異世界編 19
視界が、真っ白に染まる。
絶望でとか、そういう比喩表現ではなくて。
物理的に、私の視界は白く染まっていた。
「……なに、これ……」
クオくんから、湧き出るように溢れる、白の光。
一体何が起きているのか、わからない。
(チハル! 何をしておる! 呆けておらんで、さっさと魔法ノ書をかざさんか!)
(っ!?)
何で、フェンリルが魔法ノ書について知っているのか、とか。
大体この光はなんなんだ、とか。
それよりも、クオくんを治療しなくちゃ、とか。
一瞬の内に思考は巡って、それと同時に魔法ノ書を身につけている方の腕は、無意識の内に白の光に伸びていた。
白の光は、吸い込まれるように腕輪となった魔法ノ書へと吸収される。
そして、訪れる、奔流。
白の洪水が、私の意識を押し流す。
流れてくる、映像。無理矢理詰め込まれる、知識。理解させられる、魔力の流れ。
そして私の口から零れる、笑み。
……ああ、そうか。そうだったんだ。
溢れてくる全能感。今だったら何でもできる、そんな思いが、私を支配する。
「急に固まって、どうしたの? そんなにその子供が大事だっ……っ!?」
ふざけたことを言う男に、私は無言で魔法を放つ。10本以上の水の槍が、縦横無尽に駆け、相手を貫こうと飛び回る。
相手の剣? どうってことない。だってそれよりも速く、こちらに向ける隙がないくらいに、魔法で攻めればいいんだから。
みんなを巻き込む心配だっていらない。だって、そんなヘマ、今の私だったらするわけもない。
……だって、魔法ノ書は、完成したんだから。
「クオくん、今治すからね」
水の槍を操作しながら、治療魔法を使う。今までだったら同時に魔法を使うなんて出来なかったけど、今だったら出来る。出来ないはずがない、とまで思う。
薄い水色の光が舞い、一瞬でクオくんの傷が癒え、苦痛に歪んでいた彼の表情も、緩んでいく。これでもう大丈夫だ、と私は安堵した。
「……チハル、さん?」
「クオくん、痛いところ、もうない?」
「は、はい……」
クオくんが起き上がる。私も立ち上がり、私の槍から逃げ回るフェイルを見定めた。彼に負わせた傷は殆どないが、見るからに相手も避けることで精一杯。むしろ、よくあれだけ避けられるものだと感心してしまう。
「……クオくんを笑いながら傷つけた罪、思い知れ!」
更に槍の数を増やし、フェイルだけでなくキースも目標にする。部屋を駆ける槍の数はすでに、40本以上になろうとしていた。
「くっ……これはちょっと……」
「なんやねんこれ! こない無茶苦茶なの、ありかいな!」
「斬っていいのは斬られる覚悟のある奴だけだ!」
高速で動き回る水の槍を見てか、ルナさんたちはいつの間にか攻撃をやめ、壁の方に寄っていた。
それは好都合ではあるが、何故あんな強張った顔をしているのかわからない。
私、当たり前のこと言ってるよね?
上から下から右から左から。私は敵である二人を翻弄する。
相手も避けてはいるものの、多勢に無勢というやつだ。相手が負う小さな傷も、どんどんと増えてきて、ああ、そろそろ終わりだな、と思った。
「これで最後っ! 『水よ、その清廉なる身を龍に変え、我が敵を飲み込まん』!」
今まで使ったことのない、そもそもさっきまでは呪文すら覚えていなかった上級魔法を、私は迷うことなく使用する。水が龍の形に変化し、まるで意思を持つかのようにその顎を開いた。
「行けッ!」
龍が、二人を成すすべも無く呑み込む。その威力は極限まで弱めてあるので、死にはしない。ただちょっと、水で溺れて貰うだけだ。これなら血も出ないし、平和的解決だ。溺死が苦しい死に方とかは全然知らない。
がぼがぼと龍の中でもがく二人を、私は冷めた目で見る。何とか外に出ようとしているようだが、その程度で逃げられるわけがない。……私怒ってるんだよ?
ま、まだまだ元気そうだし、1~2分くらい放置しようっと。
「ルナさん、とりあえず片付きましたよ」
「……あ、ああ」
ただ呆然として宙に浮かぶ龍を見つめる彼女に、私は笑いかける。微妙な沈黙が落ちるが、彼女ははっとして床に倒れ伏す男に駆け寄った。
「父上! 父上!」
ルナさんが男に呼びかけるが、既に意識がないのか、それともダメージを受けすぎているせいか、返事はない。
「……あの、チハル……すまないが治療してもらえるか?」
「いいですよ?」
彼女のどこか引き攣った顔を疑問に思いながら、無詠唱で回復魔法を使用する。水色の光が舞い、男の傷は即座になくなった。
ルナさんはホッとしたように表情を緩める。私も、良かったな、とどこか遠い感覚で思った。
「……あれ……?」
ぐらり。突然、視界が歪む。
どうしてだろう。頭が割れそうなくらい痛い。
立っていられずに、私はその場に膝をつく。
「チハルさん!?」
「クオ、く……ごめ……」
魔法の維持すらも出来なくなって、龍も途端に掻き消える。どさりと中に居た二人が投げ出されたような音がしたが、それを確認する余裕すらない。
私はその場に倒れ伏し、意識を失った。
私は、白い世界にいる。
何もない、白だけが広がる世界にいる。
突然の展開にも関わらず、私はそれを当然のこととして受け取っていた。
そして、一言呼びかける。
「フェンリル?」
「……うむ」
後ろからの声に、ゆっくりと振り返る。そこにいたのは、いつものもふもふでなく、大きい狼みたいな白い獣だった。
ああ、その姿なら確かに「フェンリル」って感じだよ。かっこいいじゃん。相変わらず手触りは良さそうだけど。
「それにしても、びっくりしちゃった。まさか、クオくんが“下巻”の持ち主だったなんて」
そう。魔法ノ書の下巻は、ずっと彼の中にあった。
魔物を呼ぶ体質だったのも、そのせい。彼から漏れ出る魔法ノ書という少し異質な魔力に、魔物が引き寄せられていたのだ。
魔力はあるのに魔法が使えないのも当然だ。だって彼には、書の使用権がなかったのだから。下巻を使用することが出来るのは、上巻の所有権を持っている者だけ。
「……そうじゃな。わしもお主らに呼ばれたときは驚いたわ。随分早く呼ばれたと思えば、書は完成しておらん。何かと思ったわい」
「フェンリルを喚ぶには、魔法ノ書が揃った状態じゃなきゃいけないんだもんね」
書が揃って初めて召喚することの出来る、“書の守護獣”と呼ばれる使い魔。それがフェンリルの正体だ。
「下巻の存在には、全く気付いておらんかったの」
「そんなこと言われても、しょうがないじゃん」
小さく笑う。
まあ、今思えば、確かにフェンリルは変だったけどさ。
この世界の中から呼び出されたはずの使い魔が“ショタコン”なんて使うものか。頭がよければ、その時点で、フェンリルが私の元居た世界について知っている、なんて気付けたのかもしれないけど。私じゃ無理。
「“お主の探し物も、意外と近くにあるかも”って、わかってて言ってたんだね」
「まあ、そうじゃな」
フェンリルの肯定に、思わず肩を竦めてしまう。
ヒントを出すなら、もっとわかりやすいものにしてほしかった。
あの夜、あの言葉で救われたのは、確かだけどさ。
「……ていうかさ、聞いていい?」
「なんじゃ?」
「私さ、さっき人格が変わってた気がするんだけど、気のせい?」
“ただちょっと、水で溺れて貰う”、“血も出ないし、平和的解決”、“溺死が苦しい死に方とかは知らない”。
……どんだけ鬼畜なの自分。
クオくんを傷つけられて切れていたっていうのもあるけど、それでもいつもの私なら、こんなことは言わないと思う。
その問いに、フェンリルは何でもないことのように言った。
「気のせいではないの。下巻を得たせいで、一時的に力に酔っておったんじゃ」
「えぇ……そんな、人を酔っ払いみたいに……」
「事実じゃからの。まあ、お主はまだまだマシな方じゃ。以前の主じゃと、笑いながら自分のいた世界を滅ぼしたりしておったわい。まあこれは極端な例じゃがな」
「うわあ……」
それは……酔ったと言っていいのか?
でも、確かにそれを聞いてしまうと、私はまだマシな方だった、と言わざるを得ないだろう。少なくとも、人を殺そう、とは考えなかったんだから。決して誇れることではないけれど。
「……そういえばクオくんって、魔物を呼ぶ体質じゃなくなる、よね?」
「そうじゃな」
「そっか」
なら、彼はこの世界に残った方がいいのかもしれない、と思う。
魔物を寄せないのであれば、家族や知り合いのいるこの世界に残った方がいいのでは、と。
それに、ルナさんという後ろ盾に申し分ない知り合いだっているのだ。この世界の方が、彼にとっては生きやすいに違いない。
「あ、クオくんとフェンリルとの間の契約は?」
「一応は繋がったままじゃ。チハルが望むなら切るぞ?」
「望まないって知ってて言ってるよね?」
少しだけむくれてみると、フェンリルは牙を剥き笑う。
私も、何だかおかしくて、一緒に笑った。
ふと、現実世界に意識が戻る。
知らない天井だ、と言おうかと思ったのだが、天井ではなくベッドの天蓋のようだったのでそれも言えなかった。
辺りを見渡せば、高級そうな調度品で部屋が彩られていて。ここは城のどこかであることを理解する。
周りに誰もいないことを確認した私は、柔らかいベッドに顔を埋め、思い切り叫んだ。
「……思い知れってなんだよもーっ、自分の馬鹿っ! あああああ恥ずかしいいい!」
枕を抱えながらごろごろとベッドを転がる。
やばい、これはやばい。
私の放った言葉が、頭の中で繰り返し再生される。
『……クオくんを笑いながら傷つけた罪、思い知れ!』
『斬っていいのは斬られる覚悟のある奴だけだ!』
あああ、なんて恥ずかしいことをおおおお!
後者の台詞とか、どこの皇子だ、私はあああ!
私は魔法ノ書が完成したと思ったら、超ハイテンションで悪役ばりの台詞を吐いていた。
中二病とか黒歴史とかそんなチャチなもんじゃ断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わっ……てます、今現在味わってますよあああああああ!
ばたばたと両足を動かし、ベッドの上で暴れまわる。
あれだね、はっちゃけた飲み会の次の日に「昨日課長のヅラを取っちまったよ、どうすんだよ、今日会社行けねえよ……」って思う部下みたいな心境に似てるよね、これ。
枕を思いっきり抱き潰しながら、私はしばらくの間、とことん悶えていた。