間だと思ってはならない。家畜と思うんだ」


「……はい、サヴェリューハー一等兵」


 泣き叫び、助けてと乞う者たちを、しかし誰も救おうとはしない。


「お願いします、息子が、息子がいるんです! 息子がどこかへ行ってしまったんです!」


 嘆き腕へと縋り付く女性を、リュドミーラの上官が蹴り上げる。


「お前の息子もどこかで刻印を刻まれて爆弾になってるから安心しろ! あの世で会えるだろう!」


 リュドミーラは知っていた。怒鳴ったチーノホフ上等兵の首に掛けられたペンダントの中には、妻と息子の写真が入っていることを。

 誰もがこの戦争の中で苦しんでいるのだということを、知っていた。


 白い吐息が漏れる。

 誰もが寒さに凍えていた。体を温めるための肉は上官が暖かな部屋の中で食べ、戦地の兵士たちへ届くのは野菜や穀物くらいだった。

 そして、奴隷兵たちへ与えられるのは兵士たちの残飯くらいなのだ。


 リュドミーラは空を見上げる。

 既に太陽が沈みかけた空には双子の月が昇り、まるでゼムルヤ・スネガの地獄など知らないかのように輝いていた。



────


 セレニティ・中央ギルド庁舎内食堂。


 フィニスが新聞を眺めながらA定食を食べている。

 A定食はシェパーズパイにチップスと薄く切ったパンにバターという内容で七〇〇イェンの低価格のため、中央ギルド庁舎では人気のある定食だった。


「何か面白い事件でもあったかい?」


 ミコはB定食のジャムを混ぜた四五〇イェンのポリッジをつつきながらフィニスへと問い掛ける。


「……ヴィントラントがゼムルヤ・スネガに宣戦布告したらしい」


「そうか、予想より遅かったな」


「ああ、……でもまあ、追い詰められたゼムルヤは北ヴィントラントの人間を奴隷兵にするんじゃないか」


 フィニスの言葉にミコはスプーンを咥えたままポリッジを嚥下する。


「……それは、地獄だな。いつ頃セレニティが影ながら動くか賭けるかい?」


「神聖皇国が参戦した後だ」


「神聖皇国? あの国はまず参戦しないだろ」


 フィニスとミコが話しているところへ、人魚を連れた女性がやって来る。


「あ、あの! 初めまして、ミコさんですよね」


 その女性の姿に、ミコは数瞬脳を探って「ああ」と声を上げる。

 くすんだ金色の長い髪にブラウンの瞳、白い肌にはそばかすが散っている。その目はこれから先の未来を楽しみにしているかのようにキラキラと輝いている。


「君、カフェで働いてたヴェールじゃないか」


「はい! ミコさんとロイさんのお話で冒険者に興味を持って、冒険者になったんです。ヴェール・エッセです」


 ミコは「なるほどな」と告げると椅子を勧める。それにカレーが乗ったトレイをテーブルへ置き、ヴェールは座る。


「そっちは、君の使役魔力生物かい?」


「はい、初相棒のヴェスパーです」


「よろしく頼む」


 ヴェスパーからの言葉に、ミコは「ああ、よろしく頼む」と返すが、フィニスは既に興味の欠片も無いと言うかのように、つまらなさそうな顔で新聞を捲っている。


「あの、ロイさんはどちらにいるか知りませんか?」


「ロイ? ……ここ二、三日見てないから、多分長期任務じゃないか。アイツが死ぬようなヘマをするはずないしな」


 わははとミコが笑うと、その背後からやや上擦った高めの声が届く。


「人がいない間に陰口か?」


 朝の日差しのように白く輝く髪に琥珀の瞳をしたロイが、背筋を伸ばしそこに立っている。


「やあ、ロイ。丁度君の話をしていたところさ。君が食堂に来るなんて珍しいな」


「ああ、ここのうどんは時々食べたくなる」


「うどんだって!? あの生臭い出汁とやらの入ったスープをよく飲めるな」


 ロイは小さく笑い、隣のテーブルから椅子を引き摺りミコの隣へとトレイを置き座る。

 そこには澄んだカツオ出汁でとったツユが光を反射して注がれている。


「この、茹ですぎてコシのなくなった麺とぬるいスープが好きだからな」


「ロイは変わり者だな。ああ、そうだ。ヴェールが君に会いたかったようだぜ」


 ミコから会話を向けられたヴェールは、思わず顔を赤くしてロイを見つめる。


「ヴェール……? ああ、あのカフェにいた女性か」


 フォークでうどんを掬い口へ運ぶロイに、ヴェールは数度深呼吸をしてから口を開く。


「私が、魔力生物のことを勉強して冒険者になろうって思えたのは、ロイさんとミコさんのおかげなんです。ありがとうございます」


 ヴェールの言葉に、ロイは瞬いてから咀嚼し口を開く。


「俺は何もしていない。なろうと思って努力をし、実際になったのはお前だ。礼を言うのなら、自分へ言うべきだ」


 ロイはそれだけを言って、つるつる滑るうどんと格闘を始める。


「良かったな、ヴェール」


 ヴェスパーが隣に座るヴェールへそう言うと、彼女は何度も頷いて少しだけ泣いて、カレーを食べて「美味しい」と言うのだった。


「そういえば、新しく魔豚種の家畜化に成功したらしいな」


 ミコの言葉に、ロイが「ああ」と頷く。


「そうらしいな。これからは豚肉も安定して供給されるだろう。いままでは神聖皇国とエヴィスィングに豚肉の輸入を頼っていたからな」


「牛肉と鶏肉の輸出ならセレニティも強かったんだけどな」


 ヴェールがカレーに入っている大きく切られた鶏肉へとかぶりつく。


「これからは豚肉も安く食べられますね」


「そうだな、安定供給されると助かるんだが」


 ようやくポリッジを食べ終わったミコが立ち上がり、A定食を食べ終わっていたフィニスのトレイを持ち返却口へと返しに行く。


「フィニス、仕事だ。歯を磨いてから行くぞ」


「最悪だ、行きたくない」


「残念だが、行かないと給料が入らないからな」


 ミコはフィニスの座っている椅子を引き、両脇の下へと両手を入れて引き摺り始める。


「じゃあな、ロイ、ヴェール、ヴェスパー」


「ああ、今日も大変だな」


 ロイの言葉に「ほんとだぜ」と返してミコは自室へと進み始める。その視界の端に、ヴェールがお辞儀をしたのが見えた。

 ヴェスパーがカレーに浸かりそうになっていたヴェールの髪を慌てて持ち上げている。


「今日の仕事はなんだ」


「簡単なことさ、冒険者の死亡書類を書いて残った魔力生物を解放するんだ」


「捜査官じゃなくてもいいだろ、その仕事」


 ぶつくさと文句を言うフィニスに、ミコは笑う。ミコはフィニスのこういったところが嫌いじゃないのだ。


 同じ大陸で人間が、魔力生物が苦しみぬいて死んだとしても、この国ではただ、自分の命のために人生を歩むのだ。

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