四季編 24+
街から外に出た青年は目を細め、広大なフィールドを見渡す。視界にあるのは風になびく草原。それと、左手の方には大きな森もあった。
「森は、俺にはまだ早いって言ってたな」
青年は、自らに色々と教えてくれた少女の言葉を思い出しながら、草原の方へと足を向ける。
草原にはプレイヤーだと思われる人影が、数十はある。しかし草原の広さの前には微々たる人数でしかなく、青年が経験値稼ぎをする余裕は十分にあるようだ。
青年は、街近くから少し離れ、人気の殆どないところまで足を伸ばす。
「お、出た……」
四方10メートルほどは誰もいない場所に陣取った青年の前に、早速魔物が出現する。
何も無いところから無為に現れた魔物に、(これは妙にゲームっぽいんだな)と、今まで見てきた世界にそぐわないものを感じながら、青年は右手で初期装備のショートソードを抜き、臨戦態勢を取った。
青く透き通ったゼリー状の魔物は、バランスボール大の柔らかい身体を威嚇するように伸ばし、青年を押し潰さんとする勢いで襲い掛かってくる。青年はそれを、ゲーム開始時点でランダムに割り当てられていた補助スキル『ハイジャンプ』で避けた……の、だが。
「うぉおおおおッ!?」
青年の口からは、情けない絶叫が漏れる。
彼の高度、約4m。想定以上に、飛び上がってしまったらしい。
「ハイすぎんだろオイ! やべえやべえやべえって! うあああやべえええ!」
流石に生身でそこまで飛び上がれば、恐怖も覚える。青年は冷や汗を覚える嫌な浮遊感に、わけのわからぬまま同じ言葉をただ連呼した。
しかし魔物は青年の焦りに手心を加えてくれるはずもなく、あとは落ちるだけの青年を、身体を震わせ待ち受けている。
(呑まれる!)
瞬時に青年は、魔物に受け止められ、そのまま取り込まれ、絞め殺される自分を想像する。不意に脳裏には、デスペナの四文字が浮かぶ。
経験値も、所持金額も、まだ初期のままだ。だから、本当なら、デスペナルティなんて気にしなくてもいい。
だけど、折角ペンタに回復アイテムを貰ったのだ。そして、「頑張れ」と応援されたのだ。すぐに街へと死に戻るなど、彼にとってあまりにも恥で、情けなかった。
「初っ端から、やられて、たまるかっ!」
彼は咄嗟に、持っていた剣を右手から両手に握り変え、落下する勢いのまま振り下ろす。
「でぇええいっ!」
剣は魔物に呑まれ、あっさりとその身体を二つに割った。青年が拍子抜けするほどの、呆気なさだった。
着地のことを全く考えていなかったが、スライムの残骸がちょうどクッションとなり、ダメージはなかったよう。
「おぉう……」
無事、初戦闘を終えた青年は、バクバクと高鳴る心臓を押さえ、ほうっと息を吐く。一度深呼吸をしたところで、彼の尻に敷かれたゼリー状の魔物は光の粒子となり、青年のつけた腕輪へと吸い込まれていった。
やがて落ち着いた彼は、ぱっと破顔する。
「……おもしれー!」
現実では出来ない体験に、青年の心が躍る。魔物を倒すことにもう少し抵抗を覚えるかと思っていたが、パニックでそれどころではなかったようだ。
魔物という存在だけ、やけにリアリティが薄いのは、きっと敵を倒すという行為への抵抗感を減らすためなのだろう。青年は先ほど感じた疑問をそうやって飲み込む。
「よっしゃ、次こい、次!」
調子に乗った青年の前に、三匹の魔物がいっぺんに現れたのには、流石に前言を撤回したくなった。
ちなみにその後どうしたかと言えば、ハイジャンプを駆使し、飛距離と高低差を利用して、どうにか倒したようだ。ハイジャンプは、攻撃スキルのように派手なエフェクトも強力な威力も無いが、彼にとっては地味に当たりスキルだった。
調子に乗って二時間ほど経験値稼ぎに勤しんだ彼は、休憩のために街へと戻ってきていた。
肉体的な疲れは、さほど無い。だが、どこか気疲れはある。
とはいえ、レベルも3まで上がり、気疲れ以上に喜びの方が大きいようで、彼はほくほくとした表情を浮かべていた。
「所持金額も増えたし、飯でも食べようかな……って、ゲームの中で飯とかも変な感じだな」
呟きながら、一番最初に目に付いた食堂に入る。
食事はHPとMPを回復させる効果があるが、割合回復なため、HPの少ない初期の内は薬を買ったほうが安く済む。だが、やはり食事を取った方が休息になるからか、食堂では多くの人が食事をしていた。
「いらっしゃい! 旅人さん、一人?」
「ああ」
「じゃあこっちどーぞっ!」
元気そうなダークエルフの少年が青年を迎える。少年の案内に、青年は窓際の席に着いた。メニューから適当に頼んで頼み、料理の到着を待つことにする。
渡されたおしぼりで、顔を拭く。程よい熱さが、肌に気持ちよかった。
(……ってどこのオッサンだ、俺は)
ついやってしまった行動に自嘲してから、拭いた面を内側にして折り、テーブルの上に戻す。
(……あ、アイツら)
ふと、厨房に近い方の席に、見覚えのある二人組みが座っていることに青年は気付いた。ペンタの店で瓶を割った二人組みだ。
青年は、ちらちらと二人に視線を向ける。何故かは判らないが、二人は酷く落ち込んでいるように見えた。
(……どうしたんだ?)
青年は首を傾げながら、小さく漏れ聞こえてくる彼らの声に耳をそばだてる。
「……まさか、ゲームの中で借金を負うとは」
「これが他人事なら超ウケるんだが、自分のことだしなあ……」
(借金!?)
思わず青年の顔に驚愕が浮かぶ。一体どういうことかと、彼らの言葉に更に集中したが、彼らはその後すぐに食堂から出て行ってしまい、全く事情は把握できなかった。
「……借金、なあ?」
腕組みをして、思考を巡らせる青年。
だが、しばらくの間、一人であれこれと考えても判らなかったので、あとでペンタに聞くことにして、運ばれてきた食事を楽しむことにした。
食事を終えた青年は、先ほどの男性二人組みについて情報が無いかと、薬の補充も兼ねて、ペンタの店に行くことにする。
しかし改めて行こうと思うと、意外と入り組んだ場所にあり、少し迷ってしまった。
「ペンタ、いるかー……あっ」
十五分ほどかけて、どうにか辿りついたペンタの薬屋。中から話し声がすると思えば、そこにはハルが居た。
思わず入り口で立ち止まり、驚きに目を開く青年。彼女も同じように驚いた表情を浮かべた後、ペンタへと視線を向ける。
「あ、シュンおにーさん、よく来たっす!」
「……ほー、じゃあこの人が?」
「そうっすよー」
ハルに、どこかじろじろと値踏みされるような視線で見られ、青年は気まずげに肩を竦める。
「何か俺の顔についてます?」
「あ、違う違う。ごめんね」
青年が問えば、ハルは愛想笑いを浮かべそう答える。
誤魔化された? と青年は一瞬思ったが、何となく気後れして、それ以上深く問うことも出来なかった。
「あ、そだ。……えっと、ペンタ、今大丈夫か? もしかしてハルさんと何か話してた?」
「いや、大丈夫っすよ。それで、どうしたっすか?」
「ん、なんか、さっきここに来てた二人組みが借金とか言ってたから、何か知ってるかな、と思って……」
青年の問いに、合点がいったようにペンタは「あー、それっすか」とにんまり笑う。その笑みに、何故か青年はぞくりと背中に良くないものを感じながら、続きを問う。
「どうも、“たまたま”入った武器屋で、高価な武具を“偶然”壊しちゃったらしく、修繕費を請求されたらしいっすよー? 持ち金足りなくて、借金状態らしいっすけど」
「え……」
青年は思わず固まった。そんな彼に構わず、少女は笑顔で続ける。
「ちゃんと返さないと、この街じゃろくに買い物出来ないっすからねー。ま、外で100体も倒せば返せる金額っすし、二人ならすぐ終わるっすよ。大丈夫だとは思うけど、おにーさんも気をつけてくださいっす!」
(100って十分多いだろ……)
からからと笑うペンタに、青年の頬がひくひくと引き攣る。何故か、このゲームの製作者であるはずのハルも、引き攣った表情を浮かべていたが。
リアルだリアルだ、とは思っていたが、こういったイベント? なんかもあるとは、恐ろしい世界観である。
とはいえ、店のものを壊したのはあの男性二人だろうし、実際に二人の態度を見ていた青年は、彼らに対して同情することも出来なかったが。
青年は(これからもっと足元には気をつけよ……)、早速あの二人を反面教師にするのだった。
「ペンタって、意外と根に持つよね。モノにお菓子取られた時も、恐かったし」
「ハル、なんのことっすかー?」
「……なんでもない。ま、ほどほどにね」
「わかってるっすよー。というより、“ウチは”何もしてないっすしー」
「ん?」
邪気のない笑顔のペンタに、引き攣り笑顔のハル。
その脇で、一人判っていない様子の青年であった。