セクション1 命の使い方の定義
皇歴三三二年、世界歴二一七七年。
ゼムルヤ・スネガとエヴィスィング国との間で戦争が始まった。
その話題は世界中を渡り、セレニティへも届いたのだった。
「始まったらしいな、戦争」
ミコの言葉に、カフェスペースの座り心地の悪い椅子に座ったフィニスは「そうだな」と気のない返事をする。
「建前は領海内のベーレを奪われたかららしいが、不凍港欲しさだろうな。ゼムルヤは常に不凍港を欲しがっている」
「ああ、……きな臭いな」
「なにがだい?」
自動販売機で炭酸コーヒーを購入したミコに、フィニスが眉を寄せて「正気か」と言いたげな表情を浮かべる。
「結構美味いんだぜ、これ。一口いるかい?」
「いらね」
ネジ蓋を開けて一口飲み、ミコはフィニスの対面へと座る。
「それで、何がきな臭いって?」
ミコからの問いかけに、フィニスは手帳を取り出す。
その手帳へ簡単にガドール大陸の地図を描く。
「ゼムルヤ・スネガは約二〇〇〇年前の大魔戦争でヴィントラントの国土の三分の一を奪ってるだろ。現在は南北に分かれてる。ゼムルヤとエヴィスィングが戦争をやってる間にヴィントラントが国土を取り返そうとする可能性は高いだろ」
「なるほどな、だからきな臭いか。だがまあ、セレニティは戦争に参加しないだろう。やるとしても兵站を送ってイイトコドリだ」
フィニスはミコのその言葉に、軽く鼻で笑うに留め、手帳を片付ける。
「ただの予想で、どうなるかは分からないけどな」
その時、フィニスの魔導端末が着信を知らせる音を鳴らす。
「珍しいな、君に電話だなんて」
「ああ……」
フィニスはその発信元を見て僅かに眉を顰める。そして数度逡巡してから、通話をタップする。
ミコの人間よりも良い耳には、発信元の声までも聞こえてしまい、僅かに気まずい気持ちになってしまう。
「……なんですか、レグルス兄さん。私はもう、ネブラの人間じゃないですよ」
『フィニス、お前を追い出したのは悪かった。互いに大人になろう』
「追い出されたのではなく、私は自ら出て行きました」
フィニスの眉間の皺がより濃くなる
『まあ、それはいい。この度の戦争で、我が国から兵站を運ぶ要請を受けた。お前は傭兵だろう、任せてやるから仕事をしに来てくれ。よその傭兵を雇うと余計な金がかかる』
発信元がそこまで言った時点で、ミコはフィニスの魔導端末を奪い終話をタップする。
「さて、今日も楽しくない仕事だ。行こうぜ、フィニス」
フィニスはミコのその様子に嘆息し、そしてカフェスペースから立ち上がる。
「今日はどんな仕事なんだ」
「君、またレジュメ見てないのかい。毎回読まれないレジュメを用意するこっちの身にもなってくれ。……今日はなんと、昔の屋敷の掃除さ。前の冒険者が死亡して、残された魔力生物を“片付け”るだけの簡単な仕事だ」
ミコの言葉に、フィニスは短く息を吐く。
「今日もまた面白くない仕事だな」
揃って転送装置へやって来たフィニスとミコに、サンダと周囲から呼ばれている転送員がにこやかに「こんにちは」と声をかける。
「やあ、今日も元気そうだな」
「はい、お陰様で」
────
サンダは、皇歴三〇一年の夏にセレニティ国郊外の村、アグリコラへと突然現れた人間だった。
名前しか覚えておらず、村人の誰も分からないことばかり言うサンダを、彼らは記憶喪失で混乱しているのだと哀れんで村の空き家へと住まわせてやり、農作業を手伝わせることにしたのだ。
サンダは良く働いた。昼には畑を耕し、実った野菜を採り、夜には藁で靴を編んだ。
村人は真面目なサンダを歓迎し、より優しくなっていった。
そんな生活を続けていたある冬の日、村人の一人が口を開いた。
「サンダを、ルーメンへ送ってやったらどうだ」
貴重な人手を失くすのは惜しいという声がそこかしこで起こり、サンダ自身もそうして自分を重用してくれるのならと言いかけた時村長が顎を指で擦りながら「そうだな」と告げる。
「村に住んでいて記憶が戻らなかったということは、街にいたのかもしれない。サンダを、街へ帰してやろう」
村長の言葉に、反対していた者たちはそれぞれ顔を見合せ、そして「村長が言うのなら」と意見を取り下げる。
その日のうちに、アグリコラ村の出身であるという身分証とサンダが働いて稼いだ金が渡された。一ヶ月は生きていけるほどの額だった。
そこから、村人のアーラと共に魔導バスに乗り、魔導電車に乗り、四度乗り換えてようやくルーメン行きの魔導電車へ乗ることができる駅へと辿り着いた。
「サンダ、いつでも帰って来れば良い。ルーメンに着いたら、中央ギルド庁舎へ行くんだよ」
「ありがとうございます、ここまでよくして頂いて……どう返せばいいのか」
そんなサンダに、アーラは笑う。
「なら、仕事に就いたらアグリコラ村に仕送りをしてよ」
その言葉に、サンダは深く、深く頭を下げる。
「必ず」
「行ってらっしゃい、サンダ」
優しいアーラの声に背中を押され、サンダは電車へと乗り込んだ。
中央ギルド庁舎へ辿り着いた彼は、しかし魔力が無かったために冒険者にも捜査官にもなることはできなかった。
魔力が無ければ魔力生物と契約することができないからだ。
「どうにか、なりませんか」
「とは言っても……ああ、転送員の募集がありますね。試験は来月の七日です。それまではギルド内居住エリアをお貸しするので、そちらで過ごしてください。一日につき四四〇〇イェンがかかります」
「ありがとうございます、転送員の資格試験勉強はどこでできますか?」
真摯にそう問いかけるサンダに、案内をしていた窓口の女性は一度目を瞬き、そして優しい笑顔を浮かべる。
「ギルド庁舎内五階にコインランドリーと書庫があります。書庫へは、このギルド内居住証明カードがあれば入れますので、お使いください」
「ありがとうございます、詳しく教えていただけて助かりました」
深く頭を下げたサンダに、女性受付も頭を下げることで見送る。
居住エリアの鍵には、二一七Bと書かれていた。ギルド内の案内表示を見ながらサンダは進んで行く。
二階の、A室とC室が混在している中に、B室はあった。上ばかり見ていたサンダに、誰かがぶつかり、サンダは思わずたたらを踏んで尻もちをついてしまった。
「ああ、すまない。怪我は無いか?」
自然に手を伸ばしサンダを起こしてくれたのは、身長一八〇センチメートルはあるだろう線の細い、しかし筋肉質な体をした金髪碧眼のエルフだった。
「あ、あの、すみません。前を見てなくて」
「いや、俺が前を見てなかったからな」
「なにやってんだ、ミコ」
先を歩いていた黒髪で僅かに猫背になった男性が戻って来る。そして、ジロジロとサンダを見つめると、ミコと呼ばれたエルフへ「行くぞ」と告げる。
「ああ。すぐ行く、フィニス。すまなかったな、またどこかで会ったらコーヒーでも奢らせてくれ」
ミコはそう告げてサンダへ軽く手を振り早足でフィニスを追う。
「あれが、捜査官か……」
サンダは思わず憧れの目で呟いてしまうのだった。
その日から、サンダは寝る間も惜しんで転送員の資格勉強を始めた。
知らない文字、知らない単語、知らない歴史、知らない法律。
それでも、この場にいられるのならなんだってしてやると言うかのように、彼はペンを走らせた。時に書庫で、時にカフェスペースで。
そんなある日、カフェスペースで勉強をしていたサンダへ誰かが近付いてくる。
「ここ、間違ってるぜ。この場合は“魔力生物が冒険者、もしくは捜査官と共にでなく一人で転送装置を利用しようとした場合、正しいのはどれか。A.利用を止めて冒険者もしくは捜査官の有無を聞く。B.急ぎの用事かもしれないから利用を許可する。C.冒険者、捜査官の異常事態の可能性があると見て即座に該当機関へ通報する。”」
そう告げた声の主が自動販売機の缶コーヒーを互いの席へと置き、サンダの前へと座る。
「この場合、正しいのはAだ。捜査官の中には魔力生物一人で活動しているのもいるし、捜査官から頼まれて一人で事件先へ赴く奴もいる。まあ、時々跳ねっ返りが勝手に行くこともあるけどな」
「あ、あなたは……」
サンダが顔を上げると、そこにいたのは金髪碧眼のエルフ、ミコだった。
「こないだはぶつかって悪かったな、怪我は無かったかい? あの時の約束通りコーヒーを奢らせてくれ。自販機のだけどな」
「ありがとうございます、怪我は大丈夫でした」
「なら良かった。ああ、自己紹介がまだだったな。俺はハイエルフのミコ・アルカナイズだ。こないだ一緒にいた黒髪の死人みたいな奴がフィニス。アイツの相棒さ」
突然の自己紹介に、サンダは慌てて「サンダ・ヤマトです」と答える。
「ヤマトか、よろしくな。その教本を見たところ、転送員の資格を取るのかい」
「そうなんです。俺、魔力が無くて」
そんなサンダに、「なるほど」とミコは頷く。
「試験まであと二週間だが、無理するなよ。君が転送員になれたら、一番に使ってやるよ。予約な」
ミコはそう告げるとサンダへ手を振り、近くのテーブルへ座って不味そうにパンを食べるフィニスの元へと向かった。
彼らは数言話すと、ミコがフィニスの両脇の下へ腕を通し無理矢理引きずり始める。それに、サンダは思わず笑ってしまった。
そして、改めて教本へ目を落とす。
良い、気分転換だった。
────
ミコとフィニスを見送ったサンダは、目頭を揉む。
彼がこの世界へやって来てから、いつの間にか三〇年以上が経過していた。彼の顔には皺が増え、目も悪くなり、いまは眼鏡をかけている。
転送員は立ちっぱなしの仕事のため、老齢になると辞める者も多い。
最近、アグリコラ村から手紙が届いたのだ。
“二五年間、多額の仕送りをありがとう、あとの人生は自分のために使ってください。”
それは、かつて自分を見送ってくれたアーラからのものだった。
いまでは彼女が村長なのだという。
短い手紙に、サンダは泣いた。
転送員の給料は安いものではない。むしろ、高い方だろう。そんな給料のうち、税金や生活費などの必要分だけを残して後は全てアグリコラ村へ仕送りをしていたのだ。
それが、全て報われた。
サンダは五〇歳を迎えてようやく、ここから自分の人生を始めようと思えたのだ。
まずは何をしようか。そう考えたサンダは、今日の昼食は少し贅沢に、向かいのカフェのサンドイッチにしようと決めたのだ。




