表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/34

2.お呼び出し


朝の鐘が遠くの塔から鳴り響いた。


まだ薄暗さの残る部屋で、ステラはまぶたをゆっくり開けた。石造りの部屋の空気はひんやりとしていて、まだほんの少しだけ夢の残り香が頭に漂っている。


窓の外からは、鳥のさえずりと洗い桶の水音がかすかに聞こえてくる。


向かいのベッドでは、カレンがあくびをしながら起き上がっていた。

明るい茶髪のボブが寝癖で少し跳ねていて、それを手櫛(てぐし)で押さえながら鏡の前に立つ。


「おはよう、ステラ。よく寝た?」

「うん、まあまあ。昨日のモップが夢に出てきたけど」

「えー、私も!夢の中でずっと床こすってた気がする」


「……寝言、言ってたよ」

「うそ。何て?」

「“そこ拭いてないよ!”って、はっきり」

「ちょっ……!聞いてたの!?恥ずかしーっ!」


カレンはタオルで顔を隠しながら笑い出した。


部屋は二人用の小さな部屋。石造りの壁に、小さな窓と、木製のベッドが向かい合わせに並んでいる。ベッドの足元には、制服と私物を入れた木箱がひとつずつ。朝露を含んだ冷たい空気が、床にほんのり残っていた。


洗面台の水で顔を洗い、髪をまとめ、エプロンを整える。動きはすっかり慣れたものだった。


「今日は洗濯場戻れるといいなあ。昨日、腰が痛くなっちゃってさ」

「掃除係に回されたら、またモップ地獄だよね」

「同感。あれ毎日だったら、間違いなく背中が折れる」

「でも、大広間での作業って……ちょっと特別感なかった?」

「うん。広すぎて現実感なかったけどね」


ステラは軽く笑って肩をすくめる。


支度を終えると、二人は扉を開けて廊下へ出た。

朝の石廊下はまだ静かで、どこかの厨房から漂ってくるパンの香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。


「さ、朝ごはん行こ。今日はハチミツパン残ってるといいな」

「昨日もカレンが一番乗りで取ってたよね」

「へへっ、早起きは三文の得ってことで!」


軽口を交わしながら、二人は食堂へと足を速めた。


食堂の扉を開けると、温かな湯気と焼きたてのパンの香りがふわりと鼻をくすぐった。


まだ朝早いというのに、テーブルにはすでに数人のメイドたちが腰を下ろし、黙々と朝食を口に運んでいる。


「ある!あった、ステラ、見て!」


カレンが歓声を上げるように言いながら、パンの並んだ籠へ駆け寄る。


「ほらほら、今日のハチミツパン、まだ残ってる!早めに来てよかった〜!」


彼女は手をすばやく伸ばし、ふっくらと焼かれた小さな丸パンをひとつ、大事そうに取ると、目を細めて鼻先に近づけた。


「うん、間違いない。これ、当たりのやつ」

「よかったね」


ステラは苦笑しながら、もう一つの籠から粗焼(あらや)きのパンを選ぶ。


皿にはパンと、薄く切られた塩漬けのハム、茹で卵。小さな器には湯気の立つ野菜のスープが添えられていた。

決して豪華ではないが、朝から働く者たちには十分な食事だった。


ステラが席に着き、スープの香りを深く吸い込んだそのとき――


「ステラ。食べ終わったら、私の部屋に来なさい」


背後からかけられた声に、ステラの手がぴたりと止まった。

低く抑えたトーン。振り向かずとも、それがメイド長グレタの声だとわかる。


「……はい」


短く返事をしてうなずくと、メイド長はそれ以上何も言わず、足音も静かに立ち去っていった。


カレンが口を半開きにしたまま、ハチミツパンを持った手を宙で止めていた。


「えっ、ステラ……何やったの!? 昨日の掃除で壁に傷でもつけた!?」

「してないって……たぶん」


(やった覚えはないけど……なんかあったっけ?)


食欲がしぼんでいくのを感じながら、ステラはパンをちぎって口に運んだ。

味は、さっきより少しだけ塩辛く感じた。


食事を終える頃には、パンの甘さもスープの温もりも、すっかり喉の奥へ消えていた。


カレンが心配そうに見送る中、ステラは食堂を出て、使用人棟の奥へと一人で向かっていく。


(……なにか、やらかしたんじゃないといいけど)


廊下は朝の冷気がまだ残っていて、石の床を踏むたびに足音が乾いた響きを返す。


王宮の中でも静まり返ったこの一角に、グレタの部屋はあった。

扉に掛けられた「管理室」の札は、真鍮製(しんちゅうせい)で古びているが、手入れが行き届いていた。


ステラは一度深く息を吸い、こつんと軽くノックをする。


「入って」


中に入ると、思ったよりも広い部屋に帳簿や書類、整理された棚が並んでいた。


机の上には分厚い業務日誌と羽根ペン。壁際には当番表や納品記録が整然と貼り出されている。

部屋の空気には、墨と紙の香りがほんのりと漂っていた。


すでに三人のメイドが先に呼ばれていた。

皆ステラと同じく年若く、顔は知っているが名前までは知らない。どこか緊張した面持ちで、グレタの机の前に整列していた。


グレタは椅子に座ったまま、視線だけを動かしてステラを見た。


「全員そろったわね。時間がないから手短に話す」


彼女は手元の紙束を数枚取り出すと、それぞれに一枚ずつ配っていく。

紙には細かな文字で、品名、用途、刻印、家紋(かもん)、座席番号などがびっしりと記されていた。


「これは、王宮公式のグラスと食器の仕分けリスト。今度の式典用に、侍女(じじょ)たちが控えの間で整理中。いつもなら侍女の仕事だけど、今回は物が多すぎるの。間違いの許されない作業よ」


メイドたちの中に、すっと息を呑む気配が走る。


「字が読めるメイドを集めた。あんたたちは補助として作業に入ってもらう。書いてあることが理解できないなら、今のうちに言いなさい」


誰も口を開かない。ステラも、配られた紙をじっと見つめたままだった。


(家紋、用途、座席順……ややこしい。でも、このくらいなら……)


「作業は(ひか)えの()。侍女たちが主導してるから、言われた通りに動いて」


「はい」と全員が声を揃える。


グレタはひとつうなずくと、再び視線を下げ、日誌に目を戻した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ