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ショートストーリーズ

ショートストーリー 藤棚の下にて

作者: 遠部右喬

 藤の根元に、モスグリーンのカラーデニムを穿いた脚を投げ出した女が一人、微睡んでいる。

 藤棚の中央、太い幹に上身を預けた薄化粧の顔と白いシャツに、頭上から垂れる花房の群れが影を落とす……まるで、次第に強くなりつつある陽射しから彼女を護っているかのようだ。 


 さあっ


 春風に薄紫の花弁が散り、花の甘い香が女に降り注ぐ。


 蔓性である藤は、何かに巻き付き生長する。樹齢三百年を超えるというこの藤が嘗て巻き付いていた松は、締め付けによって枯れてしまい、今では痕跡も残ってはいない……そう書かれた藤棚脇に立つ解説板に目を留める人影はない。田舎でも都会でもない中途半端な土地だ。観光客も滅多に訪れず、町外れのここに足を運ぶ地元の人間も殆どない。惰眠を貪る女だけが景色を独占している。


 女の周りを、一匹の雀蜂が飛び始めた。女の細い肩に留まる寸前、雀蜂は真っ二つに割れ、ぽとりと地に落ちる。


『触るんじゃあないよ』


 いつの間にか女の傍らに着流し姿の男が立っていた。

 淡藤色の小紋に鈍色地の帯を締めた男が、深い葉色の扇をひらりと泳がせると、艶麗な白い顔に背に垂らした黒髪が一筋かかる。


『恨まないどくれよ。ずっとずっと前から、これはあたしの女なのサ』


 悪い虫に刺されたりしたら堪らないからね……そう呟くと、雀蜂を切り裂いた扇をパチリと閉じ帯に挿む。

 まだ目覚める気配のない女の髪に、男がそっと触れた。


『それにしても、良く寝てるね……もうそろそろ、愛らしい瞳にあたしを映して欲しいもんだけど』


 男が女の細い身を抱きしめ、唇を女のそれに重ねる。

 その時。

 女のポケットが震え、女が眉根を寄せた。




 人気(ひとけ)の無い藤棚の下で、まだ寝ぼけ眼の女が、デニムから取り出したスマートフォンを耳にあてる。


「もしもし……なに?」

『なに、じゃないわ。あんた今、何処に居るの』


 女が周囲を見回し、怯えた様に立ち上がる。


「……藤棚。寝てたみたい……」

『またぁ?』


 幼い頃から、藤の花の季節になると引き寄せられるように此処に来てしまう。ここ数年は特にひどかった。訪れた覚えもないのに藤棚の下で目覚めたのは、これが初めてではない――藤なんて、好きでも何でもないのに。


「……その内、病院で調べて貰おうかな」

『それは絶対そうしなよ。てかさ、それはそれとして、約束忘れてないよね?』


 あー、うん、と言い淀んだ女をやや高めの声が窘める。


『もうすぐ時間だからね。田中君も待ってるよ』

「えー、やっぱ面倒くさいよ」


 女の言葉に、電話の相手が早口の小声で、


『可哀想なこと言うなし。断るのは別に構わないけど一度は会ってやってよ。時間繋いどくから、なる早で来てね』


 ……通話が切れた。女が眉を顰める。


「別に、彼氏なんて欲しくないのに」


 呟きながら立ち上がり、服に付いた下草をぱんぱんと払う。

 自分が影で「究極の下げマン」と呼ばれていることを知っている。これまで付き合った男達は、お前と付き合い出してから碌なことがないと言って去って行った。


 夜な夜なうなされ、寝不足で事故を起こしたり。

 原因不明の病気で入院したり。

 いつも誰かに見られてると言って、ノイローゼになった奴も居た。


「はあ、取り敢えず、行かなきゃ」


 女は地べたに置かれたバッグに手を伸ばし、ふと眉根を寄せた。唇に妙な甘さが纏わりついている。蜜のような甘さと、鼻腔をほんのりとくすぐる藤の花の香。


「……気持ち悪い」


 ぐいっと唇を拭い、女は歩き出した。




 目の前を通り過ぎる女を目で追い、男が溜息を吐いた。


『……まだ分かんないのかね。お前はあたしのものなんだよ』


 愛しくて愛しくて、抱きつぶしてやったのに。あたしに巻かれてとうとう枯れちまった時には、本当にゾクゾクしたもんサ。人に生まれ変わったところで、逃がしゃしないよ。


『サテ、今度はどうしてやろうかね』


 悪い虫に刺されない様に、あたしがしっかり護ってやらないとねェ――男は嗤いに歪んだ唇をべろりと舐めた。

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