魔法ノ書編 3
『悪役がペラペラと話を長引かせるのって、絶対時間稼ぎしてるよね』
いつだったか、奈津が漫画を読みながらそんなことを言っていた。確かに、戦いの前にぺらぺらと会話を交わすなんて、時間稼ぎくらいしか考えられない。
冷静に考えてみればそうなのだが、あの状況でそんな考えに至るはずもなく。
悪役の話に付き合っていた私は、彼の部下であるキース(実際に見て確認はしていないが、恐らくそうだろう)にまんまと後ろから刺されてしまったのだろう。
きたない、さすがフェイルきたない。……部屋の入り口で後ろを警戒していなかった自分も、相当間抜けだとは思うが。
「あー、びっくりした……」
自室のベッドで目覚めた私は、右胸を押さえながらほっと息を吐く。いやあ、あっちの世界から直接、人形のまま行っててよかったわ。じゃなかったら、今頃、私死んでた。いや、死なないと判っているからこそ油断していた部分もあるんだけど。フェイルも、殺ったと思っただろう。
……あ。もしかしてルナさんも誤解していたりして?
でも、人形だから血は出ないし、大丈夫かな? いや、ルナさんだしな……不安だ。さっさと無事を知らせよう。
ということで、今度は生身のまま、あちらの世界へと向かうことにする。ただし、今度は防御魔法を何重にも重ねがけして、だ。
人形にかかっている筈の防御魔法があっさり破られたことを考えると、魔法を破るための何かをもっていると考えたほうがいいのだが、これだけ重ねがけすれば流石に平気だろう。ここまでやると、魔法ノ書を使ってすら破るのがキツい程だ。あ、ついでに透明化の魔法も使っておこうっと。
そして再び、異世界。生身でこの地を踏むのは久しぶりだ。そんなことを思いながら、集中する。目指すは城だ。
気合を入れてテレポートすれば、そこは既に戦場だった。ルナさんが鬼気迫る表情で白髪の男――キースと打ち合っている。やはり私を貫いたのは彼だったのだろう。
私は透明なまま、魔法を発動させる。その瞬間、何かを感じたのかフェイルがこちらを見たが、もう遅い。数十もの水の槍は、宙を舞い始めた。
狙われた二人は、いつかのようにそれを避けはじめる。とりあえず、そうやって踊っていればいいと思うよ。
「っ!? チハルか!?」
飛び交うそれを見たルナさんが驚き、人形の倒れている部屋の入り口に視線をやる。しかし何かに気付いたように、透明になっている私の方へと視線を向けた。……あ、そういえばルナさん、気配でわかるんだっけ。
私は透明化の魔法を解除し、姿を現す。
「ルナさん、ただいま戻りました」
「チハル、一体どうやって……チハルが二人いるのか? そっちのチハルは誰だ?」
「そっちのチハル……」
思わず吹き出してしまった。状況は緊迫としているはずなのに、何だろうこの緊張感のなさは。
私は誤魔化すように咳払いして、彼女に説明する。
「ええと、そこで倒れている私は人形です。ほら、前に教えましたよね。『人形を操り、その人形と視界を共有する魔法を開発中』だって」
「ああ、そういえば言っていたな。もう出来ていたのか」
「はい、結構前に」
そう言えば、ルナさんは拗ねたように呟いた。
「……教えてくれても良かっただろうに。本気で死んだと思ったぞ」
憮然とした表情で言う彼女は、本当に心配してくれたらしい。私は妙に嬉しくなって、だけどそれ以上に照れくさくて、彼女をからかうことにした。
「ごめんなさい。でも、血が出てないから判るかなって思ったんですけど、よっぽど心配してくれたんですね」
私の言葉に、ルナさんがハッとした表情を浮かべる。その後気まずげに、部屋の入り口で倒れている人形に視線をやり、そうしてまた私に視線を戻した。
「確かに、そうだな」
彼女は照れくさそうに言って、頬を掻いた。
……さて、雑談はこのくらいにしておこう。
私は魔法を消し去る。槍と踊っていた二人は、肩で息しながらこちらを睨みつけてきた。
「ご苦労様です」
「……いい運動ができたよ、ありがとう」
「どういたしまして」
にっこり言えば、フェイルは一度顔を伏せ、息を吐く。そして、作り上げた穏やかな表情で私に向き直った。
「本当、君が姉さまのところにいるのが、悔しいね。もっと早く出会っていれば、君は僕のところに来たのかな」
「どうでしょうね。王座を奪おうなんて思っている人間に、私は懐かなかったと思いますよ」
異世界に辿り着いた当初の私は、とにかく面倒ごとには巻き込まれたくないと思っていた。あと、力は隠すべきと思っていた。いつの間にかフル活用する羽目になってたけど。
まあ、言いたいのは、物騒な人間には近付かなかっただろう、ということ。
そんな私に、フェイルは笑顔で言った。
「うーん、残念。でも、無いものねだりしてもしょうがないか。負けたよ。不意打ちで君を殺せなかったんだから、僕らの完敗」
「やけにあっけらかんとしてますね……」
「まあね。君がいる以上、抗ってもしょうがないし。で、魔法使いの君は、僕たちをどうするのかな。殺す?」
言われて、止まった。彼とそろそろ決着をつけたいとは、ずっと思っていた。フェイルには会うたびにガチで殺されかかってるので、赦すつもりはない。魔法ノ書が無かったら、普通に二回ほど死んでいる。私はそんな目にあってまで全てを水に流せるほど、寛大な人間ではなかった。
かと言って、殺すのかと問われると、頷くことは出来なかった。人を殺す勇気など、私にはない。
「チハルッ!」
私がそうやって迷っていると、フェイルが素早く切りかかってきた。ルナさんが動くも反応は間に合わず、彼の剣は私を襲う。
しかし防御魔法が発動し、私から1センチほどのところで剣は止まった。目の前でギリギリと動く刃に心臓をばくばくと鳴らしながら、彼を魔法で吹っ飛ばす。綺麗に着地されたが。
「今度は準備万端ってわけか。本当、厄介だなあ」
「……殊勝な態度を取ってたくせに、酷くないですか?」
「隙は突くためにあるんだよ」
腑には落ちないが非常にごもっともな言葉なので、私は文句も言えず口篭った。
「で、どうするの? 僕たちを殺す? 捕まえる? ……まあ捕まったら、結局死罪になるだろうけど。それとも逃がしてくれるのかな? それでもいいけれど、恩赦をかけられたところで、僕は絶対に諦めないよ?」
逃がすなんてもってのほかだ。彼の言うとおり、きっと何度でも二人は何かを引き起こす。その度に、ルナさんや、もしかしたらクオくんが巻き込まれることになる。そんなのは、許してはいけない。
つまり彼の提示する選択肢は、結局のところ「死」しかなかった。
縋るように、ルナさんに視線を向ける。彼女は苦しげな表情で、口を開く。
「……私は、あいつに死を与えることしか出来ない」
ルナさんの言葉に、益々胸が重くなった。つまり、彼の言う選択肢しか、もはや残っていないということだ。
……ん? いや?
不意に、そうとも限らないか、と思う。
この世界にいるから問題なのであって、別の世界にぽーいと飛ばせばいっぱつ解決な気がする。「臭いものには蓋をする」みたいな方針ではあるのだが、今後の平穏の方が大事だ。
「あの、ルナさん」
「何だ?」
「フェイルをどうするか、私が決めていいですか?」
私の言葉に、ルナさんが虚をつかれたような表情を浮かべた。彼女はああ、ええ、と言葉を探し、ぽつりと言う。
「ま、任せても良いのか?」
「あ、はい」
こっくり頷く。するとルナさんは、どこか苦々しい表情を作った。
「……押し付けるような形になって申し訳ないが、頼む」
気に病む彼女に、私はいいえーと首を横に振った。
……これで私の自由に出来る。
思わず緩みそうになる頬を、無理矢理に押さえつけた。
「ねえフェイル。
1、『服従効果のある召喚魔法に飛び込む』
2、『魔王的な存在に滅ぼされそう』
3、『ただのハムスターになってヘケッ☆とかカワイコぶらなきゃいけない』
4、『人も何もいない世界で独り静かに暮らす』
5、……えー、『*かべのなかにいる*』
どれがいい?」
さすがに後半ネタが尽きた。自分なら断然3を選ぶが、フェイルならどうだろう。飼われるのなんて、絶対嫌だろうと予想。だからこそ愉しいんだけど。
私の提示した選択肢に、彼はぽかんとした表情を浮かべる。
「……ねえ、話がまるで見えないんだけど」
「見えないままでいいんじゃない? ってことではい時間切れ、残念でした! 『我求む、更なる魔法を。我願う、更なる力を。我望む、異なる世界を。』……」
私は詠唱を始める。フェイルたちは何が何だかわからない、といった表情のまま、抵抗もなく私の呪文を聞いていた。
さて、どれにしようかな。神さまのー……まあいいや、1〜4の中からランダムで。5は流石に即死なので止めるとして、他のどの世界でも嫌がらせには十分だろう。フェイルたちの場合、殺しても死にそうにないから、心安らかに飛ばせるしね。
でも個人的には2が好きかも。フェイルが魔王と相対するとか最高なのに。同士討ちっぽくて。
そんな風に色々と(えげつないことを)考えながら、条件指定に組み込んでいく。
「『繋がりの鏡よ、我が言霊をもってそれを成せ』!」
詠唱と共に、彼らの目の前に鏡が現れる。私は動こうとしない彼らの背に、魔法で風をぶち当てて、鏡の中に押し込んだ。
「じゃ、もう会うことはないと思うけど、頑張ってねー。いろいろと!」
二人に向かって小さく手を振る。彼らは何か言いたげな表情を浮かべていたが、何も言えぬまま鏡に呑みこまれて消えていった。
「ふう、終わった」
静寂の戻った部屋。私はわざとらしいイイ笑顔で、額の汗を拭う仕草をする。
「……よくわからんが、相変わらず滅茶苦茶だな」
ルナさんは言って、少しだけ安堵の混じったような息をついていた。殺さずに済んだ、とでも思っているのだろう。
……ある意味で死んだ方がマシな目に合うかもしれないけどね。そんなこと口にはしないが。
緊張感があっという間に霧散して、私は息を吐く。あー、やっと決着つけられた。すっきり。
「……相変わらずじゃのう」
そんなことを思っていたら、いきなり足下から声が聞こえてきて、私は小さな悲鳴と共に肩を揺らす。いつの間にか、私のすぐ近くに、フェンリルがいた。
ルナさんも警戒心を露にしながら、私と、私の足下にいるフェンリルと距離を取った。
「あれ、フェンリルどうしたの? というか、どうやってここまで?」
「ワシは書の守護獣じゃからの。書のある場所には一瞬で転移できるようになっとる」
「へえ、初めて知ったよ。……んで、どうしたわけ?」
私が問うと、いきなりフェンリルから光が溢れ出す。眩しさに目を閉じて、次に目を開いたときには、大きな白い獣がそこにいた。いつか、夢の中で見た姿だった。
「……フェン、リル?」
「チハル、お主は書の主として認められた。じゃから、今から天界へと案内しよう」
「は? え? なに?」
意味がわからず、フェンリルに短く問いかける。が、その問いなど無視するかのように、腕につけた魔法ノ書から発せられた強烈な白の光が、私を包み込んだ。
「チハル!」
ルナさんの叫びに近い呼びかけに応える間もなく、私はその場から消え去った。