四季編 22+
「ようこそ、クォーターズ・オンラインへ」
女性、というよりは少女に近い声。
上も下もないような不思議な空間で、唐突に頭の裏側に響いた声に、(あれ、俺はどこにいるんだったっけ)と、青年は一瞬そう迷って、すぐに思い出す。
(そうだ、今日からβテストが始まるんだ)
現実感の薄い世界の中、青年は回想する。
突如、ネット上に現れた創作グループ『四季』。彼女たちは、VRという未知の技術を引っ提げて、どうしてかミコミコ動画にやってきた。
そこで彼女たちが発表したゲームの名は「クォーターズ・オンライン」。そのゲームの舞台になるという世界は、圧倒的なリアリティで描かれ、多くの人たちを魅了した。
青年もまた魅了され、βテストの申し込みが始まった時にはいち早く応募していたのだった。
今日から始まるβテストの開始は9時からだが、その前にキャラメイクは出来るとアナウンスされていた。だから青年は9時丁度にはログインが出来るように、キャラメイクは先にしておこうと、30分早くヘッドセットをつけてベッドに入ったのだった。
食事も、風呂も、先に済ませてある。ゲーム終了後に覚醒するか、そのまま睡眠に入るかは、ゲーム内の設定で選ぶことが可能だ。そのため青年は、ゲーム終了時にそのまま就寝することに決めていた。
ただ、早寝の準備をしたせいで、母親に訝しがられてしまった。ゲームのためなどと言えば、また嫌な目で見られるのは判りきっている。青年は明日早いんだ、などと誤魔化して部屋に閉じこもったのだった。
そんなことまで一通り思い出したところで、少女の声が告げた。
「それでは、キャラクターを作成します。まず性別と種族を選んでください。種族の説明は必要ですか?」
「あ、いや、大丈夫です」
今日が楽しみすぎて、種族についてのページを熟読していた青年は、淀みなく答える。そしてすぐさま、ある種族を選んだ。
「えっと、性別は男で、種族は獣人族にしてください」
「何をモチーフとした獣人族にしますか?」
「あ、狼で」
獣人族は攻撃力と防御力が良く伸びる。また、サブクエストによっては、スキルの制限と引き換えに攻撃力が二倍になる「狂化」というスキルが得られるという情報がサイトに載っていたため、孤高の前衛職を目指す青年は、この種族を選ぶことに決めていた。
「それでは、キャラメイクをはじめます。1から作りますか? それとも、貴方の姿をコピーし、それを元に作りますか?」
「んじゃあ、コピーで」
青年の言葉に呼応するかのように、彼の目の前に光が現れる。その光はだんだんと肥大化し、やがてその中から彼とそっくりな、しかし人の耳ではなく狼のような耳の生えた身体が出現した。生気が全くない身体は、飾り気の薄い地味な服を纏っている。青年は驚きに目を丸くし、それを見つめた。
青年は、とりあえず目を切れ長にして、鼻筋をすっと通して、身長も高くして、筋肉質にして、ついでにオッドアイなんかにしようとして、ふっと我に返る。
(ああ、これ、俺が操作するんだっけ)
理想を追い求めるのは楽しいが、あんまり美化しすぎると現実とのギャップに耐えられなくなりそうだ。青年は結局、元の顔をちょっと整え、髪の色を茶髪にして、身長を+5センチにするくらいに留めておいた。服も多少弄れるらしいが、センスがないと自覚している彼は、飾り気のない服のままにしておいた。
「βテスト中はキャラリセットは出来ません。これで宜しいですか?」
「はい」
「では最後に、キャラクターネームを登録してください」
その言葉に、青年は一瞬怯む。キャラメイクに気を取られ、名前について全く考えていなかったのだ。
「えっと、じゃあ……『シュン』でお願いします」
青年は少し迷って、ハル→春→シュンという全く捻りのない名前にする。
「キャラクター『シュン』を登録しました。それでは、ログイン可能時間まで、しばしお待ちください」
「あ、はい」
青年が小さく頷くと、ふっと彼の視界から全てが消え、そして次の瞬間には緑の中に居た。
「は?」
青年は、唖然とした表情で周りを見回す。
どうやら森を切り開いて出来た広場らしく、葉の隙間から陽の光が筋となって地面を照らしている。
彼の周囲に多くの人間――とは言っても、エルフだったり、鳥人族だったりと、亜人ばかりのようだった――がいなければ、感情のままに叫び出していたかもしれない。それくらい、彼にとって唐突な出来事であり、そして放り出された世界はリアルに満ちていた。
手を見る。指紋まではっきり見えた。
髪に触れる。自分より硬質な髪の感触がした。
空を見上げる。雲ひとつない透った青が見えた。
足で地を踏みしめる。足裏にしっかりとした反動が返ってきた。
彼がそこまで把握出来たところで、周囲からのざわめきが、やがて小さな歓声に変わる。誰かが騒げば、それが波及して、大きなどよめきになった。
「すごい!」「これってVRなの!?」「まんま異世界じゃん……」「白黒の世界はどこ行った? いや、マジ、うああああ!」
百人以上はいるであろう人々の口からは、次々と色々な言葉が零れ出す。青年の近くに居た兎耳の女性は頬を高潮させ、きらきらと輝いた目で当たりを見回している。また、妙に整った顔のエルフの男性は、自分の顔にぺたぺたと手を這わせた後、思い切りにやけていたりもした。
周りの声に浮かされるように、青年の口元からは笑みが漏れる。何がおかしいのか、ふ、と息を吐き出して、小さく肩を上下させる。
(やべえ、これ、すげえ……!)
腹の底から、楽しさと冒険心が湧き上がって来る。動画のコメントで、1000円で文句を言ってる奴がいたが、そいつらは馬鹿だ、大馬鹿だ。そんな文句でこの光景を、この世界を棒に振るだなんて、有り得ない!
ぎゅ、と掌を握り締めて、感触を確かめる。あまりにもリアルすぎる感触に、一瞬、まさか異世界にトリップしたのでは、などと思ってしまう。しかし、そんな考えが脳裏にちらついた瞬間、広場に声が響いた。それは何故だか、騒がしいざわめきの中でも、良く聞き取れた。
「ようこそ、クォーターへ!」
一瞬の間に静まり返ったユーザーたちが、一斉に視線を向ける。
そこに居たのは、『四季』のメンバーの一人である、ハルだった。彼女は広場の端にある、物見やぐらの上に立っていた。
不意をつかれた登場に、静まり返ったはずの人々が、また一気に沸き立つ。ハルは笑顔でそれに応えたあと、愛嬌のある笑顔で口を開く。
「みなさん、βテストにご参加くださり、ありがとうございます! 今日は……いえ、今日から、この世界を楽しんで下さい!」
「ハルー!」「きゃあおうぇあお!」「愛してるー!」「パンツ見せろー!」「うぉおおおお!」
言葉になっていない雄叫びや、彼女の名を呼ぶ声、下品な野次。そのすべてにハルは笑い、手を振って応える。
「この世界に、チュートリアルはありません! 自分の好きなように、感じるままに、過ごしてください! ただし、この世界の住民にも心があります! 意思があります! それを心のどこかに置きながら、この世界で遊んでください! それでは、また!」
それだけ言って、ふわ、と飛び上がるハル。何人かが追いかけようと走ったものの、あまりにも飛行スピードが早く、すぐに諦めたようだ。
「……感じるままに、過ごす、か」
青年は僅かに口元に笑みを浮かべて、周囲を見回す。広場から少し離れた場所にログハウスが、そして木の上にはツリーハウスが見えた。きっとここは、自然が豊かなエリア――亜人の国「リーンディア」に違いない。そう結論付けた青年は、これからの指針を考える。早速、戦闘に繰り出すか、それとも街を見て回るか。
「……まずは、この街を見て回るか」
戦闘も楽しみだが、それはこの街を、この世界をもう少し知った後でも遅くない。普通のMMOなら、いち早く魔物と戦って、経験値を貯めるべきなのだろうが、このゲームはVRなのだ。PCを前にマウスをクリックするだけのゲームとは、勝手が違うだろう。
そう考えた青年は、未だざわめき消えぬ広場から、一人抜け出した。