異世界編 6
踏み込んだ亜空間の中は、黒のリノリウムのような材質の床と真っ白な空がどこまでも広がる不思議な世界だった。
無彩色な世界は、どこか無機質な冷たさと僅かな恐怖心を私に伝えてくる。
「おー……凄いなー……」
少し歩いてみるが、どうにも足音が不思議だ。どこにも音が反射しないからなのか、耳がおかしくなりそう。
ふと振り返ってみれば、空中に亀裂があり、そこから外の世界の青い月が見える。ちなみにカバンの中に入れておいた物たちは、少し離れたところで一箇所に固まっていた。どういう仕組みなんだか。
「と、感心してる場合じゃなかった。早く魔法試して帰らなきゃ。時間の流れは外と一緒なんだし」
魔法ノ書を元の姿に戻し、次元属性についての項目を開いてみる。
さて、結界魔法は使えるかな、と。
「よし、これだな。……えっと、『魔を隔てし結界よ、我に次元の加護を』!」
キィン、という音が耳に響き、透明な壁が私を囲む。それはすぐに掻き消えた。どうやら成功のようだ。
私はほっと一息つく。
「あー、良かったー……。出来なかったらどうしようかと思ったよ……」
最悪の場合、似非コールドスリープ(魔法で眠らせて亜空間にIN)している間に急ピッチでレベル上げとかちょっと考えてたので、成功してよかった。本当に良かった。
「あと、時属性の中に、補助効果の時間を引き伸ばす魔法もあったから、それも覚えて……あとはー……」
ぺらぺらと魔法ノ書をめくり、クオ君に使えそうな魔法をそこからいくつかピックアップしていく。
そこから1つだけ選んで呪文を頭に叩き込み、私はよし、と頷いた。
「戻ろう。クオくんも待ってるだろうし」
魔法で空を飛び、空中の裂け目から外に飛び出す。それだけで世界は彩りを取り戻し、私はどこかホッとした。
枝に引っ掛けておいたカバンを肩に戻し、そのまま飛んでクオくんの所に戻った。
「ただいま、クオくん!」
「おっ、お帰りなさい……!」
「わっ! ……そんな勢いよく抱きつかれたら落ちちゃうよ?」
枝の上のクオくんに腕を伸ばせば、彼は私の腕の中に飛び込んでくる。そして私の首に腕を回し、ぎゅ、と抱きついてきた。
私は抱きつかれた衝撃で落ちそうになりながらも、そんな彼の背に腕を回す。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「ま、不安にさせたのはこっちだし、いいよ。ごめんね、遅くなって」
背をゆっくりと撫でれば、彼はようやく安心したように体から力を抜いた。
私は彼を抱いたまま、何とか無事に着地する。だが彼は離そうとせず、きゅ、と私に引っ付いたまま。
「クオくん?」
「……僕、もしかしたら、また捨てられたかもって思ったんです。木の上に置いていかれて、あの場所だったら僕は自力で降りられないし……このまま墜ちて死ぬか、餓死するしかないのかな、と……思って……」
「えっ……そんなことしないよ!?」
彼の言葉に、私は思わず大声で反論してしまう。彼はそんな私の声にびく、と肩を揺らす。
「あ、ごめん……驚かせて」
「い、いえ……僕が、悪いので……」
彼は小さくか細い声で、そう口にした。
まさか、そんなことを思われていたなんて、思いもしなかった。
でも、よくよく考えてみれば、彼からすればそう思うのも当然かもしれない。
両親からも捨てられた(と思い込んでいる?)彼が、初めて会った人に良くされたって、信じられるわけがないのだ。
「……えっと、ごめんね、クオくん。不安にさせちゃったね」
「いえ……僕こそ……ごめんなさい。本当に、ごめんなさいっ……!」
彼の頭をぽんぽんと撫でる。彼はぎゅうと私に抱きついたまま、小さく嗚咽を漏らし始めた。
「さて! じゃあ早速結界魔法をかけましょう!」
クオくんが落ち着いた頃、私はそう提案する。結界魔法の他にも一つ魔法を使うつもりだが、それはまだ言わない。サプライズイベントってやつだ。
「はい、よろしくおねがいします」
少しだけ目元を赤くした彼は、そう言って頭を下げてくる。私は、合点承知! と明るい声でうそぶいた。彼は「がってんしょうち?」と、よくわかっていないようだったけど。
「じゃあ、行くね? 『魔を隔てし結界よ、彼の者に次元の加護を』『たゆたう時間よ、流転する世界よ、加護を受けし者に祝福を』!」
彼の周囲に、透明な結界が張られ、すぐに何も無かったかのように掻き消える。効果延長の魔法もかけたし、長くなりますように、と念じながら魔法をかけたので、少しは長持ちするはずだ。
「どう?」
「……はい、大丈夫だと思います。でも、光属性じゃないのに、いつもおじいちゃんがかけてくれた魔法と同じ感覚だ……」
彼は嬉しそうに笑う。
予想だけど、おじいさんが死んでから、彼が安心して過ごせた時間は無かったのだと思う。光は珍しいとのことだから、他に結界魔法を使える人は、彼の周りには居なかっただろう。
そもそも、利益無しに魔法をかけてくれるお人よしなんか、そうそう居ないはずだ。
「そういえば、魔法の効果が無くなったら自分でわかるの?」
「はい、わかります。……感覚なので、説明は難しいんですけど」
「そうなんだ。じゃあ、そうなったらすぐに教えてね」
「わかりました」
彼は真剣な表情で頷く。
「じゃあ、次の魔法だね」
「……え? 次の魔法?」
きょとん、と彼が首を傾げる。私は、にい、と笑った。
「ま、とりあえず説明するより、やってみよう?」
「あ、はい」
「んじゃ、手を貸して」
彼の手を取って、私の手と合わせる。彼には魔力があるということなので、それを利用させてもらおうと思ったのだ。
「『この世界に住まう者よ、我らの力と声、そして心に応じ、使い魔となれ』!」
それは、星属性の一種の魔法で、使い魔を召喚し、契約するための魔法だ。
ちなみに星属性は、星というか、世界規模の魔法が多い。
勿論、文字通り星を降らせる魔法もあるが、世界の分身を使い魔として召喚したり、世界の理をちょこっと変えたりするという、危険なものばかりだ。どれも強すぎて、絶対使いたくない。そもそも私のレベルじゃ使えないだろうが。
どうであれ、魔法の力を得るのに「覚悟」が必要なのも、頷ける魔法ばかりなのだ。
「……さて、何が出るかなっと……」
今回は、世界の分身とかじゃなく、普通の使い魔を召喚する魔法だ。この世界に住まう者たちの中から、術者の魔力に応じた力を持つ使い魔を召喚する。それだけの魔法。
クオくんはきっと、誰かとの関わりに飢えているのだと思った。
村にいられなくなって、一緒に住んでいたおじいちゃんも死んで。私なら、寂しくて寂しくて、泣いてしまうと思う。
だからその分、使い魔がいれば寂しくないかな、と思ったのだ。
やがて、ぽん、という音と共に、何かが私達の目の前に現れる。それは、バレーボールくらいのサイズのもふもふとした白い毛玉だった。毛足は長く、そういう種類――アンゴラだったかな?――のうさぎにも見える。
「あの、あれ何ですか?」
「……も、もふもふ?」
「もふもふって何です?」
「……さあ?」
「さあって……」
二人でそのもふもふに恐る恐る近付く。すると一歩踏み出した瞬間、そのもふもふはもぞり、と動いた。
「わっ、動いた」
「動きましたね……というより、さっきの魔法は何だったんですか?」
「使い魔を召喚する魔法、なんだけど……。正直、あのもふもふは予想外だった」
私とクオくんの魔力を使ったから、私達二人の力を合わせたものに相応しい使い魔のはずなのだ。
でも出てきたのはもふもふ。どこから見てももふもふ。輝かんばかりの毛艶の白いもふもふ。
……謎のもふもふ……うん、面白そうだ!
「よーし、触ってみよーっと」
「……大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって大丈夫だって!」
近付いて触ってみる。
……何これ、すっごい触り心地いいんだけど。
確かにこれは、癒し系的な意味で私達に相応しいかもしれない。ほら、心の傷を癒すために、ペットセラピーとかあるじゃないか。
「クオくん、これすっごい気持ちいいよー!」
「そうなんですか?」
「クオくんも撫でてみなよー?」
はい、とクオくんにもふもふを差し出す。クオくんが恐る恐る手を伸ばした瞬間。
「……こら、そんなにべたべたと触るでない」
そんな声が聞こえた。
「はえ?」
しわがれたような声に、私はきょとんとして辺りを見回す。が、何かいるわけでもなさそうだ。
ということは……え?
「……今の声、このもふもふ、から?」
まさかと思いながらも、もふもふに視線を落とすと、そのもふもふは急にくわっと目を開いた。その丸い金色に、私はびくっと肩を揺らす。毛がもふもふと生えているせいで、どこが目なのかわからなかったからだ。
「もふもふもふもふ言うでない。わしにはフェンリルという、ちゃんとした名前があるのじゃ」
「……フェ、フェンリル……」
似合わない、それはあまりにも似合わないよ、もふもふさん。
クオくんも、ちょっと変な笑いを浮かべている。きっと、私と同じことを考えているに違いなかった。
「もふも……あ、いや、えっと、フェンリル。出てきてくれたってことは、私達の使い魔になってくれるんですよね?」
「そういうことじゃな。二人とも、これから宜しく頼むぞ」
「あ、えっと、うん……宜しく、フェンリル」
「よろしく、おねがいします、フェンリルさん……?」
似合わない。やっぱり似合わない。
見た目はもふもふでつぶらな丸い金の瞳で触り心地も凄くよくて可愛いのに、その実、老婆のようなしわがれた声に、しかも名前がフェンリル。
なんだかなー、と私は思わざるをえないわけです。
あの後クオくんに聞いたら、使い魔という概念はこの世界にないそうだ。
なので、私達の魔力で召喚した、友達みたいなものだと言っておいた。
本来なら召喚者を守ったりする役目もあるのだが、どう考えてもこのもふもふにそんなことは出来そうもない。
友達だと言ったせいなのか、クオくんは初めて見るという喋る生物に、臆することもなく、好意的に接していた。
私と手を繋いで歩きながら、もう片方の手でフェンリルを撫でたり抱き締めては、その度に、わしをもふもふするでない、こら聞いておるのか、おい、なんて言われていた。
フェンリルもその台詞とは裏腹に、声色は明るかったから、そんなに嫌がってはいないのだろう。
さすがに本気で嫌がっていたら、クオくんもやめるだろう。
私は、そんな彼らをずっとにやにやしながら見ていた。だって微笑ましすぎるのだ、彼らのやり取りは。
「……あ、そういえばクオくん、ギルドの登録はしてあるんだよね? カードは?」
「登録はしてあるはずですが、どこかに行ってしまいました。村を出たときには、持っていたはずなんですけどね」
「そっか。じゃあ街で再発行してもらおうね」
そんな会話を間に挟みながら、私達は街に向かう。
「あ、フェンリル。もう少しで街だから、街の中では喋らないでヌイグルミのフリね。何か伝えたい時は心話でよろしく」
「わかっておるわい」
フェンリルは私達二人の魔力とリンクしているため、お互いにテレパシーのようなもの――心話で会話できる。
が、あくまで私⇔フェンリル、クオくん⇔フェンリル間の繋がりがあるだけなので、私とクオくんが会話するには、フェンリルにいちいち伝えてもらう必要があった。が、何にせよもしもの時の連絡手段があるのは正直ありがたい。
「あ、門が見えてきた。アルバートさん、まだいるかな」
「アルバートさんって誰ですか?」
クオくんの問いに、何と答えようか迷う。
さすがに借金してる相手だとは、事実とはいえ、言いたくない。
少し考えて、私はこう答えた。
「んー……クーデレ系ナイスミドルな私の恩人さん、かな?」
クーデレかどうかは、未だに謎だが。
今思えば、デレってほどデレてない気もする。
クオくんは私の言葉に何を思ったのか、「くうでれけーないすみどる……」とぶつぶつ呟いていた。
あの、そんな単語覚えなくていいからね……?