四季編 8
今日は、こっちの世界に帰ってきて、初めての土曜日。
帰って来てから、一度もあっちの世界に顔を見せに行っていなかったので、今日はクオくんと一緒にあっちの世界に行くことにした。
といっても、戻ってきて一週間しか経ってないけど。
奈津にビデオカメラを借りたので、ついでに色々と撮って来ようと思う。
VRテスターの募集は、合計で60強の応募メールが来ていたらしい。荒らしや問い合わせのメールも含めると、200通を超えていたとか。
動画が10万再生されたにしては少なく感じるかもしれないが、VRなんて怪しげなもののテスターに応募してくれた数としては、かなり多いほうだろう。
既に応募も締め切ったので、今頃私を除く三人で公民館の予約や、テスターの抽選など、色々と準備しているはずだ。
「クオくん、フェンリル、準備はいい?」
「あ、はい!」
「……わしは特に行く用事もないんじゃがな」
「フェンリルは、放っておいたら染まるから強制参加」
腕の中のフェンリルのぼやきに、キッパリと切り捨てる。
どうしてかこのもふもふは、ある意味でとても日本らしい文化に染まりつつあった。いや、ショタとかペドとか奈津にシンパシーとか言ってたから、嫌な予感はしてたんだけどね?
だがしかし、それでいいのか書の守護獣よ。
「じゃ、行くよー? 『我求む、更なる魔法を。我願う、更なる力を。我望む、異なる世界を。繋がりの鏡よ、我が言霊をもってそれを成せ』!」
ちゃんとあの世界を思い浮かべながら、呪文を唱える。下巻が揃った今、強制的にあの世界に繋がるわけではないからだ。
まだ三度目にも関わらず、すっかり見慣れてしまった鏡を通り、私たちは異世界へと向かった。
たぶん、頭のどこかでアルバートさんを想像していたからだろう。到着した先は、シルヴァニアの門付近だった。
転移の瞬間をばっちりと見られたのか、周りにいた数人が、ぎょっとした目でこちらを見ている。やっちまった、と内心で頭を抱えながら、クオくんと二人で逃げるように門へと歩を向けた。
(まだまだじゃのう……)
腕の中のフェンリルは、心話で呆れたようにそう呟く。私はフェンリルの言葉に、うう、と肩を縮めた。
必要以上の力は隠すべき。その気持ちは、当初から変わってない。だから、これからはちゃんと気をつけなきゃ。
……VRとか言っているくせに、どの口がそれを言う! という気もするが、あれは別腹。面白そうなものには勝てません。それに、自分で抱え込むものと、他者に抱え込まされるものは、全然違うものだと思うし。
さて、門の前にいたのは、以前アルバートさんと一緒に門を守っていた、赤い髪の人だった。彼女は私に気付くと、にこ、と微笑む。私も小さく笑いかけながら、彼女に走り寄った。
「あの、すみません。アルバートさんはいますか?」
「隊長は今日は休みだよ」
彼女の言葉に、思わず眉が寄る。
彼に会って、色々と話をしたかったのだが。それと、以前嘘を吐いていたことも謝りたいし。
「……アルバートさんに会いたいんですけど、どこに行けば会えますか?」
「……ん? 隊長に会いたいの? なら、私が案内しようか?」
彼女の申し出に、一も二もなくといった感じで、お願いしますと頭を下げる。すると彼女は待ってなと言い残し、門からすぐ近くの詰め所らしき建物に入っていった。
「ねー、クオくんクオくん」
「何ですか?」
「アルバートさんに、“私は異世界の人間です”って伝えたいんだけど、正直なところ、信じてもらえると思う?」
胸の内に燻っていた疑問をクオくんにぶつけてみると、彼は苦笑した。
「僕は……何となくチハルさんが“違う”と思ってましたからすぐに信じましたけど……普通ならどうでしょうね」
「やっぱり難しいよね……」
もしも私が元の世界で「異世界から来た」なんて話を聞いたら、「頭おかしいんじゃないのこの人?」くらいは思いかねない。
元の世界であれば、そこで魔法なんて見せられれば信じるだろうが、この世界には既に魔法があるわけで、それは決して超常的なものではない。
そう考えると、魔法に満ちたこの世界の住人に、どうやって異世界を説明すればいいのかと、首を傾げてしまう。
唯一、この世界から逸脱したものと言えば携帯くらいだが……当然通話が出来ないから、ちかちかと光ったり音を出したりするだけの物体と化している。これで信じてもらえるものだろうか。
「……ま、素直に話すしかないよね」
「何の話だい?」
「ぅわぁっ!?」
後ろから聞こえた声に、思わず大声を上げてしまう。
振り向けば、いつの間にか戻ってきていた彼女がそこにいた。
「お、脅かさないで下さい……」
「いやあ、ごめんごめん。じゃ行こうか……っと、その前に、そういえば何度か顔は合わせてるけど、自己紹介してなかったね。私はニーナって言うんだ」
「あ、私はチハルです、宜しくお願いします」
「僕はクオです」
名乗り合い、お互いに会釈する。
「よし、じゃあ行こうか」
満足げに彼女は頷いて、先導して歩き始めた。
彼女に案内されたのは一軒の民家だった。どうやらここがアルバートさんの家らしい。
「隊長ー、隊長のナンパ相手を連れてきたよー」
「またお前は何を言ってるんだ。……チハルにクオか。久しぶりだな」
「えっと、こないだの一件以来、ですね」
あの一件について、どこまで知られているかわからないので、一応言葉を濁す。するとアルバートさんは理解したのだろう、苦い顔でそうだなと頷いた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「あ、えっと……アルバートさんと少し話したくて。あと、謝りたいことも……あったので」
そう口にすれば、彼は表情に僅かな疑問を浮かべながら、ニーナさんに目を向ける。彼女はその視線で察したのか、何も言わずに静かに下がっていった。
「どうした?」
「……えっと」
いざ言おうとすると、緊張と躊躇で言葉に詰まってしまう。
が、ここで言わなければ、これから先もずっと言えない気がするので、私は意を決して口を開いた。
「私、アルバートさんに嘘を吐いていました。ごめんなさいッ!」
「……何だいきなり」
きょとんとした様子で、アルバートさんが私を見る。私は口早に続けた。
「私、森で住んでて、お婆ちゃんが死んじゃったって言ったじゃないですか。……それ、全部嘘なんです」
気まずくなって俯く。謝る時は相手の目を、と思って顔を上げるものの、やっぱりアルバートさんの目は見れなかった。
「えっと、その……騙していたことは本当に、申し訳なく思ってます。でも、あの時は、私もいっぱいいっぱいで……その、ごめんなさい!」
がばり、頭を下げる。と、ぽふん、と頭に何かが乗っかった。それは、何度か感じたことのある感覚で。
「チハルが、何か隠しているのは知っていた」
「……え?」
思いも寄らない言葉に、目を丸くして顔を上げる。
「職業柄、俺は人の嘘や悪意、それに隠し事には敏感なんだ」
「えっと、じゃあ……どうして?」
「隠しごとはわかったが、悪意や敵意は感じられなかったからな。やむをえず吐いた嘘まで暴くようなことはしない」
じゃあ、嘘だってことを承知で、アルバートさんは色々と良くしてくれたんだ。その言葉が嬉しくて、私はぎゅっと心が締め付けられるような気がした。
「えっと……あの時は、ありがとうございました。この世界に来て、右も左もわからなかったので、アルバートさんに色々と教えていただけて、本当に有り難かったんです」
「……この、世界?」
彼の呆けたような問いに、頷いて返す。
「私、こことは違う世界から来たんです」
私の言葉に、アルバートさんは今度こそ眉を潜めた。
彼に、とある事情があってこの異世界に来てしまったこと、帰るために必要なものを探していたこと、そしてその探し物が見つかり既にもとの世界に帰ることが出来たことなどを簡単に説明すれば、彼はそうか、と呟いて再び私の頭に手を乗せる。
「苦労したんだな」
「……えっと、それほどでも、ないです」
何となく照れくさくて、俯いてしまう。実際、書のおかげで、殆ど苦労という苦労はしなかったのだから。
「ということは、クオもそうなのか?」
「いえ、僕は……この世界の人間です。でも、今はチハルさんと……一緒に、いますけど」
照れくさそうに笑う彼があまりにも可愛くて、思わず抱きつきたくなった。アルバートさんの前だったのでやめておいたけど。
「えっと……それで、お世話になったお礼、というわけじゃないんですけど、アルバートさんにこれを渡しておこうと思いまして」
そう言って、カバンからブレスレットを取り出す。VRのための試作品だ。何番目のものかは忘れたけど、守護魔法が入っているのは確かだ。余計な魔法は消した上で、新たに通信魔法を入れてある。
「これは?」
「えっと、自動防護魔法と、通信魔法が込められた魔法具です。ブレスレットとか付けないかもしれませんけど、出来れば肌身離さず持っていてください」
「……いいのか?」
「はい。むしろ、貰っていただけると嬉しいです」
彼にお世話になったお礼っていうのもあるけど、それと同じくらい、カバンの中に試作品があと数十個ほど眠っているから、という理由もある。
「ただ、絶対に他の人に奪われないようにしてください。これ、ある程度の魔法は全て防ぐ上、物理攻撃も無効化しちゃうんで、厄介この上ないですし……」
「……わかった」
彼は目を白黒させて、私の手からブレスレットを受け取る。その手つきが、まるで貴重品を受け取るようで、なんだか苦笑してしまった。……そんなに手間がかかっているものでもないんだけどね。
「通信魔法は、私に直通です。ただ、世界間通信となると、ほんの数秒ほどしか繋がらないので、簡潔な言葉でお願いしますね」
クオくんと試した結果、なんと僅か6秒という逆快挙。どこの公衆電話だと突っ込みたくなったくらいだ。
そんな私の言葉に、アルバートさんは頷いた。
これでアルバートさんへの用事はとりあえず全て終えたかな、と安堵の溜息を吐く。
そこでふと、以前気になっていたことを思い出した。
ルナさんラブなグレイさんの知り合いという話だったけど、どういう知り合いなんだろう?
「あ、あのアルバートさん。一つ、聞きたかったことがあるんですけど、いいですか?」
「ん、なんだ?」
「グレイさんとお知り合いって言ってましたけど、どういう知り合いなんですか?」
「ああ、グレイとヴィトは……まあその、なんだ……弟子だ」
照れくさそうに笑って、アルバートさんが頬を掻く。
「弟子……」
なるほど。ルナさんラブでも、自分の師匠なら信頼もするだろう。
でも、師匠ってことはアルバートさんって強いのかな?
「じゃあ、アルバートさんって二人より強いんですか?」
「いや……もうとっくに抜かされてしまったな。だが、あいつらは未だに私を慕ってくれている」
彼は、そういって嬉しそうに微笑んだ。きっと、人柄がいいから、慕われてるんだろうな。私も慕うよ、こんな師匠なら。……あ、だからそんなに照れくさそうだったのか。
「なんか、いいですね。師匠とか弟子とか」
私には師匠も弟子もいない。そして、これからも出来ないだろう。師匠は今更だし、弟子を取ったって教えられるものは一つもない。
そう思うと切なさも感じるが、この力を手に入れたことは、決して後悔はしていない。今の計画も、これがあってこそだし。
「あの……」
そこで、私たちの会話を聞いていたクオくんが、おずおずと声を上げる。
「アルバートさん、僕にも剣を教えていただけませんか? その……迷惑でなければ、でいいんですけど」
「……ふむ」
クオくんの言葉に、アルバートさんが腕を組む。
「そうだな……クオ、一つ質問していいか?」
「は、はい」
「クオは、何のために剣を持つんだ?」
その問いに、クオくんは迷うことなく言った。
「チハルさんを、守るためです。……守る必要なんてないかもしれないですけど、それでもいざと言う時、守る力があるかないかでは、全然違うと思いますから」
キュン。
いつの間にか、随分と男らしくなったような気がする横顔に、思わず胸が高鳴った。
男子三日会わざれば刮目して見よ、だっけ?
……毎日会ってるけど、そんな感じ。
「いい目だな。また私が休みの時に、来るといい」
「……! はい!」
アルバートさんはそう言って引き出しから紙を一枚取り出す。さらさらと何かを書き、その紙をクオくんへと手渡した。ちらりと覗き込めば、どうやら休みなどを書き出してくれたらしい。
こちらの暦で書かれていて、私にはいつのことだかさっぱりわからなかったが。今度教えてもらおう。
「えっと……じゃあ、今日はこの辺で失礼しますね? クオくんのこと、宜しくお願いします。あ、私も、また遊びに来ていいですか?」
「ああ、もちろんだ」
ぺこ、とクオくんと共に頭を下げてから、アルバートさんの家を立ち去る。
やっぱ、アルバートさんはいい人だなあ、とそんな認識を一段と強めたのだった。
その後、クオくんと共に姿を消しながら空を飛び、ビデオでこの世界の街並みや、豊かな自然を映した。
だけど、やっぱり素晴らしい景色だなあ、なんて感動していたら、すっかり夜遅くなってしまって。
「今日はもう帰らなきゃなー」
まんまると浮かぶ青い月を撮影しながら、ぽつりと呟く。
本当はルナさんにも会って行きたかったんだけど、この時間に行ってもあんまり話も出来ないだろうし、やめておくことにした。
また今度、ルナさんに会いにこようっと。