異世界編 20
「あー……もうっ……」
じたばたじたばた。
私はまだ、悶え続けていた。
そろそろ落ち着いてはきたけれど、これから先、また何度も思い出してじたばたすることになるんだろうな……。
「……チハル、起き……何をしている?」
いきなり声をかけられて、ハッと動きを止める。
ぎぎぎ、と、まるで油切れのロボットみたいな動作でそちらを見上げると、そこにはいつの間に入ってきたのか、ルナさんが居た。
「な、何でもないです……」
思わず苦笑いで誤魔化すと、ルナさんはホッとしたように表情を緩める。
「……チハル、元に戻ったな」
その安堵がこもったような言葉に、やっぱり端から見ても人格が変わってたんだな、と思う。
「……ご迷惑をおかけしました」
ぺこ、と頭を下げれば、ルナさんは首を横に振った。
「いや、大切な人を守れず、熱くなってしまうのは私にもわかる」
どうやら、あの“やってしまった感溢れる台詞”は、クオくんを傷つけられた末の暴走、という美談に纏められているらしい。
確かにキッカケはそうなのだが、実情は酔っ払った(というと少し語弊があるが)末の行動なので、何ともいいがたい気分になる。
誤魔化すように咳払いをし、話題を変えた。
「……ところで、あの後どうなったんですか?」
「ん、ああ、そうだな。説明しよう」
彼女はぽすん、とベッドに腰掛ける。
「まず、チハルは3日間眠っていた」
予想外に長い期間に、驚いてしまう。私の感覚からすれば、ほんの30分くらいだと思っていたのだけれど。
「その間……まあ、色々とごたごたがあった」
濁して少ししか教えてくれなかったが、それだけでもこれからの国家運営は大丈夫なんだろうか、という具合だった。
騎士団の50名ほどがフェイルについてたとか、“耳”と呼ばれる諜報部隊のトップがフェイル派だったとか、とある大貴族がフェイルを支持していたとか。
一体全体、どうやったら、そうなるまで気付かないでいられるのか。
王たちがよほど愚鈍なのか、それともフェイルがよほど才覚と策謀に優れていたのか。どちらだとしても、ただただ呆れてしまう。
まあ、私にはあまり関係のない話だが。
これから、ルナさんたちに建て直しを頑張ってもらうしかあるまい。
「フェイルとキースの二人は処刑されるまで牢獄に入れていたのだが……いつの間にか消えていた。見張りの兵士も倒されていてな。……内部犯なのか、外部犯なのかすらわからん」
「……だ、脱獄ですか」
この国、本当に大丈夫かな、と心から思った。
国家転覆を狙った人間を、そんな簡単に逃がすなよ、と突っ込みたい。小一時間、問い詰めたい。
「それと、シルヴァニアの地下にいた奴らだが、あの辺りでは小規模だが名の通った盗賊団だったらしい。潜伏先がわからず手をこまねいていたそうだ。どうやって居場所を突き止めたかはわからないが、フェイルは知っていたのだろうな」
つまりこの反乱に利用するために、潜伏先がわかっていても放っておいた、ということか。
民に被害があるとわかっていても、自分の計画を効率よく実行するために。
……わかってはいたが、あの男、人格破綻してるな。敵意も無しに人を攻撃できる人間だし、今更か。
「あと……チハルには、謝らねばならんことがある」
「何ですか?」
「……魔物を操る本のことだ」
ああ、そういえばそんな話もあった、とはたと思い出す。
諜報部隊があえて流した情報かな、とも予想していたのだが、実際はどうだったのだろう。
「実はだな……あれは嘘だったんだ。いや、魔物を操る、というより知恵を与えるためのマジックアイテムはあったのだが、それは本の形をしていない」
「えっと、つまりは、どういうことですか?」
「……母上が、お前をこの任務で使うために、本の形だと偽っていたらしいのだ。……本当にすまないッ!」
彼女の謝罪に、ぽかーんとしてしまう。
意味がわからず問い返せば、彼女は詳しく説明してくれた。
よくよく聞けば、つまりは、またしてもルナさんのうっかりだったらしい。
直接的に私のことを伝えたわけではないのだが、
ルナさんに、信頼のおける魔法使いが出来たらしい
+ルナさんが魔力のこもった本をいきなり探し始めた
=ルナさんが信頼するくらいだから、相当すごい魔法使いに違いない
=その本は、ルナさんの信頼する魔法使いが探しているのでは?
=なら、今回の件に本が関わるとなれば戦力増強?
という図式が、后の中で成り立っていたのだという。
そこで、駄目元でルナさんに少し嘘をちらつかせたところ、私が見事に一本釣りされた、ということらしい。
テレポートなど、反則的な魔法が使える私がいたからこそ、今回の事件は、王族にとって考えられる最善の結果で終わったわけだけど。
何となくすっきりしないものを感じる私だった。
「まあ、それはもういいです」
「だが、お前の探し物に協力する、と言っておきながら……」
「……気にしないで下さい」
もう見つかりました、とも言えず、私は誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。
見つかったと言えば必ず、どこで、と聞かれるだろう。
沈黙は金、である。
「……そういえばクオくんは?」
「今は寝かせている。無理矢理にでもそうしないと、寝ないでお前の傍にいそうだったからな」
彼女が言った彼の姿が容易に想像できて、私は思わず苦笑する。
「それは……ありがとうございます。クオくんの居る部屋に案内して貰えますか?」
「もう動いて大丈夫なのか?」
「あ、大丈夫です」
3日も寝ていたからだろう。眉を寄せ、気遣いを見せる彼女に、きっぱりとそう告げる。
今回倒れたのは、レベルが低い内に下巻を手に入れたせいで、色々とオーバーフローしただけなのだ。
躊躇いのない言い方に心配はいらないと思ったのか、彼女はそうか、と頷く。
「なら行こう」
「はい」
抱き締めていた枕を置き、ベッドから立ち上がる。
あれだけ悶えて暴れまわっていたにも関わらず、まだ少しだけ身体が強張っていた。が、3日寝ていたにしてはマシな方だろう。
ルナさんの後をついて、クオくんの元へ向かった。
「ここだ。私は用事があるので失礼しよう。何か用があれば、外のメイドに言えばいい」
「あ、ありがとうございます」
部屋を案内してくれたルナさんとは入り口で別れ、私はベッドに近付く。
「……良く寝てる」
横になるクオくんの顔は、少しだけやつれて見えて。
心配してくれたという喜びと、心配させてしまったという申し訳なさが、ないまぜになって、私の胸を占めた。
サイドテーブルの上にいたフェンリルが、ぴょん、と私に飛びかかる。一瞬びっくりとしたが、咄嗟に伸ばした手の上に、上手く着地してくれた。
「やっ、フェンリル」
「こっちでは久しぶりじゃの」
「そう、なのかな? 私はさっき会ったばかり、って感覚しかないや」
苦笑すれば、何がおかしいのか、フェンリルは笑う。
特におかしくもなかったけど、私もそれにつられて笑ってしまった。
「……ん、う……?」
笑い声が煩かったのか、もぞ、とクオくんが身じろぎする。
起こしちゃった? と声をかければ、彼は勢いよく跳ね起きた。フェンリルは空気を読んだのか、ぴょん、とサイドテーブルに戻る。
「チハルさん!?」
「クオくん、おはよう。心配させて、ごめんね? それと、怪我させて、ごめん」
「……そんな! 気にしないで下さい……! だって僕が勝手に……!」
それ以上言葉も出ない。そんな様相で抱きつかれて、この感触が懐かしい、と思った。実際は、数日――私の感覚からすれば、たった一日だ――しか経っていないのに。
あの日、あの時間が、それほどまでに濃かったからだろうか。
地下にいって。反乱があって。城に戻って。殺されそうになって。魔法ノ書が揃って。
……考えてみたら、本当にあの日は、濃かった。
というより、異世界に来てからの二週間が、今までにないほどにぎゅっと濃縮されていた。
だってまだ、それだけしか経ってないなんて、考えられないもの。
……でも、もう、帰れるんだ。
私は彼の肩に手を置き、優しく引き剥がす。
「ねえ、クオくん」
「……えっと、なんですか?」
「私ね、異世界から来たんだ」
「……へ?」
寂しそうな表情から、一転してぽかんと呆けた表情に変わる。
それが面白くて、耐え切れなくなった私は小さく笑みを零した。
「私の魔法、色々とおかしかったでしょう? 強すぎるっていうか、有り得ないっていうか」
「それは……はい」
「当然なんだ。あれは、この世界の魔法じゃないから。……といっても私の世界の魔法でもないけど」
そもそも私の世界には魔法すらないわけで。
「……よく、わからないですけど……でも、それがどうしたんですか?」
「前、言ったよね? 私、探し物をしてるって」
こく、とクオくんが頷く。
「それ、見つかったんだ。……というより、ただの成り行きなんだけど」
困惑の表情を浮かべる彼を、苦笑しながら優しく撫でた。
「えっと、クオくんは実感がないと思うけど、私の探し物はクオくんの中にあった」
「……僕の、中!?」
彼が驚愕に目を見開く。
確かに驚くよなあ、と心から思った。
普通、そんなこと思わないもの。
どっかの崩玉しかり、どっかの宝珠しかり。
「簡単に言うと、クオくんの“魔物を引き寄せる原因”が、私の探し物だった」
「……え? じゃあ……」
「うん。それはもう私が持ってる。だからクオくんはもう、魔物を引き寄せる体質なんて持ってない、ただの1人の可愛い子供。私が保障する」
「そ、う……ですか」
どうしてだろう。彼が、哀しそうな表情をする。
嬉しくないのかな、と思って首を傾げれば、彼はまるで泣き出しそうな声色で呟いた。
「じゃあ……もう僕は、チハルさんと一緒に居られないんですね。探し物が見つかったってことは、もうこの世界には用がないんでしょう?」
「いや、でも、たまにはこっちに来ようとは思うよ? だから、もう二度と会えないってわけじゃ……」
「でも、たまに、なんですよね?」
「……ええっと……」
まさか、そう切り返されるとは思わなかった。
……それは私と一緒にいたい、ということだろうか。
私のいる世界が、こことは違うって判っていても、一緒にいたいって思ってくれているんだろうか。
「いや、でも……私の居た世界って、こことは全く違うんだよ? 剣も魔法もない上に、鉄の塊が街中を走り回って、空まで飛ぶような世界だよ?」
「…………でも、チハルさんが居ます」
一瞬戸惑いが表情に表れたが、すぐに毅然として彼は言い切る。
「うーん……」
そこまで私を慕ってくれるのはとても嬉しいのだが、いかんせん問題が山積みだ。
連れて行くだけならば、やぶさかではない。
でも、戸籍のない彼が、あの世界で過ごすのは大変だ。
いや、でも、私と一緒に居たいだけであって、あの世界で過ごしたいと言っているわけじゃない、のか?
うう、としばらくの間悩んだが、私は決断する。
「……じゃあ、一緒に来てみる?」
「本当ですか!?」
「試しに、ね。ずっと生活するかどうかはまた別としてさ、遊びに来てみたらいいよ」
「はいっ、連れて行ってください!」
満面の笑顔で言われて、今まで考えていたアレコレが全て吹っ飛ぶ。
まあ、そんなに喜んでくれるならいいかな、と思った。
(ショタコンが本気を出したようじゃの)
(……ねえフェンリル、いったい私をどうしたいの? それとも、その言葉が気に入ったの?)
(ショタコン=少年を対象に抱く愛情・執着じゃから、間違ってはおらぬだろう?)
(いや、愛情はともかく、執着はどうだろう……?)
(ならば、ペドフェリアの方がよいか?)
(……もうやだ、このもふもふ)
身元のばれたフェンリルが、今まで以上にはっちゃけるようになってしまい、私は心から号泣したくなった。
「……もう、行くのか?」
ルナさんが寂しそうに言う。
あれからすぐに、クオくんと共に城を去るということを伝えれば、忙しい中、彼女は城の入り口まで見送りに来てくれた。
「はい。王都からも、すぐに発とうと思ってます」
「父上や母上も、手を貸してくれたチハルに会いたいと言ってたのだがな……まあ、しょうがないか。チハルは私たちの恩人だ。束縛はしたくない」
きっとそんな甘いことを考えているのはルナさんだけで、后や、たぶん王も、私を手の内に入れたがっているだろうな、と思う。
ルナさんが信頼しているというだけで、試しに私を引っ掛けるような人たちだ。
テレポートや強力な魔法を連発したり、妙なマジックアイテムを量産している時点で、私を手放すなんて選択はないに違いない。
そんな予感がするからこそ、厄介なことに巻き込まれる前に、さっさと出て行こうとしているわけで。
「まあ、でも……その内、クオくんと一緒に、こっそりと遊びに来ると思います」
「そう、か。ならその時に、あのマジックアイテムの作成を依頼することにしよう」
そういえばそんな約束もしていた、と思い出す。
色々あって、すっかり忘れていたけど。
「そうですね……その時は、あれの他にも色々とアイテムを作ってきますよ。その時は、高く買い取ってください。あ、他の人には、内密にお願いしますね?」
「また内緒なのか? ……まあ、そうだな。あれだけの魔法が使えるのだから、色々とチハルも大変なのだろう」
「そういうことです。……じゃあ、また、ルナさん」
「ああ、またな。クオも達者でな」
「はい!」
二人で並んで歩く。少しして振り返れば、まだ彼女が私達の背中を見送ってくれていた。
手を振ってから、再び前を向く。
「……さて、と。クオくん、こっち」
そそくさと人気の無い裏路地にもぐりこみ、辺りに誰もいないことを確認してから、私は久しぶりのその呪文を口にする。
「『我求む、更なる魔法を。我願う、更なる力を。我望む、異なる世界を。繋がりの鏡よ、我が言霊をもってそれを成せ』!」
今度はちゃんと出現してくれた、すべてのきっかけだった鏡を前に、私は小さく笑む。
「じゃあ、クオくん、行こうか」
「はいっ!」
手を繋いで、共に踏み出す。
長いようで短かった私の異世界生活は、こうして幕を閉じたのであった。