四季編 2
翌日、朝8時半。
メールで予告した通りの時刻に、三人はやってきた。
「ちい、久しぶりー!」
玄関を開けると、ばふ、と奈津に抱きつかれる。抱きつく、というよりはむしろ絞める、と言ったほうが正しい勢いだったが。
私は苦しさに、ギブギブ、と彼女の背を叩く。
が、離してくれる様子はない。
「ねえ奈っちゃん。千春ちゃん、苦しそうだよ?」
「いいの! これが私の愛だから!」
亜紀がそう取り成してくれるものの、奈津は離そうとしない。少しの間は我慢していたが、本当に苦しくなってきたので強めにバシバシ叩くと、彼女はようやく離してくれた。私はぜえぜえと息を荒げ、床に座り込む。
「……うう、死ぬかと思った」
「こっちは死ぬほど心配したんだから、おあいこじゃない?」
そう言われてしまえば、私はもう何も言うことが出来ない。
それ以上口答えせず、彼女たちを家に上げた。
「クオくん、皆がきたよー」
「あ、はい!」
途中でリビングの方にそう声を掛けると、母の手伝いをしていた彼がぱたぱたと走ってくる。母はどうやらクオくんのことが非常に気に入ったらしく、さっきまで一緒に並んで、皿洗いなんかやっていた。
父はと言えば、少し悩んだ末、何とか異世界や魔法のことを理解してくれた。クオくんについてはかなり悩んでいたが、しばらくは家で面倒を見ることを了承してもらった。それからどうするかは、まだ考えていない。でも、しばらくは一緒にいたいと思う。
「……ちい、その子は?」
「ん、クオくんって言ってね、私の隠し子?」
そう嘯くと、みんなが呆れたように苦笑する。クオくんだけはちょっとだけ恥ずかしそうに笑っていた。
「……まあ、その辺も含めて説明するから、上に行こう?」
そう言って私は、彼女たちを部屋に案内した。
それから十数分ほど時間をかけ、両親にしたような説明を彼女たちにもする。
やはり皆も、疑惑→驚愕→納得という、両親と同じような反応をしていた。
「……はあ、そんなことが起きていたとは」
「流石、千春ちゃん。私たちには考えもつかないところに、平気で突っ走るね」
「千春だもの……それくらい有りそうだわ」
三者三様の返答に、思わず顔が強張る。それぞれ、奈津、亜紀、冬香の台詞だ。
皆が私のことを一体どう思っているのか、よーくわかるお言葉である。
「……この二週間の記憶がない、ってことにしたらさ、警察でも病院でも不思議なものを見るような目で見られたよ。お母さんの「神隠し」なんて言葉も、案外信じてるみたいだったし」
「そりゃあ、痕跡もなしに学校から忽然と消えればそうなるって。……あの日は凄かったんだから。バッグも全部置きっぱなし。目撃証言もなし。何か手掛かりは無いかと、この辺りにあった防犯カメラの映像や、ちいの携帯の発信記録も全部調べたらしいけど、何もない。警察もお手上げだったみたいよ?」
奈津の言葉に、肩を竦める。やはり、随分と大事になっていたようだ。
「……でも、千春ちゃん、これからちょっと大変かも」
「え、何が?」
亜紀の言葉に、私は首を傾げる。すると彼女は、気まずそうにしながら教えてくれた。
「……あのね、千春ちゃんに対する、色んな噂が流れてたの」
「噂?」
亜紀の言葉に首を傾げると、彼女が潜めた声で教えてくれる。そしてそれは、思わず私の頬が引き攣るほどのもので。
「事件に巻き込まれた」「某国に拉致された」はまだいい。良くないけどまだマシだ。
でも、「監禁されてアレな日々を過ごしている」って、オイ。
一体どこからそんな話が広まったのか、小一時間問い詰めたい。
「うえー……それ本当?」
「嘘でこんなこと言うわけないじゃない。……変なこと考える輩もいるかもしれないし、気をつけなさいよ?」
「……はーい」
何かあるとは思えないが、彼女たちの助言通り、なるべく気をつけよう。
魔法で防犯グッズでも作っておこうかな? と私は小さく唸った。
そんな、どこか重くなった空気を払拭するように、奈津が口を開く。
「ところで、クオくんに、フェンリルだっけ?」
「は、はい……!」
「そうじゃな」
クオくんはぴしりと固まって、フェンリルはいつもと変わらずに、それぞれ奈津の言葉に、相槌を打つ。
「そんな固くならなくてもいいよ。私は奈津。これからよろしくね!」
「あ、宜しくお願いします……!」
「宜しく頼むの」
ぺこ、と頭を下げる二人と一匹を皮切りに、亜紀と冬香も続く。
「亜紀です。宜しくね?」
「私は冬香よ。宜しくお願いするわ」
「えっと、ナツさんに、アキさんに、フユカさん、ですね?」
「……奈津お姉ちゃん、でもいいよ?」
奈津の一言に、思わずぶっと吹き出した。亜紀たちは呆れた顔をし、クオくんはきょとんとした表情で口を開く。
「ナツお姉ちゃん、ですか?」
「上目がちっ……微妙に傾いだ首っ、イイッ……!」
グッ、と親指を立て、そのまま悶絶するようにその場に突っ伏した奈津。
私は思わず立ち上がり、クオくんに詰め寄る。
「ちょ、奈津ずるい! クオくん、私もさん付けじゃなくてチハルおねえちゃんって呼んで!」
「なら私は、冬香お姉さまと呼んでもらおうかしら」
「えっと、私のことは、好きに呼んでいいよ?」
「あのナツという奴に、妙なシンパシーを感じるのは何故じゃ……?」
……大混乱でした。
収拾がつかなくなったので、結局全員をさん付けすることで強引に纏める。不満の声は、勿論黙殺しました。
「はあ……それにしても、魔法、いいなあ……」
亜紀がうっとりと呟く。それに同意するように、奈津と冬香も頷いた。
「ねえ、千春ちゃん、魔法って私たちも使えないのかな?」
「んー……やれば出来ないことないかな?」
「えっ、本当!?」
異世界でやっていたように銀貨に魔法を込め、それを彼女たちに使ってもらえば、擬似的にではあるが魔法は使える。それに、創造魔法でもマジックアイテムを作れるはずだ。
そう思って答えれば、亜紀は勢い良く食いついてきた。他の二名も、きらきらと期待を込めた視線で私を見つめてくる。
「……うん、ならやってみようか。ここじゃちょっと危ないし、亜空間に行こう?」
「亜空間?」
「えっと、このバッグの中に広がってる空間のこと」
異世界で使っていた肩掛けバッグを持ち出す。昨日の内に中身の整理をしてあるので、その中にはもう何も入っていない。
それを見たクオくんが首を傾げた。
「あの、それって何でも入るマジックアイテム、でしたよね?」
「うん、そうだよ。私が魔法で亜空間を作って何でも入るようにしたんだ」
「……あ、そうだったんですか」
少し驚いた表情を浮かべる彼に、私はそうだったのです、と胸を張ってみる。
魔法ノ書が凄すぎるだけなので、私自身の功績でも何でもないんだけど。
「……っと、あ、みんなを置いてけぼりにしてごめん。簡単に言うと、四次元ポケット、みたいなものかな、このカバンは」
「……魔法って何でも出来るのね」
冬香が感心したように言う。奈津も亜紀も興味津々と言った様子だ。
「何でも、ってわけでもないけどね? じゃあ、まずは奈津、どうぞ」
奈津の手首を取り、カバンに突っ込んでみる。腕が全部入ったところで、奈津があははは、と爆笑した。
「すごーい! カバンの底がなーい! 面白ーい!」
「でしょ? じゃ、ぐいっと行っちゃえ!」
「はいよ……っと!」
ずるん、と奈津の全身がカバンに呑み込まれていく。端から見るとかなり奇怪で恐ろしい映像に、その場に妙な静寂が落ちた。
「……えっと、じゃあ、どんどんどうぞ」
「う、うん」
「本当に変な感じね……」
「えっと、僕もですか?」
亜紀を押し込み、冬香を押し込み、最後にクオくんを押し込む。フェンリルは行くつもりがないと、留守番を決め込んだ。
机の上にあった異世界の硬貨が詰まった袋を持ち、私も中に入ろうとカバンの口を広げる。
「あ、フェンリル。お母さんが来たら、みんなと魔法でどこかに行った、って言っといて?」
「わかったわい」
それだけフェンリルに伝えた私も、えい、と足をカバンに突っ込んだ。
亜空間は、相変わらずの白と黒の世界だった。だけど今日は、みんながいるので、そんなに恐い雰囲気は感じない。ただ、相変わらず音の反射が無いので、耳が気持ち悪い。
「ちい、遅いよ!」
「ごめんごめん」
そんな迎えの言葉を聞きながら、財布から銀貨を取り出す。
「えっと、みんなは何の魔法がいい?」
「私、火がいい! RPGの序盤に使えるようなので!」
「えっと、空とか飛びたいな。千春ちゃん、そんな魔法ある?」
「なら私は、水がいいわ」
「僕は、えっと、結界魔法……がいいです」
見事にばらけたな、と思いつつ、皆の言葉に頷く。
「んー、出来るかどうかはわからないけど、とりあえずやってみようか」
まずは銀貨に奈津リクエストの、火の魔法を込める。
RPGの序盤に使えるようなの、ということなので、最初に使った小さな爆発を起こす魔法にしておいた。とは言っても、あの威力で序盤の魔法と言っていいのか謎だが。
「じゃあ、はい、奈津。えっと、火を出したい方向に指を突き出しながら『フレイム』ね?」
「よっし、わかった! 行くよ! ……『フレイム』!」
ちり、と火花が散る。そして、奈津の指差した方が、爆発した。
以前は驚きにひっくり返ってしまったが、今回はちゃんと見ることができた。というより、前より威力が減っている。本来の威力はあの程度だったのだろう。魔法ノ書効果で酷いことになっただけで。
そんな風に考えていれば、彼女は興奮した様子で私の手を取る。
「ちい! これ超凄い! 楽しい! ありがとう!」
「私も最初はそう思ったから、奈津の気持ちはよくわかる」
まるで子供のようにぴょんぴょんと跳ねる奈津に、うんうんと頷いた。
「実際見ると本当に凄いわね、魔法って……」
「ねー? ……千春ちゃん、次は私だよ!」
私はせがまれるまま魔法を込め、彼女たちはその魔法を楽しんで使う。
しばらくの時間、亜空間の白い空には、火が舞い、水が舞い、風が舞っていた。
「……あー、楽しかった!」
奈津が足を伸ばして少しだらけたような姿勢で座り、喜色の滲んだ声を上げる。皆も思い思いの恰好で休み、口々に同じようなことを言っていた。
私はそんな彼女たちを見ていると、少しだけ心苦しくなる。だって、私が魔法を手に入れたのは、本当に偶然で。私だけが、なんて気持ちが湧いてきてしまうから。
でもそれ以上に、みんなが喜んでくれたことがとても嬉しくて、思わず頬に笑みが浮かんだ。
「……でもさー、こっちじゃ全然使い道ないんだよね、魔法って」
小さくぼやけば、確かに、とみんなが苦笑する。
「火の魔法なんて、放火にしか使えないしね」
「空なんて飛んだら……NASAとか来ちゃうかも」
「そう考えると、目に見える効果の魔法は、全部駄目よね」
「それに、こっちの世界には魔物なんていないみたいですし、攻撃魔法の殆どがそもそもいりませんよね……」
皆の意見に、そうそう、と頷く。
NASAかどうかは判らないが、人が生身で空を飛ぶところなんて見つかったら、本当に国家権力がやってきそう。
「使い道と言って唯一思い浮かぶのはさ、未来をちょこっと見て、ロトみたいな宝くじを買うくらいだけど……それはズルみたいで何となく嫌なんだよねー」
「えー、いいじゃん? 50万くらい当てて、みんなで春休みに旅行行こうよ、旅行」
「でも、私はちょっとわかるな」
「というより、未来なんて見れるのね……」
「……宝くじって何ですか?」
クオくんの言葉に、彼の隣に座っていた亜紀が簡単に説明する。クオくんは判ったのか判らないのか、曖昧な表情を浮かべていた。異世界に宝くじなんてないだろうから、しょうがない。
「まあ、未来そのものじゃなくて、今のところ一番可能性の高い将来、なんだけどね。だから、いざ宝くじを買ってみたら、バタフライ効果で外れるかも」
「えー、そうかあ?」
奈津の疑問に満ちた声に、私は肩を竦める。可能性の話だよと言えば、彼女は納得したようだった。
よいしょ、と勢いづけて立ち上がる。亜空間の中なので汚れることも無いのだが、何となくいつもの調子でぱんぱんと足元をほろった。
「だから、こっちじゃ魔法なんて、あんまり意味ないんだよね。もしこれで私が男だったら、透明になって女湯を覗いてやるぜ、とかアリかもしれないけど……」
「あははっ、確かに私たちが男湯見たって嬉しくないよね……!」
奈津に思い切り笑われた。亜紀と冬香も笑う。
クオくんだけが、きょとんとした表情を浮かべていた。
彼女たちの笑い声をBGMに、私は宣言する。
「とまあ、そういうことなので、明日からも私は普通の高校生ってことです!」
「普通かどうか激しく疑問だけど、そういうことにしておいてやろう」
「ははー、ありがたき幸せ」
奈津の言葉に、両手を頭の上から下ろし、仰々しく礼をすると、一瞬場がしーんとなる。
誰かがぷっと吹き出すと、もう堪えられなくて、皆で一緒に笑った。