四季編 23+
(おぉー……)
いち早く広場を抜け出し、街中を見て回ることにした青年は、市場らしきところにやってきていた。目に入る木々の緑はぐっと減り、切り拓かれたそこには木造の店舗が立ち並んでいる。
店先では、民族的な服や薬草など、様々なものを売っている。(こういうのはオーガニックって言うんだっけ?)と、青年はどうでもいいことを考えた。
その辺りを闊歩し、賑わいを演じているエルフや獣人などの亜人たち。青年は、それらとすれ違っては感心しきったような溜息を吐く。
「みんな、NPCなんだよなあ……スゲェ」
全てのプレイヤーは一様に、右手首に目立つ腕輪をつけている。その腕輪は装備品には含まれず、絶対に外すことが出来ないため、これをつけているかどうかでNPCかプレイヤーかを判断できた。遠目であればプレイヤーかどうか判断するのは難しいが、遠くから判断が必要な場面はそうそう無い。
サイトに載っていたNPCとプレイヤーの見分け方を思い出していれば、青年の耳に、ざわめきに混ざって会話が聞こえてきた。
「今日は旅人さん、多いね!」
「そうだね!」
「あたし、旅人さんとお話したいなあ!」
「私もーっ!」
「ほらほら、あんたたち、そんなとこでお喋りしてないで!」
「きゃははは、はーいっ!」
「はいはーい!」
亜人たちの会話は、AIであることを疑うような、ごく自然で、人らしいものばかり。もしかしたら、誰かが操作しているのかもしれないとさえ思う出来だ。
しかし、住民は数え切れないほどに存在し、恐らくは今この世界に居るテスターの数よりも多い。そんな数をNPCとして雇えるような財力があれば、もっと四季は有名だったろうし、大規模に宣伝も出来ただろう。
それを思えば、やはり彼らは、彼女らは、AIなのだ。
青年はただ呆然と、リアルに満ちた世界で、NPCであるはずの彼女らを見続けていた。
「……っと、やべえ、時間忘れる……」
このまま流れる人たちを見ていてもしょうがない。そう我に返った青年は意を決し、市場らしきその通りを、歩き回ってみた。
どんな細い道にもちゃんと入ることが出来るし、民家は扉が締め切られているところが殆どだが、窓から覗くと家具が置かれており、生活感に溢れている。この世界はどれだけ細かく実装されているのかと、青年は恐ろしいものさえ感じた。
本当にここは、ゲームの中なのか? 異世界ではないのか? そんな疑いが、青年の中で巡っては埋もれていく。
「……ん、ちょっと誰かに話を聞こ」
ただ無闇に歩いてばかりでなく、情報収集をしなくては。裏通りを歩いていた青年は、たまたま目に入った、こじんまりとした店に入る。
そこはどうやら薬屋のようだった。店の中には、あまり口にしたくない色の液体が入った瓶が、乱雑に置かれている。
「お兄さん、いらっしゃいっす〜!」
カウンターの向こう側に座っていたのは、妙な喋り方をするエルフの少女だった。オレンジ色の髪と金色の瞳を持つ、可愛らしい顔の少女に、青年はきょどりながら頭を下げる。
少女は好奇心旺盛そうな瞳で、落ち着かない様子の青年を射抜いた。
「お兄さん、その腕輪は旅人さんっすね! 買い物っすか?」
「あ、いや……色々、話を聞こうと思って……駄目だった、か?」
「いやいや、構わないっす! このペンタにお任せっすよ! ウチに何でも聞くっす!」
「あ、俺はシュン。よろしく、ペンタ……さん?」
ペンタと名乗った少女に、青年も同じように自己紹介する。彼女がNPCなのだという認識は、もはや彼の頭からすっぽりと抜けていた。自然な仕草を見ても、応対を見ても、目の前にいる少女の行動は到底AIのそれだとは思えなかったからだ。
声が上ずり、疑問調になる青年に、少女はけらけらとおかしそうに笑う。
「さんとかむず痒いんで、呼び捨てにしてくださいっす! じゃあまずは何を聞きたいっすか?」
「ん、んー……」
いざそう問われると、何を聞けばいいのか全く浮かんでこない。青年は少しの間考え、やがて自信が無さそうに口を開いた。
「……じゃあ、まずは基本操作とか、いいか?」
簡単な操作はサイトと、ヘッドセットに同封されていた説明書で一通り読んで知ってはいる。だが、ここで教えてもらえるのであればその方がいい。特に聞くことも見つからない彼は、そう判断して彼女に教えを請う。
少女は頷いて、ひょいっとカウンターに足を掛けて飛び越え、青年の隣に降り立った。
「わかったっすよー。だったら、メニューの表示からっすね」
「あ、そうだな、それで頼む」
青年の言葉に、少女は実演を踏まえながら教えてくれる。少女が実演して出現させた透過された青いウィンドウに、NPCでもメニューの表示が出来ることにやや驚きつつも、彼も彼女と同じようにメニューを表示させてみた。
「おおー」
メニューには、ステータスや、アイテム、装備、パーティーなど、RPGに良くありそうな項目が揃っていた。また、一番下にはログアウトという文字もある。
「……おにーさん、ログアウト、押しちゃ駄目っすよー?」
「……わかってる」
少女に言われ、ぴくりと指が震える。
少しだけ、ログアウトを試してみたい気持ちがあった。ここが本当にゲームの世界で、自分が元の世界に戻れることを確認したかったからだ。
しかし、ログアウトしてしまえば、次のログインまでに時間を置かなくてはならない。それは余りにも馬鹿らしいので、やめておいた。
だが「やってはいけない」と思うものほど危険な魅力を孕んでいて、数秒ほどぴくりぴくりと、指が疼くのだった。
「じゃあ次は、道具の出し方っすかね? とりあえずお兄さん、ここに来たばかりで何も持っていないだろうから、これあげるっす」
何もないところから少女の手の上に現れたのは、赤色に濁った液体の入った瓶だった。
「ん、回復薬か何かか?」
「解毒薬っす。値段はそれなりに高いくせに、この周辺じゃ全く役に立たない薬っす」
「なんでそんな微妙なモンを……貰うけど」
手渡されたそれを、青年はまじまじと眺める。傾けてみると予想以上に粘度があり、どろっとしていた。いざこれを使用する時に躊躇わずにいられるかどうか、彼は少し不安になった。
「じゃあ、また同じようにやってみるっすよ」
これまた、少女が実演し、説明してくれるのを見ながら、青年はアイテムの出し入れを試す。
手の上から物が消えたり現れたりと、まるで手品のような現象に、青年は面白くなって十数回ほど試してしまうのだった。
「これで俺も一流マジシャン!」
「そうっすねー」
「スゲー棒読みだな……」
ペンタの反応に、正直へこんだ青年であった。
「とりあえず基本的なアイテムの出し入れは、こんな感じっす。ただ、色々と工夫も出来るんすけど、ここから先はお兄さん自身で色々と試してみてほしいっす。というか工夫しないと、戦闘とか大変かもっすから、頑張るっす」
「ああ、戦闘の時は悠長にアイテムセレクトとかしてられないもんな」
「そういうことっす」
ふむふむ、と納得する青年に、少女は頷いた。
「えーっと、あとは……他のメニュー項目なんかについては自分で何とかするっす!」
「おいっ!?」
いい笑顔の少女に、青年は思わず突っ込む。
「全部説明するの面倒になったっす」
「「何でも聞くっす!」とか言ってたのは誰だよ?」
「……そんなこと言われてもっす……ねッ!」
「いっ……!? おまっ、いきなり蹴るなよ!」
少女に脛を思い切り蹴られ、青年は咄嗟に患部を押さえて蹲る。だが、すぐにきょとんと目を瞬かせ、何事も無かったかのように立ち上がった。
「あれ? 痛くない?」
「そりゃあそうっすよ。旅人さんには、衝撃はあっても、痛みという感覚は無いっすから」
「へー。……って、実演しないで口で言え!」
「いやあ、悪かったっすね! ま、習うより慣れろってことっす」
「……まあ、そうかもしれんが」
納得いかない。そんな表情をする青年に、少女はからかうように笑う。
「もー、しょうがないっすねー! そんなワガママなお兄さんに、とっておきを教えてあげるっす」
「とっておき? 何だ?」
首を傾げる青年に、少女は口元を手で隠し、噂好きのオバサンのような仕草で、彼に近寄る。
「この世界で力尽きたら、まず貯めていた経験値が減るっす。その上、持ってるアイテムは装備している物以外、無くなってしまうっす。ついでにお金も半分無くなるんで、気をつけるっす!」
「うわ、マジか。デスペナ結構厳しいな……というかそれが「とっておき」かよ!」
「本当なら、一回死ななきゃわからない情報っすよ? とっておきじゃないっすか〜」
笑う少女に、まあそうか? とほだされる青年。
確かに、あらかじめ聞いておかなければ無理をして、まんまとデスペナルティを食らってしまったかもしれない。情報収集をしていて良かったかも、と青年は思うのだった。
「ま、それもそうか。ありがとな、ペンタ」
「お礼は、今度からウチの店をご贔屓にしてくれるだけでいいっすよ!」
「おいおい」
調子のいい少女に、青年は笑った。
と、二人の会話が一段落した丁度その時、店に客が入ってくる。二人組みの男性だった。
「いらっしゃいませっすー!」
ひょいっとカウンターの中に戻るペンタに、青年は邪魔にならないようにと、店の端に寄る。
「お、なんかいい雰囲気じゃん。やっぱ表の普通の店よりは、裏通りの隠れた名店だよな!」
「だよなー。ってことで、薬くれ!」
「ここまで来たんだから、お嬢ちゃんまけてー!」
「来てくれたのは嬉しいっすけど、それはちょっと駄目っす〜! で、何が欲しいっすか?」
男性と少女のやり取りを、後学のため青年は見守る。少女と男性たちの間で2、3やりとりを交わした後、彼女が金額を提示すれば、男性の一人は銅貨らしきものを取り出した。どうやらお金を出すには、アイテムを出す時と同じようにすればいいらしい。青年はメニューを表示して、色々と弄ってみた。
少しして、ステータスの欄に所持金額を発見したところで、彼らの買い物は終わったようだ。
「ありがとっす、また来てくださいっす!」
ペンタの見送る声に、青年が顔を上げた時。
ガシャン。
男性の足が、棚にぶつかった。置いてあった瓶が倒れ、地に落ち、何本かは割れてしまう。しかし男性たちは焦った様子もなく、酷く楽しそうな歓声を上げた。
「うぉ、リアルー!」
「はははっ、すげえ!」
「やべえな、こんなとこでもマジリアルとか、すごすぎ!」
「だなだな、超おもしれー!」
割れた瓶からとくとくと流れる液体に、男性たちはただただおかしそうに笑う。その様子に、青年はむっとして、二人の男性に大声で話しかけた。
「お、おい、笑ってないで謝るとか、弁償とかしろよ!」
「んあ? 何お前?」
「おいおい、そんなことでカッカすんなって。どうせその辺にあるのなんか、ただのオブジェクトなんだし、すぐ直るだろ?」
「そーそー、場面切り替えれば元通りってな!」
青年の責める言葉に、男性たちは笑いまじりでそう反論して、さっさと店から出て行ってしまったのだった。
「あいつらっ……! ペンタ、ごめんな。追いかけたほうがいいか?」
「ありがとうっす、お兄さん。でも大丈夫っす。あの辺は、簡単にまた作れますから」
「……それにしたって……」
声のトーンを落とす青年に、少女は再びカウンターを越え、風の魔法で割れた瓶の欠片を集める。近くのくずかごにそれを纏めて捨てた後、気にしていないことを主張するように、尚更明るい声を出した。
「お兄さん、優しいっすね〜! でも、その気持ちだけで十分っすよ! ただの住民のウチを庇って、他の旅人さんとギクシャクするの嫌っしょ?」
確かに、NPCである彼女を庇って他プレイヤーと諍いを起こすのは、良くないのかもしれない。しかし青年は、頭を振った。
「いや、普通だろ。つか、ペンタの……店主の前で、ああいう態度だったあいつらの方がおかしい」
とは言え、たとえばゼロダの伝説なんかで、壷を割ってルピーをゲットした挙句に、その家の住人に謝るかと言ったら、謝るわけがないのだが。それとこれとは話が別、と青年は内心で一人ごちた。
「ま、こんなつまらない話は、この辺りでやめましょ」
「そう、か? ……そうだな」
「……ま、あの二人に何もないかというと、そうでもないんすけど。商人ネットワークなめんな」
「ん?」
ぽつりと呟かれたそれを、青年は聞き逃す。聞き返したが、ペンタは曖昧に笑って誤魔化すだけだった。
「……えっと、あ、そうだ。レベル上げしようと思うんだが、どこ行けばいいかな?」
「そうっすねー」
青年は再び情報収集すべく、ペンタに再び問いかけた。
戦闘の仕方なんかも簡単に教わった青年は、聞き終えた情報を自身の中で整理すると、よし、と頷く。
「じゃあ俺はそろそろフィールドに出てみるわ。ありがとな、色々」
「じゃあ、さっき怒ってくれたお礼に、これあげるっす」
渡されたのは、二本の瓶。それぞれ緑と青の液体が入っていた。
「緑のほうがHP、青いほうがMP回復っす。頑張ってくるっすよ!」
「おう、ありがと!」
受け取ったアイテムをしまってから、少女の声援を背に店を出る。手を振って見送ってくれた彼女へと、同じように手を振り返した。
そこから少し離れたところまで歩いて、はたと気付く。
(っていうか買い物しろよ俺! 買い物した分、瓶を割ってた男の方がよっぽど客だわ!)
あまりの情けなさに、その場で蹲って自嘲する青年。
戦闘が終わった帰りに、また寄ってみよう。そして薬を買えるだけ買おう。
そう決めた青年は、メニュー内にあるマップを見ながら、フィールドに出るべく街中を歩いていった。
この頃には、青年にとってAIだとかNPCだとか、全く気にならなくなっていたのだから、不思議なものである。