四季編 15
初めてのVRテストから、一月が経った。
私の生活には殆ど変わりがないけれど、やっぱり変化した点も少しはある。
リビングでフェンリルを胸に抱きながら、テレビを見る。ちなみに番組は情報バラエティ。そんな中、リビングと併設されたキッチンでは、私の母とクオくんが、一緒に料理をしていた。
「透、ニンジンの皮剥いてくれる?」
「はい!」
クオくんの嬉しそうな声に、私はフェンリルを目の前のテーブルに置いて、振り返る。そして、ソファから身を乗り出すように二人の和気藹々とした様子を眺めた。
『相模 透』。それが、クオくんにこちらの世界で与えられた名前だ。つまり、戸籍取得は何とかなったということ。
ちなみに名前は、クオ→クア→クリア→透明という、良く判らない母の連想ゲームの末にこうなった。
私がじっと見ていたことに気付いたのだろう。母がわざとらしく言う。
「それにしても、透が手伝ってくれて嬉しいわあ! 千春ったら、何もしないんだもの。お嫁に行って、料理ができなかったらどうするのかしらね? 透もそう思うでしょう?」
急に話を振られたクオくんが、何も言えず苦笑いを浮かべる。私は「クオくん困ってるじゃん」なんて軽口を叩きながら、ソファから腰を上げた。
私は相変わらず、クオくんのことはクオくんと呼んでいる。第三者がいる時は透と呼ぶけれど、でもクオくんの方がまだ呼びやすい。それに、見た目外国人だし、漢字よりは横文字の方が似合っていると思う。彼的には、どちらの名前も好きなので、どちらでも好きに呼んでください、だそうだが。
「ね、今日の夕ご飯は何?」
二人の手元を覗き込む。すると母の手元には、ぎざぎざとした形の若草色の野草があった。その野草は、「ルミーナ」と呼ばれる植物で、あちらの世界では専らサラダとして食べられるものだ。
クオくんという家族が増えて、我が家のエンゲル係数は多少なりとも上昇した。クオくんが使う消耗品の分だって余分にかかる。
彼を引き取ると言った時点で、両親は資金面だって承知の上だったわけだが、やはり私もクオくんも申し訳なさが先立ってしまう。宝くじで少額当てるよ、と言っても、いい意味で一般人である両親は、首を縦には振らなかった。全く余裕がないわけじゃないし、そういった胸を張れない行為は出来るだけやらないように、なんて逆に窘められてしまったくらいだ。
そのため食料を異世界から色々と輸入?したり、日用品は創造魔法で作ったりして使っている。あちらで真っ当に稼いだお金で色々と買ってきたり、魔法を使うのは可らしい。
その内、アクセサリなんかを色々と買ってきて、ネットオークションで売り捌き、収入源にしようかと企んでいる。上手くいくかはわからないけれど。
食べ物についてだが、フェンリルに聞いたところ、世界が変わったところで、特に毒になる要素が違うわけでもないそうだ。
品種改良なんか当然されていないので、果物なんかはあまり美味しくない。だけど野菜であれば新鮮な分、異世界の物の方が美味しかったりする。
「今日は、炊き込みご飯と里芋のお味噌汁、それと異世界産お魚の煮付け、きんぴら人参に、ルミーナの胡麻和えよ」
「わ、美味しそう!」
それと最近、うちの食卓に和食が上がることが多くなった。あちらの世界では和食に近い味付けのものが無かったから(世界のどこかにはあるかもしれないが、少なくとも私の知っている範囲では見当たらなかった)、クオくんに色々と食べさせたいらしい。
母はクオくんが大好きなようだ。いっそ娘の私よりも愛を込めているんじゃなかろうか、と思うことさえある。今更、母親の愛に飢える歳でもないし、いっこうに構わないんだけど。
「アンタも手伝いなさいよ、千春」
「えー、私もー?」
言いながらも、私は袖を捲る。
仕方ないなぁ、たまには手伝ってやろう、なんて意気揚々としていたくせに、茹でたルミーナを熱さのあまりそのままシンクにぶちまけた時は、二人の視線が、少し、痛かった。
クオくんはいつも、私の両親と寝ている。川の字という奴だ。
だからというわけではないが、彼は自分の部屋を持っていない。
そのため食後の時間は、リビングで家族団らんとしていたり、私の部屋で一緒に過ごしたりする。今日は後者だった。
「クオくん、修行はどう?」
三週間ほど前から、クオくんは週に一~二回のペースで、アルバートさんに剣を習いに行くようになっていた。以前改造した異世界へ渡る魔法のお陰で、いつでもあちらの世界に行けるようになったからだ。
ちなみに入り口はクローゼットにある。合言葉を唱えながらクローゼットを開けると、あら不思議、あちらの世界へご招待というわけだ。
ちなみに合言葉は「ラミパス、ラミパス、ルルルルル」だったり。古いけど。
「少しずつですけど、頑張ってます!」
生き生きとした表情に、思わず頬が緩む。そうやってあちらの世界にも、信頼できる人を増やすのはいいことだ。修行しているうちに、また別の出会いもあるだろうし、自分に自信だってつく。そうやって自分に自信を持つ内に、本当の両親に会いに行く勇気だって起こるかもしれない。そうしたら、彼はもっと前を真っ直ぐに向けるようになるはず。
私は、頑張れー、と頭をかいぐりと撫でておいた。
「それで、千春お姉ちゃんはどうですか、新しい魔法作り」
「あー……」
彼の問いに、思わず小さく項垂れてしまう。
新しい魔法が作れるようになって、早一週間。正直なところ、それはとても難航していた。
元有る魔法を改変するのが、答えも解説もある数学の基礎問題を数値だけ変えて解くことだとしたら、一から魔法を作るのは、公式だけを与えられて応用問題を解くことに近い。その公式がどのような意味を持つのか、どのような場合に使えるのか、そしてその公式を用いた計算方法など、しっかりと理解していなければ解くことが出来ないのだ。
魔法を改変することで多少の知識と勘はついたし、レベルも上がったが、一から魔法を作り上げるのは、やはり大変なものだった。
「やっぱりね、難しいよ」
「そうですか……。ところで、どういう魔法を作るんですか?」
「うんとね?」
VRのための新しい道具を作るにあたって目標にしたのは、次の三点。
1、その場にいながらVRを体験できること。これは、亜空間や異世界にいちいち身体ごと送るのは酷く非効率なためだ。
2、広く流通できる形にすること。これは、最終的な目標が、大規模なVR、つまりはMMORPGだからだ。今のままでは、みんなが手軽にVRでファンタジーな世界を、だなんて夢のまた夢だ。
3、最後に、当然とも言えることなのだが、VRが魔法だとばれないようにすること。これは、VRを広く流通させることを目標としているのだから、当然解析の対象にもなりえるだろう。昨今、ゲームが出た翌日には解析されて違法に?起動出来るようになったりする世の中なのだから、より注意する必要があった。
「たとえば、人形を操って、その視点を共有できるとか、そういう魔法を作ろうって思うんだよね」
「人形ですか?」
クオくんの言葉に、うん、と頷く。
異世界に創造魔法でユーザーの好きなように作った人形を置いておいて、ユーザーがVRの道具を使った時点で精神が人形に宿る。そして、人形の視点を通して、世界を体験できる。利点は、先程挙げた1番の目標を達成できること。そして、安全性に気を遣わなくて良いことだ。欠点は、人形の目を通すために多少の現実感が無くなってしまう、といったところか。欠点と言えるほどのものではないだろうが。
「ただ、そういう精神系の魔法って、魔法ノ書にはあんまり無かったから、難しくって」
精神に作用する魔法は、光翼を出して相手を畏怖させる魔法か、相手を混乱させる魔法くらいだ。どちらも操作とかは関係ないので、全くはかどらなかったりする。
「大変そうですね……」
「んーん、好きでやってるから大丈夫。それに、大変ということは、これを乗り越えたら『大』きく『変』わるのさ!」
私が胸を張ると、クオくんが首を傾げる。
「どういうことですか?」
「ん? ……あ、そっか。翻訳魔法かかってるんだもんね」
一緒に過ごしていると、時たまこういうことがある。
「大変」という言葉は理解できるし、「大きく」「変わる」という言葉も理解できる。ただ、大変という言葉に使われている漢字が理解出来ていないために、そういう言葉遊びの類を理解できないらしいのだ。
「えっとね……」
私はノートを引っ張り出し、漢字を書いて説明しようとして、書き文字も翻訳されるのだと気付く。
どうしようか迷って、結局全部口で説明した。クオくんは良く判らないような、判ったような、微妙な表情をしていた。
それからクオくんと色々と話していれば、彼が寝る時間になった。
「おやすみなさい、千春お姉ちゃん」
「おやすみー」
部屋を出て行く彼を、手を振って見送る。それからベッドの上に転がしていた携帯を取って、ネットに繋いだ。それから、ミコミコ動画にアクセスする。
そして、開いた動画は『【CG】テストの模様をお伝えするよー【四季】』。奈津が、一月前に投稿した動画だ。
携帯な上に時間帯が時間帯なので遅い読み込み。少しだけもどかしいものを感じながら、表示されるコメントを追っていく。
『元気玉ぁああああ!!!』『夏アホwwww』『これは仕方ないだろww』『VRってマジなんだろ?謎の技術すぎる』『どうだろな。人が少なすぎるし、なんとも』『←俺の同級生に二人テスターいるんだが、マジだったらしい』『←話だけだったら何でも言えるしな・・・つかテスター二人とか裏山』『春>>>>>夏は揺るぎない事実』『←夏だって可愛いだろ!』『エルフ( ゜∀゜)o彡°エルフ( ゜∀゜)o彡°』『つか俺は、この春と同じ顔の奴が気になる』『リルっていうらしい。何でも春のリアル妹とか』『姉だと聞いたが』『…つまりは百合か(ゴクリ』『双子姉妹とか美味しいよな』
「一月も経つのに、みんな元気だなー」
思わず他人事のように呟いてしまう。だけど、本当はかなり嬉しかったり。
サイトの方にも、早く二回目のテストやってください! とか、いつからゲームやれるんですか? なんて拍手コメントやメールが多い。
それだけ期待されているのだと思うと、何だか背中に圧し掛かってくるような重さを感じて、だけどそれ以上に胸がくすぐったくて、嬉しくなる。
まだまだ壁はあるけれど、早くみんなでファンタジーな世界を楽しみたい。
「……頑張ろうっと」
そう呟いて、役目を終えた携帯をベッドに放り投げる。
それから、私はいつものように亜空間へと足を突っ込んだ。