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第二回「金曜日」

翌朝、航太は体を揺すられて目を醒ました。里咲が揺すっていたのだ。

「舟山君、外で寝てたの」

「え、あ、いや」

「びっくりしちゃったよ。起きても舟山君いないし、外出たら外で寝てるし。なんか悪いことしちゃった?」

「いえ、そんなことないです」航太は言うも内心、

〈服部さんを見ていて、ムラムラしてきたから外で寝ていたとは言えない〉

とは言えない。

航太と里咲は部屋に戻った。

里咲は出て行く支度をした。

「ほんと、ありがとね。助かった」

「いえ」

「いい学生生活送ってね」

里咲は航太に手を振ってアパートを後にした。

航太は振っていた手を下ろしてふと思った。

「なんか、惜しいことしたのかな……」

一抹の寂しさが残った。


この夏休み、実家に帰った生徒も多く、航太は遊びに行く予定もなく、本日も「ドドド」で昼の部、夜の部のバイトに入っていた。航太もバイトしてお金を稼いで車の免許を取りたいと思っていた。

本日、昼の部は店主の丈一とバイトの専業主婦の小幡楓と三人だった。昼の部の営業は十一時から十五時。味噌ラーメン「ドドド」は人気店で平日でも昼時は満員になる。

昼の営業が終了し、航太がそうめんを茹でた。さっと済ませて夜の部の支度をするために昼の賄いは大体、そば類が主立っていた。

航太、丈一、楓の三人は賄いのソバを食べていた。そこで航太は昨晩のことを話した。

「そんなことがあったのか?」丈一が言った。

「めっちゃビックリしましたよ。母さんが勝手に押し入ってきたのかって思いましたよ」

「母親と間違えないだろ」

「いや、突然、部屋にいたらそう思いますって」

「いくつぐらいなんだよ」

「二十二歳って言ってたかな」

「美人か?」

航太は頷いた。

丈一が仕草を交えて「ナイスバディか?」

「シャツがはち切れそうなほどナイスバディです」

隣でソバを食べている楓が笑った。

「電話番号、聞いたか?」

「いえ」

「聞かなかったのか⁉」

「はい」

「おいおい航太。何やってんだよ! そんないい女を前にして何もなしか? 手ぶらか?」

「はい」

「一宿一飯ってものがあるだろう。せめて電話番号ぐらい交換しとけ。そしたら何かご褒美もえらるかもしれないし」

「いや、ほんと間違えただけだったから」

「アパートの鍵って変えないんだ」楓が口を挟んできた。

「まぁ、築何十年のアパートだとそんな変えないんじゃないか?」

「……」初めて一人暮らしをした航太には分からなかった。

「変えないとなんか怖いね」

「怖いどころか、今回に限っては航太はチャンスだったんだよ。そんなマブイ女と知り合う大チャンスを何してんだよ!」

「マブイ?」

「丈さんはマブイ女好きだもんね。お客さんでもマブイお客さんがくると嬉しそうな顔するもんね」楓が微笑んだ。

「そういうもんでしょ。楓ちゃんだってお客さんの食べ方、よく見てる」

「よくは見てないわ。ただ個性のある食べ方してるとつい目が行っちゃうのよ」

「そうでしょ。目が行くでしょ。そんなもんよ。航太、今度会ったらそのマブイ姉ちゃんの電話番号聞いて俺に紹介しろ。寝る場所ないならここで寝させるから」

「いや、今度はないです。もう終わったことです」(ふり)

「マジか」

「はい」

「丈さんがショック受けることないじゃない」楓が言った。

「いや、もったいない。逃がした魚は大きいっていうのはまさにこのことだ」

丈一は余っていた最後のアジフライを取り噛り付いた。

 楓は賄いを食べて帰っていった。航太はスープの煮込み番をしながらチャーシューになる肉に肉が崩れないようにタコ糸を巻いていた。

 夜の部はカヨがバイトに来た。そこでも航太のマブイ女との出会いの話が話題になり、丈一とカヨは笑っていた。

 航太はそれを苦笑いをしながら聞いていて、自分自身でも電話番号の一つぐらい聞いておきべきだったと思うようになっていた。

〈んん。確かに。逃がした魚は大きかった……〉

「まぁ、仕方なし」

テーブル席のお客さんが帰ったので航太は「ありがとうございました」と言って、テーブル席の片付けに向かった。


 航太はドドドでのバイトを終えて自転車でアパートに帰った。

するとアパートの前でしゃがんでいる人がいた。しゃがんでいる人は航太を見るなり立ち上がって手を振った。

「舟山君」

〈逃がした魚がアパートの前にいた〉

里咲である。昨日と同じ服装。

「どうしたの?」

「また来ちゃった。彼女いないっていうから、来てもお邪魔にはならないかなぁと思って。図図しい?」里咲は少し酔っぱらっていた。

「いえ、そんなことないですよ」航太は里咲とまた出会えたことが嬉しかった。

里咲は「へへ」と言いながら微笑んだ。

〈そうだ。ここは北海道。鮭は生まれ故郷の川に戻って来るんだ〉

「こんなことなら電話番号、聞いておけばよかったね。あとで教えて」

「服部さん。今夜も飲んでるんですか?」

「少し」里咲は人差し指と親指で表した。

二人は航太の部屋の前に行き、航太がドアを開けて「どうぞ」と言って里咲に入るように進めた。

「お邪魔しまーす」

航太は部屋に入って行く里咲の後ろ姿を見た。

〈ひょっとして、脈あり?〉


航太は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り、ベッドに腰かけてる里咲に渡した。

「ありがと」

航太はフローリングに座った。

「そんなところに座らないでこっちに座りなよ」里咲がベッドを叩いて言った。

「いいですよ。それより今日はどうしたんですか?」

「ん。今日はナンパされて、ついてったんだけど、なんか急に元カレのこと思い出したらちんけな男に見えちゃってね。それにしつこいから逃げてきた。私、逃げ足は速いのよ」里咲は笑った。

「家には帰らないんですか?」

「今、家出中だから」

「家出してるんですか」

「そう」

「いいんですか?」

「いいのよ。パパも分かってるし。それにちょっと親と一緒に居たくない。そんな気持ちになることってあるでしょう? ない?」

親離れしたくて札幌の大学に来た航太には里咲の気持ちが痛いほど分かった。

「わかります。その気持ち。でもきっと心配してますよ」

「日曜日には帰るから」

「日曜日ですか」

「それよりシャワー貸して。昨日からお風呂入ってないのよね」

「いいですよ。使い方、分かります」

「分かるわ。元カレの部屋だったから」

里咲はシャワーを浴びに部屋を出た。

「そうか。勝手知ったる元カレの部屋か……」航太は心に引っかかっていた里咲の言葉を思った。

〈なんか急に元カレのこと思い出したらちんけな男に見えちゃってね。それにしつこいから逃げてきた〉

「服部さんの元カレってどんな人なんだろう」

鼻歌を歌いながらシャワーを浴びている里咲の声が聞こえる。

「でも、しつこく聞いたら逃げていっちゃうかもしれないし……」

里咲のご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。

「畜生! 一体俺をどうしたいっていうんだ!」

航太が悶々としながら頭を抱えてると里咲が出てきた。

「ああ、さっぱりした」

里咲は航太が両手で頭を抱えて蹲っている姿を見て、

「どうしたの?」

「いえ、なんでもないです」航太は姿勢を正した。

「ドライヤーある」

「ないです」

「そう。舟山君もシャワー浴びたら」

「へ、」

「寝る前にシャワー浴びないの?」里咲はそっけなく言った。

「いえ、入りますよ」

里咲はタオルで髪を拭き続けた。


航太はシャワーを浴びた。

「畜生、俺のことなんだと思ってるんだ!」

頭からシャワーを浴びる航太……。

「なんも思ってない……」航太はシャワーを頭からかぶりながら里咲の言葉を思った。

〈なんか急に元カレのこと思い出したらちんけな男に見えちゃってね。それにしつこいから逃げてきた〉

航太はシャンプーをつけて頭を洗い始めた。

航太がシャワー室から出て部屋に入った。

里咲は航太を見て部屋干ししてあるTシャツを触って、

「このTシャツ、借りていい」

「Tシャツですか?」

「服着て寝れないし、下着姿というわけにはいかないでしょう」

「いいですよ」

里咲は干してあったTシャツをもって航太の傍を通って部屋を出た。

〈完全にアウトオブ眼中。全く男として見られてない。どうせ眼中にないなら〉

里咲がTシャツを着て部屋に入ってきた。

航太は少しやけくそ気味に踏み込だ。

「服部さんの元カレってどんな人だったんですか?」

「元カレ?」

「ナンパしてきた男がちんけにみえる元カレっていったいどんな彼かなぁっと思って」

「彼は凄いわ! 私に夢とロマンを見させてくれた!」

「夢とロマン?」

「そう。彼が活躍する姿は今も瞼に焼き付いてる。幸せだったわ。私の人生においてまさに幸せの絶頂だった。私の全てだった」

里咲を目を閉じ、幸せそうな顔をした。

「……」

「筋骨隆々で逞しかったわ。誰よりも迫力があった。私は彼に跨って彼と一体になったわ。素晴らしかった」

〈跨ったって一体に⁉〉

「もう二度と現れないかも。彼が私から離れていったとき、ロスになったわ」

航太は里咲の元カレの話を聞いているうちに嫉妬心がメラメラと燃え広がった。


「服部さん、ベッド使ってください」

「いいの?」

「いいですよ」

「一緒にベッドで寝る」

「いえ、辞めてときます」

「どうして?」

「いや、どうしてってそりゃ。あ、俺、寝相悪いから下で寝ます」

「そう。でも外で寝ないでよ。外で寝てたら私、ただの厄介ものじゃない」

「あれは外で寝るつもりはなくて、たまたま寝落ちしてしまって」

里咲はベッドに寝て、航太はフローリングに電気を消してから寝た。

常夜灯の小さな灯りの中、里咲が話しかけてきた。

「ああ、明日も泊っていい」

「明日ですか?」

「明日泊まったら日曜には帰るから」

「別にいいですよ」

「ありがと」

「じゃぁ、服部さんからもらった合鍵、渡しますね」

「いいの?」

「その方がいいでしょう。俺、明日もバイトで今日ぐらいに帰って来るから」

「なんか食べたいお菓子でもある。明日、買ってくるよ。泊めてもらったお礼に」

「別にいいですよ」

「そうお?」

「ええ」

「……」

「日中、何やってるんですか?」

「何やってるって、すすきので一人でアミューズメントパーク行ったり、ボーリングしたり、パチスロしたり、雀荘にもいったかな。実家にいては出来ないことやってる。まぁ、マージャンは実家でも出来るんだけどね」

「……」

「あ~あ、羽を伸ばすのも明日で最後か……」

「……」

無言が続くと里咲はそのまま寝入ってしまい、吐息だけが聞こえてきた。

航太は眠れなかった。

〈夢やロマンを見せてくれる……。服部さんの元カレっていったいどんな人なんだろう〉

航太は里咲の元カレのことを考えた。

〈もしかしたら、ここに帰って来るのも元カレが忘れられなくて帰って来るのかな〉

航太は上半身を起こしてベッドを見た。

里咲が横の状態で航太の方を向いて寝ていた。

常夜灯の灯りの中、里咲の寝顔にスタイルの良さも良くわかる。

〈……夢やロマン。俺はそんな元カレに嫉妬してる〉

航太は眠り続ける里咲を見た。

〈それにしてもなんだ、この迫力は! この存在感は! 一体俺をどうしたいっていうんだ! 生殺しの生焼きにしたいのか。外カリカリの中トロトロの炙りにでもしたいのか⁉〉

航太はこのまま里咲を見ていられなくて横になった。

里咲の吐息と微かな呻き声が聞こえる。

〈ああ、ダメだ。吐息さえも刺激が強すぎる〉

航太は横になって体を丸めた。

〈姉さん。男の純情、わかってよ!〉


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