セクション2 命の使い方の定義
世界歴二一七七年、一二月二五日午前一〇時二八分。
一発の銃声が、戦争の始まりを告げた。
対峙するのは寒さに凍え、皮膚が赤黒く変色した魔力生物たちと魔導船に乗るエヴィスィング国の兵士だった。
エヴィスィング国の兵士は、魔導ライフルのスコープを覗き込み、そして躊躇する。
頬は痩け、目は恐怖と飢えと寒さに血走り、歯は寒さに凍えてガチガチと音を立て、皮膚はあちこちが剥がれて肉が見えているにも関わらずこちらへ魔法を飛ばすために手を伸ばしている。
引き金を引くことを躊躇する兵士、ジェフ・シスレーへ、同期のカーソン・クルックシャンクが怒鳴る。
「早く撃て! 死にたいのか!」
「でも、でもカーソン、あの人たちはきっと、奴隷だ」
「だからだよ、早く撃て! 楽にしてやれ!」
カーソンの言葉に、ジェフは目を潤ませ、そして再びスコープを覗き込んだ。
先程スコープ越しに目が合った、種族の分からない魔力生物である女性は背後にいるゼムルヤ・スネガの軍服を着た男性兵に後ろ髪を掴まれこちらへ指を指され、何かを怒鳴られていた。それに、ジェフは銃口の先を軍人へと向け、始まりの弾丸を撃ち込んだのだ。
魔力生物の後ろ髪を掴んでいたゼムルヤ・スネガの兵士は魔導ライフルに頭蓋を打ち砕かれ白い雪に灰色の脳漿をぶちまける。
それに、先程まで命令されていた魔力生物が思わず踵を返して駆け出す。その姿を見たジェフは、勝手に安堵したのだ。彼女は救われたのだと。
その瞬間だった。
逃げ出した魔力生物の頭が、突然膨張し破裂する。司令系統を失った彼女の体は雪の上へと崩れ落ち、まるで冗談のようにピクピクと動いていた。
「どうして」
呆然と呟いたジェフに、カーソンが「何が」と問い掛ける。
「あの人の、頭が爆発した」
「ゼムルヤ・スネガは、魔力生物に魔導刻印を押してるんだ。命令に背いたら頭が爆発して死ぬように。これは捕虜になっても同じだ。捕虜になっても、敵国の人間を一人でも殺せるようにしてるんだよ」
まるで、数学の公式でも諳んじるかのようなカーソンの言葉に、ジェフは言葉を失った。
エヴィスィング国に魔力生物はほとんどいない。いたとしても精霊やコロポックルのような小さなものがほとんどだった。
だからこそ、ジェフには分からなかった。自身と同じ、人間の姿をした者を、ただ魔力生物だと言うだけで物のように扱える人間が。
それを、普通だと言える人間が。
魔導船の上は銃声で満ちていた。飛べる魔力生物が中空で船へ向かって魔法を撃ち込み、岸からは魔法が得意なエルフたちが船へ魔法を撃ち込んでいる。
ジェフの友人が、同期が、先輩兵士が死んでいく。
ジェフは、今回の戦争が初めての出兵だった。頭に血が上り撃ち込めた最初の弾丸以降、彼は歯の根が合わず、照準すら合わせられず魔導ライフルの弾は魔力生物を掠めることすらしない。
ジェフの頬を、涙が伝ったその瞬間だった。
ハーピーの放った魔法が、正確にジェフの胸を貫き、彼は揺れた船の上から冷たい海の底へと放り出されたのだった。
ジェフ・シスレー二等兵(後に二階級特進・上等兵)世界歴二一五二年生、二一七七年没
船の上は、既に混乱に満ちていた。その中で、ジョゼフ・キーラン・マクマスターは幾人もの魔力生物を屠っていた。
空を飛び魔法を放つ魔力生物を、陸から魔法を放つ魔力生物を。彼女ら、彼らを救うために。
だからこそ、ジョゼフは祈りを口にしながら撃つのだ。
「我らが死と生の男神ドゥルー神よ、我らの行く手を切り開き彼らに安らぎの死を与え給え」
口の中で唱えられる祈りのままに、ジョゼフは魔導ライフルの引き金を引く。
まるで雁が撃ち落とされたかのように、頭や胸を貫かれたハーピーが空から落ちて凍えるほどに冷たい海の中へと沈んでいく。
その度にジョゼフは「かの者へドゥルー神による安らぎの死が与えられますように」と祈るのだ。
「祈っても何も変わらないぞ」
隣にいた上等兵がそう笑う。恐怖と寒さに引き攣った笑みだった。
それに、ジョゼフは困ったように笑うのだ。
「祈らずにおれんのです。でなければどうして、罪のない者を殺せるでしょう」
「戦争だからだ。国が、やれと言うのならばやらねばならない。それが、兵士だ」
「ならばやはり、救いのために祈ることも必要です」
静かな会話だった。銃撃の最中、音によって声が途切れて聞こえるほどの、静かな会話だった。
「生きていたら、また会おう」
「はい、デイトン伍長」
バレット・デイトンが魔導ライフルを持ち頭上のセイレーンを撃ち落とす。
その瞬間、陸から放たれたひとつの魔法が、バレットの背後から心臓を焼き貫いた。
「俺の死は、ここだったか……」
バレットの静かな声と共に、体は崩れ落ちる。
思わず陸を振り返ったジョゼフの目に映ったのは、ゼムルヤ・スネガの兵士に後ろから銃を突き付けられ、怯えながら魔法を放つ魔力生物の姿だった。
「ドゥルー神よ、何故人間はこうも残酷なのですか」
囁くように問い掛けたジョゼフの声は戦場の喧騒に掻き消される。
ジョゼフの友が、上官が、同期が、絶望と苦鳴の声の元に崩れ落ち死んでいく。
魔法の使える者などいないエヴィスィング国の兵士たちは、次々に死に瀕していく。
ジョゼフの唇から白く染まった吐息が吐き出される。
ゼムルヤ・スネガの、人間が住めぬ凍土と呼ばれた大地が、温度がエヴィスィング国の兵士たちの思考を奪い、指の動きを制限する。
「ああ、神よ。ドゥルー神よ、我らに生の導きを」
ジョゼフの小さな囁きが、彼の最後の言葉だった。
頭上から落ちてきた魔法の矢が彼の脳天を貫き、そして無へと還る。
ジョゼフ・キーラン・マクマスター上等兵(後に二階級特進・軍曹)世界歴二一四八年生、二一七七年没
バレット・デイトン伍長(後に二階級特進・二等軍曹)世界歴二一三七年生、二一七七年没
カーソン・クルックシャンク二等兵(後に二階級特進・上等兵)世界歴二一五一年生、二一七七年没
アイリーン・シュー・スカル一等兵(後に二階級特進・伍長)世界歴二一三七年生、二一七七年没
ドナ・マリンソン上等兵(後に二階級特進・軍曹)世界歴二一五二年生、二一七七年没
ベニー・ゲイル上等兵(後に二階級特進・軍曹)世界歴二一四一年生、二一七七年没
カリン・カービー二等兵(後に二階級特進・上等兵)世界歴二一五七年生、二一七七年没
アルフォンソ・アシェル・ジンクス一等兵(後に二階級特進・伍長)世界歴二一四九年生、二一七七年没
他、多数
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最後尾の魔導船の中、ヘンリー・ビルソンはケリー・アーキンだけがいる船室の中で声を殺し、涙を流す。
「何故、何故だ。どうして、戦争は最初に善良な兵士たちを殺す」
「ビルソン大佐、それは……戦争だからです」
「分かっている。分かっている。……前線には、私が指導した者たちが数多いる。誰が考えた、こんなにも、まるで塵芥のように、私が子のように育てた兵士たちが死んでいくと、誰が考えた」
ヘンリーの涙に、ケリーはただ、その涙を見ていないとでも言うかのように目を閉じた。
「どうして、私が前線へ出れない。若い身空の彼らよりも、私が出るべきだろう」
「……軍にとって、階級の高い兵士はそれだけで宝ですから」
ヘンリーの言葉に、ケリーは一瞬言葉を詰まらせる。
しかし、彼女は上官の言葉に対し、静かに声を重ねるのだ。それは、彼女にしかできないことだった。
「兵士が、死にすぎた。一度引く」
涙を押し隠した静かなヘンリーの言葉が、拡声魔法のかかった無線で各魔導船へと届けられる。
最も最前線で戦っていた船以外がゆっくりと、しかし最大速度で動き始める。補給線であるベーレへと。
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呼吸をすれば喉すら凍るほどの冷気の中、服すら与えられず歯の根が合わぬままに前線へ立たされた銀髪のエルフが赤黒く染まった肌で、上官であるゼムルヤ・スネガの二等兵、ルカー・スカレフへ「どうか、体を温める魔法をかけさせてください」と願う。
「お前らの体を温めるための魔法で大切な魔力を使うんじゃない。同志たちもそう言っている」
「ま、魔力生物は自らの魔力を使いません」
「信じられるか、もうエヴィスィングのクソ共が着いてるぞ! 早く魔法を放て!」
ルカーがそう言い放ち、銀髪のエルフの後ろ髪を掴み間近へと迫った魔導船を指さす。
それに、エルフは恐怖と絶望と飢えに満ちた瞳で魔導船を見つめる。
ライフルのスコープ越しに、その人間とエルフは、目が合ったような気がした。エルフの荒い呼吸だけが、その場に木霊する。
彼女は「ああ、ここで死ぬのだ」と、そう思った。しかし、銃弾は自らを貫かない。
その瞬間。
一発の銃声がその場にいた魔力生物たちの耳を劈いた。耳と鼻の良い魔力生物にとって、魔導ライフルの音とニオイは吐き気すら覚えるほどのものであった。
エルフは、死を覚悟していたものの、痛みは襲わない。
目を開くと、自身の後ろにいたはずのルカーが脳漿を散らし崩れ落ちているのが見えた。
エルフは、自由を覚え、思わずその場から駆け出してしまった。
「待って!」
「駄目、カメーリア!」
仲間の声すら、彼女には届かなかった。走り出したその瞬間にカメーリア・ジェラルディは首から下だけを残して爆発してしまったのだ。
魔力生物たちは、立ち上がる。弓を引き絞り、掌を前に出し、精霊へ願い魔法を放つ。
セイレーンやハーピーは冷たい空気を切り裂いて羽ばたき、船の上から魔法を放つ。冷たい空気は羽と体との継ぎ目を引き裂き、遠くへは飛ぶことができなかった。
魔導船の上にいる、魔力生物から見ればまだ赤ん坊のような若い兵士たちを貫き殺していく。
ゼムルヤ・スネガに使われている魔力生物にとって、人間とは恐怖であり、人間とは完全悪であった。
しかし、恐怖と躊躇いが映る瞳に、魔力生物たちは考えてしまうのだ。
──果たして、この人間たちは悪なのだろうか。
それでも、魔力生物は敵であると教えられてきたエヴィスィング国の兵士たちを殺さねば自分たちの頭が破裂させられるのだと思い直し、魔法を放ち、魔導ライフルで撃ち殺されては海の中へと落ちていく。
魔導船の上、上空まではエルフたちの回復魔法も届かない、ハーピーやセイレーンたちは怪我をすればその時点で死ぬしか無いのだ。
捕虜になっても死に、戦っても死ぬ。
彼女たちにとって、生とは死と同義であった。




